『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 「大母性」〜 小松左京の 或る言葉

2023-09-12 18:30:14 | 人間(魅)力

__ 1970年代に、既に

『日本沈没』(海面上昇・大津波)や

『復活の日』(新型コロナウイルス🦠)、

『首都消失』(地球外知的生命体)

『エスパイ』(超能力・テレパシー⇒インターネット🛜に漏れ出る潜在意識)など、

映画化もされ、現在の地球が直面する死活問題をとりあげ、詳細なデータまで添えて、SF小説の形をとって予言した作家、

小松左京は、偉大な作家であり知識人であり教養人である。

 

SF作家の体裁をとりながら…… 

文壇では高橋和巳や開高健、三島由紀夫などを知己としながら、持ち前のバイタリティーと探究心で何でもやってしまう。

漫画かいたり(松本零士と知り合う)、桂米朝と一緒にラジオ📻やったり、歌舞伎や文楽にも造詣深く、1970年の大阪万博(民俗学の梅棹忠夫・岡本太郎と出会い一緒に「太陽の塔」の内部構造を練った)や1990年の「国際花と緑の博覧会」でも活躍、関西国際空港にも関わり、「ベ平連」(小田実と出会う)の呼びかけ人となったり…… 

阪神・淡路大震災と東日本大震災の復旧にも、積極的に関わり続けた。

文壇にも科学界にも、財界人にも政治家にも、建築家・クリエイター・学者にも幅広く人脈を有していた。

 

そんな小松左京の、広範な領域での業績と旺盛な活動力に敬服した岡田斗司夫や唐沢俊一らは、

「平成極楽オタク談義 第六夜 小松左京」の中で、

荒俣宏立花隆宮崎駿を足して3で割らない」と評している。(wikiより)

とにかく、何んでも知っている、該博な知識量の持ち主であった。

マージャン🀄️が強く、ヘビースモーカーで、昼からグラスを傾ける酒豪でもあった。

関西をとことん愛した巨大な文化人だったと私は思う。SF作家なのに、古典芸能の「芸道小説」までモノしている。個人的には、気難し屋の稲垣足穂が彼を高く評価していたのが印象深い。

 

 

そんな小松左京の、しみじみとした述懐(約40年前の対談での発言)を書き残しておきたい。

 

>「自分は ただ土であって要するに人を生み出す役である。

なぜ人を生み出すかといったら、

生み出した子供が 要するに宇宙を理解したり、宇宙を動かして知るために生み出したんだということがわかっている『母そのもの』のような人もいるんです。

たいへん大きな女の人がいると思うんですね。」

 

 

…… なにやらまさに、酒井順子女史の言われる「男尊女子」みたいな感じがするので、彼女に触発されて書いた拙稿をまとめてみた。

 

 🔴昔日のオンナは怖かった
オトコだけが持つY遺伝子は、オンナのX遺伝子に比べて、かなり細いし短い。
遺伝学の研究では、Y遺伝子は時代と伴にますます縮小していっているそうです。(そのうち無くなるようです)

「女は全員、気が強い」(<酒井順子)のに対して、男は実に繊細な生き物なのです。
だから、女から立ててもらわないと男らしく振舞えないわけです。それが分かり過ぎるほど分かっていた女が、男を丁重にかつ丈夫に育て上げたのです。(身体も弱く、死亡率も女子より高かった)
「泣くな! 男の子でしょ」と常にハッパをかけ続けて、励まし続けて、女の望む姿に大事に育ててきたのが、日本の伝統 です。
そうやって男系Y遺伝子(自然界で貴重なもの)を大切に守ってきたのです。

頼り甲斐のある殿方のいないことが、現在の女性たちの不幸であることは言うまでもありません。
しかし、戦後の女性たちは、よく組織化された伝統を容赦無く壊してきたのですから、そうなるのは当然の帰結なのです。
昔は、自分用にあるいは自分の娘たち用に、立派な男を計画的に育てた、強く賢い女達が存在したということです。

女性の側も、おそろしいほどの鍛錬を欠かさなかったのです。大和撫子(やまとなでしこ)と敬意を込めて呼ばれたのは伊達ではないのです。いまさら貴女がたに言っても詮なきことではありますが。

 

 🔴男尊女卑のロールモデル

最近、
「男尊女子」(<酒井順子)という圧倒的な表現に巡りあった。
この、「男を立てる」女子の持つ、したたかな生存戦略が素晴しい。聖母性とか菩薩性とか無駄に憧れるまえに、この真に現実的な選択を見よ。こーゆー女にはとてもとても敵わん。
これと反対に男卑女子は、オトコを56し、みずからの本性をも56すということね。

