『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

🍁仮説 「いつも繋がってたい」 人は、本を読まない

2021-08-27 03:00:24 | 読書

__も〜3年にもなりますか、『初耳学』の中で、林先生が実に含蓄に富むことを言っておられた

 

「僕の莫大な経験では、『孤独は嫌だ』という人の共通点として、本をあんまり読まない

「考えるという作業は絶対一人じゃなきゃできないんですよ」

人間は、考えると一人になるんです。そして一人になって自分を見つめ直す。その中で他人との繋がり方を見出していく。それを唯一可能にしてくれる孤独が、寂しいんですか?」

「本を読まない人は寂しがり屋で友達を欲しがる」

「本を読む人は友達がいらない」

 

‥‥ 誰もが知ってる曲「新一年生になったら、友だち100人出来るかな」は、「ともだちが多いのは、良いことだ」とゆー価値観を社会に浸透させたと云ふ

[※  童謡『一年生になったら』まど・みちお作詞1番〜3番/山本直純作曲、1966年]

 

【画像:絵本のおもちゃばこ(単行本)ポプラ社、2011年】

 

 

林先生は、「友だちは少なくてよい」が持論で…… 下重暁子『極上の孤独』(幻冬舎新書)のなかの「友だちや知人は少ないにこしたことはないと思います」の条りや、ドイツ哲学のニーチェの言った「愛せない場合は通り過ぎよ」を挙げて、ドライな人間関係もわるくないと提言した

とゆーのも、SNSの普及によって、簡単に他者と繋がれることで生じる深刻な弊害もあると示唆している

 

なにをもって「ともだち」と呼ぶかは、おのおの思う処はあろーが…… 幕末の志士たちの思い描く「友」とゆーものも垣間見てみよー

 

“ 士は己を知るものの為に死す  とゆー言葉があります

>司馬遷『史記』刺客列伝 にある有名な句。

紀元前5世紀の中国・晋の人、豫譲(よじょう)の言葉。

‥‥ 現在のC国とは違い、古代中国には目を瞠るよーな清冽な御仁がおられた様です

>豫讓、山中に遁逃して曰く、

「嗟乎、士は己を知る者のために死し、女は己を説ぶ(悦ぶ)者のために容(かたちづく)る。

今、智伯われを知る。…… 」

():「ああ、志ある人士はおのれを知ってくれる者のために死し、女はおのれを喜ぶ者のために顔かたちを飾るのだ。智伯はわたしを知ってくれた。…… 」

…… この句が、「知己」の語源 なのだそーだが、

「知己」とは、知人だの知友だのとは、一線を画する特別な言葉なのね

「知己を後世に待つ」とか「天下の知己」とかには、深い意味合いがある

 

「天下後世まで信仰悦服せらるゝものは、只是れ一箇の眞誠なり。  …… () …… 

誠篤ければ、縦令(たとひ)當時知る人無くとも、後世必ず知己あるべし。」 ( 『 西郷南洲翁遺訓 』より )

「 知己を百年の後に待つ は大丈夫のことじゃ。

一時は暗雲に閉ざされても、人の真心から為した仕事は必ず光明を放つ時が来るものじゃ。

近頃では、こんな血誠男子はまことに少なくなった。」

[※  頭山立雲(満)翁による『南洲翁遺訓』の解説 ••• 口述筆記された]

 

‥‥ 右翼の首領・頭山満翁も、遅く生まれすぎた志士であり、西南戦争に従軍しよーとしたが入獄されていた為に果たせなかった御仁である

勝海舟の言葉にも、知己を千載(千歳=1000年)の下に待つ」とある

武士としての矜持を支える価値観として、「士はおのれを知る者のために死す」とは志士の心映えをあらわす言葉として、共有されていたものかも知れない

 

縷縷のべてきた「知己」と、SNSでの「フォロワー」とでは、同列に論ずることは出来なさそーだが…… 

林先生の「少なくていい」とは、「知己」に近い所謂「親友」みたいな者を指すのだろーか

しかし、自分の培ってきた素養から導かれる「自己」とゆーものがない者にあっては、「己れ」を知る者は永久にあらわれない、「自己」あっての「知己」である

「己れ」の確立のために、読書とゆー孤独な時間、自分に向かい合う時間が必要だと言わんとしているのではないか

以前に述べた、タモリさんの述懐と同じ消息を語っているよーに思えてならない、モーレツ社員(回りと同じよーに仕事に打ち込む=繋がっていたい) にならざるを得なかった当時の日本人は、「自分との対話」(自分と向き合う=孤独・読書)がこわかった と言えそーです

