
2011年6月。念願叶って4年ぶりにシルクロードを旅した。
最初にシルクロードを旅したのは、2007年夏。
そのときは旅仲間と4人で中国・甘粛省と新疆ウイグル自治区の町を巡った。
当時の旅日記はコチラ(1~10話)⇒ http://blog.goo.ne.jp/new-beatle1978/e/f087a9f5859f59550243811d85697959
果てしなく続く乾いた砂漠、草木1本生えていない険しい岩山、緑豊かなオアシスの町、人懐っこいウイグルの人たち…、
旅で訪れたその土地土地で、肌で感じ、目に飛び込んできたものすべてが、刺激的で旅心をくすぐる何かがあった。
今まで色々な場所を旅してきたけども、4年前のシルクロード旅行を超える旅は無かったように思う。
その時以来、またこの地を訪れたい!とずっと願っていた。
そして2011年6月。
4年近くいた香港を離れ日本へ帰国することとなり、運良く1ヶ月ほどの自由な時間が取れることになった。
こんな長い時間が作れることは、これから先二度と無いかもしれない。
迷わずシルクロード行きを決め、一人、バックパックを背負いカメラ片手にこの地へと向かった。
その旅日記をこれから記していこうと思う。
■旅の計画
「シルクロード」といえば、中国・長安(西安)~タクラマカン砂漠(今の中国・新疆ウイグル自治区内)~パミール高原~
~中央アジア~イラン~中東~ヨーロッパへと至る、ユーラシア大陸を横断する古代から栄えた国際交易路。
紀元前の大昔から、新しい文明が生まれ、文化・宗教が伝わり、多くの国家の栄衰があり、様々な民族、そして多くの旅人が行き交った。
今回の旅では、まずは2007年の旅でも訪れた中国・新疆ウイグル自治区のウルムチ、トルファン、カシュガルなどのシルクロードの
主な町を訪れつつ、中国・パキスタン国境近くのタシュクルガンや、南新疆のホータンを訪れる。
そして今回、中国から国境を越えて、隣国パキスタンへ入国。
パキスタン北部の、桃源郷とも言われるフンザ谷を訪れることにした。
ガイドブックでフンザの写真を見てから、もうかれこれ十数年前からずっと行ってみたいと憧れていた場所。
春には谷あいにピンク色の桜や杏の花が咲き乱れ、夏は美しい雪山に囲まれた谷は緑で覆われ、秋には谷全体が紅葉で美しく色付く、
それはそれは美しい「桃源郷」フンザ。
パキスタンといえば、テロが頻発する危険な国というイメージがある。
実際、外務省から渡航に対して危険情報がでていて、それは首都のイスラマバードでさえ含まれている。
フンザ周辺はインドとの国境紛争地帯だけども、幸い危険度が低い「十分注意してください」にとどまっているため治安は悪くない。
中国からパキスタン・フンザへ向かう道は大変だ。
まず、パミール高原に位置する中国・パキスタン国境は、難所の海抜4700mの峠(クンジュラブ峠)を越えなければならない。
この峠は、あの三蔵法師(玄奘)も天竺(インド)から中国への帰路に通った道でもある。
峠を越えた後、パキスタン入国には必ずビザが必要。しかし、現在日本人が日本のパキスタン大使館以外で ビザを入手するのは不可能。
国境でビザ取得できるとの不確かな情報だけを頼りに、ビザを持たずに国境へ向かうことに。
さらには、無事入国できたとしても、フンザへ向かう唯一の道カラコルム・ハイウェイが2010年に起きた大規模土砂崩れで寸断、
川が堰き止められせいで巨大な天然ダム湖が現れ交通を困難にしているという。
いくつものハードルを越えて、たとえどんな苦労をしてでも、「桃源郷」フンザの美しい景色をこの目で見てみたい!と、
古くから中国とインドを結ぶシルクロードとして栄えた道を辿りながら、中国から国境を越えパキスタンを目指すことに。
<今回旅した場所の地図>
<訪れた町>
・中国: ウルムチ、トルファン、ピチャン、カシュガル、タシュクルガン、ホータン、上海、広州、香港
・パキスタン: ススト、フンザ(カリマバード、アルチット村)
これらの町を約1ヶ月間で巡る今回のシルクロードの旅。
■上海⇒ウルムチ 5時間以上のフライト
2011年6月2日。4年近く住んだ香港に別れを告げ、まずは上海へ向かう。
