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シュリーマン旅行記 清国・日本

2008年01月31日 23時33分39秒 | -中国-
いま時間があるので、最近けっこう読書をします。
その中で、かなり興味深く面白かったのがこの一冊、『シュリーマン旅行記 清国・日本』

19世紀半ば、ドイツ人のハインリッヒ・シュリーマンが、有名なギリシャのトロイ遺跡を発掘する前に、世界各地を旅する途中、当時清朝だった中国と、幕末の日本を訪れた。

その時の中国・日本の様子を、詳細にレポートしている。

その詳細さは、この本を読めば、その当時の情景がすぐに思い浮かぶぐらいだ。大きなものから小さなものまで具体的な数字を挙げて大きさを表現し、物の価格まで事細かにしっかり記されている。

特徴的なのは、中国についてはかなり毒舌に評価している一方で、日本についてはかなり絶賛している。外国に住んで、日本ってやっぱり良い国だなと思うことは多々あったけど、この本の、なんの偏見もない客観的なヨーロッパ人の日本に対する評価には、日本という国は素晴らしい国なんだと、改めて思わせてくれる。

当時、中国は欧米列強の侵略を受け、清朝政府は腐敗し、国民はアヘンに犯され堕落していた。一方日本は、明治維新の3年前という幕末の混乱期ではあったけど、260年続いた江戸時代の秩序の中にいた。
シュリーマンによる旅行記では、こうも違うかというぐらい、中国・日本とを好対照に記している。


読んでいて興味深かった部分を抜粋します。(※原文の「シナ」とは中国のこと)

まずは当時の街並みについて。
シュリーマンは中国北京の万里の長城を見に、上海から天津へ船で移動した。その時天津の街に降り立った時の印象をこう記している。
『私はこれまで世界のあちこちで不潔な街をずいぶん見てきたが、とりわけ清国の街は汚れている。しかも天津は確実にその筆頭にあげられるだろう。街並みはぞっとするほど不潔で、通行人は絶えず不快感に悩まされている。』
また、北京の街を歩いている時の様子。
『ほとんどどの通りにも、半ばあるいは完全に崩れた家が見られる。ごみ屑、残滓、なんでもかんでも道路に捨てるので、あちこちに山や谷ができている。』
→う~ん、今の中国の街でもそう思うことがよくあるなぁ。ほんとぞっとするぐらい汚いところを上海でも目にする。地方の町へ行けばさらにだ。中国人は場所関係無しにポイポイごみを捨てるし、汚水を道の溝へ流してしまうし、ゴミ捨て場は目を覆いたくなる状況だ。今でも変わらないなあ。

一方で、江戸、横浜の町を見物したシュリーマンはこう書いている。
『日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地が無い。』
『日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろう。』
『この国には平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもまして耕された土地が見られる。』

シュリーマンはお寺を見るのが好きなようで、中国・日本どちらでもお寺を訪れている。
北京で歴史あるお寺を訪れた時の印象。
『…寺を訪れた。シナの寺院建築はヨーロッパ最高の建築家も一目置くほどである。だがいまは、無秩序と頽廃、汚れしかない。…途方もない費用をかけて建設したこの壮大な建築物を、いまや頽廃し堕落した民族が崩壊するにまかせているのを目の当たりにするのは、じつに悲しく、心痛むことだ。』

一方日本のお寺を訪れた時の印象。
『高名な豊顕寺で休憩した。境内に足を踏み入れるや、私はそこにみなぎるこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。大理石をふんだんに使い、ごてごてと飾りたてた中国の寺は、きわめて不潔で、しかも頽廃的だったから、嫌悪感しか感じなかったものだが、日本の寺々は、ひなびたといっていいほど簡素な風情ではあるが、秩序が息づき、ねんごろな手入れの跡も窺われ、聖域を訪れるたびに私は大きな歓びをおぼえた。』
『僧侶たちといえば、老僧も小坊主も親切さとこのうえない清潔さがきわだっていて、無礼、尊大、下劣で汚らしいシナの坊主たちとは好対照をなしている。』

