「北極星に願いをこめて」 (右脳のひらめき)

I'm your polar star in the journey of life.

没落財産家の孫娘 富裕層を目指して ~セレブって呼ばないで~

2010年12月16日 21時18分42秒 | 「妙」な「見」聞のある朋の不思議話
こんばんは。

基本的に、私は自分で自分のことわきまえています。ハイ、自身の今の家は、決して超富裕層ではないです。全く平社員のぺーぺーの主人を支えつつ、奥様である私が働きに働いて、共に作った財産が現在です。遺産相続に関しては、実母より生前贈与としていくらか貰っていますが、必ず兄を立ててます。

基本的に、我が実家の思想は、農家脳です。

さて、私の母の実家である祖父の時代、祖父は庄屋として豪農として大きな土地を持ち、自身の土地を歩くだけで、かなり遠くまで歩けたと豪語しておりました。戦争が終わって、農地返還があって打撃を受けたのは、他ならぬ母の実家でした。

祖父は、超富裕層思想で育ってきている為、農地返還に理解がありませんでしたし、農地返還しても相変わらず、支出は激しかったです。何度も書いている通り、文豪のスポンサーとして動き、自身の娘である実母が、絵を習いたいと告げれば、あっという間に、「日展の画家」を何名も取り揃えて、娘の教育に勤しんだほどです。その画家さん方は、年賀状の絵などで何度も作品を拝見しましたし、母自体、伸びました。

文豪と本当に交流があったんだと気がついたのは、祖父の葬式のときでした。まさかと思うような、教科書で見たことのある、図書館で見たことのある名前が、花輪に幾らでも並んでいました。その時、私は後悔しました。おじいちゃんから、学べること、凄くあったんだ・・・。とね。

しかし、農地返還をしてそれでも財産家であった祖父の家ですが、極端なほどに収入は減りましたから、そこで財産を増やしていったのは、祖母の才覚でした。祖母は、「財産は常に頭の中に入れて歩きなさい。決して盗まれることもなく、幾らでも才覚次第で、金のなる木になる」そう呟いていました。けれど、祖母も、婚家で結構苦労したんだと思います。たまに、和光へ東京見物を兼ねてお買い物に上京する(大体は、向こうが祖母の家に来る)のですが、一度来ると、あと、一週間以上寝込んでいました。

普段、とても強く、あちこちで働いてばかりで、遊びに行っても祖母は殆ど相手をしてくれず、下手したらこっちが働かされてしまう状態でした。けれど、祖母は、必死だったんだと今は思います。娘の家に行ったら、気が緩んで、寝込みたくもなったんだと思います。父は何度も、「なんであの人は来れば寝込んでいるのか、もっと遊びに行けるのに」と言っておりました。けれど、今思うと、祖母の本当の姿と弱さは、そこにあったと私は思っています。

また、その当時、電話が貴重品だった時代、(呼)という電話番号が多数あった時代、うちには電話がありました。母が、夜中、泣きながら電話しているのを何度か、見てみぬ振りをしていました。

さて、父方は、満鉄で一山当てた財産家でした。ろくな苦労をせずに得たお金で、大きな屋敷でしたが、戦争が終わった途端、取りあえず、手元にあるお金や金になるものを持って、一家揃って逃げてきました。逃げてきたのが、人より早かったのは、金があったからだと聞いています。けれど、父方の祖父は、人を疑うことをせず、やはりのん気でした。祖母の家の方に、帰国後、援助を惜しまず行い、祖母の兄弟や祖母の甥を大学まで行かせたのですが、結果、肝心の祖母が亡くなった時に、一銭残らず巻き上げられてしまいます。文無しになった祖父に冷たい祖母の家の人間がいました。

父は結局、小学校五年生から、新聞配達、牛乳配達、出来る限りをして、祖父と弟を養っていきました。

父は、満州にいなかった姉を快くは思っていませんでした。何故なら、叔母は、祖母の姉妹と殆ど同じように育てられ、結局はお金を取られても取り返すこともしなかったのです。結局、父は小学生にして、大黒柱になる事になりました。祖父は働かず、支出は相変わらず。父は、それでも学業が優秀で、結局、その地方で一番の学校を出て、東京に行きます。

