__オリンピックとパラリンピック
目指す処は同じだから、交わってもよいはずだが、なかなかそーはならない
ハンディキャップの有る人と無い人とでは、同じスタートラインに立てない
同じ条件下での競技とゆーのは、難しいとゆーより、あり得ない
ところが、ハンディとなるはずの義足が、高性能すぎるのではないかと「ドーピング」扱いされるほど、物議をかもしている選手がいる
そんな、ド外れた選手〜 パラ陸上の走幅跳びの世界王者マルクス・レーム選手 (ドイツ)みたいな「異能」(孫正義が提唱)のひとが顕れると、目の前に広がる世界最高の競い合い(本来はオリンピックだが)の様相が俄然面白くなる ♪
【画像:「パラサポWEB」より】
あの、ケンタウロスの脚を思わせる、カッコイイ義足で踏み切って、なんと8m48cm(2018年)…… いや、今年6月の欧州選手権では、8m62cm (2021年)
健常者のオリンピック金メダリストの記録を凌駕してしまった
このレーム選手、ただのアスリートではない
『Mr. サンデー』で、東京大学大学院の中澤公孝教授が2016年にマルクス・レームの脳をMRIで検査した際の画像が映し出された
レーム選手は、右に ブレード(競技用義足) を付けているので、通常ならば左脳で制御する交差反応が出るはずなのだが……
レーム選手の場合、右脚なのに右脳も大きく活性化していたのだ、それだけではない、健常者のアスリートと比べても、競技の際につかわれる脳の部位が左右とも広範囲ではるかに多いのだ、身体の欠損を補填するために、脳の使い方も再編成される…… 中澤教授は、この現象を 「パラリンピック・ブレイン」 と名付けておられた
レーム選手は、そのブレードが板バネ構造となっており、健常者の膝の跳躍力よりも有利なのではないかと疑われて、健常者の競技大会には出られないでいる
オリンピック委員会は、その「ブレード」が競技に与える影響を自ら調べることなく、パラ選手個人に「ブレード」による有利さは無いと証明せよと、意地悪にも難問を突きつけている有様である
たしかに、凄い反撥力を生むブレードだと見てわかるが…… ブレードを付けた選手の誰もが健常者なみの記録を出しているわけではない
8mを超えるジャンプは、レーム選手しか成し遂げていない
つまり、そのブレード(板バネ)の使い方が、世界最高の熟練度なのだと思う
膝から下が無い状態で、ブレードに慣れるだけでも至難の業である
そのブレードの反撥力を最大限まで引きだす踏み切り方は、凄く難しいのだと云ふ
レーム選手は、ブレードのある脚で踏み切っているから、尚更であろー
いったい如何なる修練を積んだものだか、これは達人技だと直観した
そもそも、何が彼をココまで駆り立てるのか?
これは、道元さんが「修せざるにはあらはれず」と仰った消息ではないかと私は思った
天台(比叡山)の本覚思想に疑問を抱き、本来仏ならば何故修行するのかを突き詰められた道元さんである
この大疑団に対するお応えが、上記の「修せざるには顕れず」なのだが……
さっと、当時(道元さんは西暦1200年生れ)比叡山に参集していた僧侶が、どのよーな心持ちで仏道修行に打ち込んでいたか、遡ってみよー
(拙稿)>道元さんは、比叡山での二年間の修行時代…
衆生本来仏であり、すでに悟っているものであるなら、
どうして今さら真理を求めて修行しなければならないのかと…
大疑団を起こし、随分と懊悩された挙げ句、遂に叡山を下山されている
『涅槃経』にある「 一切衆生悉有仏性 、如来常住無有変易」(すべての存在には仏性があり、仏は常に存在して変化することはない)…
『法華経』譬諭品第三にある、釈尊のお言葉、
「今此の三界は皆これ吾が有(う)なり。その中の衆生は悉くこれ吾が子なり」
(この世も衆生も皆、私自身であり、私の子なのだ)
あらゆる存在は仏(如来)を宿すとゆー 如来蔵 思想である
天台宗の「本覚」に云う「草木国土悉皆成仏」 (草も木も皆、仏である)、
真言宗(空海)では、「即身成仏」 であり「法身説法」に繋がる
つまりは、すべての存在に仏性がある以上、いつかは誰でも仏に成れるとゆー認識である
本来が尊き仏性を有するのに、なにゆえ苦労して修行なぞせねばならんのかとゆー至極もっともな疑問であった
‥‥ その疑問に対する道元さんのお応えが、『正法眼蔵』弁道話の内にある、曰く
> この法は、人人の分上にゆたかにそなわれりといへども、
いまだ修せざるにはあらはれず、
証せざるにはうることなし、
はなてばてにみてり……
《私注》 この仏法(仏の叡智・真理の法)は、人皆々の身上に豊かに備わっているというものの、
未だ修行しないことには現れることなく、悟りの境地に至らないことには(仏法の奥旨を)得ることがない、
放てば手に満てり(握りしめているものを掌から手離せば、総てを手に入れて満たされるであろう)
‥‥ 面白い宗教評論を書かれる「ひろさちや」さんのご見識も窺ってみよー
>「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させるのです。
身心脱落 させるのです。
そして、悟りの世界に溶け込む。それがほかならぬ「悟り」です。
道元は、如浄の下でそういう悟りに達したのです。
だから、わたしたちは、悟りを得るために修行するのではありません。
わたしたちは悟りの世界に溶け込み、その悟りの世界の中で修行します。
悟りを開くために修行するのではなく、悟りの世界の中にいるから修行できるのです。
「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だから修行できる。それが道元の結論です。
‥‥ 「放てば手に満てり」は、ヒンドゥーのアドヴァイタでは 「自我を手放せば真我に満たされる」 とも読み取れる
映画『パラサイト 半地下の家族』で、いい加減な親父が云っていた秘訣にも繋がる
> 「なあ、絶対失敗しない計画って分かるか?