《以下、当該記事へリンク》

> 五輪が終わり、「自分の夢中」を喪ってから現れるものは…… - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

 

‥‥ その「自分との対話」、生まの自分に直面する手段として、極めて有効なのが「読書」である

これもまた、以前の記事に書いたが…… 

本を読むという行為は決して情報を得たいというためにやるわけではなくて、むしろ自分の中からどの位引き出せるかという営みなのです。」(酒井邦嘉教授)

《以下、当該記事へリンク》

《ちょい言》 日本人の半分は 、習慣的に “ 読書ゼロ ” - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

 

‥‥ 最後に、林先生の「読書による孤独のうちに己れを知る」とゆーことが、「自立」「ひとり立つ(独立)」の為にいかに重要なものか、いや必要不可欠なものか、自分の体験から見てみよー

私は、いわゆる読書家のほうで、3000冊位の読書量はある

若い時分、東大英文科系統の中野好夫の「知識人の定義」を目にして、30才でほぼ2000冊に到達した

一週間に一冊読むとして、1年で50冊、それを40年続ければ2000冊になる、その位読んでいれば「知識人」と呼んでも差し支えないのではないかと、

日本の文壇をリードした東大英文科(小泉八雲・夏目漱石・上田敏・斎藤勇等の教授陣や東大出身翻訳家・評論家、坪内逍遥・谷崎潤一郎・芥川龍之介・川端康成・三島由紀夫等の東大出身作家による東大派閥の影響力)を代表していた長老・中野氏が提言していたのである

まー、わたしの読書は「生きてゆく」ために不可欠なもので、追い詰められて仕方なく本からの知識を打開策にしたのが真相で、純粋に教養を身につける為の向上心とは無縁だったとは思う

サラリーマン生活が生きづらかった私(普通や人並みが大キライ)は、本の中に処世術を探ったし、勿論現実逃避(夢想)もしていたと思う

私の中では、秘伝書やオカルト文献・剣豪小説(職人物語みたいな受け止め方)なども、広義の実用書であったわけである、書物の中の世界は現実と結びつけられた

そんな真剣な読書を四半世紀もコツコツ続けて、3000冊に達する頃には、もはや読書欲もたいがい無くなってきていた、目次を読んで内容に予想がつくよーになって仕舞ったからだ

そーしたときに、巡り逢ったのが「伊勢白山道」である、あやしげだが紛う方なく光るものが厳然とあり、前代未聞の世界観を伝えていた

一年くらいかけて、コメント欄で反論したり、質問の形で試してみたりして、自分なりに納得のゆく検証を試みた

その結果ほぼ、私の長年蓄えたオカルト知識からみても、破綻が見つからなかったし、認識については私の遙か上を行っていた、そこで、一度信用して自らの指針として採用してみると、統一性がとれていて、どっぷりと彼のブログに浸ったことだった

霊的な真理に飢えていたのだ

仕事しながら、お昼休憩時に伊勢白山道を読んでは、グルジェフのよーに霊的なワークに繋げたのである、陽明学の「事上磨練」= “ Training On The Job ” である

ほんとにあらゆるオカルティズムに精通された御方で、一日の記事のなかに、書籍で読めば十冊分くらいのオカルト知識(隠秘学)がつめこまれてあることも珍しくなかった

わたしは徐々に、苦労して文献を読むのを放棄するよーになって行った、最早彼のブログからお手軽に隠された情報を知ることが出来たから(読者ボランティアによる検索システムも「過去コメントのまとめ」も極めて優れたものだった)

そーなると、オカルト(隠された知識)を日常に実用化してきた私なので、公私にわたって、実生活のなかに「伊勢白山道」が深く浸透していった

「生きる」ことの根本義(神棚参拝や先祖供養そして感謝想起・観音行)として、伊勢白山道の実践が根付いているわけだから、油断していると無意識のうちに「リーマン教信者」になってしまっている……   困るのは自分でそのことに気がつかないことだ

