『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 釈尊が沈黙 (無記) した意味 〜 「我」 でも 「無我」 でも 「非我」 でもない

2024-01-12 04:22:40 | 小覚

__ いまから2600年前に、釈尊が打ち立てた「仏道」は、さまざまな宗派(セクト)に分かれ、その教えがとんでもない拡がりをみせて、世界宗教になってしまった。

最近では、フランス🇫🇷のように、禅を宗教として扱わないで、ひとつの精神メソッドとしてなじむことによって、宗教としての垣根が低くなっている。

また、仏教を哲理として捉えたり、科学として捉えたりする傾向もよく見られる。

 

次に上げる科学系動画(約22分)を見ていただければ、容易に納得できるであろう。仏教が、わが邦古来の神道と共存できた理由にも深淵なものがあるのだろう。釈尊は、太陽☀️信仰の釈迦族のご出身であらせられるから。

 

 

広く観れば、仏教・ジャイナ教・シク教はヒンドゥー教🛕の分派ということになっている。(インド憲法🇮🇳による)

仏陀(釈尊)は、ヒンドゥー🛕のヴィシュヌ神の化身の扱いである。

いってみれば、釈尊はヒンドゥー🛕における革新派(新興宗教みたいな)であった。イエズスがユダヤ教の革新的なラビで、ムハンマドがキリスト教の革新派であることと相似であろう。

 

ゴータマ・ブッダという過去に実在した一個人が成し遂げたことは……

悟って(コノ世を生きやすくして)、

解脱する(輪廻転生のくびきから脱出する)

というシンプルなものである。

そして、人間ブッダはその方法論を確立して、フォロワー(弟子)にそれを伝えて、自分と同様の境涯に至るまで教え導いた。

 

釈尊(ブッダ)は、「輪廻転生からの解脱」というバックグラウンドでは、ヒンドゥー教🛕(バラモン教)の世界観を踏襲している。

それを真理と認めていたのだろう。

しかし、ヒンドゥーが認めた「真我」という実体我(常住しており不変である「我」)に対して、釈尊はそんなものはありませんよ、「無我」なんですよと提唱した。

【横山大観の『無我』】

 

 

 

__ 仮想現実という観点からは、

そもそも古きヒンドゥー🛕(旧バラモン教)でも、コノ世は「幻影(マーヤー)」であるという世界観であった。

迷える自我は、強制的な輪廻転生によって、「終わりのない不満足(不如意)」を永遠に繰り返さなければならない。

だから、「真我(本当の自分)」に目覚めよというわけである。

 

かたや、仏教はすべての現象は縁生(原因・条件があって生じたもの)であって、

常住であり不変である「我」を認めない。

ゆえに「無我」である。

とはいえ、釈尊も説法するときは、「私が‥‥ 」と自分の自我を口にしたし、「縁生の五蘊の仮和合」としての「経験我」のようなものは認めていた。

「無我」でもいいけど…… 

じゃあ、仏教では「何が輪廻するのか?」

 

このへんは、私の仏教知識では打ち漏らすオソレがあるので、新進気鋭の賢人にお出まし願いましょう。

お堅い分野なのに、意外なヒット作となった…… 

魚川祐司『仏教思想のゼロポイント 〜「悟り」とは何か〜』から、叡智✅を拝借して来ましょう。

 

◾️輪廻する主体とは何か

現代日本🇯🇵で一般に「輪廻」と言う場合、

私たちは主観的には明晰判明に存在している「この心」が、何かしら「魂」のような実体として様々な存在に生まれ変わっていくといった、物語のことを想定しがちである。

死ねば眼・耳・鼻・舌・身の五感を伴った身体が消滅するのは経験的に知っているから、輪廻があるとすれば、存続していくのは意識、即ち「この思い」だろうというわけだ。

しかし、同様に考えて「識」が輪廻の主体であると主張したサーティ比丘が、ゴータマ・ブッダから激しく叱責された。

サーティ比丘に対してゴータマ・ブッダは、

私は「縁がなければ識の生起はない」と説いたではないかと言っている

現象の世界において認知できるものは全て縁生のものであり、したがって無常・苦・無我である。

それは「主観」を構成する識(意識)であっても、例外ではない。

 

