こんばんは。
前の職場は、凄く暑かったり、凄く寒かったりして、寒暖の差で体調を壊して辞めていく人がいた。わたしも、その相談を受けながら、いつかは自分もそうなのだろうと思って、堪え切れるまで堪えて、ダメだったら仕方ないと思っていた。ひとりふたり、櫛歯が抜けていく中で、おっさんはそういうのから、特別に保護してくれる気遣いなどないから、逆に、仕事を徹底的に覚えてしまおうと思って、ひたすら仕事に集中したら、結局は、体がダメになりかけた時に、おっさんからフォローが入った。
20代でもそんな職場があって、とかくサーバールームは寒いし、エアコンの吹き出し口に席ができてしまうと、今度は寒い。なんとかやり過ごそうと思ったが、真夏にウィンドブレーカーを探しに行っても、どこにもない時代で、途方に暮れている間に、ストレスが溜まり、体重が一気に20キロ程増えてしまった。その後、そんな職場は嫌だとばかりに、外資系の金融バックアップ部隊に入ったら、とにかく人使いが荒い。という訳で、今度は、げっそりと、30キロやせてしまい、収支が合わなくなって、高カロリーのドリンクであるエンシュアドリンクを飲みながら、体重35キロで仕事をし続けた。
こんな過去を持っているから、暑くてぶっ倒れて、寒くて頻尿になって、結局腎臓が悪くなり、よくよく見ると、データ上で今年2月のデータは限りなくクロの状態だった。電解質異常で、冬場なのに、「低カリウム」で、恐らく不整脈が酷かったのではないかと思う。2.3位まで落ち込んでいたので、足は震えて力は入らないわ、その上、仕事のきつさより、体調を維持していく必死さで、血糖値が「甘いものを食べていなくても上昇」し、後に、医師より、ストレスが多いと、糖尿病になるんだよという話を聞いて、ちょっとうすら寒い思いをした。
頻脈は常時150を行ったり来たり。狭心症は続いて、危ない不整脈は続き、腹水と胸水が溜まり、もし異動の打診が、後、1か月遅かったら、急性心筋梗塞で一発アウトだったね。
これで、よく仕事の質が落とさないでやったなと思ってはいたが、とにかく、そんな状態で、必死だったことだけ記憶している。
そこで耐え抜いてまでも、仕事を覚えた結果、引き抜きの仕事に出会い、そして、わたしは、違う仕事となった。
普通、未経験の仕事を覚える時は、若い頃にこんな修羅場を踏んでいたので、この辺はいいのだが、しかし、寒い時を何とかしようとした服を、わたしは捨てきれないまま、秋を迎えた。今の仕事では絶対に着ないし、そもそも、移動中でもこんなの着ないと思うような服も沢山あって、さてこれをどうしたらいいか、問題を先送りにしていた。
先日、衣類を預かってくれる業者が衣類を持ってきたので、初めて異動後、その現実と向き合うこととなった。
今でも時々、実はトラウマで、夜中に発作を起こすくらい凄かった職場だったので、正直なことを言えば、人はわたしをどう見るのかと思うと、身体のギリギリまで持ち堪えながら、ひらりと移る隙を伺っているようにも見えるだろう。PTSDは相変わらず、半端なく、しかし、その職場のおかげで現在がある。でも、それでも、やはりあまりにひどかったせいか、わたしの中では、どうしても越えがたい壁のように思えてならず、4月5月6月までは、夜中は、危ない不整脈が続いて、頻回発作が起きていたので、正直このまま、次の仕事ができるのか不安だった。
しかし、意外と、経験を積んだ後の仕事は、取っ掛かりだけが厳しくて、その後は拍子抜けするほど簡単だった。暇と言う事もなく、ストレスもそれなりに溜まるが、割と昼寝してからやることもできたり、土日にまとめてやってしまうことも可能である。そういう点では、子供の夏休みを越えて、やっと楽になりつつ、それでも、1週間に1回は発作が起きる。夏は、中医さんがたおれてから、腹水と胸水が溜まってしまい、心不全でどうなることかという危険な状態を迎えた。
そこで新たな中医を見つけ、そして、まだ、前のように頑張ることはできないにせよ、在宅で安定した働きや、時々出張に出る事ができるようになった。
