質問者:ハイル禅師 アステカ帝国は人身御供で有名ですが
日本にも生贄の儀式があったのでしょうか?
私:人間を神の生贄に捧げた儀式は世界中に存在しました
が特に南米のアステカ帝国では無数の人間の人骨や
生贄(ミイラ)などが出土したことで有名になったのです
アステカは敵の捕虜の心臓を神に捧げたり
身内の有能戦士を戦わせて勝った戦士を生贄にするなど
月一回以上の儀式が行われ頻度が多かったのである
子供などは生き埋めの形でミイラ化も多いが南米の神は
人の生贄で願いを叶える力があったからであります
人身御供とは基本は生きた人間を神に捧げる行為であり
日本の場合も江戸中期までは盛んに行われていました
処女の少女を人柱にしたり赤子を大池の大蛇の生贄として
食わせたり飢饉や水害或いは火山爆発などから守って
もらう意味で村人の命と生活の為に少ない犠牲で祈願した
のであります
神といっても眷属レベルの龍神や龍或いは大蛇が主体であり
大蛇の場合は生きているモノもいて実際に赤子を平らげて
いました
現在でも生贄が行われた湖畔で写真を撮ると
写真全体が黒ずみ人物も黒く写る場所もある
つまり日本各地でも生贄があったが江戸中期以降は動物の
生贄や饅頭などに変えられていきました
しかしその分 神に対する畏敬の気持ちを持つ人間が
少なくなった弊害もあります