■タシュクルガンの草原を歩く
パキスタンから再び中国・タシュクルガンへ戻ってきた最初の朝。
タシュクルガンの朝は寒い。
空が徐々に明るくなってきた日の出前の頃、寒くてたまらずベッドから起き上がった。
部屋の窓から外の景色を見た。
雲が空を覆い、タシュクルガンの町を囲む山々には白い雪が積もっていた。
しばらくすると、顔を出した太陽は瞬く間に空を明るく照らし、それと同時に空を覆っていた雲は無くなって真っ青な空へと変わっていった。
山々に積もっていた雪は気温の上昇と共にあっという間に消えて、ゴツゴツした茶色い山肌が見えてきた。
天気は良さそうだ。
パキスタン国境に近い中国の西の果て町タシュクルガンは、主にイラン系民族タジク族が住む小さな町。
カラコルム・ハイウェイを通ってパキスタンへ向かう途中、又は戻った時に寄るぐらいで、特に見所があるわけではない。
でも僕はパキスタンから戻ってすぐにタシュクルガンを離れず二泊もしてしまった。
それは、何も無いけどもタジク族が住むこの小さな町の雰囲気が気に入ったのと、町に隣接して広がっている、
のどかな草原・湿地帯に行きたかったからだ。
朝ごはんを簡単に済まして、さっそく町外れの草原地帯へと向かった。
町の中心を通るタシュクルガン路を行き止まりまで進むと、その先はもう草原と湿地帯。
青々と大地を覆っている草原と青い空、そして優雅に草を食む羊や牛たちの姿が目に入る。
この草原地帯は、タシュクルガンの町がある丘と山脈に挟まれた場所に流れる大きな川の周囲に広がっていて、
ところどころは水が溜まった湿地帯になっている。
草原地帯には、遊牧を行っているタジク族がテント住居「ユルト」で生活をしている。
朝餉の煙がユルトから上がる、朝の草原の風景。
さっそく草原地帯を歩き進んでいく。
まず目に入るのが牧畜されているたくさんの羊や牛たち。
羊や牛のほか、馬も放牧されている。
パキスタンへ向かう前にタシュクルガンを訪れた際にもこの草原地帯を歩いたが、そのときは地面が緩んだ湿地帯は少なかった印象だったが、
今回歩き進むと、かなりの草原地帯が湿地帯に変わっていて、足元に気をつけて歩かないと柔らかい地面に足をとられてしまう。
昨晩、周囲の山々に積もった雪以外にも、草原地帯には雨が降ったようだ。
それで以前よりも水が溜まった湿地帯が広がっている。
ズボッ。
気をつけて歩いてはいたが、しかし硬い地面だと思っていたところに足を乗せると、
そこはたくさんの水分を含んだ地面で、一気に足首まで泥の中にはまってしまった。
「うげっ!!」
思わず叫んでしまった。
一匹の黒い羊がすぐ目の前で草を食んでいた。
僕が声を上げると、冷めた目で僕を一瞥したあと、すぐにまた草を食み始めた。
湿地帯の柔らかい地面に足がはまってしまった結果、靴はびしょぬれ。
しかしこの時点でかなり町から離れてしまっていて、戻るに戻れない。
しかも周りは水溜りの湿地帯ばかり。
そこで覚悟を決めて靴と靴下を脱ぎ、裸足で水の溜まった柔らかい地面を歩いて行くことにした。
水はかなり冷たい。
そして柔らかい地面は感触がかなり気持ち悪い。。
なんとか固い地面のところまで到着。
そして町の方向へと戻ると、タシュクルガン唯一の観光地、石頭城跡が見えてきた。
石頭城跡の前に広がる草原には、木の板で作った通路があった。ところどころ作りかけで工事中のようだった。
その木の板で作られた通路の上に乗って、濡れた足と靴を乾かした。
聞くと、この木の板で作られた通路は、この草原を観光地として開発するため、観光客が湿地帯を歩いて見ることができるようにするために
現在急ピッチで工事が進められているとのことだった。
草原だったところが木の板で覆われている。
なんだかこの人工的な建造物が、のどかな草原の景色をぶち壊している気がするのだが。。
この旅で何度も思ったことだけども、中国人は素材をそのまま生かすということを知らない。。。
■遊牧タジク族へ突撃訪問
しばらく木の板の通路の上で靴を乾かしながら休憩。
牧歌的な草原風景をゆっくり眺めていた。
草原地帯には大小無数の川が流れていて、タジク族たちが洗濯や水汲みをしていた。
