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旅、香港、上海、中国、日々の出来事… 色々語っていくブログ

中国型新幹線で行く、広州・長沙・武漢 駆け足旅行 (その3)

2011年05月21日 23時30分36秒 | -旅日記-

4月23日。
この日は午前中に長沙市内の岳麓山に寄ってから、再び新幹線に乗り、広武高速鉄路の終点・武漢へと向かいます。


■長沙 岳麓山に登る

岳麓山は、長沙市を南北に貫く湘江の西岸に広がる山で、長沙の景勝エリアです。
山の頂上付近にテレビ塔があって、そこから長沙市内が見渡せるということで、そのテレビ塔へ行ってみることにしました。

湘江は湖南省を流れた後、湖北省で長江に合流する大きな河です。

長沙市中心部。


朝、ホテルをチェックアウトして、市バスに乗り込みまずは岳麓山の入口・東大門へ向かいます。

市バスが通る湘江に架かる橘子洲大橋は大渋滞で、結構時間がかかって東大門に到着しました。
街に隣接する岳麓山ですが、東大門付近から緑がとても多くなります。

東大門の岳麓山入口。


岳麓山を登るには、徒歩、リフト、スライダーの3つの方法があります。

徒歩で行ったら日が暮れてしまいそうだし、スライダーは主に下り用なので、無難にリフトを選択。
リフトはスキー場のものと同じ要領です。

さっそくリフトで山登り開始。



きれいな新緑の木々の間を抜けていきます。


木々の間から長沙市内が見えてきました。
が、天気が良いのにこのモヤったかんじは何なんでしょうか。。


中国の都市ではどこもこのような感じですが、ものすごい大気汚染なのでしょう。。


このリフトは結構長く20分以上乗っていたでしょうか。
やがて終点のテレビ塔が見えてきました。


ツツジの花のじゅうたんを抜けて、リフトの終点に到着です。


リフトを降りてすぐにテレビ塔がありました。
が、このテレビ塔は閉鎖されていました。


この頂上付近には、週末ということもあり、たくさんの市民たちが集っていました。
どうやら岳麓山は長沙市民の憩いの場となっているようです。


空気が透き通っていれば、こんなかんじで長沙の街並みが見えるということなんだろうけど、、


実際はモヤってて、頂上からは何も見えません。。


この大気汚染は深刻だ。。


道路沿いに麓から歩いて登って来る人たちもけっこういました。



さて、山を登ってきたけど辺りをしばらく歩いてやることがなくなってしまいました。
岳麓山は、道教、仏教、儒教関連の寺院などが点在しているようだけども、広い岳麓山をまわっている時間もないので、
すぐに山を降りることにしました。


スライダー(長い滑り台)で山を降りるという方法もちょっと頭をよぎりましたが、面倒臭そうなので、
登りと同じくリフトで山を降りました。


スライダーで滑って降りる人も。


下りの方が街並みが良く見えました。真ん中を貫くのは湘江とその中州です。


でもやっぱりモヤってる。。



■和諧号で長沙から武漢へ

岳麓山を下山後、そのまま新幹線・和諧号のターミナル駅、長沙南駅へタクシーで向かいました。

空港のターミナルのようなデカイ長沙南駅。



切符売り場ではスムーズにチケットを購入できました。


長沙南駅14時36分発のG1062次。武漢駅までは2等席で175元。


長沙南駅の出発待合エリアもかなり広い。


やがて出発時間近くとなり、改札を抜けてホームへ。

和諧号が駅へ近づいてきました。


ホームへ入線する和諧号。


和諧号の先頭車両。相変わらずイモムシみたいだ。


さっそく和諧号へ乗り込みます。
長沙から武漢までは1時間半ほどの移動。

目指す目的地、武漢は長江沿いの大都市です。

和諧号は、長江周辺に広がる平原を高速スピードで駆け抜けます。


中国最新鋭の技術を終結した高速列車・和諧号が走る傍らでは、昔から変わらない手作業での田植えや、
水牛を使って畑を耕す風景が目に入ります。

沿岸部を中心に急激に経済発展して、表面的には発展した国となっている中国ですが、本質的なところでは、
中国の人口で一番多くを占める農民の人たちの暮らしは昔からあまり変わっていないのでしょう。

一方で、武漢に程近い場所を通過しているときに見えたのは、今まで田畑が広がっていた広大な土地を
全部更地にして巨大な工業団地を作ろうとしている景色でした。

間違いなく中国の経済発展や都市化は進んでいて、今後もこの流れは止まらないでしょう。


長沙南駅を出発して約1時間半。広武高速鉄路の終点駅、武漢駅へ到着。


武漢駅のホームに止まっている和諧号。


乗客が降りるとすぐに清掃員が和諧号を洗車?モップがけ?し始めます。
日本なら列車をいったん車庫へ入れてから車体の洗車をするものなのですが、
こちら中国ではそのまま駅のホームでやってしまいます。


広武高速鉄路は、広州からここ武漢で終了ですが、今後、武漢からさらに北京までつながる予定です。


ただし、急ピッチで建設を進めていた中国の高速鉄道網ですが、今年2月に鉄道建設を一手に牛耳っていた
中国鉄道省のトップが鉄道利権に関わる汚職で解任されて、中国では大きなニュースとなりました。
これに伴い急ピッチで建設された高速鉄道の安全面の問題等も出てきて、今後の中国高速鉄道の雲行きは怪しくなっているようです。
後ほどまたこの件には触れたいと思います。