上海滞在時についてはコチラ ⇒ http://blog.goo.ne.jp/new-beatle1978/e/03a4191c904f25e892532118184a80c6
一緒に上海まで来た嫁さんは妊娠中のため先に日本へ帰国。
ここからは一人で新疆ウイグル自治区の中心都市、ウルムチへ上海虹橋空港から飛行機で向かうことになる。
4年前の旅では、上海から列車で2泊3日かけてシルクロードへ向かったけども、今回は移動時間の節約のため飛行機でウルムチへ。
上海虹橋空港は国内線メインの空港で、最近第2ターミナルが完成し、主な国内路線は新ターミナルへ移転。
さらにこの新ターミナルには中国版新幹線の上海虹橋駅が隣接していて、中国華東地区の一大ハブ拠点となっている。
広い虹橋空港第2ターミナル内。
朝8時15分発の飛行機には予定通り乗り込んだものの、「航路トラフィックのため」という理由で機内で1時間以上待たされる。
どうせ中国共産党の偉いさんが乗った飛行機を優先させるため、下々の者たちが乗った飛行機は後回しにさせられたのだろう…。
機内に1時間以上閉じ込められ、9時30分にやっと飛行機は上海虹橋空港を飛び立った。
飛行機は上海を離れた後、内陸のウルムチまで5時間かけて中国大陸4000kmを東から西へ横断。
西へ西へと進むにつれ、緑は減っていき乾いた茶色い大地が広がる景色に変わっていった。
それにしても、国内線のフライトで5時間の移動…。中国大陸は広い。
新疆ウイグル自治区へ向かう飛行機は、機内の乗客はほとんどが漢族(=いわゆる我々のイメージする中国人)の人たち。
でも一部にはウイグル人らしき人たちも乗っていて、いつもの中国国内線の機内の雰囲気とはちょっと違う感じがする。
機内放送も中国語とウイグル語。そして機内食も豚肉を使用しないイスラム(清真)料理だった。
上海を出発して約5時間。14時30分ごろにウルムチ地窩堡空港に到着。
空港内の表示もウイグル語、中国語、英語表記。
空港ターミナルを出ると、ウルムチは快晴。気温は33度。
とても乾燥していて、香港や上海の様なまとわりつくような湿気はまったく感じないが、日差しがものすごく強い。
さっそくその辺で待機しているタクシーを捕まえて、ウルムチ市内中心部へと向かった。
オンボロタクシーにはエアコンが付いていないので、窓を全開にして走る。
窓からは爽やかな風…、ではなく埃まじりの熱風が吹きつけてくる。
そう、この感じ!
タクシーの窓から吹きつけてくるこの乾いた風をめいっぱい浴びて、再びシルクロードへ戻ってきたんだ、と実感した。
■新疆ウイグル自治区について
上海から到着した、ここ「新疆ウイグル自治区」は、中国の5つある民族「自治区」の一つで、
上に載せた地図を見ても分かるように、中国の西端にあり、経度から言うとインドとほぼ同じぐらい西に位置している。
北はモンゴル、ロシア、カザフスタンと、西はキルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドと国境を接していて、
中国の文化圏よりも、中央アジアの文化圏に入る地域だ。
北部は主に草原地帯となっており、北は天山山脈、南は崑崙山脈という標高6000~7000m級の山脈が東西に連なり、
その2つの山脈に挟まれたタリム盆地には、「死の世界」と言われる広大な砂漠、タクラマカン砂漠が広がっている。
また、タクラマカン砂漠の西にあるトルファン盆地は、海抜マイナス150mという世界でも有数の低地となっている。
このように、自治区の大部分は、乾燥した荒野、砂漠、険しい山脈など、自然環境の厳しい地域だ。
新疆ウイグル自治区は、名前の通り、中国の少数民族の一つとなっているウイグル人(族)の人口が一番多く、
その他、漢族、カザフ族、キルギス族、タジク族、モンゴル族など、13の民族が暮らしている。
以前から、ウイグル人による中国からの分離独立運動が行われていて、たびたびウイグル人と中国軍・警察との衝突が起こってきた。
これに対して中国政府は、「自治区」とは名ばかりの、ウイグル人に対しての過酷な同化政策・抑圧政策を行っているという。
■ウルムチ街歩き
さて旅の方ですが、ウルムチ空港からオンボロタクシーで宿泊予定のホテルまで移動。