伊勢白山道の世界、コメント欄の読者同士で繋がっていることに、無上の安らぎを覚えたものである

こーして十有余年経って、わたしは本をまったく読まなくなった

読書の孤独感にたいして、耐性を失ったのだと思う

SNSつまり、伊勢白山道ブログに繋がっていれば、安心だし、実践による体感もあるし、迷いは少なくなっていった

ついに、社会不適合者かと思うほど生きづらかった私が、何としたことか生きやすくなったのである

伊勢白山道の圧倒的な知識と認識が、本からは手に入らない「真の知識(叡智?)」を示唆してくれたからである

それでも、私は彼の文章が気に障る処(英語を直訳したよーな生硬な文体等)があって、コメント欄で文句を言い続けて(不掲載となるが)、とうとうコメント削除されて出禁になってしまった…… (現在は幸いにも投稿が許された模様 ♪)

そのときになって、いかに私の実生活に伊勢白山道が浸み込んでいるか、いかにコメント投稿するとゆー能動的行為に自分が救われていたかに、初めて気がついたのである

十年以上にわたって、伊勢白山道を追ってきたことはもちろんまちがいではない、それどころか言いようのない感謝の気持ちで心が一杯になる

間違ったことといえば、すべてを伊勢白山道を通して受け取り、与えてもらおうとゆー怠惰な心持ちに安住したことかも知れない

伊勢白山道にいつも繋がっていたかった私は、自分を見つめ直す(読書の)時間をないがしろにしてしまったのである

読書に伴う孤独、読書とゆーものを成り立たせる孤独、それは一時的とはいえ、伊勢白山道での繋がりから離れなければ成し得なかった難事だった

伊勢白山道推薦の、『ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの』とゆー難解なアドヴァイタ・ヴェーダーンダのエッセンスは、類稀なる孤独の時間を潤沢に提供してくれた(5回繰り返し読むよーに推奨された)

わたしは、その本を読んだことのない人から薦められて、読んだのは初めての経験だった(リーマンさんは霊視で内容が分かるため、読むことはない)

ニサルガダッタ・マハラジの示す、「最後の知識(Knowledge)」、知識に別れを告げる〜知識(観念)に引導を渡す「真の知識」の波及する範囲はすべてを網羅していて、伊勢白山道で学んだオカルト知識にまで及んだ

推薦本を熟読吟味したことによって、伊勢白山道の言語表現に物足りなさを感じるよーになり、文章批判に繋がったことは、如何にも皮肉なことだった

 

こーした得難き経験をとおして、いつも誰かと繋がっていたい人は、ご自分を知る一番大事な機会を逸しているのではないかと思うのですよ

繋がりそのものが負担となって、「妄想」を稼ぎ、不毛の依存を生み出し、自らのシンプルなありようを致命的に阻害することもあろー

洞察とは “ insight ” 、洋の東西を問わず、字義どおり内に向かうベクトルである

繋がりは自分の外へ、読書(孤独)は自分の内へ

外(外在神)を拝めば、内(内在神−根源神)は匿れる

世界中の太古の叡智が初めに告げる言葉

「おのれ自身を知れ」 

         _________玉の海草

 

 

 


 時代劇 「おじゃる言葉」 をあみだした怪優

2021-08-25 03:00:29 | 日本語

__お公家さんの 「 〇〇でおじゃる 」 とゆー話し振りは、映画『柳生一族の陰謀』(1978)において、初めて登場した

 

深作欣二監督と、千葉真一ががっぷり四つに組んだ本格派時代劇は、いま観ても豪華すぎる布陣で、サニー千葉ちゃんの初めての時代劇挑戦であった

 

【 RIP.  JJ.Sonny Chiba ちゃん、あなたほど天下の剣豪・柳生十兵衛を知り尽くした人はおられますまい、優雅にして力強い剣戟で時代劇の品位を高めた功績は測り知れない、つつしんで哀悼の気持ちを捧げいたします 】

 

「裏柳生」 とタイトルに書かれた原案を千葉ちゃんが持ち込むと、オリジナリティに富む深作監督が間髪入れず「面白い」と応じたそーだ

秘密裡に「倒幕」を悲願とし、天皇親政をもくろむ公家衆と、圧倒的な武力を持つ徳川幕府との暗闘…… 

朝廷側の交渉役は、烏丸少将文麿や三条大納言、主上(天皇)へ奏上できる職権をいいことに、のらりくらりと和歌を吟じるよーに、間のびしたやり取りで、幕府方の使者を苛立たせる

朝廷vs幕府の火花散る、そんな緊迫した場面で……   簡潔果断な武家言葉に対抗して、のんびりとのびやかに柔らかい公家言葉「おじゃる言葉」が、殿上人の法外な誇りと独特な宮廷の雅びを感じさせた

