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『 自然は全機する 〜玉の海風〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「生きてるだけが仕合せだ」🍎

 大好きな 当今 (とうぎん) に捧ぐ〜 ご皇室にふさわしいアナウンス考

2022-04-11 00:00:06 | 日本語

__ 昭和大帝の御語り口は、じつに魅力に溢れてあらせられた。先帝陛下もまた、ご自身で分からないながらもご神事に御命懸けで向かい合れる御姿と年々と重ねられる翁顔が歴代最高の御笑顔であらせられて、じつに見事な第125代と御成遊ばした。

さて、開かれた皇室に玉体をもって体当たりで臨まれた二代の天子のおせなを眺めながら、わたしたちと同じ時代を歩まれて来られた 浩宮さま ……   ほかならぬ陛下に、わたしの想う天子の現れ方を建白書のかたちで、ご奏上させて戴きたく存じます。

 

●  “ ほんものの氣品とは? ”

 

敬語も文語ではわずらわしいし、万が一不敬があってもいけないので、香家の比喩で話を進めよー。

 

香位にある今ちゃんの愛娘が、インタビューに応じた。この娘は賢くつつましくおっとりとして、あたかも「大和撫子」の幻想を彷彿とさせる雰囲気(いまどき珍しい )をもっている。

今ちゃん嫁が、手塩にかけて育てた「秘蔵の玉」である。

香位継承権トップのセカン(No.2)の娘は、美人姉妹でヤング香族として嘱望されたが……

姉は異国へ駆け落ち、妹はアイドル的な人気を誇ったものの、何か立居振舞いに香族らしさが足りない。

うわずった感じの鼻にかかった声が幼く、口跡が冴えない。

セカンと嫁との大学生交際とゆーか、キャンパス・ラブは、思い出すだに微笑ましく、ある種理想のカップルにみえた。

次男ゆえに、割と自由な交際が認められたと思う。もちろん私はこの二人を応援していた。

今ちゃんとセカンの兄弟間の星廻りが、私と実弟との星廻りとぴったり相似形であり…… セカンの行き方は本当にわが賢弟に似ていた。

私は、仏教(聖徳太子)の影響色濃く霊的なタイプで、あらゆる神秘学を漁ったが、不思議と神道(伊勢神宮と白山神社)だけには全く縁がなかった。

セカンの彼女は、音無しめの仄ポッチャリタイプで、素朴な髪型もあいまって、もろに私のタイプであった。

「よかったなあ〜、セカン 」と心から祝福した。

聞けば、彼女は琉球の「御嶽(うたき、沖縄の聖地・神社的空間)にぞっこん惹かれて参拝を繰り返していたとか。

彼女が惚れ込んで、習った「琉球舞踊」の女師匠は、琉球武術・御殿手の名手・上原清吉も認める、舞の名人である。

コノ御二方は、「武」と「舞」の極意を共有しているのである。同じなのである、

その昔、柳生石舟斎と金春七郎とが、新陰流と金春流(能楽)の秘伝を、おのおの披露し交換した逸話を思い出す。

この時伝授された金春流の口伝が「西江水(せいごうすい)……

週刊新潮に連載され、洛陽の紙価を高からしめた剣豪小説の名品と云われる、五味康祐『柳生武藝帳』のなかで……

柳生但馬守がさりげなく垣間見せる所作が、新陰流の究極の奥義「西江水」であったものだ。

かくの如く、セカンの嫁にはかなりの霊的素質が備わっていたに違いない。

ただ、御嶽(伊勢白山道では参拝禁止)への執心は、後年の「金毛九尾の狐」を御所に忍び込ませる呼び水となったやも知れん。

 

あの、見るからに信頼できる学究の貌をされた大学教授を父にもつ、セカンの嫁が、結婚後子等を授かり次々と出産した過程において、何があったのか、私は存じ上げないが……

彼女の、あの温かみのあった平安朝的な丸顔が、みるみる痩せ細って、ショートカットで瞳に険をふくむ貧相な顔へと変貌していったのは何故なのか……

しみじみと残念である。

残念ついでに、あの甘ったるい幼稚な話ぶりは、娘たちに受け継がれた。

人生の途中から、香家に入る一般人と、生まれながらに香家として育った者は、根本的に出来が違うのだ。

いくら先代のお上さんが、社長令嬢としてセレブに育てられたとしても、神主をしている生まれながらの香女(389)とは、そのおのずから放たれる威において、雲泥の差がある。