中国と日本の当時の女性についても興味深い記述をしている。
『シナでは、女性の美しさは足の小ささだけで計られる。九センチあまりの小さな足の持ち主ならば、歯が欠けていようが、禿頭だろうが、十二センチの足の女性よりも百倍美しいとされる。例え後者がヨーロッパ風の基準に従えば目映いばかりの美しさをそなえていようとも、である。』(←当時の纏足<てんそく>の風習)
『日本政府は売春を是認し奨励する…貧しい親が年端も行かぬ娘を何年か売春宿に売り渡すことは、法律で認められている。この売買契約にあたって、親たちは、ちょうどわれわれヨーロッパ人が娘を何年か良家に行儀見習いに出す時に感じる程度の痛みしか感じない。なぜなら売春婦は、他の職業と比べて何ら見劣りすることのない、まっとうな生活手段とみなされているからである。…娼家に売られた女の児たちは、結婚適齢期までこの国の伝統に従って最善の教育を受ける。…有名な寺の本堂に「おいらん」の肖像画が飾られ、…日本人は、「おいらん」を尊い職業と考え、他国では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。その有様を目にして、長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ。』

シュリーマンは、子供の頃からの夢だった万里の長城を見に行った。その時のことをこう表現している。
『私は(世界の)素晴らしい眺望をたくさん見てきた。しかしいま、眼前に展開された光景の壮麗さに匹敵するものは何もなかった。私は呆然自失し、言葉もなくただ感嘆と熱狂に身をゆだねた。』

しかし、長城を見に行く際に訪れた村で、シュリーマンは中国人の気質について理解する。
『(村人に)旅行の目的は何かと聞かれて、…長城を見ることだと答えてしまった。彼らはみんな大口を開けて笑い出した。石を見るためだけに長く辛い旅をするなんて何と馬鹿な男だろうというわけだ。どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質である。』
→たしかにこれは今でもそうだ。中国人と一緒に仕事をしていてこれを感じない人はいないのではいか(笑)。

日本で、江戸の街を眺めていて、シュリーマンは日本人の入浴・混浴文化を知った。
『どんなに貧しい人でも、少なくとも日には一度は、街のいたるところにある公衆浴場に通っている。…(男女混浴を見て)禁断の林檎をかじる前の我々の先祖と同じ姿になった老若男女が、一緒に湯をつかっている。…日本人は礼儀に関してヨーロッパ的観念をもっていないが、…人間というものは、自国の習慣に従って生きている限り、間違った行為をしているとは感じないものだからだ。そこでは淫らな意識が生まれようがない。すべてのものが男女混浴を容認しており、…男女混浴が恥ずかしいことでも、いけないことでもないのである。ある民族の道徳性を他の民族のそれに比べてうんぬんすることはきわめて難しい。』
→日本人の入浴好きは世界でも珍しいものだという。たしかに当たり前だが一日一回はお風呂入らないと気がすまない人がほとんど思う。それに今でももちろん水着など着ない混浴の温泉があって、それは世界的にはかなり珍しい。この価値観の違いは面白い。

中国人・日本人の金銭感覚についてもシュリーマンは述べている。
『シナ人は偏執的なまでに賭け事が好きであり、貧しい労働者でも、ただ同然で食事にありつけるかもしれないというはかない望みに賭けて、自分の食いぶちの二倍ないし四倍の金をすってしまう危険をものともしない。』
→中国人はほんとギャンブル好き。暇さえあればマージャンだのトランプだのやってお金を賭ける。この熱狂ぶりはほんとすごい。
『(横浜港に着いた際、税関の官吏は)中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ一分(二・五フラン)ずつ出した。ところが何と彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」(日本男児?)と言い、これを拒んだ。日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである。おかげで私は荷物を開けなければならなかったが、彼らは言いがかりをつけるどころか、ほんの上辺だけの検査で満足してくれた。一言で言えば、たいへん好意的で親切な応対だった。彼らはふたたび深々とおじぎをしながら、「サイナラ」(さようなら)と言った。…彼ら(役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金で贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである。』
→当時の日本の役人の清廉さにはとても清清しい気持ちになるが、方や今の役人・政治家たちの状況を見ると悲しくなってくる。。かつての清廉な「日本男児」はどこに行ってしまったのだろう。。