 

 高校の頃、たしか日曜の午後二時ころでしたか…… テレビ版『柳生一族の陰謀』が放映されていました

柳生十兵衛は小さな時分より大好きで、サニー千葉ちゃんの十兵衛は出色の出来です

他には、若林豪 や 近衛十四郎 なんかいいですね

このテレビ版には、いい役者が剣豪として出ておられました

忘れられないのは、「八寸の延金」の真新陰流・小笠原玄信斎には 南原宏治 さん、柳生連也には 石橋蓮司 さんとか……

[※  映画🎞の小笠原玄信斎は、丹羽哲郎がやったおられた

徳川家康の剣術指南をした奥山休賀斎(上泉伊勢守の弟子)の弟子で、中国に渡り「八寸の延金」を会得、帰朝して、真新陰流の道場を開いて、無敵を誇る

神谷伝心斎(直心影流)や針谷夕雲(無住心剣)など、名人と謳われる弟子を輩出した]

そーした大看板を向こうにまわして極めて異彩を放ったのは……

映画版から引き続き同じ役を演じられた烏丸少将文麿の  成田三樹夫 と、映画では三条大納言でTVでは中院通村を演じた 梅津栄 さんでした

当時、進学高に通っていた私は、数学の章末テストとゆーものが二週にいっぺん位あるのですが、合格点とるまで何度でも追試を行うのです

追試受けているうちに、次の章末テストが来たりして 、まさに自転車操業の忙しさでした

心も追い詰められて荒んでいたものです

そんな状況下で、画面いっぱいに繰り広げられた狩衣装束のお公家さん同士の珍妙なおしゃべり……  鮮烈なインパクトがありました

御所の控えの間みたいな処で「おじゃる言葉」を駆使して優雅に武家の悪口を言い合っては「オホホホ」と笑い合う烏丸少将との遣り取りには、腹の筋肉(ブルースリーを信奉してた私は当時シックスパックに割れていました)がよじれるほど笑わせてもらいました ♪

[※ おそらく第六回、池広一夫監督「根来忍者は死なず」でのことでは(?)と思う]

🌿__ 追加(20230103)

時代劇チャンネルでやっていたので、第6回を観てみたら、梅津栄の演っていた役は中院通村卿で、テレビ版『柳生一族の陰謀』には、この一回しか出ておられない。私が感動したのは映画版で、「和歌を詠める」と歌うように朗々と語り出す三条大納言バージョンかも知れない。訂正してお詫び申し上げます。

 

暗く苦しい高校生活で、腹の底から笑いが込み上げてきたのは、この「おじゃる言葉」の掛け合いだけだったかも知れません

[ この 公家の口語「〇〇でおじゃる」は、俳優・梅津栄さんの発案創始されたものです。

【画像:東映映画 深作欣二監督『柳生一族の陰謀』より、三条大納言】    

 

室町時代の公家は実際このよーに遣ったよーですが、江戸時代の公家に「おじゃる」と喋らせたのは、梅津さん夫妻の図書館通いの成果と飛び抜けた言語センスであったのです]

成田三樹夫は声が重低音で、すこぶる響くのですが、滑舌のよい甲高い裏声もまたよいのです

真面目半分、冗談半分のよーなお公家さんの、朗々と和歌を吟ずるかの様な言葉の遣り取りには、正味衝撃を賜りました

笑い過ぎて、肉離れ起こすんじゃないかと本気で心配したほどです

『柳生一族の陰謀』は藩のお取り潰しや忍者の使い捨てなど、裏工作のリアルも描かれていたので、成田さんらの「マロ」の滑稽みは一際耀きを放ち、奥行きのある時代物語に成ってゆきました

 

‥‥ 梅津栄と茂子夫人が、幾日も図書館に通いつめて二人三脚で創案された「おじゃる言葉」を、実際に撮影現場で試したところが、

梅津さんの、あの神妙な面持ちと大真面目な口調で「マロは、〇〇でおじゃる」と発するものだから、スタッフ一同堪らずに大爆笑だったと聞きます

撮り直しても、梅津さんの三条大納言のセリフに差し掛かるや、またぞろ皆が笑いを堪え切れず撮影にならなかったほど、ウケたそーです

梅津栄とゆー役者は、狂気を孕みながらも、フツーも出来て、突き抜けたよーな大胆さと人懐っこさのある御仁でした

ドラマ『必殺仕事人Ⅳ』で、ひかる一平演じる順之助を「順ちゃ〜ん」と追いかけ回して、抱きついては接吻を迫るオカマのおじさん「広目屋の玉助」も、ほのぼのと奇天烈な魅力がありました