香港から広東省、湖南省を通って、ついに湖北省・武漢まで到達です。



■武漢の夜を散策

武漢にはもともと「武漢駅」という駅はありませんでした。

武漢は、「漢口」「漢陽」「武昌」の3つのエリアが合わさって武漢の街を形成していて、
この3つのエリアにはそれぞれ漢口駅、漢陽駅、武昌駅があります。

広武高速鉄路の開業にあわせて、武漢市郊外に新たに「武漢駅」が新設されました。

例によって新設の駅はかなり郊外にあって、中国の新幹線に乗るのは飛行機に乗るために郊外の空港に行くような感覚です。
日本の新幹線の駅は大都市の街中にあって飛行機に乗るのと比べて利便性が高いのが利点なのですが。

さて、武漢駅から街中へはタクシーを利用。途中、長江に架かる橋を渡ります。
武漢中心街の外れにある武漢都市鉄道1号線の駅まで行き、そこから都市鉄道に乗って宿泊予定のホテル最寄り駅まで行きました。

都市鉄道1号線は高架鉄道。


武漢の街中はけっこうゴミゴミしていて、車・バイク・自転車が入り乱れて大気汚染もひどい。。


ホテルにチェックインして、しばし休憩。
日も暮れてきてお腹がすいてきたので、夜の武漢の街を散策ついでに晩御飯を食べに出かけました。

中心街にあるスープが有名な「小桃園酒楼」というレストランへ向かうことに。
しかし、途中まで市バスに乗って順調に向かっていたけども、バスを降りてから場所がわからず路地をさまようことに。。



けっこうウロウロ歩いてやっとたどり着きました。

で、さっそくこの店「小桃園酒楼」で有名な鶏のスープを注文。


これはかなりうまい!
鶏肉やキノコなどを煮込んだシンプルなスープだけども、なかなか濃厚な味わい。

その他の料理もおいしくて、このレストランは当たりでした。


食後、古い町並みが残るエリアを歩いて、夜の長江を眺めることにしました。

武漢は戦前には日本を含む欧米列強各国の租界が作られ、当時の西洋風の建物がたくさん残っています。


古い建物を利用したカフェ、バーなんかが路地にさりげなくあったりします。


この租界時代の建物の中にはクラブがあって、武漢の若者たちが集まっていました。


路地を抜けると大通りに出て、その先に長江が流れています。


長江は言わずと知れた中国の2大大河の一つで、揚子江とも呼ばれる。
チベット高原から流れ出し、雲南省の山岳地帯や四川盆地を抜け、重慶から三峡を越えて武漢に至り、
南京から河口の上海を経て東シナ海へ流れ込む全長6,300kmの世界第3位(アジア1位)の長さの大河です。

さっそく長江の河川敷へ入ってみました。ここは公園としても整備されて、多くの市民が集まっていました。


なぜか緑にライトアップされた柳並木。


かなり不気味だ。。中国人の美的感覚はまったく分かりません。。



長江流域には、ここ武漢をはじめ、重慶、南京、上海などの大都市がたくさんあり、中国沿岸から内陸をつなぐ
水上交通の要としての役割も持っています。


よって、河口の上海から500km以上内陸にある武漢にも、たくさんの貨物船が長江を行き交っています。


武漢の中心部を貫く長江は、比較的川幅が狭くなっています。
ここ武漢よりさらに上流に行くと、最近完成した三峡ダムがあり、さらにその上流は三峡下りで有名な
険しい山々が連なる三峡の景色が広がります。


どこの国でも、どうして男女のカップルは河川敷でいちゃつくのでしょうか。。


不気味な柳並木と武漢の高層ビル。



河川敷の公園そばに奇抜な建物が建っていて、その奥には租界時代の古いヨーロッパ風建物が見えます。


この奇抜な建物にはレストランやクラブが入っていて、若者たちや外国人でにぎわっていました。


武漢は、長江沿いに租界が作られたため、長江に沿って租界時代の建物が並んでいて、
上海のバンド(外灘)の景色にも少し似ています。ちなみに武漢もこのエリアをバンド(外灘)と呼びます。

夜も大賑わいの武漢のバンド(外灘)エリア。


1914年ごろに建てられた、旧香港上海銀行(HSBC)漢口支店の建物です。現在は中国光大銀行の建物となっています。


一瞬、パリのシャンゼリゼ通りの街並みかと思ってしまう。


いや違った。。ウイグル人が道端で羊肉串を焼いています。やはりここは思いっきり中国でした。


でも夜のライトアップされた租界時代の建物は雰囲気があります。


長江沿いの租界時代の建物が並ぶ通りを歩いていって、やがてひときわ大きな建物がありました。
ここは、武漢海関(税関)の建物です。


租界時代からここは税関でした。なかなか威厳のある建物です。
時計台にもなっていて、毎時ちょうどには時計台の鐘が鳴り、租界時代の雰囲気が漂います。


武漢海関隣りの江漢路は歩行者天国になっていて、夜でもたくさんの人たちが行き交っていました。

武漢海関前でストリート・ライブをしている若者。



こうして夜の武漢の長江の眺めと租界時代の建物を巡ってホテルへと戻り、この日の観光は終了しました。

次の日は昼間武漢の街を巡り、夕方には再び和諧号に乗って一気に広州へ戻ります。


(つづく)


大切な方のお誕生日を祝福


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2 コメント

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いい旅したきぶん ()
2011-08-09 20:01:43
ありがとうございます。
友人が今、この場所を旅しているので、行けなかった私も拝見してて、旅をした良い気分になれました! またお邪魔します。
返信する
ありがとうございます (new-beatle)
2011-08-10 22:44:15
コメントありがとうございます。
何かと話題の中国高速鉄道に乗れて貴重な体験ができました。
返信する

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