行為による作用が結果を残し、その潜勢力が次の業(行為)を引き起こすというプロセスが、ひたすら相続しているというのが、

仏教で言うところの「輪廻」の実態

 

存在しているのは業による現象の継起だけ

そこに「主体」であると言えるような、固定的な実体我は含まれていない

 

「輪廻」というと私たちは一般的に、ある「人」が死んで、それが別の存在として生まれ変わるという「転生」の物語ばかりを考えてしまいがちだが、

実のところ輪廻というのは、そうした転生の瞬間だけに起きるものではなくて、いま・この瞬間のあなたにも(仏教の立場からすれば)、現象の継起のプロセスとして、生起し続けているものである。

 

……仏教学者の桂紹隆は、

『アーナンダ経』におけるゴータマ・ブッダの取った立場、つまり「厳格な無我」でも「非我」でもない態度について

> 「アートマンの有無の問題に関して『沈黙』を守った『無記』の立場、

したがって有と無の二辺を離れた『中道』という理解こそ、

初期経典に記録されるブッダのこの問題に対する最終的な答えであったのではないかと思う」

と述べている。

「無我説」でも「非我説」でもなく「無記説」こそがブッダの真意だったのではないかと推測している。

 

…… ここが、ひときわ目を瞠る卓説なのだが、

魚川さんもこの【中道】に同意しておられる処をみると、釈尊が「無記説」に隠した大いなる意図が窺えそうな気がする。

《参考》

東京大学教授 斎藤明氏の「空とは何でしょう? 〜中観派の教えを学ぶ〜 」より

縁起を悟ったブッダは、縁起にもとづき存在か非存在かという偏ったものの見方をしない「中道」を説き、それを根拠に

「無我」(心身の諸法は我をもたないこと)」

「非我」(心身の諸法は我でないこと)」

を自覚することの重要性を語っていました。初期の仏教では、ここにいう無我の意味で空を説いています。

 

つまり、こうである。

ヒンドゥー🛕が、ウパニシャッドの伝統から「自我(self)、真我(Self)」を打ち出しているのに対して、

釈尊は、ヒンドゥーの伝統をふまえて、尚のこと「無ー我(an–attan)」を打ち上げた。

これは、いわばヒンドゥー教🛕を利用した対機説法だったのではあるまいか。

ヒンドゥーのヴェーダーンタの精緻な「不二一元論」(これは、釈尊の再来みたいに騒がれた龍樹菩薩の哲学をシャンカラが借用して確立したものだったが)に、意識の裂け目を生じさせる技だったのではないか。

「真我」にも「無我」にも偏らず、釈尊の遺言にある「有無の二辺を去って中道を歩む」姿勢の現実的な露われとして、

我(アートマン)」でもなく、

無我(アナートマン)説」でも

非我(アナートマン)説」でもなく、

無記 説」となったということなんじゃないか。

 

「アートマンでもアナートマンでもないんですよ」と示すために、沈黙した(「無記」)と。

将来のヒンドゥー🛕勢力の繁栄をも利用して、常見でも断見でもないぞと、

量子力学的に、「波」でも「粒子」でもないぞと。

量子コンピュータの演算処理の仕方で、釈尊も説法していたのかと、やおら感動を覚えずにはいられない。

まー、「コノ世は仮想現実」という観点からすれば、

ヒンドゥーの「自我」も仏教の「無我」も、さして変わりはない。

実体をもっていないそれは、「存在」とはいえないものである。安心とは普遍(常なるもの)から来たる。

釈尊は「無我」を打ち上げることによって、二辺を際立たせた。それは仏説の「無我」にも囚われるなという冗談のような「自己否定」を含む遊戯三昧でもあったのであろう。

 

龍樹の「中観」も唯識の「阿頼耶識の薫習」も、釈尊の言うに言えない「無記説」を敷衍するような役割があったのかも知れない。

宇宙人👽だったという説もあるから、この量子論の現代に繋がる手助けをしてくれたものかも知らない。

 