 【画像:朝日放送 『必殺仕事人Ⅳ』より、広目屋の玉助】

 

あの滑舌と知性あふるる冷徹な眼差し(頭が切れすぎて、いっそ阿呆な印象)は、滑稽みのある温かな風貌とあいまって、主役を喰らう脇役でした

書も能筆なんですね、「海人」のいきいきと躍動する隷書が素晴らしい、境涯の書ですね

   【画像:梅津栄さんの書】

 

むかしは、凝って練れた唯一無二の演技をする面白い役者がよくいらっしゃった

 

『子連れ狼』の「虎落笛(もがりぶえ)の回、黒鍬者の強敵「弁天来」の長兄で冷静沈着な弁馬や、特撮ヒーロー『レインボーマン』の師匠ダイバダッタ、それに江戸川乱歩の『人間椅子』の演技も不気味だが人間味あふるる眼差しに温もりがある名優・井上昭文

 

   【画像:フジテレビ『座頭市物語』より】

 

 

おなじく『子連れ狼』で、原作を上回る出来映えの「阿部頼母(怪異)」を演じて、時代劇ファンを心底唸らせた、高貴な御方から下卑た悪党まで、なんでもござれの名優・金田龍之介

 

【画像:NHK大河ドラマ『葵徳川三代』より、天海大僧正】

【画像:日本テレビ『子連れ狼』より、ご公儀御口唇役(毒見)・阿部頼母】

 

そして、NHK大河『新平家物語』(1972)で、左大臣藤原頼長を演じて、かの白洲正子をして、その品のいい立居振舞と衣冠束帯のいかにも似合う佇まいに瞠目させた名悪役、成田三樹夫 …… 

 

【画像二枚共:NHK大河ドラマ『新平家物語』より、悪左府・藤原頼長卿】

 

実は、私の母校の先輩なのである、成田三樹夫の姪子さんと同級生だったのが私の密かな自慢だ ♪、つつましく穏やかな美人で小さい頃は悪役の親戚だからとよく虐められたそーだ、成田三樹夫は東大中退して山形大に入り直してまた中退……   地のままで「インテリ・893」の出来そーな教養を兼ね備えていらした

烏丸少将文麿は、彼のもっとも高潔な風雅があらわれた役だったと思う(文武両道で、筋骨隆々な京流の剣豪である)

 

  【画像:東映映画『柳生一族の陰謀』より、烏丸少将】

 

千葉ちゃん、『柳生一族の陰謀』を率先して引っ張ってくださり、まことに有り難う御座います

時代劇の世界は、武家の「不自由さ」ゆえに傑出した物語が生まれる土壌があるんですね

ちゃんと、刃筋を立てて打ち込む美しい太刀遣いをみせる 佐藤健 や、本物の武術家の体捌きをみせる 岡田准一 のよーに 「 一行三昧 」 な時代劇役者も育ってきています、どーなることやら、武士道とチャンバラ時代劇とは一蓮托生のよーな気がするなあ

時代劇は案外、日本文化の牙城であるのかも知れん

         _________玉の海草

 

 

 

  

 

 


《ちょい言》 アマゾンのCMに、自分を投影して

2021-08-24 18:09:49 | TV・CM

__Amazon Prime のTV CM「その特別な時間が、きっといちばんの特典です」特別版(1:50秒)

https://youtu.be/BZijfvyoprA

 

 

子どものいない熟年夫婦の日常の一コマを、物語風に切り取った、心温まるショートドラマ…… 

背景に流れる、Zac Banc『 Something Real 』の囁くよーな声音も、市井で懸命に働く二人の背中を押しているよーな…… 

 

わたしも、最初みたときは、「何をいいオトナがそんなことするかねえ」と懐疑的だったが…… 

何回も繰り返しみているうちに、いつしか二人の表情を追って釘づけになっている自分に気がついた

 

ー世間では、このCMが「気持ち悪い」と顔を背けるひとも、かなりいるみたいだ

日本の大衆目線でどーなのか、賛否の中身を探ってみたい

 

まず、気に入っている私の印象から述べる

最初は、CMに出そーにない北村有起哉の渋チンの風貌から惹きこまれる

子どもがいない様子のこの夫婦、あるいは同棲している熟年の二人なのかしら?