農業用の作業車で川を渡るタジク族。
いたるところに放牧された羊がいる。
何てことない、タジク族が放牧しているのどかな草原風景だが、こうしていつまででも眺めていられる気がした。
こうしてしばらく草原の景色を眺めていると、乾燥した空気と強い日差しのおかげで、ずぶ濡れになった靴も乾いてきた。
そこで再び靴を履いて草原を進んで行くことにした。
今度は湿地帯にはまらないよう気をつけて歩く。
気をつけて川を渡る。
橋が架かっているところもあるが、ほとんどは板を置いただけ、又は大きな石を並べただけの簡易な橋?を渡って行かなければならない。
草原を歩いていくと、目の前にタジク族の住むユルトが見えた。
このユルトへ行ってみることに。
ユルトの前には、一人のタジク族の女性が座っていた。
「ハロー。ニーハオ。」と声を掛けてみた。
女性はタジク語?で何やら言っているが、何を話しているのかさっぱり分からない。
タジク族女性は、白く長い布に刺繍をしていた。
刺繍の模様は赤、オレンジ、緑などカラフルな色。
カメラを見せて、写真撮っていい?とジェスチャーで聞いてみた。
すると、笑顔でうなずいてくれた。
このタジク女性の周りをちょろちょろ走り回っている小さなヤギの子ども。
遠めで見るとかわいかったけど、近くで見るとちょっと怖い顔。
頭をなでると小さな角で突っついてくる。
写真を撮らせてもらった刺繍をしているタジク女性にお礼を言って、再び草原を進んでいった。
柔らかな草の上で休んでいる子牛。
タジク族の子どもが羊を連れて行こうとするが、なかなか言うことを聞かない。
再び川を渡っていく。
一匹の子犬がトコトコ歩いてきた。
ちょっと頭を撫でてやると、なぜかなつかれた。
飼い主のタジク族は川で水汲み中。
草原に干された洗濯物。
さらに進んでいくと、ユルトが3つ並んでいる場所に来た。
ユルトの前では、タジク族の女の子たちが青空の下、じゅうたんの上に座って白い布に刺繍をしていた。
ちょっと刺繍を見せてもらおうと声を掛けてみた。
もちろん、言葉は通じないので、指を刺したりジェスチャーで何とか伝える。
女の子は、はにかんだ表情を見せながらも、自分たちが刺繍をした布をじゅうたんの上に並べてくれた。
パンダの絵も刺繍で。なかなか上手。
柔らかな日差しと青空の下、なんだか草原で優雅にピクニック気分。
彼女たちと会話をしてみたかったけど、中国語も通じないし、もちろん英語も通じない。。
偽ウイグル語で話し掛けてみるけど、「??」な顔をされた。。
でも、最後には笑顔で写真撮影に応じてくれた。ありがとう。
二人とも、顔つき、髪の毛の色を見てもヨーロッパ人に見えてしまう。
彼女たちタジク族はイラン系の民族。しかし、シルクロードでは、そういった民族分類がされる遥か昔から様々な民族が行き交い、
多くの血が混ざり合ってきたのだろう。
女の子たちがいたユルトを離れて、改めて背中を振り返ってみる。
タシュクルガンの町からだいぶ草原を歩いてきたようだった。
午前中から草原を歩き始めて、とっくに昼も過ぎて午後になっていた。
それで、タシュクルガンの町の方へ戻ることにした。
途中、丘の上から草原地帯を眺めた。
山々に囲まれた草原地帯が一望できた。
丘の上でタバコをふかしているタジク族のオヤジたち。
草原の景色も見納め。再び町へと戻った。
買い物帰りのタジク族マダムたち。
刺繍が施された帽子の上から白い布を被せるタジク族女性独特のスタイルだ。
■カラコルム・ハイウェイを下り再びカシュガルへ
タシュクルガンで二泊した後、再びカラコルム・ハイウェイを通ってカシュガルへと向かう。
翌朝。
一日一本しかないカシュガル行きのバスに乗るため、宿泊した交通賓館のすぐ隣にあるバスターミナルへ向かった。
バスターミナルの切符売り場はガランとして人の気配がなかったが、やがて眠そうな顔をしたタジク族のオヤジが現れて切符の販売を始めた。
朝9時20分に、バスはカシュガルへ向けて出発。
約1週間前にカシュガルから通ってきたカラコルムハイウェイを逆向きに走っていくことになる。
もはや見慣れた広大な草原地帯。
途中、バスは休憩のためカラクリ湖の前で停車。