先先代の大葬において、直系の香女の醸し出す品位は、到底人間のものとは思われなかった。

微塵も小揺るぎのしない坐位と凜とした立ち姿、あれこそまさに「高貴」と呼ぶに足る。

国際大運動会を誘致するために、演説した久姐は、その点、やはり華族の家柄だけあり、(外国語での)話し方・目配り・所作・歩き方すべてに「ハイ・クラス」の気品を纏い、すこぶる見事なものだった。

しかし、庶民から嫁いだ者は、俄に糊塗することは叶わない。

香家のワン・ツーの嫁は、ともに庶民だから、精神を病むほどに「お上修業」が過酷なものとなる。

 

もちろん、高貴な血を継ぐ香家として、土俗の一般人とどこが違うのか、格の違い・位の違いを恒に見せつけなければならないわけだが……

気品は意識して出せるものではなく、実際の処、現場ではどーなのだろー。お目にかかると、その威に震えるなんて本当にあるのだろーか。

香位にあれば、祖霊が憑依して顔つきまで変わるものらしいが、その他の香家の者はどーなのだろー。

香位につく者は、その血筋(霊的素質)をもち、そのよーに育てられた者でなければ適わない。

何故なら、男とゆー生物は、ある日突然王位につけられても、王である自分を受け入れられずに四苦八苦するものらしい。慣れるまでオドオドしている。

卑近な例えだが、いきなり社長の椅子に座らされても、すぐには社長として振る舞えないのだ。

女はそーではない。いきなり王位につかされても、次の日には既に「女帝」としての貫禄を帯びて、平然と女帝然として振舞えるものだと云ふ。

則天武后とか歴代の悪女の、最高権力者に成った際の切り替えの速さは、それは見事だったとか。

だから、香家の男子には、長い年月をかけて、香家のしつけ(宮様教育)を施さなければならない。

 

まー、手っ取り早く香家の気品を感じさせるのは、言葉遣いだが……

今ちゃん娘は、品よく言葉を噛むこともなく付け焼き刃的な言い回しも感じられず、全体として印象がよかった。

わたしが、香家のスピーチで不満なのは、あの決まり文句の型である。

…… …… と思いますと共に」とゆー独特の接続の仕方とか、(「私は…… …… と思っていて」とゆー庶民の言い方と似ている、何で一旦切らずに繋げたいのか)

…… …… をもってお祝いの言葉と致します」とか、如何にもそらぞらしく聞こえる。

思えば、昭和の香位トップの翁は、訥々として自然で高貴であった。音吐朗々と語りかけになられた。

「生き神様」として帝王学を施された最後の人だったからか。

生まれながらに香家であるとは、どーゆーことなのであらーか。香家なのに、いまはまわりにも敬語をつかう。謙虚なあまり、庶民と見分けがつかない。

「ございます」とか丁寧に表現するが、香家がこれほどオープンにされていなかった頃は、つまり御簾(みす)越しにお言葉を賜ったときなどは、いかなる言葉遣いであったのか。

もーちょっと香家らしい美しい言い回しがありそーなものだ。あれじゃあ、丁寧なだけで何ら庶民の言葉と変わらない。

 

わたしは、こんな時、下々の者どもとも対等につきあった唯一の帝・後白河院のことを思い出す。

院の愛唱なされた「今様」の節回しが現在まで伝承されていなくて、つくづく遺憾なのではあるが……

河原者や白拍子とか道々の輩(ともがら)等々、祇園女御にしても、身分外の無生産者(非納税者)まで集めて、今様を共に競った。

どんな言葉遣いで、それらの者と会話なさったのだろー。

後白河院は、敬語なんかお使いにならなかったのではないか?

敬語は、長くゆっくり言い回すことで特別感を付与するよーな塩梅である。言うに言いにくく、聞くに聞き取りにくい。

例えば、「〇〇される」と聞いても、敬語の「される」なのか、受動態の「される」なのか、一聴してすぐに見分けがつかない時がある。

二重敬語なんてのもあるし、複雑多岐にわたる厄介な代物である。

関西圏みたいに、「〇〇してはる」で敬語を統一すればよさそーなものだが、あえて複雑さが尊ばれる。

とにかく、公の席での、香家としての言葉遣いも考えてほしい。一般庶民と大差ないのを、「香家」として崇め奉ったりしませんよ。

今ちゃんは、生まれながらの純粋培養だったから、即位まえから、おのずからなる氣品をまとっていた。

それは、エリザベス大姐さんに特に可愛がられたことからも分かる。

直に拝謁を賜わると、物凄いオーラであると仄聞する。香家ならではのそーゆー権威を纏う人は心配いらない。

問題は、香家一族の郎党の方々である。

日本貴族として、世界の社交界に隣席して、セレブのオーラを圧倒する氣品をもつ者が、果して何人いるだろーか。

日本は、政治家も貧相なら、香家一族もそーである。

体格でも劣る日本ならではの貴族のあり方ってあるはずだ。

 