「いつでもこの頃に戻れる券」を見つけ、会社が終わって彼女が社屋から出てくる処をねらって待っている

かるく手を上げて、引っ込み思案に合図する処が実に昔の男みたいで好い ♪

この、若いカップルがするよーな恥ずかしいシーンに(自分を駆り立て)強引にもってゆく姿勢に、リアルを感じる

 

 

 

彼女が、彼の突然の出現にビックリする処は、さすがプロの役者、「戻れる券」を目の前に出され……

「どうしたの?」と呆れたとゆーか心配顔した彼女がなんとも佳い、「まだ… 使える?」とたどたどしく不安げな口調もグッと来る……

今おきている事態を理解しよーとフル回転させて、戸惑いながらもすべて受け入れて、にんまりと歯をみせて微笑む彼女が、天使にみえる

これは今現在の感想なのだが、最初みたときは彼女の唇の表情(口が曲がってる感じ)に抵抗があった

なにか、この口の表現はひっかかった、憶えがあるよーな、なにかキャリア・ウーマン的な(ウーマン・リブ的かしら)…… 

このCMを、YouTubeで観よーと検索にかけて、ようやくこのひっかかった訳が分かった

彼女は、昔ぼくの大好きな役者さんだったのだ

高野志穂 さん、NHKの朝ドラ『さくら』で、ハワイから英語助手で岐阜の飛騨古川に赴任した主人公を演じた

 

 

なんと、このCMで夫役の北村さんとは、本当の夫婦なのだそーだ Σ('◉⌓◉’)..ナンデスト〜🌿

あの「さくら」がねえ、私は彼女が壁や人に不用意にぶつかっては、無惨にはね返されるシーンをこよなく愛していたのだ(江戸っ子の金魚屋の祖父母が、小林亜星と中村メイコだった ♪)

なにごとにも一生懸命に果敢に挑む「さくら」だっただけに、その弾むよーな仕草に妙に諧謔味があった

岐阜の郡上八幡の祭りの風景も、深く伝統が浸みわたっていて佳かった、ぞっこん岐阜が好きになって…… 

岐阜といえば、織田信長の命名、美濃の道三、濃姫びいきで、最近では朝ドラ『半分、青い』の舞台にもなった、いまでは毎日つかう食器が「美濃焼」になってしまった

 

そんな高野志穂の演じる、現代の「職業婦人」であったが、CMの終幕で、そっと指を絡ませ手を握りあうシーン……

お互いの顔を見合って、照れながらもみせる笑顔に、実に人間らしい喜びが迸っている(このシーンは、TV CM用の30秒バージョンには映っていない)

さいごの場面は、部屋に届いたアマゾンの段ボールが映しだされるが、私はこれ、夫が妻にサプライズ・プレゼントを注文したんだとばかり思っていた

なかなかやるじゃん、俺とおんなじだとか勝手に共感を深めていた、つまり段ボールにお宝が入っているものとして観ていた

しかし、なるほどストーリーを追ってゆけば、妻に頼まれた品々(黒板に書かれていた)を即日配達のアマゾンで手配した日用品だと見るのが自然であろー

それらを買い物する時間を、ふたりの久しぶりのデートにあてたわけか…… まー、これはこれでリアルな日常ではあるが…… 

東京の夜景がみえる埠頭(?)で、ふたりはようやく手を繋ぐわけだが、薄暗く、辺りに誰もいない情況があって初めてそーゆーことが出来た二人なのかも知れなかった

この、つつましい愛情表現や小さな喜びを深く味わえる人生が素的なのだ

 

さて、このCMを「気持ち悪い夫婦」と感じる人々に思いを致せば…… 

Yahoo!知恵袋によれば、「お洒落な」夫婦ともみえるらしい、若干の嫉妬まじり?

