La La Singin' Music♪

旅、香港、上海、中国、日々の出来事… 色々語っていくブログ

シルクロードひとり旅 〔7〕 =ウルムチ~カシュガル列車の旅 編=

2012年02月25日 21時10分05秒 | -旅日記-

■寝台列車でウルムチからカシュガルへ

トルファン、ピチャンのオアシス都市を巡り、一週間ぶりにウルムチへ戻ってきた。
ここから、鉄道で中国の西の果ての町カシュガルを目指す。

ウルムチからカシュガルまでは南疆線という路線を通っていく。
南疆線はトルファンから天山山脈を越えて、タクラマカン砂漠北辺に沿って西へと向かい、カシュガルまでつながっている。
全線開通したのが1999年12月なので、まだ比較的新しい路線だ。

この南疆線を走る寝台列車に乗って、1泊2日、24時間かけての移動となる。


朝8時にホテルを出て、オンボロ市バスに乗ってウルムチ駅へ。

ウルムチ駅は北京、上海などの沿岸の大都市へ向かう長距離列車のターミナルになっているほか、
これから乗る新疆ウイグル自治区内のカシュガル行きの列車、さらには隣国カザフスタン行きの国際列車の始発駅となっている。

駅周辺は朝から多くの人で溢れていた。



切符を提示して、さっそく駅の中に入る。
中国の鉄道駅は、切符を持った乗客しか中に入ることができない。

多くの長距離列車の始発駅となっているウルムチ駅は4階構造で、多数の巨大な待合室がある。
列車ごとに待合室が割り当てられていて、列車によっては千人規模の乗客たちで溢れかえることもある。

さっそく駅3階にあるカシュガル行き列車K9786次の待合室へ。


中国の鉄道は、自由にホームに入ることが出来ず、発車15~20分前頃から始まる切符の検札まで待合室で待つことになる。


列車発車時刻の約20分前、9時40分ごろから検札が始まり、たくさんの人民たちが我先にと群がる。
多くの荷物を抱えた人民たちは、列車内で自分の荷物置き場を確保するために乗車を急ぐのだ。

すでに検札へと向かう長い列ができていて、自分もそこに並ぶ。
中国人が列を作ると、人と人との密着度がハンパ無い。割り込ませないようにだと思うけど、密着されると気持ち悪いし
スリに遭いそうなので、そんなに密着しないでほしいと思ってしまう。。

それでも強引に割り込んで列を乱す人民は多々いる。
そんな割り込んでくる人民を、背中にしょったバックパックで撃退しながら、無事検札を通過。
ホームへと向かった。

ウルムチ発カシュガル行き列車K9786次は2階建て車両。



ウルムチ~カシュガル間の南疆線は、旅客列車は一日2本しか走っていない。
なので、より多くの乗客を乗せるため食堂車や荷物車を除いて2階建て車両を使用している。

今回乗ったK9786次は主要駅しか停車しない快速列車。ウルムチからカシュガルまでを約24時間で結ぶ。
もう1本の列車は各駅停車で、カシュガルまで36時間以上かかる列車だ。



今回、僕の座席(ベッド)は、硬臥(インウォ)という日本のJRのB寝台に相当する中ランクの寝台座席。
1階建て車両の硬臥は3段ベッドだが、2階建て車両は1階ごとに2段ベッド(計4段)となっている。

僕が割り当てられた座席ベッドは2階部分にあるため、列車の2階へ上がる階段を上っていく。



普通は2段ベッドが向かい合い一部屋4人だが、今回僕が割り当てられたベッドは車両の端っこだったため、
4人部屋ではなく2人部屋で、目の前は壁。


この部屋の下段ベッドが僕のベッド。
上段は漢民族のおじさんだった。

これからここで24時間過ごすための必要な物を取り出し、荷物を収納して準備万端。
出発を待ちます。




そして午前9時58分。
ガチャ!という車両の連結部分が引っ張られる音とともに、列車はゆっくりと動き出し、ウルムチ駅を出発。
一路、1600km離れた中国の西の果て、カシュガルを目指します。