 

●  “ 心あるご香族の足下へ奏上あれかし

 

ー初めに、お断りしておきますが…… 以下は空想物語につき、敬称を省きます。

 

先に、香族の公的なアナウンスは、不自然な丁寧語や堅苦しい言い回しで、違和感があると申し上げた者です。

ならばどのようにしたら良いのか、私自身代案といいますかご提案を奏上していなかったので、ここに付け加えます。

 

香室のアナウンスが、庶民の言い回しとほとんど変わらない点について……

まず、庶民の公的なアナウンスは、いかにして現在の形になったのか、ザッと振り返ってみたい。

 

昭和世代の校長先生や会社の社長らの挨拶は、晩年の森鷗外の小説調で、漢語の多い武家言葉に似た感じで、簡潔な締まりのある格調高い言い回しで喋っていた。

日本文学(小説・詩・短歌等)を下地にして、素養としての『論語』とか外国(世界)文学のよく知られたエピソードとかを織り交ぜて、言葉が選ばれているだろう。

小説といえば、鷗外・漱石が双璧となろうが、ここから大谷崎〜芥川〜川端康成〜三島由紀夫とつづく、文学界をリードした東大閥作家の影響は大きい。

わたしは志賀直哉は、一読簡潔で端正なる名文と感じた覚えがあるが、泉鏡花にしても、日本の名文には漢学の素養は欠かせない。

和漢洋を束ねた幸田露伴のような碩学もいたが、やはり名文の基本は、晩年の鷗外のような簡潔にして漢語を織り交ぜた格調な高い文章であろう。

漢学者の家に生まれ、素読を叩きこまれ、純粋培養された天才・中島敦なんかは、典型的なすっきりした日本語の名手ではなかろうか。

昭和の時代までは、きまりきった様式があるように思えた。

戦前から続いている、何か伝統めいたものがある。

 

では、この格式張った硬い感じのアナウンスはどこから来ているのか?

もちろん戦前の軍国教育の影響はある。

明治開国から昭和まで、途切れることなく続いた海外列強との戦争によって、軍部の権限が拡大して、軍人の考え方が日本国中で幅を利かせるようになった。

つまり、軍人調の簡潔で硬い話し方が流布された。

江戸時代の寺子屋、武家の藩校、芝居小屋(歌舞伎)寄席(落語、講談等)

幕府の官学は、漢文の「朱子学」

少年期の徳川家康をささえた軍師・太原崇孚(そうふ)雪斎は、臨済宗の禅僧。晩年は天台宗の天海僧正。家康公は鎌倉の源頼朝公を武家棟梁の鑑として尊敬した。

仏僧は、漢文を重視する。

時代は飛んで……

鎌倉時代、初めての武家政権・鎌倉幕府が発足する。

時あたかも、鎌倉新仏教の勃興と同期する。

新しい宗祖たちはほとんど、比叡山で学んだ後に立宗した。「日本的霊性」が発露したと云われる激動の時代である。

鎌倉には、蘭渓道隆等の宋国から渡来した禅僧が活躍した。武士と禅は相性がよく、武士道の精神性にも多分に影響があった。

つまり、この時代より「漢学」が、武家の素養として浸透し始める。

後年、本居宣長が国学を確立するために排斥した「漢心(からごころ)を、幕府ぐるみで国を挙げて受け容れた。

この漢訳仏典の受け入れ方は、かなり心の奥処にまで至った密度の高いものだったようで、鎌倉新仏教に刺激をうけて、この時代の古神道は柄にもなく理論書めいたものを出版することになる。

哲学がなかった「神道」に、宋学(氣の哲学)を礎として、明確な分析と分類による世界観が見られるよーになった。

 

日本語のターニング・ポイントは、この鎌倉時代だと思う。

平安朝から連綿とつづく和歌の文化、雅びな「ヤマト言葉」は、大陸渡来の漢語に押されて、公卿のたしなみに追いやられたと見る。

その結果、武家言葉は漢語が多い、簡潔で硬いものに変化したと思う。

 

私の主観にもとづき、ザッと歴史的に概観してみたが…… 現在の庶民の言葉感覚は、鎌倉に淵源をおく武家文化のなかで養われたと言ってよいと思う。

武家=潔い=簡潔な表現=漢語を好む

よく時代劇で耳にする決まり文句「恐悦至極に存じます」などは、ほとんど漢字熟語で出来ている。

 