内閣府の令和4年度版『男女共同参画社会に関する世論調査』の中の一項目、

「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」という考え方に対する意識調査では……
上記の「男尊女子」が、確実に「3%」はおられるという集計結果となっている。「どちらかというと賛成」という女子を含めると、約28%が「男尊女子」ということになる。
東日本大震災の直後の2012年には、この女性の賛成票がほぼ50%まで激増したことがあったそうです。


> 非常事態になった時に、伝統的な男女のあり方が最注目されたのでしょう。(酒井順子『男尊女子』より)


[※ 内閣府のHPで、「世論調査」を参照してください]

世の中が平穏な時代には、好き勝手にリベラルでも生きられるが、果して現在わたしたちの置かれている大変革の時代ではどんなものなんだろう。
もはや昔の伝統には戻れないにしても、しあわせなカップルは「あるべき姿」を披露しているようで、見ていても気持ちがいい。
まー、日本人はその失われつつある団欒を、皇室に求め過ぎるから残酷なんだけどね。

 

 

 🔴現代女の系譜
始まりは、
いま70歳代前半の「団塊の世代」の祖母たちです。彼女らの母親は戦中派で「青春時代」をもてなかった世代でした。そのせいもあり、娘には青春を謳歌してもらいたいとばかりに、随分と甘やかして育てたのです。
「彼氏と楽しんでいらっしゃい、お父さんにはうまく言っといてあげるから♪」
こうして、大事に自由な雰囲気で育てられた娘は、同じように娘 (団塊ジュニア世代) を育てて、その娘がまたまた同じように育てたのが「ゆとり世代」の娘でした。

戦後に恋愛が解放され、1960年代の半ばには見合い結婚と恋愛結婚の割合が逆転すると、
70年代には恋愛結婚の割合がどんどん高まり、
80年代になると、恋愛結婚の割合が 8割を超えます。
それはすなわち、恋愛、結婚、そしてセックスをも自己責任で行う時代の到来ということでした。
さらに、1980年代は、仕事を持つ女性がぐっと増え、「女の時代」などと言われるように、
アイコイ(愛・恋)結婚セックス仕事……と、若い女性達は忙しかったのです。
[※ 酒井順子『日本エッセイ小史』より]

…… 三代にわたって連綿と受け継がれた亡国の所業をひとつ挙げれば、「韓流ブーム」であろう。
このブームを生み出して牽引していたのは、「団塊の世代」の女性たち(お祖母さん)なのである。
そして、その伝統は娘と孫にも受け継がれて、いまも続く「Kーpopブーム」へと繋がってゆく。
BTSが、裏で(本国では)何を言っているのか、知らないわけではあるまい。
国を挙げて、日本を敵国指定して教科書でも偏向教育しているような国を親子三代で応援するものかしらねえ。

ー現代の女性は、何よりも擬似アイコイ(推しの男子)が大切だということを物語っている。

 

 

…… あいや〜、令和の日本婦女子に対する嘆き節になってしまいましたね。

幼い頃より女姉妹と同居していた男子はそんなことはないのだが、男所帯で同居する異性は母や祖母ぐらいだった男子は、「女というもの」への憧れを美化して、男特有のロマン主義という陥穽にはまって、どうしても抜けきらない傾向が強い。

ゲーテの云う「永遠に女性なるもの」で、女の不可思議さをもって「女神」に置き換えて、あやまった信奉者になってしまう。

 

ただ、小松左京の「大母性」についての上記の言及は、彼が「女シリーズ」というものを書いていた経緯からも、昭和の時代にはそうしたオナゴが間違いなく存在したものだと思われる。

子ども心にも、拝みたくなるような神々しい女はいたものだった。

そんな女性(にょしょう)を書き綴った懐かしい拙稿を二つばかり載せときましょう。

 

 

 🔴“彼に、猛烈に嫉妬したことがある”
[2013-04-19 23:32:50 | 玉の海]

> 「本当に愛したひとは三國さんだけ」

…… これは、かの伝説的女優・太地喜和子がのたもうた
昭和の時代精神と風土が産んだ、稀有なる女性(にょしょう)…… 
品よく、婀娜(あだ)っぽく、猫みたいに可愛らしく、並外れた感性で世の男性陣を骨抜きにした…
魔性とも云える、圧倒的な存在感を醸し出した妙なる演技者であった

 


五木寛之「忘れえぬ女性(ひと)たち」(婦人公論連載)

「太地喜和子は、どこか聖なる場所からやってきた女という気配があった~ガルシア・ロルカの影」より

強烈な個性の持主のように見られる彼女は、実際には自分がない人間なのかもしれない。その虚無の深さが、役者の才能というものではあるまいか。とかく男の噂の絶えない太地喜和子だったが、彼女のなかには男性への根づよい不信感がわだかまっていたような気がする。