ウルムチ市街に広がる草原地帯をしばらく走ると、トルファンへ向かうバスからも見えた無数に建つ風車地帯を走り抜けた。



列車はウルムチ駅からまずトルファン駅に向けて走る。
草原、山岳地帯を抜けてトルファン盆地へ入ると緑は減り、見慣れた果てしなく続く荒野の景色が広がっていた。



ウルムチ駅を出発して1時間半後、トルファン駅に到着。


トルファン駅は町の中心部からかなり離れた場所にある。

ウルムチ駅を出発してカシュガルの方向とは逆の東へ向けて走ってきた列車は、
トルファン駅で折り返しとなり、西へ方向を変え南疆線へ入る。
そのため、機関車の切り回しが行われ、先頭の向きが変わる。

機関車切り回しのため、トルファン駅には20分停車。



なので列車を降りてホームをふらふら歩いて暇つぶしをする。



機関車切り回し作業が完了し、昼12時ごろトルファン駅を出発。
これから本格的に南疆線の旅が始まります。



トルファン駅を出発した後は、天山山脈の裾野を列車は走った。
険しい岩山が列車のすぐそばに迫る。



少しずつ山を登ってきた列車は、標高1500mの地点にある魚児溝という駅で一旦停車した。
しかし、この駅では乗車・下車は出来ない。

ここから列車は標高3000mの峠を目指して険しい天山山脈越えが始まる。
そのため、山登り用の強力なパワーを持つ機関車を2両接続させる作業が行われた。



魚児溝を出て、いよいよ標高3000mの峠越えに向けて列車は走り出した。

 

■草原の天山山脈越え

列車内では、あの女子十二楽坊の演奏する『世界に一つだけの花』が流れてきた。
中国の長距離列車では、中国ポップス曲も含めた車掌さんの好み?の音楽が流れることが多い。

女子十二楽坊を聴きながら車窓の景色を眺めていると、不思議と旅情をかき立てられる。



魚児溝を過ぎると、殺伐とした岩山が続いた景色から草原の景色に変わってきた。
標高の高いこの辺りは6月とはいえまだ春が訪れたばかりのようで、草原の草も新芽が出てきたばかりのようだった。



放牧された無数の羊の群れ。



放牧しているのは、遊牧民のモンゴル族。
馬に乗って勇ましい…と、思いきや、このおじさん、携帯使ってる。。


こんな山奥でも携帯使えるんだな。。


ちなみに、ここ新疆ウイグル自治区には多くのモンゴル族が住んでいる。
モンゴル族は主にモンゴル高原のモンゴル国(外モンゴル)や中国の内モンゴル自治区に居住しているが、
新疆に住むモンゴル族は、15~18世紀に新疆北部で強勢を誇ったモンゴル部族連合オイラート部族の末裔と言われている。

17世紀前半、オイラート部族連合の有力部族だったジュンガル部が新疆北部にジュンガル王国を建国し、一大遊牧民王国を築いたが、
18世紀に清王朝により滅亡させられ、それ以降、オイラート部族は中国の図版に組み入れられ、現在に至る。




ジュンガル王国滅亡後、遊牧民王国は二度と誕生しなかった。そのためジュンガル王国は「最後の遊牧民王国」と言われている。

有史以降、ユーラシア大陸で多くの遊牧民族が生まれ、常に世界史の主役だった遊牧民の王国は、19世紀までに中国やロシアといった
大国に組み込まれ、最後に残ったモンゴル族のジュンガル王国も、ここ新疆で終わりを告げたのだ。