桂は、龍樹と世親という大乗仏教を代表する論師たちも「無記説」を採用していたと述べている。

[※  桂紹隆『インド🇮🇳仏教思想史における大乗仏教〜無と有との対論』(春秋社、2011年)より]

 

 

 

◾️「無我」とは…… 

無我は、単純に「我が無い」状態だと決めつけてはならない。

「色は無常である。

無常なるものは苦である。

苦であるものは無我である」

無常・苦・無我の三相が、基本的には同じ事態の異なった表現

無常・苦・無我が シノニムとしてセットで語られる

…… 無常と苦と無我が、入れ替え可能であるだなんて。

この仏教の方程式が、仏教理解を複雑なものにしていると思うな。

 

「苦であるものは無我である」

…… つまり、

「コントロールできない」ということを「無我」と呼んでいる。(「苦」のサンスクリット語は「不如意」つまり思い通りにならないという意味)

 

欲望はいつも、どこからか勝手にやって来て、どこかに勝手に去って行く。

即ち、それは私の支配下にある所有物ではないという意味で、「無我」である。

 

「無我」と言う時にゴータマ・ブッダが否定したのは、「常一主宰」の「実体我」である。

仏教の基本的な立場は 全ての現象は縁生である

※  縁生 = 原因・条件があって生じたもの

 

仏教に対するよくある誤解の一つとして、

「悟り」とは「無我」に目覚めることなのだから、それを達成した人には「私」がなくなって、世界と一つになってしまうのだ、というものがある。

だが、実際にはそんなことは起こらない。

 

 

>「無我なのに輪廻する」のではなくて、無我だからこそ輪廻する」

…… この場合、輪廻の主体は「縁生の五蘊の仮和合」であり、別の言葉でいえば

「認知のまとまり」もしくは「経験我」である。

転生するとはそれだけのことであり、そこに固定的な実体我が介在する必要はない。

そうであるならば、かえって…… 

「常一主宰」の実体我が 輪廻転生の過程を通じて存在し続けているとするならば、

それが無常であり苦である無始無終の縁生の現象の連続に巻き込まれてているというのは、

どうにも説明のつけにくいことになる。

…… ヒンドゥー🛕はアートマン(自我)が輪廻すると言っているのに、同じく輪廻を世界観としている仏教では転生する「実体我」が見当たらない。

この齟齬はどうなっているのよ、という批判をまったく逆手にとった、みごとな返しである。

味わい尽くすべき言葉であろう。

 

 

◾️釈尊が透視した「世界」の実相

ゴータマ・ブッダは、自分の証得した法が「世の流れにさからうもの」だと考えて、当初はそれを他者に語らないつもりであった

彼の教説は、労働と生殖を放棄し、現象を観察して執着の対象から厭離し離貪して、

それで渇愛を滅尽すれば、「寂滅為楽」の境地に至れるという、きわめてシンプルなものである。

ゴータマ・ブッダの教説は、その本質として「非人間的」な性質を有するものだ

…… それゆえに、大悟した後に釈尊は隠遁しようとなさった。それを三度も訪ねて懇切に説得したのがブラフマー神であった。(「梵天勧請」)

梵天によって翻意した釈尊は、この時点では一切衆生済度を思っていたわけではない。機根のよい純粋な一部の者たちは、釈尊の悟りを受容できるかも知れないという希望を抱いたに過ぎなかった。

しかし、最初に説法(初転法輪)した修行仲間の五人は、聞いただけでたちどころに覚ったのである。

35才で大悟、80才で入滅された。その45年間に釈尊が見性(仏性を見る=悟る)に道引いた者は、なんと500人にも上る。阿羅漢となった五百羅漢によって、釈尊歿後すぐに第一結集(仏弟子による仏説の確認会議)が開催されたのである。

 

◾️自分勝手に意味をもたせる、「物語の世界」

なぜ私たちは、「ありのまま(如実)」でないイメージを形成し、物語の「世界」を立ち上げてしまうのか。

> すべての物語が、愛執が形成するもの

「善と悪」という区分は、基本的には物語の世界に属する

 

