今日はコーヒー豆を買いに、焙煎屋まで街へ出た。
なんでこんなにたくさんの人が駅周辺で歩いているのだろうと思った。
コーヒー豆の種類を選ぶのにちょっと迷ったが、3種類を選んで買った。
あっというまに、街はクリスマスシーズンへと向かっている感じがした。
毎年どんどんクリスマスシーズンが速くなっている気がする。アドベントはまだだろうに。
人混みに出ると疲れる。でもコーヒー豆を買わないわけにもいかない。困ったものだ。
今日はコーヒー豆を買いに、焙煎屋まで街へ出た。
なんでこんなにたくさんの人が駅周辺で歩いているのだろうと思った。
コーヒー豆の種類を選ぶのにちょっと迷ったが、3種類を選んで買った。
あっというまに、街はクリスマスシーズンへと向かっている感じがした。
毎年どんどんクリスマスシーズンが速くなっている気がする。アドベントはまだだろうに。
人混みに出ると疲れる。でもコーヒー豆を買わないわけにもいかない。困ったものだ。
両者在日韓国朝鮮人出身の鄭 大世(チョン・テセ/北朝鮮)と李 忠成(リ・タダナリ/日本)が前半と後半にそれぞれ出ていた。
日本が0-1で負けてしまったが、何となくこの二人のことを考えて複雑な気持ちがした。別の気持ちとしては、在日の選手がこうして自分の国を堂々と選ぶことができる時代がやってきているのだとも思った(鄭 大世の場合、ちょっと複雑だが)。
減薬をしたせいであるか、それとも冬に向かっているせいなのか、よくわからないが若干落ち気味である。うつ傾向ということであろうか。
朝、起きにくいこともそれと関係があるのかもしれない。
通常、日が短くなる冬にはうつになりやすいとよく精神保健関係では言われる。
うまく表現はできないのだが、ふっと物事を悪いほうに思ってしまうことが多くなったような気がする。
あとは今まで片耳だった耳鳴りが両耳になってきている。なぜか夜になると右耳にも耳鳴りがする。不思議なのはこの耳鳴りは低音の耳鳴りであることだ。
はじめはどこか外から聞こえてくる振動音かと思っていた。けれどノイズキャンセルのウォークマンを使っても聞こえてきたので、これは耳鳴りだと思った。
なんにしても嫌なかんじである。
今日は久々に朝が起きられなかった。
入眠はそんなに問題があった訳ではないが、中途覚醒が2回ほどあった。
でも起きられなかったのは中途覚醒のせいというより、たぶん急激な気候の変化のせいだと思う。
一方で、身体自体が休むことを必要としていたともいるかもしれない。
まあ、こういう日もある。
今日はなんとなく十牛図を思い出してネットで見ていた。
十牛絵図は禅の悟りを絵にしたもので、たしか中国で最初は書かれたとかいう話だったと思う。
大学の教職のときに、倫理かなにかの授業が仏教系の倫理学の先生だった。そこで見せられたのが十牛絵図であった。
最初は少年?が失った牛を探す場面から始まり、牛と格闘し、仲良くなって家に連れ帰り、すると牛も自分もいなくなってしまう「無」、という物語の進行である。この後に牛も少年もいない場面が挿入されており、最後に悟りを開いたような老師と童子の二人の場面で終わる。
たぶん牛は少年の自我を象徴しており、その飼い慣らし方が悟りの進行として描かれているのだろう。
なんだか、各種依存症や心の病・精神病で言われる「底付き体験」という現象を連想してしまった。
もし「底付き体験」が禅の「無我の境地」と似ているならば、心の病は一種の修行のようなものであるのだろうか?
大学のときの先生に聞いておけばよかった。