そんな歴史を持つモンゴル族の遊牧風景を列車から眺めていると、長い長いシルクロードの歴史の一部を見ているような気がした。


列車はどんどん標高を上げ、雲が近くなってきた。



遠くに雪を被った山々が見えるが、雪はあまり多くない。
4年前に同じ路線を通ったときはかなり雪が積もっていた記憶がある。



馬の放牧も行われている。



果てしなく続く草原。


砂漠のイメージが強いシルクロードだが、この広大な草原もまたシルクロードの風景なのだ。


一気に標高を上げるため、線路は九十九折に山を登っていく。



しばらく車窓から目が離せない。






いくつものトンネルを抜けて、いよいよ最高地点の標高3000m地点を通過。



列車の窓は砂埃で汚れてきて、綺麗な風景の写真を綺麗に撮れないため、窓を開けて写真を撮ってみた。


でもわずかしか窓は開けられない。
列車の外からは冷たい風が窓から吹きつけてくる。


最高地点の標高3000mを過ぎると、高い山々に囲まれた美しい草原が広がり、車窓の景色は最後の輝きを見せる。






草原で馬や羊が優雅に草を食む。


草原の所々にモンゴル族のテント式住居のゲルも並んでいるのが見えた。


草原地帯を過ぎると、列車は狭い谷あいを進み、ここから一気に山を下っていく。



標高が下がってくると、牛や馬を放牧する草原の景色は無くなり、畑が広がる景色に変わっていった。


■列車で一夜を過ごし、いよいよカシュガルへ

北京時間午後7時40分ごろ、トルファン駅を出発して7時間半が経ってやっと次の駅である和静駅へ到着。
太陽も徐々に傾いてきた。

この頃にちょっとお腹が空いてきた。
お昼にカップラーメンを食べたので、夜は食堂車に行ってみることにした。

食堂車にはあまり人は多くなかった。
食堂車の服務員もあまりやる気が無いのか、客が席を立った後のテーブルは、食い散らかしたままの状態で放置されていた。

とりあえず空いている席に座って、メニューを見せてもらう。
新疆ウイグル自治区を横断する長距離列車ということで、ウイグル料理などの郷土料理があるかと思ったけども、
メニューにはいつもの中華料理が並んでいるだけだった。


そこで、無難に野菜と豚肉の炒め物と白飯を注文。
ほどなく料理が運ばれてきて、列車の揺れを感じながらの食事。

料理の味はまあまあ。特にすごくおいしいという訳でもなく、不味くもない。
ただ、当然ながら値段は高い。町中では10数元で食べられる料理が30元近くもした。


食堂車で夕食を食べているうちに、列車は天山山脈の山を下りきり、北京時間21時40分ごろ、大都市のコルラ駅に到着した。


外はやっと太陽が沈んだところだった。


食事を終え、いくつかの車両を通って自分の寝台車両へと戻った。

食堂車の隣は「硬座」という座席のみの一番安いランクの車両だった。
「硬座」には、漢族やウイグル人など、座席が無く立ち客も含めて多くの乗客でごった返していた。
いろんな臭いや熱気が混ざり合い、混沌とした雰囲気が漂っていた。これがまさに中国の列車だ。

一方、寝台車両では、乗客たちは寝巻きに着替えたり、洗面台で顔を洗ったり歯を磨いたりと就寝準備の最中だった。

いつの間にか、車窓の外は暗闇に包まれていた。

外も暗くなり、やることも無いので本を読んで時間を潰す。
上段の漢族のおじさんは、酒を飲んで早々とベッドで就寝していた。


北京時間23時ちょうど。
列車内の明かりがすべて消えた。消灯時間のようだ。

北京時間23時だと、新疆時間ではまだ21時だ。
漢族たちは北京時間で過ごすが、ウイグル人たちは通常、北京時間より2時間遅れの新疆時間で生活している。
彼ら(ウイグル人)にとっては早い時間に消灯されてしまって、戸惑うのではないだろうか。。

暗くなってしまっては寝るしかない。
ガタンゴトンとレールを走る音を聞いて、程よい列車の揺れを感じながら眠りについた。


そして翌朝。
7時半ごろ目が覚める。

ちょうど日の出が始まる頃で、外の景色が明るくなってきた時だった。

窓から外を眺めると、果てしなく続く荒野の景色だった。


天山山脈の草原地帯を越えて、また見慣れた荒野の景色に戻ってきたのだ。


10時30分ごろ、カシュガルの一つ手前の駅、アトシュ駅に到着。

この辺りまで来ると緑が多くなり、車窓からはポプラ並木と畑が広がる景色が見えた。

アトシュを過ぎると、周りの乗客は荷造りを慌しく始めた。
カシュガルまではもうあと少しだ。


北京時間11時。
列車は速度を落とし始め、ゆっくりと駅のホームへと入線。

ウルムチを出発して24時間。
ついに中国の西の果て、カシュガルへと到着した。





ここからいよいよカシュガル、タシュクルガンを巡り、さらに国境を越えてパキスタンへと旅は続いていきます!


(つづく)




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シルクロードひとり旅 〔6〕... | トップ | シルクロードひとり旅 〔8〕... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

-旅日記-」カテゴリの最新記事