太地喜和子の体のなかには、なんとなく昔の大道芸人の血が流れているように感じることがあった。同時にどこか聖なる場所からやってきた女という気配もあった彼女は自分が笑うとき、ガバッと大口をあいて笑うのが男心をそそるのだと言っていた。

(以下、1971年五木寛之が三十代で書いた雑誌の人物論から)>

太地喜和子は男っぽい女である。
 と、いうことは、官能的に見えながら、実はその反対の硬質の精神に充ち満ちた存在であるということだ。
 しかし、真に官能的である女、性的に卓越した女は、常に女性的ではない。表面的に女らしい女、セクシュアルな女に、本当の女はいない。この意味で太地喜和子は、本当の女になり得る可能性を秘めた、目下のところはそのどちらともつかぬ地点をさまよっている男っぽい女である。

> 夢野久作の小説をもし舞台か映画にするとすれば、そのヒロインには彼女が最もふさわしいような気がする。】

 


私の大好きな女優、高橋惠子にとっても、憧れの大先達であった
>どんな役柄でも女の情念を感じさせるその演技力は、私の大きな目標だったのです。


…… 高橋さんは、どうしてもお会いしたくて、太地さんに事務所を通じて連絡してもらう
そして、太地の自宅に招かれた時に聞いた言葉がこれである
>「私はね、女優としてサービス精神がある限り、見てくれている人に
『ああ、太地喜和子も家に帰ったら家庭があるんだろうな』と想像させてはいけないと思っているの。
だから、一生結婚はしないつもりよ」


……  昭和の艶っぽい姐さんと云えば、太地喜和子を想い浮かべる
年上の、溢れる母性も、蠱惑な娼婦性も、あろうことか聖なる少女性さえすべて兼ね備えた…
さっぱりした男気性の粋な姐(あね)さんであった
この、モテる女の代表格だった彼女が、19歳の時に、ぞっこん惚れ込んだ男こそ、三國連太郎である
太地はマリリン・モンロー、三國もデ・ニーロには匹敵するなぁ……

そういやぁ、彼女は現代の名優・十八代目中村勘三郎(コクーン歌舞伎や平成中村座を立ち上げる)をも育てたといってよい。19歳の勘九郎時代にゾッコン惚れられたが、歌舞伎役者としての将来を見据えて、彼女の方から身を引いたと云ふ。

―彼の演じた『釣りバカ』の鈴木一之助社長も、その自然なリアリティーにゾッとすることがありました
企業のトップに襲いかかる、途轍(とてつ)もない孤独感と、熱き一人の人間としての釣り道楽…
そのハザマに揺れ動く、落差の表現が恐ろしいほどリアルだった氣がします
ご子息の浩市もよいですネ
血はあらそえぬ物です

―名優と呼ばれた方々は、なぜか癌で亡くなることが多いと感じていましたが…
三國さんは、そーではなかったし、御歳九十をむかえられました
やはり、どこか違うのだと思います
―勘三郎の、【永遠に女なるもの】でもあった太地喜和子…… 
伊勢白さん(私注;伊勢白山道リーマンさん)も、お人がわるい♪
私の初恋の人のおもいびとは、川崎麻世でした
長身で脚が長いのです(私注;当時リーマンさんが、足が長い川崎麻世似であることをご自分で言っていた)
そしてまた、昭和を象徴するイイ女のおもいびとを記事になさるなんて…
美智子さまをお射止めになられた今上陛下にかつて嫉妬したよーに…
またも、埋み火がメラメラと…
静観、静観とばかりもいきませんが…
こんなにも心掻き乱す魅力的な人物を輩出する、日本とゆーお国柄がたまらなく好きです

 
 
 
 🔴『肝っ玉かあさん』の聖母性
[2009-07-10 11:44:24 | re; 玉ノ海]

映画『三丁目の夕日』を観て、昭和の匂ひ(有機的な臭い)がしないのは仕方ないにしても、根本的に何か足らないものを感じたが…… 
 
読者さんのご投稿を読んで、はたと膝を打った!
そー、あそこには…
『京塚昌子 (1930-1994) 』的な本質がなかったのだと...
若かりし頃は細身の美人だったことを偲ばせる彼女の美しい和顔♪
この女人の前では、悪いことは出来ないなと芯から思わせる、圧倒的な存在感―慈しみで出来ているよーな御方であった
それに、なんとも云えぬ艶っぽさも兼ね備えていらした(カナリ、ぉモテになったと聞く)
平成の御世には、『京塚昌子』は、もはや見られない(*┯_┯)…ウッ

> 恰幅が良く割烹着の似合う母親役で絶大な人気を誇り「日本のお母さん」とも呼ばれた。(Wikiより)