ホテルは最近中国全土で増えている格安のホテルチェーン店を利用した。
ホテルの部屋からモスクの建物が見える。
荷物を置いて、さっそく街歩き開始。
今回の旅では、香港で使っていたiPhoneに中国のSIMカードを入れて旅中に使用。
iPhoneからネット接続して、どこにいてもタイムリーに情報を仕入れつつ旅することに。
(※中国はSIMフリーなので携帯機種とSIMカードを別々に購入。携帯機種1つで異なる通信会社の番号を入手できる。)
なんちゃら自治区、、みたいな辺境の地でiPhoneとか使えるのか??と疑問を持つかもしれないけど、
田舎町や砂漠の道沿いでさえも使用可能。意外と中国は日本以上に携帯の接続環境が良い。
カフェなどWi-Fiが無料で接続できるところもけっこうある。
が、しかし、、上海で入手したSIMカードがなぜか新疆でネット接続できない。。
どうやら上海で入手したSIMが上海以外の他省では通話はOKだがモバイルデータ通信が使えないらしい。。
中国は広いので、様々な面で省(日本の都道府県に当たる)ごとの縦割りがあって、省をまたぐと色々と面倒なことが多い。
仕方なく、まずはウルムチの携帯屋へ行くことに。携帯屋がどこにあるかまったく分からないけども、
中国ではだいたい携帯屋や電気屋が集まっているエリアがあるので、まずはそこを探す。
当ても無くふらふら街の中心部を歩いていると、15分後、幸運にもそれらしきエリアにたどり着いた。
中国聯通(China Unicom)のショップへ行って簡単な契約をして、新疆でも使えるプリペイドSIMカードをゲット。
これで安心して旅が出来る。
いきなり予定外の時間を使ってしまったが、ここからウルムチ市内のウイグル人エリアである解放路周辺を散策。
ウルムチは、新疆ウイグル自治区の中心都市で、世界で一番海から離れた都市と言われていて、辺境の町というイメージ。
けれども、市の中心部には高層ビルが立ち並び、近年の中国の経済発展とともにウルムチもものすごいスピードで発展していて、
実際には他の中国の大都市と変わらない。辺境の街という雰囲気ではない。
新疆ウイグル自治区は、名前の通りウイグル人の人口が一番多いけども、ここウルムチは中国人(=漢族)が非常に多く、
中国のその他の街とあまり変わらない雰囲気。中心部にはケンタッキーなどのファーストフード店も並んでいる。
一方、ウルムチ市の中でも、解放路周辺のエリアは中国人とはまったく異なる顔立ちのウイグル人が多く住んでいて、
イスラム建築の建物が建ち、イスラム料理の匂いが漂い、一気にエスニックな雰囲気になる。
ウイグル人街の中心地、解放路の交差点。
この辺りは、夕方の気温が下がって涼しくなるころから多くの人たちが集まり、ものすごくにぎやかだ。
街を歩いていて周りから聞こえてくる言葉はウイグル語。
ウイグル語はトルコ語系の言葉で、文字はアラビア文字を基にしている。
この中国であって中国ではないまったく異なる雰囲気がシルクロードに来たことを改めて感じさせてくれる。
解放路を南へ歩いていくと、「国際大バザール」という場所がある。
もともとはウイグル人たちの一大交易市場だったのが、新しいイスラム建築風の建物ができて、
そこに民族用品のお土産屋や食べ物屋などが集まって観光客が集まり、ウルムチを代表する観光名所となった。
国際大バザールのシンボルの塔。
この国際大バザールをぶらぶら歩いてみたけども、観光客がたくさんいて、むしろ地元のウイグル人はまばら。
もちろん売り子たちはウイグル人たちで、巧みな中国語を使って中国人観光客に向かって客引きをしている。
国際大バザールをちょっとだけ覗いて、すぐに別のウイグル人たちが集まるエリアへ向かった。
国際大バザールの裏通りを歩くと、そこはウイグル人だらけの世界。
ところで、シルクロードに住む「ウイグル人」とはどんな民族なのか。
ウイグル人はトルコ(テュルク)系の民族で、トルコ語系のウイグル語を話し、イスラム教を信仰。
大多数は東トルキスタン(=中国・新疆ウイグル自治区)に居住していて、中央アジアの国々にも居住している。
中国に住むウイグル人は、中国の少数民族・ウイグル族(維吾爾族)と分類されている。
男性はトッパという帽子を被り、女性は鮮やかな色のスカーフを頭に巻いている。
