数年ぶりの書き込みである。
もう一年になるだろうか、主治医に「カウンセリング(認知行動療法)してみるか!」と言われてカウンセリングを始めた。
以前、某有名カウンセリング研究所でカウンセリング(自由診療)を受けて、酷い目に遭っていたので、少し不安であった。
カウンセリングも精神科医もそうであるが「相性」というものがある。いくら有名な精神科医であろうとカウンセラーであろうと、自分との「相性」が悪ければ、関係は遅かれ早かれ破綻する。ラッキーなことに、カウンセラーとしては非常にドライでクールなうちの病院のカウンセラーはボクとは結構相性がよかった。
もともと認知行動療法に詳しいボクに普通の認知行動療法が効くわけがないのだ。カウンセラーは初期にそのことを把握し、いわゆる教科書通りの「認知行動療法」から撤退した。結局、カール・ロジャース的な「非指示的来談者中心法/対面法」に移行した。
何をしているかというと、単にカウセリング受診日までの自分の日常を振り返っていくだけである。ボクは自己肯定感が低いので(というか肯定感が高かったら少なくとも鬱にはならないと思う)、だいたい120%の勢いで仕事などをする。で、自己肯定感が低いので、それが周囲にどう評価されているのかに囚われる。そしてやはり自己肯定感が低いので、周囲から高い評価されても「ああ、あそこが駄目だった…」と落ち込む。これを「自虐的反省会」と呼んでいる。
早い話、カウンセリングを受けて何が変わったかと言えば、「他者に評価を依存しない」「自分のやれる範囲で仕事をする」「(病気などで)何もできない自分を責めない」という事柄である。もちろん、こうした傾向が皆無になった訳ではないが、意識するようになった。その意味では「認知の歪み」が多少修正され、形は違えどまんまと認知行動療法に嵌まっているのかもしれない。
何にしても、だいぶ楽になったことは確かだ。だって、このブログを書いている今だって、明日の仕事の準備があるのにこんなことしているのだから。以前だったら120%の勢いで必死になって準備をしていたことだろう。
まあ、言いたいことはカウンセリングは相性が合えば十分機能するものだということだ。精神科医もそうであるように。精神科医もカウンセラーも「相性」があることを頭において、駄目だったら迷わず変える、という姿勢も大事だと思う。
自分はいまの病院が合っているのだろう。だいぶ遠回りもしたし、酷い目に遭ったりもしたが、まあまあ順調である。