…… 小・中学生時分、ぽっちゃりふくよかな女子は、
教科書に載った ‘正倉院樹下美人の図’ にちなみ…
天平美人とか平安朝美人と、からかわれたものだが… 当時私は、そーした佳さが微塵も分からない奥手のガキであった
年を経て、目の前から消えて初めて、強烈にあの日本そのものでもある女性性を懐かしむ

昭和元禄と云われた時代、家庭の母なる人と水商売の人とは截然と分かたれていた
子どもの眼からみても、化粧や仕草に明らかであったものだ
―化粧は古来、禁忌(タブー)と密接に関わる
大雑把にいえば… 近づいてはならぬ者を一目で分かるよーに施されたのが「化粧」の始まりである
例えば芸人は、推参(押しかけ)が許されているが… 社会の埒外にある者として、差別マークとして化粧せねばならなかった
それが今や、良いのか悪いのか総芸能人化している

かなり水商売寄りの聖母性では…
田宮二郎主演『白い巨塔(1978-1979)』での愛人役・太地喜和子が忘れられない
 
>財前五郎の愛人、花森ケイ子を演じた太地喜和子は素晴らしかった!財前の母への思いやりが深くて、愛人としての立場もわきまえた細やかな態度は度を越えて美しく不思議な母性を感じさせる。すべてにおいて大人の女としての格が違う、そんな演技を魅せてくれました!(立木義浩)

……  “五郎ちゃぁ~ん♪” と微笑みかける彼女の声音が、いまでも耳に遺っている
和歌山生れの彼女は、熊野の国津神つながりか、青森の淡谷のり子の生涯を演じたこともある
 
 
 

淡谷先生♪は、
>戦時下で多くの慰問活動を行い「もんぺなんかはいて歌っても誰も喜ばない」「化粧やドレスは贅沢ではなく歌手にとっての戦闘服」という信念(Wikiより)
で歌われた女傑である
山田五十鈴といい、綺麗で性根の怖い、深情けな『いい女』がいらした時代であった
[※ 太地喜和子は、山田五十鈴の隠し子だという噂があった、当時の文学座の先輩・悠木千帆(樹木希林)は太地が酔ってそう言ったのを直接聞いている]
まるで鎮守の森の如くに巨きく深く神秘的な―“ たいした魂消た! ” この二人の独身女たちを想い起こした
 
 
 
【ドラマ『肝っ玉かあさん』撮影当時、彼女はなんと37歳だった】
 
 
…… あくまでもひと昔まえの素懐なのだが、十何年も前の拙稿になりますね。当時の跳ねるように弾んだ文体を、なにやら懐しい思いで見つめている自分がいます。
おなごに対する根本的な認識は、いまも変わっていないと思います。
ただ、最早それを熱く語ることはできない。
それを体現した幻想の女人は、御二方ともに、生涯独身女だったことは、いま思えば意味深長であります。
いまの世界にはそんな女人は存在しないようです。
 
でも、平成〜令和と、日本女性は本当に綺麗に変貌したと思います。これは、偽らざる私の心情です。
小顔になって、スタイル(フォルム)も麗しく、よくもまあ30年ばかしの短期間で変わりおおせるものかよと感嘆すること頻りであります。
 
ただ、いまとなっては、昭和のオネエサンがたに抱いた息詰まるような女性への憧憬は無くなってしまいました。
宗教性も変わってきたからでしょう。
女神といっても、女夜叉やカーリー母神、はたまた玉藻の前や妲己(九尾狐)やダキニ天のような魔性も実感するからです。
そのへんの、お隣のお姉さん的な女性にも、束の間垣間見られることは往々にしてあります。
「男は夢と寝たがるが、女は男としか寝ない」
…… これ即ち、つねに生身の女の怖さが、凄みが分かるようになったということでしょうか。
 
これからの、変革の時代、いや圧政の時代かしら?
女たちが、どのように変貌して進化してゆくのか、なにやら楽しみでもあります。
他人事みたいで、申し訳ありませんが、男子も男子で切羽詰まった展開を強いられています。
 
インセル(弱者男性)にミソジニー(女性嫌悪)…… 
素直に自分の母親を尊敬するマザコン男子(決して卑下しているわけではない)は増えつつあるが、
果して私たち男性は、小松左京のいう「宇宙を理解したり、宇宙を動かして知る」存在にまで到達しているだろうか?
本当は、そーした境涯に辿り着いてこそ、女性たちの大地母性が生きるのである。
 
 
 
 
あらゆる局面において、その大母性のお蔭を決して忘れてはなるまい。私もまた、小松左京に倣いて「未来をあきらめない」大阪魂を忘れないつもりである。
伊勢白山道に拠れば、小松左京は「啓示をうけた人」であるそうだ。
      _________玉の海草
 


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