なんにせよ、ここですましてブログを書いていたけれど、裏騒動は、とてつもなく醜く、とてつもない戦いだったのだろうと思う。なので、そんな修羅場から、いきなり簡単な仕事に就いてしまい、ほっと安堵の日々の中、新しい仕事を振られ、結局は、修羅場バンバという感じで、わたしの人生は続いている。
昨日から、やっと重い腰を上げて服を整理し始め、ずっと捨てられなかったものを捨てた。よくよく見ると黄ばんでいて、新しい何かがあった時は、その新しいイベントに備えて服を買えばよくってよという考えにやっと馴染めるようになった。それまで、祖母が着た服まで取ってあった。今回は、父が最後にプレゼントしてくれた服を残して、殆ど捨てた。
捨ててしまうと、意外にイラナイものを取ってあったんだなと思うようになって、どんどん捨て始め、結局は、少ない洋服となった。
出張も、今度の部隊は、寒い時期にわたしには、「寒い地方」に行く出張を割り当てず、暖かい方ばかりを当ててくれる。という訳で、北海道もいいのではないかと思ったが、12月には、スキーに行きたい奴が、ネゴシエーションを始め、わたしは、関西、九州方面が多くなった。
という訳で、PTSDに悩んで人知れず苦しみ、苦しみに耐え抜けなかったら、自殺しようとまで思い詰めて仕事をしていたが、結局は、大きな発作を人前で起こしてから、割と楽な仕事を回してもらえるようになった。ちなみに、元々、障害はオープンにしているが、おっさんは、障害を加味して仕事をくれるようなひとではなく、暑いさなかに、マックへ行って1か月アルバイトして来いとかいう人だったので、いや、体力と気力より、殆ど気力だけで仕事をしていたのだろうと思う。
ただ、あの時は、ここで辞めたらもう、後に雇ってもらえるところがないという危機感が強かったと思っている。それが一つの執着だったと思う。でも、逆にその場面に負けず、その場面の仕事を吸収し、いわば、熟練者に短期間で成長したために、恐らく次の引き合いが来たと思う。もし引き合いが来なかったら、自殺しようと思ってた。電車で自殺する人のアナウンスを聞くと、やけにそいつは早かったなと思って、自分はあとどれ位辛抱できるかと考えていた。自殺の画像を好んで見ていた時期もあったし、メンヘラ板の自殺スレを好んで見ていたこともあった。
でも、それはブラック職場にいて、いじめや、理不尽を耐え抜いて、その中だから言える話で、耐え抜かなかった奴に、えらそーには言われたくないわ。
ところで、既存の仕事の波がまた来ている。一辺は地獄を見たのだが、取引先があまりに軟弱で、結果的に、「今までの仕様やっぱなし」という、IT関係特有のダブスタを展開する以上、また作り直さなくてはならない。
しかし、今考えると、霊能者が役に立っていないわけじゃないし、相変わらずオカルトは好きだし、相変わらず、幽霊や怪談は好きだ。
最近は、出張先でエステなんか考えて、検索すると、結構、町おこし観光の為にspiritualを利用しているところが多い。なんか、そこまで来ると、ご加護があるのは、お参りする人じゃなくて、お参りを受け入れる方だなと思いつつ、でも、栄えてくれた方が、エステも食べ物もより取り見取りなので、何とも言えない面がある。
結構、平気そうな顔をして重いタイトルのブログを書いているけれど、あれは、わたしもブラック職場でいつなんどきぶっ倒れるか、また、ぶっ倒れて去る同僚を見て、そりゃいたたまれない気持ちになっていたリアルタイムの話である。まぁ、フルタイムになる少し前から、ちょっときつかったな。だから、都合4年間。
わたしは、きっとこれからも、地獄を見ると思う。それでも、観音が気まぐれに垂らす蜘蛛の糸という救いが来るまでは、頑張って耐えしのがなくちゃね。
朋
PS:今の若い子はそれが耐えられないのは、今の部隊に移ってからホントよく思う。わたしの時代もきつかったけれど、昭和の団塊世代もきつかった若い時代があるし、その前はもっと不条理だし、今はどんどん理不尽が少ない割には、耐えられるメンタルが弱くなっている。