「こんな夫婦いないよ」が、真実に近い印象なのかも知れないのだが、生活共同体の同士たる連れ合いに、こんな浪漫的なアプローチを持ちこまれるのは「イヤ」なよーだ

会社に訳分からんチケット持って来られた時点でキレるんだって

「いやよいやよ」も「すき」の内の「イヤ」ではないよーだ…… 独身としては悲しいシビアさである

 

あの、吾々田舎人の心をくすぐる夜景は、「春海橋公園」だとか…… 

まー、年齢の割に若々しすぎる高野さんなのかも知れんけど、わたしはもーひとつ別の観方をしている

帰国子女で日本に馴染もうと日々努力している妻を、労っている不器用な夫の一コマであってもよい

あの、高野さんのひっかかった口元は、帰国子女にとってのアタリマエを抑えて日本に合わせなければならなかった、心の歪みが露われているよーにも見える(彼女は実際に帰国子女である)

なにか複雑に渦巻く人間模様を、この実生活でも夫婦である二人の俳優が、色々な顔(可能性)をみせて演じた「都会のサラリーマン家庭」の過ごし方であったのではないかと思う

 

ー要するに、わたしはいたく心打たれたのである

YouTubeで、長い(1:50)特別版を繰り返し鑑賞している

懸命に、精一杯生きているって、お互いを思いやるって素晴らしいなと単純に感動(神動)している

これだけ、馥郁たる薫りを漂わせながら、自己投影させることによって、さまざまに受けとられるパラレルワールドを暗示させ…… 

なおかつ市井のつまらない反復と日常の狭間に、肌身に迫るリアルな「生活」と小さな 思い遣り(おもいやり)を描いてみせた、この二人の俳優(わざおぎ、業招ぎ)の自然な演技に感銘を亨けた

 

複雑な哲学も、教義もいりません。

私たち自身の心が寺院です。

思いやりが教義です。

[※  ダライラマ14世『いのちの言葉』-より]

 

‥‥ はて、あの段ボールの中には、何が入っていたものか

続編があったら、覗いてみたいと切に思った夕べであった

         _________玉の海草

 

 

 

 


《ちょい言》 自分 (ハート) に祈る

2021-08-22 16:33:16 | 小覚

__関西テレビ放送の 『大阪環状線 Part4 ひと駅ごとのスマイル』 を観ている

わたしは昔、大阪に住んどった、えらいお世話になって、この地に骨を埋めてもええな思うほどに、ぞっこん惚れ込んだものだ

最初は、サンケイの新聞奨学生で、京阪線・牧野に暮らした、後々あきらかになった事やけど、アパートのすぐそばの公園に、古代東北の蝦夷(エミシ)の首領・阿弖流為(アテルイ)の墓 あったのだった

坂上田村麻呂と固く約束を交わして、京にのぼってきたアテルイだったが、京都のはずれ、この枚方あたりで、鬼ででもあるかのよーに彼らを怖れる朝廷の手で、腹心の母礼(モレ)とともに首を刎ねられたと云ふ

縁は、昧す(くらます)ことが出来ないもの……  私は新聞配達が続かず、遠い親戚の伝手で、旭区の豊里大橋下に引っ越した

京阪線・土居駅から専門学校に通い、地下鉄谷町線・太子橋今市から梅田の旭屋本店に遊びに出たもんだ

おおさかは、私のたましいの故郷である ♪  いまでも大阪の地に立つと血が躍る、血が滾る、湧く沸く、元氣がでる

それゆえ、大阪の環状線(ループ・ライン)には、ひとかたならぬ思い入れもあり、ひと駅ごとに綴られるナニワらしい話には琴線をかき鳴らされる

 

きのう観たのは、野田駅篇……

絵本『たこちゃんといかちゃん』を作った、無垢な魂をもつ作家のエピソードが実現化へいたる本質をよく捉えていた

いつも夢のよーなことばっかり口にしている、絵本作家の父をもつ子どもが、昔、「ガチャガチャ」に入っている「スーパーカー消しゴム」に夢中になっていた

レアなクリア紫色の「消しゴム」を狙って、何度も挑戦するのだが、なかなか手に入らない

そんなある時、父と一緒に「ガチャガチャ」をすることになり、父は「クリア紫はゼッタイに当たる!」と云うんです、

「また、この人は夢みたいなことばかり言って」と、子どもはうんざりしますが…… 

ポケットには3回分の小銭が入っていました

一回二回と、レア品は取れない……  そのとき父親がいつもの調子で「次は出る!」って大声で叫ぶんです

あまりの声に店中の人が集まってきて…… 

でも、子どもは「いちどだけ信じてみよう、一度だけ、親父みたいに本気で…… 」と、そして最後に出たんです、クリア紫が…… 

> 親父は、あたりまえみたいな声で、こう云ったんです。

「100% 信じきれば、必ず叶うって…… 

信じるのと信じきるのは違うって…… 

信じ切った人間だけが、夢をつかむことができるんだって……

神さまは、ココ(右手で胸を叩いて)にいる。

だから、ココに祈れって…… 」

「自分に祈る‥‥ 」

 