すると降りた乗客にカラクリ湖周辺で観光客を相手にしているキルギス族たちが群がってきた。
カラクリ湖周辺では馬に乗ったりキルギス族のテント住居に宿泊したり出来る。
その客引きのためキルギス族が集まってくるのだ。
雄大なムスターグ・アタ山がカラクリ湖の奥にそびえている。
一直線にカシュガルへ向けて延びているカラコルムハイウェイ。
バスの中では、しばらく聴いていなかった音楽を久しぶりに聴いた。
車窓の勇壮な景色を眺めながらテンポの良い曲を聴くと、旅番組のワンシーンを見ているような気がしてくる。
タシュクルガンを出発して5時間後、午後2時半ごろにはバスはカシュガル市内へ入った。
8時間近くかかった行きに比べ、山を下っていくこの日の道のりはとてもスムーズ。とても早く感じた。
が、バスはカシュガルのバスターミナルへ向かわず、なぜかカシュガルの街外れの道端で停車。
バスの運転手は、着いたから降りろと言う。
バスの中には僕のほか、数人の中国人とフランス人バックパッカーが乗っていた。
事情の知らない旅行者の僕とフランス人パッカーは困惑。。
ここがどこかも分からず、このフランス人とさまようが、やがて町の中心へ向かうバスを見つけて一緒に乗っていくことに。
このフランス人バックパッカー(名前は忘れた・・・)は、カラクリ湖畔に数日に滞在してきたらしい。
二人とも目指す場所は同じだった。
それはカシュガルのバックパッカー御用達ホテル、チニワク賓館。
タシュクルガンから無事カシュガルへ到着。
これから少しカシュガルに滞在してから、南疆の町ホータンへと向かう旅が続く。
(つづく)
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パキスタンから再び中国・タシュクルガンへ戻ってきた最初の朝。
タシュクルガンの朝は寒い。
空が徐々に明るくなってきた日の出前の頃、寒くてたまらずベッドから起き上がった。
部屋の窓から外の景色を見た。
雲が空を覆い、タシュクルガンの町を囲む山々には白い雪が積もっていた。
しばらくすると、顔を出した太陽は瞬く間に空を明るく照らし、それと同時に空を覆っていた雲は無くなって真っ青な空へと変わっていった。
山々に積もっていた雪は気温の上昇と共にあっという間に消えて、ゴツゴツした茶色い山肌が見えてきた。
天気は良さそうだ。
パキスタン国境に近い中国の西の果て町タシュクルガンは、主にイラン系民族タジク族が住む小さな町。
カラコルム・ハイウェイを通ってパキスタンへ向かう途中、又は戻った時に寄るぐらいで、特に見所があるわけではない。
でも僕はパキスタンから戻ってすぐにタシュクルガンを離れず二泊もしてしまった。
それは、何も無いけどもタジク族が住むこの小さな町の雰囲気が気に入ったのと、町に隣接して広がっている、
のどかな草原・湿地帯に行きたかったからだ。
朝ごはんを簡単に済まして、さっそく町外れの草原地帯へと向かった。
町の中心を通るタシュクルガン路を行き止まりまで進むと、その先はもう草原と湿地帯。
青々と大地を覆っている草原と青い空、そして優雅に草を食む羊や牛たちの姿が目に入る。
この草原地帯は、タシュクルガンの町がある丘と山脈に挟まれた場所に流れる大きな川の周囲に広がっていて、
ところどころは水が溜まった湿地帯になっている。
草原地帯には、遊牧を行っているタジク族がテント住居「ユルト」で生活をしている。
朝餉の煙がユルトから上がる、朝の草原の風景。
さっそく草原地帯を歩き進んでいく。
まず目に入るのが牧畜されているたくさんの羊や牛たち。
羊や牛のほか、馬も放牧されている。
パキスタンへ向かう前にタシュクルガンを訪れた際にもこの草原地帯を歩いたが、そのときは地面が緩んだ湿地帯は少なかった印象だったが、
今回歩き進むと、かなりの草原地帯が湿地帯に変わっていて、足元に気をつけて歩かないと柔らかい地面に足をとられてしまう。
昨晩、周囲の山々に積もった雪以外にも、草原地帯には雨が降ったようだ。
それで以前よりも水が溜まった湿地帯が広がっている。
ズボッ。
気をつけて歩いてはいたが、しかし硬い地面だと思っていたところに足を乗せると、