シュリーマンは中国の劇場で見た演劇(京劇?)を見に行った。
『劇場で演劇を見た。…次は歌と音楽の入った劇だった。太鼓や鐘、それに奇妙なヴァイオリン(胡弓?)からなるオーケストラは、文字通り、猫の騒ぎのような音を出していた。歌も、ヨーロッパ人からすれば、耳を引っかくような叫び声にしか聞こえなかった。それでも観客はしごくご満悦の体で、詰め込みすぎた胃から出てくるおくびの音を響かせながら、さかんに賞賛の声を上げていた。シナ人は拍手喝采することを知らない。』
→「猫の騒ぎのような音」とは京劇についてなかなか酷評してるね。。京劇を見たことがある人なら分かると思うけど、たしかに「猫の騒ぎ」に聞こえる気もする(笑)。ヨーロッパ人には京劇の良さは分からなかったのかな?

シュリーマンは日本でヨーロッパ的モノ文化が絶対ではなく、簡素・質素とはとても素晴らしいことだというのを知ったようだ。
『日本に来て私は、ヨーロッパで必要不可欠だとみなされていたものの大部分は、もともとあったものではなく、…寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要ではないし、それらが便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それら抜きでも十分やっていけるのだとわかった。もし正座に慣れたら、つまり椅子やテーブル、長椅子、あるいはベッドとして、この美しいゴザを用いることに慣れることが出来たら、今と同じくらい快適に生活できるだろう。』
→今の日本にはモノが豊富にある。しかし、当時の日本人は、家具を一切持たず、ゴザ一枚で、その上で食事をし、団らんし、読み書きをし、寝ていた。それで十分だったのだ。「豊かさ」とは何だろうと考えさせられる。


シュリーマンは、中国について批判的に書いていることが多いのに比べて、日本に対して批判的、否定的な記述はほとんどなく、べた褒めされているような気分になり、この本を読んでいてなんか嬉しい気持ちになった。

が、中国がどうのこうのではなく、皮肉なことではあるけど、シュリーマンに褒められた当時の日本の文化は、外国から入ってきた文化に覆われている今の文化ではなく、自分たちで長年育んできたありのままの日本である。逆に言うと、現在の日本が文化的に廃れてしまったかのか?ということを感じてしまう。

この本を読んで一番感じたのは、シュリーマンが中国・日本を訪れてからの150年間で、
中国人は、良くも悪くも変わってないな~と感じ、
日本人は、良くも悪くも変わってしまったな~と感じた。

幕末の日本、清朝末期の中国を知るには、この本をぜひオススメします。
当時の日本、中国を比較するだけでなく、今とむかしを比較するのもとても興味深いですよ。


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3 コメント

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Unknown (zhen)
2008-02-01 10:48:33
大絶賛なり。わたしも買お。
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ぜひぜひ (new-beatle)
2008-02-01 17:09:53
>zhenさん
ぜひ読んでみてください。
読んでて「そうそう!」って思うことがたくさんありました。

そういえば今日本では中国製の冷凍食品の毒物混入事件で大騒ぎですよ!
中国ではいつものようにあまり報道されてないんでしょうね。
返信する
Unknown (ケミィ)
2020-07-02 17:34:24
直ぐ、何処でもゴミをポイ捨てして、恥ずかしいと思わないのかねぇ。あんな習慣をやめて出来るだけ清潔を保つという努力も嫌なのかね、うちらの住んでいる所なんか、毎年ゴミゼロ運動たらでこき使われているから、よその土地から来たヤツがゴミをポイ捨てしてくと、とても恨みを持っているのだけどね、本当に民度が低い奴なんか付き合うのなんかお断りだよ
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