>「意味」からも「無意味」からもともに離れることによって、はじめて「物語の世界」を終わらせることができる

仏教の本質は、「世界に」を超脱した無為の常楽境を知った上で、そこから敢えて、物語の多様に再び関与しようとすることにある。

 

仏教の第一目的

世界(loka)を説明することではなくて、世界を超越すること

……そこでは「世界」が立ち上がっていない。仏道は思考(哲学)ではなく、あくまでも実践道である。

欲望に基づいて織り上げられた様々なイメージが、我という仮象を焦点として「全体」という像をむすんだのが、

「世界」という物語である。

 

感覚入力によって生じる認知は、それを[ありのまま」にしておくならば、

無常の現象がただ継起しているだけのことで、

そこに実体や概念は存在せず、

したがって「ある」とか「ない」とかいうカテゴリカルな判断も無効になっていて、

だから(それ自体が分別である)六根六境も、その風光においては「滅尽」している。

つまり、そこでは「世界」が立ち上がっていない。

それは既に言語表現の困難なところだが、敢えて短く言い表せば、「ただ現象のみ」というのが、「如実」の指し示すところなのである。

 

 

◾️仏教コトバへの誤解

智慧は、思考の結果ではない

…… 禅定は智慧の前提である。

ある種の、「意」を整えるための身体操作は必要なのであろう。仏道は、実践道に他ならないのだから。

深い腹式呼吸で横隔膜を意識して動かすことによって、不随意筋を連動させたりする。

禅定力は、正しくすべてを受容する為に不可欠なものなのかも知れない。

 

> 「慈悲」の四つの要素

…… 仏教でいう「慈悲(=慈悲喜捨)」といわゆる「優しさ」とは異なる

・慈(衆生に楽を与えたいと願う心)、

・悲(衆生の苦を抜きたいと願う心)、

・喜(衆生の喜びをともに喜ぶ心)

「捨」(平静さ)

 

「優しさ」というのは、他者の喜怒哀楽を感じとって同調し、それに働きかけようとする心である

「捨」というのは そうした心の動きを全て平等に観察して、それに左右されない平静さのことを言う。

…… つまり、慈悲には「悟った覚者」のもつ、「大自然と同位に立つ」(J.アダムスキーの言葉)客観的な眼差しが求められるのである。

 

 

__ 上記の引用は総て、魚川祐司『仏教思想のゼロポイント 〜「悟り」とは何か』より

 

素晴しく光る言葉が、ふんだんに盛り込まれている名著である。

著者の魚川さんは、東大で「西洋哲学」専攻され、東大大学院で「インド哲学」を修めた後に、さらに進んでミャンマー🇲🇲に渡航して、テーラワーダ仏教の実践(修行)に身を任せて、徹底なされた御人である。

まずもって、さすがは東大卒🎓の人材には傑物がおられる。

哲学者の先崎彰容が言っておられたが、いまどきの大学生は「8月15日の終戦記念日」を知っている者が、わずかに二割しかおらず、それが昭和20年の出来事であると知っている者にいたっては皆無である惨状であるそうだ。

わたしは大学に行けなかったので、ネットで発言すると「学歴コンプ」とか揶揄されることもよくあるが、

伊勢白山道のコメント欄📝を見るかぎりでは、まったく劣等感を覚えることがなかった。

あまりにも、知らないのでかえって此方が愕然とするほどである。

やはり学問の本筋は、独学にあるようだ。

なんの疑問もいだかず、外から学ばず、自分に問わない者が多すぎる。学問を愉しむことを知らない。

 

世間の数多ある「バカ田大学」は置いといて…… 

さすがは東大である。

仏教関連でも、20代で既に芭蕉や禅の境地について、卓抜な一家言をお持ちでいらした竹村牧男とか、

永平道元を徹見されたひろさちや、鈴木大拙を世間に広く知らしめた秋月龍珉

三島の龍沢寺で、山本玄峰の法を継いだ中川宗淵老師とか、文武両道と申しますか、頭脳🧠も修行🧘もフルスロットルな才幹が目白押しで心強い。

大学生はそうでなければ生けません。

ちょっとやそっとの独学では追いつかないような、総合的な識見が養われないようでは最高学府の名が泣こうというもの。

もちっと、勉強してほしいものだ。

 