イスラム教徒なので豚肉は口にせず、主に羊肉を使ったウイグル料理を食べる。ウイグル料理は米や小麦の料理もたくさんある。
もっとも、中東の厳格なイスラム教徒とは違い、ウイグル人たちのイスラム戒律はとても緩い。
大都市ウルムチなどでは、最近は伝統的なウイグル民族衣装や帽子・スカーフなどを着けずに、洋服を着ている人も多い。
トルコ系の民族ということで、顔の彫が深く、肌は色白で、栗色や金色の髪の毛、眼の色は緑・青・灰・薄茶色をしている人も多くいる。
しかし現代ウイグル人は、タクラマカン砂漠周辺のオアシス都市に住んでいるイスラム教の民族を、20世紀初頭の政治状況により、
無理矢理まとめて一つの民族に設定された側面もあり、金髪で碧眼の彫の深いウイグル人もいれば、モンゴロイド系の薄い顔立ちのウイグル人もいる。
長いシルクロードの歴史で、東西の様々な民族が行き交った土地でもあり、多くの民の血が混ざり合った民族でもある。
特徴的なイスラム建築の建物。
路上で売っていたミルク・アイスクリームを買ってみる。
これがめちゃくちゃおいしい。甘すぎず、濃厚なミルクの味が口に広がる。
さらにウイグル人街を歩いていく。この辺りはウイグル人だらけで、中国人(漢族)の姿は無い。
見た目が明らかに東アジア人の僕はけっこう周りから浮いている。。
カラフルな洋服を着たウイグル人の女の子。
ところで、まだ記憶にも新しい、2009年に起こった「ウイグル騒乱」。
ここまで僕が歩いてきた辺りはまさに2年前にウイグル騒乱が起こった場所でもある。
ウルムチのウイグル人住民と中国の武装警察、さらには漢族が大規模衝突、多くの死傷者を出して世界的に大きく報道された。
事件の当時、中国国家主席の胡錦濤はイタリアでサミットに出席してたところを、急遽サミットを抜けて帰国し、事件の対応に当たった。
漢族のウイグル人に対する暴行事件に端を発してウイグル人のデモが起こり、そのデモを武力鎮圧したことで多くの犠牲者が出た。
今でも事件当時に警察に連行されたまま行方不明になってしまったウイグル人がたくさんいるという。
ウイグル人と漢族の対立の歴史は長く、根は深い。はっきり言って両者はめちゃくちゃ仲が悪い。
まあウイグル人にとっては、あとからやってきて(1949年の新中国成立以降)、棒弱無人に振舞う漢族は征服者でしかない訳で。
ウルムチのウイグル人街周辺は、現在は一見平穏を取り戻しているように見えるが、
4年前に訪れたときには無かった武装警察の臨時詰所みたいな小屋が交差点に作られ、銃を構えた武装警察が、
鋭い目つきで不穏な動きをするウイグル人がいないか眼を光らせていた。
今の時間は北京時間午後7時。(新疆時間午後5時)
少しずつ日が傾いてきたけどまだまだ明るい。
お腹が減ってきたので、近くのウイグル料理のお店に入ってみる。
ウイグル料理定番の、羊肉串(シシカバブ)とラグメン(うどんに似た麺にトマトベースの具をかけて食べる麺料理)を注文。
うまい。。。とくに羊肉串。肉を串に刺して炭火で焼きシンプルに塩味を付けしただけだけども、これがほんとにうまい。
羊肉を一番おいしく食べることが出来る料理は、この羊肉串だな。
ウイグル料理は中国以外ではなかなか食べられないので、ほんとに久しぶりに食べた。
※ウイグル料理の店は、日本では東京の初台(甲州街道沿い)に一軒あります。一度行ったけども、ご当地の味を出していておいしかった。
あと、ウイグル料理の店では必ずポットで出てくるお茶(ローズティーやカラチャイなど)が、ウイグル料理にとても合う。
お腹を満たして外に出ると、やっと日が落ちてきて薄暗くなってきた。この時北京時間午後9時。
ビルの間から雪を被ったボゴダ峰が夕日に照らされて見えた。
ホテルに戻り、部屋の窓から外を見てみるとイスラム的な美しい景色が見えた。
モスクと三日月の美しいコラボレーション。
三日月はイスラムの象徴なのだ。
ボロい安宿でも眺めだけは最高。
こうしてシルクロードの旅一日目の夜が更けていった。
■オアシスの町トルファンへ向かう
旅の2日目には、さっそく新疆ウイグル自治区を代表する観光の町、トルファンへ向かう。
その前に、一週間後のウルムチ発の寝台列車の切符を買うために、市バスに乗ってウルムチ駅へ。