そこはたくさんの水分を含んだ地面で、一気に足首まで泥の中にはまってしまった。
「うげっ!!」
思わず叫んでしまった。
一匹の黒い羊がすぐ目の前で草を食んでいた。
僕が声を上げると、冷めた目で僕を一瞥したあと、すぐにまた草を食み始めた。
湿地帯の柔らかい地面に足がはまってしまった結果、靴はびしょぬれ。
しかしこの時点でかなり町から離れてしまっていて、戻るに戻れない。
しかも周りは水溜りの湿地帯ばかり。
そこで覚悟を決めて靴と靴下を脱ぎ、裸足で水の溜まった柔らかい地面を歩いて行くことにした。
水はかなり冷たい。
そして柔らかい地面は感触がかなり気持ち悪い。。
なんとか固い地面のところまで到着。
そして町の方向へと戻ると、タシュクルガン唯一の観光地、石頭城跡が見えてきた。
石頭城跡の前に広がる草原には、木の板で作った通路があった。ところどころ作りかけで工事中のようだった。
その木の板で作られた通路の上に乗って、濡れた足と靴を乾かした。
聞くと、この木の板で作られた通路は、この草原を観光地として開発するため、観光客が湿地帯を歩いて見ることができるようにするために
現在急ピッチで工事が進められているとのことだった。
草原だったところが木の板で覆われている。
なんだかこの人工的な建造物が、のどかな草原の景色をぶち壊している気がするのだが。。
この旅で何度も思ったことだけども、中国人は素材をそのまま生かすということを知らない。。。
■遊牧タジク族へ突撃訪問
しばらく木の板の通路の上で靴を乾かしながら休憩。
牧歌的な草原風景をゆっくり眺めていた。
草原地帯には大小無数の川が流れていて、タジク族たちが洗濯や水汲みをしていた。
農業用の作業車で川を渡るタジク族。
いたるところに放牧された羊がいる。
何てことない、タジク族が放牧しているのどかな草原風景だが、こうしていつまででも眺めていられる気がした。
こうしてしばらく草原の景色を眺めていると、乾燥した空気と強い日差しのおかげで、ずぶ濡れになった靴も乾いてきた。
そこで再び靴を履いて草原を進んで行くことにした。
今度は湿地帯にはまらないよう気をつけて歩く。
気をつけて川を渡る。
橋が架かっているところもあるが、ほとんどは板を置いただけ、又は大きな石を並べただけの簡易な橋?を渡って行かなければならない。
草原を歩いていくと、目の前にタジク族の住むユルトが見えた。
このユルトへ行ってみることに。
ユルトの前には、一人のタジク族の女性が座っていた。
「ハロー。ニーハオ。」と声を掛けてみた。
女性はタジク語?で何やら言っているが、何を話しているのかさっぱり分からない。
タジク族女性は、白く長い布に刺繍をしていた。
刺繍の模様は赤、オレンジ、緑などカラフルな色。
カメラを見せて、写真撮っていい?とジェスチャーで聞いてみた。
すると、笑顔でうなずいてくれた。
このタジク女性の周りをちょろちょろ走り回っている小さなヤギの子ども。
遠めで見るとかわいかったけど、近くで見るとちょっと怖い顔。
頭をなでると小さな角で突っついてくる。
写真を撮らせてもらった刺繍をしているタジク女性にお礼を言って、再び草原を進んでいった。
柔らかな草の上で休んでいる子牛。
タジク族の子どもが羊を連れて行こうとするが、なかなか言うことを聞かない。
再び川を渡っていく。
一匹の子犬がトコトコ歩いてきた。
ちょっと頭を撫でてやると、なぜかなつかれた。
飼い主のタジク族は川で水汲み中。
草原に干された洗濯物。
さらに進んでいくと、ユルトが3つ並んでいる場所に来た。
ユルトの前では、タジク族の女の子たちが青空の下、じゅうたんの上に座って白い布に刺繍をしていた。
ちょっと刺繍を見せてもらおうと声を掛けてみた。
もちろん、言葉は通じないので、指を刺したりジェスチャーで何とか伝える。
女の子は、はにかんだ表情を見せながらも、自分たちが刺繍をした布をじゅうたんの上に並べてくれた。
パンダの絵も刺繍で。なかなか上手。
柔らかな日差しと青空の下、なんだか草原で優雅にピクニック気分。
彼女たちと会話をしてみたかったけど、中国語も通じないし、もちろん英語も通じない。。
偽ウイグル語で話し掛けてみるけど、「??」な顔をされた。。