この魚川祐司さんは、ミャンマー🇲🇲に行って、子供時代から長年抱えてきた[違和感]から解放されたから、文筆家や翻訳家としての執筆活動からは、早や引退されたそうです。

[違和感]とは、ハイデッガーの云う「違和感( Unheimlichkeit )」のことで、

「当たり前のことが当たり前でなくなる感じ」

「家🏠にいる時のようにくつろいでいられない感じ」

であり、「不気味さ」と呼ばれることもあります。

岡本太郎の「何だ、これは!」のように、意識に裂け目ができるような、違う次元を垣間見た驚きであり、純粋な感動のようでもあるが、魚川さんの場合、それは随分と苦しかったもののようだ。

周囲の人々の「普通」や「自然」を必死に学習し、そこにある暗黙のルールを表面上はトレースできるようになったとしても、私はそれを本当に心から「当たり前」だと思えるようになったわけではありません。

形の上ではそれっぽく振る舞いながらも、私の心の中には、ずっと「これは何だ!?」と叫び続けるものがあった。

[※『フリースタイルな僧侶たち vol.47』

「特集 仏教が私にくれたもの(魚川祐司)」より

 

…… 彼の半生で、いろいろな苦境は経験しているが、子供時代のその[違和感]に比べれば、何でもないと感じられるほどに憂鬱に覆われた期間が長かったようだ。

子供時代は、その日常のすべてが、この[違和感]とともにあったと云ふ。

そして、その[違和感]を共有し、解決してくれるものを仏教のなかに予感したのが、彼を仏道修行に駆り立てたわけであるようだ。

 

何かのきっかけで、

その「当たり前な感じ」=自明性が剥がれ落ちる瞬間というのが起こり得るそうです。彼は仏教によって、それを成し遂げた。

【魚川祐司さんは、こんな御仁。1979年生まれ】

 

もったいないことだが、ちょうどカソリックの岩下壮一神父が神学の完成よりも、ライ病患者の世話にキリスト者の生きがいを見出されたように、

魚川さんも、もう公的なアウトプットは完了された御方なのであろう。ひっかかりが無くなったというか罣礙(けいげ)無しというのは、そこから心置きなく離れる良き機会なのかも知れぬ。

個人的には、いままで曖昧にしていた仏教学の根本疑問❓を解決することができて、大変感謝している。

津田真一『反密教学』以来の、面白い本筋の仏教書であり、この邂逅に深く感謝するものである。

伊勢白山道の言葉「宗教は無くなります」に啓示をうけて、おそらく最後まで命脈を保つのは仏教だろうと確信してきただけに、

仏教を捨てる前に、根本疑問を晴らしておきたかった。

いまはもう、何のこだわりもない。

かえって、いままで馬鹿にしていた仏教(ただしくは釈尊の仏道の名を冠したセクト宗教)が、初めて愛おしくなってきた処である。

釈尊は、その名に違わぬ、大賢中の大賢である。

かれの叡智を、わずかばかりでも堪能できた仕合わせを喜びたい。まったく、たいしたものだ、子どもの頃に懐いた直観は間違いではなかった。

特撮『レインボーマン🌈』で初めて触れた仏教が、わたしの内で、いまにして成熟しているようだ。

探求の終わりに出発点に到達し…… その場所を知る。

T.S.エリオット、🎞️『あなたを抱きしめる日まで』より)

さだまさしの、50年後に再結成された『グレープ』のコンサートで自然と浮かんだ「なつかしい未来」というものだったかも知れません。

なんら気負うことなく、「宗教は無くなります、必要ありません」と言える自分になれそうだ。

宗教は無くなっても、信仰というものは無くなることはないだろうけれど。

      _________玉の海草