駅は朝からものすごい人がいる。
人ごみをかき分け、切符売り場へ行き、長い列に並ぶ。
割り込み野郎を撃退しつつ、目的地である中国西端の町カシュガル行きの切符を無事ゲット。
硬臥という中ランクの寝台ベッドの下段ベッドのチケットを購入。345元(約4400円)。カシュガルまで24時間の列車の旅。
中国では寝台切符の入手はなかなか難しい。一週間後の切符でも早く買わないとすぐ売り切れるのだ。
カシュガルに向かうまでの一週間は、ウルムチ周辺の町を巡ることにした。
列車の切符を入手してホテルへ戻ると、ホテルの裏路地からにぎやかな声が聞こえてきた。
ホテルの部屋から見えるモスク前の路地で朝市が開かれていたのだ。
部屋から見えるモスクへ行ってみる。
しかし、イスラム教徒でない僕はモスクの中には入ることはできなかった。
朝市で売られていたベーグル風のナンを朝ごはんとして購入。
ゴマの香ばしい味がしてとてもおいしかった。
ホテルをチェックアウト後、ウルムチの南にある南郊バスターミナルへ向かった。
ここからトルファン行きのバスが出ている。
ウルムチからトルファンへは約200kmの距離。
通常、バスで2時間半で着きます。バス代39元(約500円)。
バスの出発ぎりぎりでチケットを買ってバスに乗ると、座席は一番後ろの席しか空いておらず、仕方なくそこに座る。
この最後列の座席はのちに大変なことになるのだった。。
11時40分にバスはウルムチを出発。順調に行けば昼過ぎにはトルファンに到着できる。
ウルムチ⇔トルファン間は高速道路が開通していて、快適に移動することができる、、、はずだったのだが、
事は順調には行かなかった。
ウルムチ市街地を抜けると草原地帯が広がっていた。
ウルムチ周辺は天山山脈に囲まれた草原のステップ気候で、ウイグル人やモンゴル人が羊、牛、馬などを放牧している姿が
バスの車窓から見えた。
ウルムチ・トルファン間の荒野は中国でも有数の強風地帯で、無数の風力発電用の風車が建っていた。
高速道路は鉄道と平行して走っている。
長い長いの長距離列車が隣を走り抜ける。
順調に走っていたバスだが、ウルムチ・トルファン間の険しい谷あいを通過中、突如高速道路が通行止めに。
ここからものすごい悪路に悩まされながら、トルファンへ向かうのでした。
(つづく)
ウイグルやフンザは本当に素晴らしいところです。景色もさる事ながら人々も温かい。僕もまたいつか訪れたいと思ってます。
さて質問の件ですが、長距離バスでの移動ではマメにトイレ休憩が取られます。ただトイレの質については…、正直期待できません。また場所によってはトイレ設備が無く女性は離れたところで…という場合もありますので覚悟は必要かと。
また、フンザでの許可証は僕が行った時は特に必要無かったです。フンザに着いて宿のオーナーに取ることを勧められて取得しましたが、あくまで何かあった時の保険のような感じでした。無くても普通に旅行ができました。
それよりも、パキスタンビザは今は事前に日本で取得が必要だと思います。スストでは取れなくなっているはずです。それと中国は二週間以内の滞在だとノービザでもいいのですが、最近色々ある新疆ウイグル自治区では検問なども多いと聞いています。観光ビザを事前に取得して旅されることをお勧めします。フンザ行って戻る予定ならダブルまたはマルチのビザを。
元々は治安も悪くない場所なのですが、特にウイグルでの最近の様々な情勢により当局の規制などで旅しにくくなっていると話も聞きます。安全に良い旅をしてください。もし行かれたら現地の最新情報なども教えてもらえると嬉しいです。
質問の情報色々ありがとうございます。長距離バスのトイレ休憩がたびたびあるとのことで安心しました。また、中国、パキスタン共にビザは事前に取得して行こうと思います。地域が地域だけに準備に越した事はないですね。また、やっとたどり着く場所でもあるので、私も居心地が良く、見晴らしの良いエンバシーホテルの予約が個人で事前にできたらいいなと思います。私の旅の情報また投稿します。また、それまでにまた質問もさせていただきます。
ミルク濃厚のアイスなど今も変わってないかも?また行ってみたいです!ありがとうございました。