‥‥ 無計画だよ、無計画。
“ NO PLAN ”
…… なぜか?
計画したら… 必ず… 計画どおりに行かないのが人生だ。
ここもそうだ。…… (略)……
だから、人間計画すべきじゃない。
計画がなければ、失敗することもないし、それに……
そもそも何の計画もないから、何が起きても気にしなくていい…… 」
‥‥ 「人生に意味は無い」、人生に意味を求めると、どーしても人生を限定してしまうのが真実らしい
「放つ」と「手に入れる」ことが出来るとゆー逆説は、「急がば廻れ」も同じ消息だが…… もーひとつ、三島の龍澤寺(東嶺禅師開山)の 山本玄峰 の法嗣である、東大出身の禅僧・中川宋淵 師が面白いことを云っておられた
[※ 伊勢白山道の見立てに拠れば、山本玄峰は栄西禅師に似た「政僧」であるが、力量のある禅匠で、終戦当時は、鈴木貫太郎首相が参禅の弟子であり、「玉音放送」にある「耐え難きを堪え、忍び難きを忍び」の一節は玄峰老師の言葉を採ったものだと云われる]
さて、「蚊に血を吸われない為には、どうすれば良いか?」
この公案の答えは、「自主的に自ら進んで、蚊に血を吸わせてあげる」ことである
まー、戯れ言みたいな風情(法隆寺を建てたのは誰か?ー聖徳太子✖️ー大工○みたいな)は免れないかも知れないが…… 臨済宗の専門道場の師家(禅マスター)はいたって真剣なのである、彼らは決して自分に寄ってきた蚊を殺すことはない、禅僧としての戒律を守っているのである
ーレーム選手におかれましても、足を失って義足で補って尚、世界ナンバーワンの記録に挑戦する、その志は「自ら限界を設けない」処にありはしまいか
「修せざるにはあらはれず」、彼は記録に露わした
やっぱり、握っていたものを手放したのだと思う
脳のつかう部位を変更させるほどの精進、わたしには宮本武蔵と同じ匂いがする
そのくらいの偉業なのではないかと……
彼しか、その精妙な身体の操りかたをマスターしていない、ブレード足で8mを跳べるのは彼しかいないことが、それを証明している
身体の欠損を補うために義足をつけて、それに適応する身体を造り上げ、欠損する以前よりも素晴らしい記録をつくる
カンタンに云ったが、到底人間業ではない、まるで夢物語である
『攻殻機動隊』 とゆーアメリカでも大ヒットしたマンガがあったが…… 主人公 草薙素子 は、「義体」と云って「脳」以外は機会仕掛けのアンドロイドなのである
人間とアンドロイドの合体ゆえの葛藤がテーマのよーだ、素子もまたどこまでも「人間の限界」を越えて突き進んでゆく
マルクス・レーム選手のよーに、義足の方が高い運動能力を発揮できるのなら、軍事利用されるのではあるまいか、最早個々の肉体をつかった白兵戦は行われないであろー
人型AIアンドロイドか、補強パーツ(戦闘スーツ)をつけた人間との地上戦となろーか?
そんなところまで、突き詰めて人類に考えさせた一点だけでも、レーム選手は突き抜けた、伝説のアスリートである
オリ・パラ東京大会では、惜しくも、健常者のオリンピック金メダリストの記録には及ばなかったが、パラリンピック3連覇おめでとう 🎊
【この静謐たる佇まい、只者ではない】
マルクス・レーム選手、わたしはあなたの天才を愛する
_________玉の海草
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