‥‥ この絵本作家の息子が語った、不思議な消息には、真の知識(Knowledge、最後の知識、真我の知識)が含まれている

自我(self)と真我(Self)のありよう

自分の内なるハートに祈る

伊勢白山道でいえば、聖ラマナ・マハリシが言及した「正中から右側3センチの処におはします内在神(根源神)」とゆーこと

古神道の「自霊拝」にも通じる

ヒンドゥーのアドヴァイタ・ヴェーダーンダのジュニャーニ(賢者)の観方に拠れば…… 

あなたは世界に先立ち、宇宙に先立ち、すべてのものに先立つ。

あなたが最終的な真実なのだから、すべては自分の中にあり、自分以外に何もないと、あなたは悟るだろう。

[※  『自己なき自己〜 ラマカント・マハラジとの対話』-高橋たまみ:訳-より]

 

‥‥ ようするに、外に祈るなっつーことよね

世界があって あなたがあるわけじゃない、神さまがいるから あなたがあるわけじゃない、逆なんだと…… 

自分に祈るって、なにか素的じゃない?

 

大阪は、古くから石山本願寺・浄土真宗の街、「御堂筋」って真宗の御堂を中心としているわけだから

けっこう、大阪には 妙好人が市井に紛れこんで、普通におられるよーな気がする

「信じきる」ことを、誰よりも知っているんではないかな

         _________玉の海草

 

 

 

 

 

 

 

 


《ちょい言》 なんでも短くして〜 感謝のコトバまで

2021-08-22 12:52:06 | 日本語

__大恩ある人の訃報を聞いた芸能人の、感謝のコトバは、繰り返しテレビやネットに流れるから影響力が大きい

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(説明)「前向きな心と言葉をありがとう」と聞けば…… 言わんとする意味はまちがいなく通じる

しかし、「心をありがとう」「言葉をありがとう」「感動をありがとう」「励ましをありがとう」「親切をありがとう」などなど…… 

このうち、「言葉をありがとう」は、「言葉」とゆー確かなもの(文字にできる、音として聞こえるもの)を相手にしているので、おかしな感じはあまりないが…… 

しかし、心・感動・励まし・親切などの「無形なもの」への感謝のコトバは何か変な感じがする

「〇〇をありがとう」と言った場合、「〇〇」に対して何か「物」扱いしているよーな感じだ

西洋文化の「give & take」の発想ですネ

本居宣長は、この国本来の「大和心(やまとごころ)」に対して、大陸から伝わった感性を「漢心(からごころ)」として区別して排斥したが…… 

「心をありがとう」とかゆーのは、「欧米心」(広義の「漢心」ではある)とでも名づけましょーか

 

ーでは、巻頭の芸能人の発言(この人は長らくアイドルで「凄え」とテレビで発言した最初の人だ)をどのよーに言えば、「大和心」なのかと言われたら、私ならばこーゆー

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(私の言い方)「どんな時も、前向きな気持ちで、心のこもった言葉をかけて下さり、いつもありがとうございました」

 

‥‥ やっぱりねえ、「言葉をありがとう」より「言葉をかけてくれてありがとう」の方が、相手の気持ちのこもった行為・行動に対して感謝している風情になるのよ

相手のやってくれた行為を、「心」とか抽象的な「名詞表現」にするよりも「動詞をつかった表現」にして動きを描写した方が、臨場感があるのではないかな

なにか、よろず(万事)カンタンに「モノ」扱いして、短く省略して表現するのは、私は好かない

「〇〇に注目です」「それでは、次です」などの、アナウンサーの言っているコトバもこれと同じ消息であろー

いやな言い方を発明したものだ、とりあえず意味は通じるし、テレビマン的表現をすれば「尺が短い」のだから、すこぶる便利な言い方である

 

ーシンプルな言い方だが、「美しい日本語を話しましょー」とゆーことになる

フランス人なんか自らのフランス語に対する誇りが、おそろしく高い、世界で最も美しい発音のコトバだと芯から信じている

日本語脳、虫の鳴き声がコトバとして聴こえる感性や、日本語にあらわれる日本的霊性を、いまいちど見つめ直す時節になったのではないか

喪われてから悔やんでも、「コトバは生き物」、もはや間に合わない

         _________玉の海草