母と父は見合いで知り合い、そして、結婚生活後、程なく、父方の祖父の介護を母がし、祖父は65歳で亡くなります。その後、父の姉が、精神を病んで、官舎であった所に、居候に着ます。叔母は働かず、一日中母に愚痴をこぼし続け、結局私は、「叔母さん、煩いって。一日中言ってること、同じ。聞き飽きた」とKYな発言をして母を守り、叔母はそのまま父に叩き出されました。叔母は、子供がいて、結婚していたのですが、その時は、かなり長いこと、ひとりで官舎に逗留していました。

さて、そんなんで、結局、家の両親の実家は、財産家でありましたが、没落してしまいました。けれど、両家から仕込まれた私のアンティーク等を見る目は、逆に却って、米国にてもてはやされます。私自身の出自を尋ね、アンティークの真偽を見て欲しいという超富裕層に出会います。

・・・・・・答えようもなかったんですけれど。その経緯は、ピタゴラの「不思議100話 ミュリエル」の所で書いていますし、時々どこかで、書いています。あそこ、ただの心霊サイトではなく、不思議話結構あります。怖くないんで、読んでみてください。

さて、結局、そんなんで、没落財産家の娘は、学費もろくに貰えず、一心不乱に働いて大学を出、そして、その後スピード結婚をします。後に父が言うのですが、「もう少し手元に置いておきたかったし、お前がはねっかえりのじゃじゃ馬でも、面相がいいから嫁に欲しいという人もいたんだよ」と言われたんですね。お父さん、亡くなってから言うようで失礼だけれど、もう少し手元に置いておきたかったら、もっと娘に自由を与えるべきだったんだよ。あんまり、きつきつに育てれば育てるほど、リベラルを履き違えた私が出来ちゃうだけで(失笑)。

そんな事で、ユダヤ人社会を練り歩き、気がつけばいつも、ユダヤ系の会社にいました。そうですねぇ。皆、顔が似ているんですけれど、基本的に、マンハッタンにいるユダヤ人と、ユダヤ原理教徒さんは、顔も形も違います。原理教徒さんは、頭に被り物をし、もみ上げが、カールしています。いつか、NY郊外のアウトレットに行く機会があったら、絶対自分で運転して行ってください。そういう人、隣の車線結構走っています。けれど、あるところから、全くいなくなります。住み分けているんですかね。

ですから、陰謀説とか噴飯モノですし、読み物として楽しく読んでいますが、普通に日本の社会もコネの社会ですし、結局、何故楽天のみきたにさんは、あぁ残っていられるのか、何故、他の人は痛烈に叩かれたのか、そういうの見ていくと、大体理解できるものもあります。つまり、一気に巻き返せる事って少ないんですよ。そして、安定した会社に持ち上げるのは、今は難しいんですよ。世界がそうであるように、日本もそうです。

まぁ、あなたは、そこまで会社を大きくしようと思わないでしょう?だから、中小企業の間は、別にコネとか要らないんじゃないかな。なんせ、家の母、没落しておきながらこう言うんです。東急の強盗けいた、あれの出身の村は、貧しくて木の皮を食べて育っていたよ。米の飯など食べたこともなかったろうにと。今でこそ、素晴らしい東急でさえ、こう言われりゃ、身も蓋もありません。けれど、それが実際、昔の真実であったけれど、今の真実は、東急の御曹司は、きちんと米の飯どころか、母より極上の飯を食べていると断言できます。ですが、そんな母が嫁ぐ時には、殆どが没落気味であったと。

さて、没落財産家の孫娘、私は現在、富裕層を目指して進んでいます。けれど、そうですねぇ。富裕層って、どういうもんなんですかね。セレブは売名行為激しい売り込み上手の小銭もちというイメージがありますが、講座を持つようになると、私も、売名行為激しいセレブと一緒くたにされるんでしょうか。そういうコネクションはあまり欲しくないんですが。こういう人、どんなコネクションでも使ってのし上がろうとするでしょう?あれが、嫌なんですよ。浅ましくて。まぁ、私も大学では、浅ましい部類に入ると断言できますがね(苦笑)。

そういう訳で、先ほどリアル知人に、引き出しが深すぎると言われましたが、必死になって自分のことを隠し通し、絶対言わないです。何故なら、私自身がセレブにいいイメージを持っていないからだと思います。カリスマ主婦、殆ど皆、離婚していますよね。カリスマ主婦、ついでに、セレブ読者モデル、ろくな人生歩んでないです。この期に及んでヌード写真を出す人も、私の中ではドン引きです。だから、いいイメージはないです。

ちなみに、離婚予定も、破産予定もないんで、放っておいてください(笑)。




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