猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

明日(3月4日)の東京は雪ですが・・・雪に泣かされた25年前

2009-03-03 23:33:00 | インポート
東京のはずれ、埼玉県まで徒歩五分圏内の筆者自宅付近ではすでに雪が降り始め、未だ積もってはいないものの、明日までに3~5㎝の積雪が予想されるとか。さらに予報では木曜は晴れるものの金~日曜は雨。キャンプを終えてオープン戦も始まろうかと云うこの時期、悪天候がどのように影響するのやら・・・。

東京に記録的な大雪が降ったのは今から25年前の昭和59年。この年は1月19日に22㎝の積雪を記録し、この冬の東京の降雪日数は29日を数えた。
当然戦国東都の開幕を控えた各校にも影響があり、当時の新聞には次のように報じられている。

雪に泣いた練習-調整不足で本番-
雪、雪、雪・・・・。黒土が消え、グラウンド一面の雪化粧。打ち込みや内、外野の進塁、サインプレーなどの重要な練習時間が雪につぶされた。六大学より開幕が一週間早い東都では、各校監督が口をそろえて「去年に比べ三週間は仕上がりが遅れた」と嘆いた。
各校は、自校グラウンドや、キャンプ地に移動して練習をした。去年に続き四国の松山でキャンプを張ったのは亜大と国士大。国士大は二月下旬に松山入りしたとたん、初日から雪の“歓迎”を受け、太田監督は「二週間のうち四日間ほど影響を受けた」と大ぼやき。
春のキャンプを張らず、本拠地で腰を落ち着けたのは日大と東洋大。「二月いっぱい練習ができなかった」と日大の石井監督。近くの陸上競技場を使って走ったり、ウェートトレーニングに明け暮れた。和田主将は「陸上部員になったみたい。でも、足腰が強くなったかも・・・」。東洋大はグラウンドの雪かきをしてやっとできるようになると、また雪、の繰り返しに泣かされた。「何回雪かきをしたやら」とは山口主将。
一方、三月上旬まで静岡・掛川でキャンプをした駒大と、国士大の前に松山へ出掛けた亜大は雪の被害を受けず、予定通りの練習ができた。ところが、自校に引き揚げ、オープン戦という矢先に雪に見舞われ、中止が相次いだ。駒大の小椋コーチは「投手の調整もなにもあったものじゃない。予定が狂ってしまった」と頭を抱えた。
中大は打撃練習ができず、三月中旬から淡路島で十数年ぶりという春のキャンプをやった。淡路島では練習の八割を打撃に費やし、打ち込み不足の解消にやっきだった。
雪雪は六大学も同じ。だが、スタートの早い東都は各校ともちょっぴり不安を抱えてのリーグ戦となった。
(『朝日新聞』昭和五十九年四月六日付朝刊-神宮の森 球音間近-より)

このシーズンの順位は

勝点
一位亜  大
二位東洋大
三位駒沢大
四位日本大
五位国士大
六位中央大

先に全日程を終了していた東洋大は亜大の結果次第で優勝が転がり込む立場にあったが、亜大の最終戦・対国士大三回戦は2-0で亜大が勝ち、勝率の差で優勝を逃した。

首位打者を獲得したのは打ち込み不足に泣いた最下位・中央大の西原忠善だったが、その中央大は入替戦で斎藤学・小川博両投手を擁した青学大の敗れ、不祥事による出場停止で二部陥落した昭和34年春以来、二度目の二部落ちとなってしまった。

昨日、4月7日の東洋-青学戦で開幕との発表があった今年の東都。今後の天候がどのような影響を及ぼすだろうか。雪に泣いた昭和59年も開幕日は4月7日である・・・・。(但しこの時は土日開催)

*この時の開幕戦で東洋大・内藤雅人選手は一試合12打点の“世界記録”を作った。
一試合12打点:内藤雅人選手=東洋大学野球部の歴史-記録②

昭和59年1月:池袋・西武百貨店屋上の雪
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