でも、最後には笑顔で写真撮影に応じてくれた。ありがとう。
二人とも、顔つき、髪の毛の色を見てもヨーロッパ人に見えてしまう。
彼女たちタジク族はイラン系の民族。しかし、シルクロードでは、そういった民族分類がされる遥か昔から様々な民族が行き交い、
多くの血が混ざり合ってきたのだろう。
女の子たちがいたユルトを離れて、改めて背中を振り返ってみる。
タシュクルガンの町からだいぶ草原を歩いてきたようだった。
午前中から草原を歩き始めて、とっくに昼も過ぎて午後になっていた。
それで、タシュクルガンの町の方へ戻ることにした。
途中、丘の上から草原地帯を眺めた。
山々に囲まれた草原地帯が一望できた。
丘の上でタバコをふかしているタジク族のオヤジたち。
草原の景色も見納め。再び町へと戻った。
買い物帰りのタジク族マダムたち。
刺繍が施された帽子の上から白い布を被せるタジク族女性独特のスタイルだ。
■カラコルム・ハイウェイを下り再びカシュガルへ
タシュクルガンで二泊した後、再びカラコルム・ハイウェイを通ってカシュガルへと向かう。
翌朝。
一日一本しかないカシュガル行きのバスに乗るため、宿泊した交通賓館のすぐ隣にあるバスターミナルへ向かった。
バスターミナルの切符売り場はガランとして人の気配がなかったが、やがて眠そうな顔をしたタジク族のオヤジが現れて切符の販売を始めた。
朝9時20分に、バスはカシュガルへ向けて出発。
約1週間前にカシュガルから通ってきたカラコルムハイウェイを逆向きに走っていくことになる。
もはや見慣れた広大な草原地帯。
途中、バスは休憩のためカラクリ湖の前で停車。
すると降りた乗客にカラクリ湖周辺で観光客を相手にしているキルギス族たちが群がってきた。
カラクリ湖周辺では馬に乗ったりキルギス族のテント住居に宿泊したり出来る。
その客引きのためキルギス族が集まってくるのだ。
雄大なムスターグ・アタ山がカラクリ湖の奥にそびえている。
一直線にカシュガルへ向けて延びているカラコルムハイウェイ。
バスの中では、しばらく聴いていなかった音楽を久しぶりに聴いた。
車窓の勇壮な景色を眺めながらテンポの良い曲を聴くと、旅番組のワンシーンを見ているような気がしてくる。
タシュクルガンを出発して5時間後、午後2時半ごろにはバスはカシュガル市内へ入った。
8時間近くかかった行きに比べ、山を下っていくこの日の道のりはとてもスムーズ。とても早く感じた。
が、バスはカシュガルのバスターミナルへ向かわず、なぜかカシュガルの街外れの道端で停車。
バスの運転手は、着いたから降りろと言う。
バスの中には僕のほか、数人の中国人とフランス人バックパッカーが乗っていた。
事情の知らない旅行者の僕とフランス人パッカーは困惑。。
ここがどこかも分からず、このフランス人とさまようが、やがて町の中心へ向かうバスを見つけて一緒に乗っていくことに。
このフランス人バックパッカー(名前は忘れた・・・)は、カラクリ湖畔に数日に滞在してきたらしい。
二人とも目指す場所は同じだった。
それはカシュガルのバックパッカー御用達ホテル、チニワク賓館。
タシュクルガンから無事カシュガルへ到着。
これから少しカシュガルに滞在してから、南疆の町ホータンへと向かう旅が続く。
(つづく)
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カラコルムハイウェイの旅、景色も人もとても美しくて、行ってみたくなりました!
交通事情も詳しく書いてあってとても参考になりました。
来年のゴールデンウイークに行ってこようと思います。
ありがとうございます!
カラコルムハイウェイは中国の最奥地でたどり着くまで大変ですが、景色も人も本当に素晴らしいです。
苦労してでも行く価値はあると思います。
よい旅を。
とってもおもしろいです^^
女1人だとどうしても不安で、西安や成都辺りまでしか行った事がなかったのですが、次回はタシュクルガンまで行ってみようと思います。
タシュクルガンまでは遠いですが、たどり着くまでの風景はとても素晴らしいので、ぜひ行ってみてください。夏がベストです。