いよいよ次は、公家コトバに触れてみたい。

俳優・梅津栄が、時代劇にとりいれた「おじゃる言葉」は、室町時代の京都のことばで、当時公家も庶民もつかっていたらしい。

他には、宮中や禁裏でつかわれた女房言葉御所言葉

ex. おかか・おかき・おかず・おこわ(飯)・おつくり(刺身)・おむすび・おでん・おつけ(吸い物)・おひや(水)・おむつ・おまわりさん/おめもじ・そもじ・あらしゃります・ごきげんよう]

他にも、女子学習院でつかわれた「華族ことば」もあるよーだ。(「よろしくってよ」は、「お嬢様ことば」ではなく幕府の「御家人ことば」だそうです)

 

さまざまに枝分かれしているが……

さすが風雅な京都人、角のとれた丸い発音を自然と好まはりますなあ。

関西・近畿は、ことばの発音が関東に比べて柔らかいのが特徴ですね。

 

将軍家の武家言葉と、京の宮中の公家コトバ

明治のミカド親政の流れを引くわけだから、本来なら香()軍と呼ばれた軍隊の軍人コトバ(武家言葉)と香居の公家コトバは、並び立つはずである。

それが、敗戦とともに、公家コトバは、香族花族の伝統とともに消えてしまったのである。

そして、形ばかりの貴族が残った。

国会予算から捨て扶持を充てがわれたような身分では、到底、香族の存在意義たる第一義(祭祀)をまっとうすることは出来ない

そんな、相矛盾した現状をよくよく鑑みれば……

香族としての、公的なアナウンスは、ますます無味で無難なものとなりかねない。

そこで私の結論は、こうである。

 

「漢語を極力とりさって、柔らかく大和言葉を意識する」

 

この間のアナウンスを例として聞いてみると……

「皇室は,国民の幸福を常に願い,国民と苦楽を共にしながら務めを果たす,ということが基本であり,最も大切にすべき精神であると,私は認識しております。」

とか、哲学的に庶民のインテリ目線で話すのも感銘深いが…… 香族らしさはちょっと違うようにも思う。

例えば「香家では、なによりもおほみたから(大御宝)のしあわせをいのり、おそばによりそいながら、おつとめさしていただく、これが香家に代々うけつがらているみこころ(御心)でおじゃります」

無理やり当てはめた感もあるけど …… 関西弁まるだしの抑揚で噺家みたいに仰るわけにはいかないが、主な特徴はこの中に含まれている。

先ず、まろやかで優しい、漢語がないから連想がスムーズで絵が浮かぶ、柔らかくて明るい調子(抑揚)であること。

角の尖った言葉は一言もない。

「京ことば」というか、「御所ことば」総動員して、とにかく柔らかな「大和言葉」を前面に出すこと。

庶民の日常生活は、漢語・熟語に溢れていて、素早く伝わるゆえに、言霊の響きを無視して、短くて荒い言葉を連発しがちである。

それゆえ、せめて香族の方々におかれましては、日本の言葉本来の響きを十二分に披露していただきまして、忙しない世の中に、束の間、寛い心持ちをもたらして戴けますと有り難い。

簡単なことです、漢心(からごころ)を去って、「大和ことば」に真心を乗せることです。

 

つらつら思い巡らすうちに、

うちの近くにある八幡宮の宮司のお姿を、香族の方々のアナウンスに重ねてみていた。

この神主は、わたしの先輩なのだが、同窓会が「厄祓い」の年にあたると、代々の同窓会幹事がこの神主に頼む。

さて、メインの祝詞奏上が済むと、くつろいで、皆で神主のお話しをうかがう。

ゆるゆると始まる神主のご挨拶は、お人柄から来るものもあり、多少の滑稽みとともに、可もなく不可(不快)もなくゆっくりと進み、それが決して退屈を催すことなく、ゆるゆると流れてゆく。

いわゆる、毒にも薬にもならない話しが絶妙な面影を映し出して、何か縁側の陽だまりにくつろぐ猫のような気分になって、そろそろ飽きる前に幕を降ろすのである。

その、ぬくもりある空間が、いかにも「厄祓い」された、目出度い日常に受け継がれてゆくのであった。

それは、クライマックスもなく、晴れ晴れとトトノウのである……

しかし、あとを引く余韻が長くほのかに続いて、なんとなく「よかったな」となる、そんな香り立つ神事が営まれる。

榊のかほりでしょうかね、ほのかな苦みがアクセントになっていました。

そんな余韻棚引くアナウンスが、香族の方々にはふさわしいのではあるまいかと愚考するのです。

いくら寄り添おうとも、あなた様方は一般人にはなれない、苗字のない庶民などいないのだから、違いは違いとして生かして頂きたい。

 

__ たとえ話とはいえ、随分ご不快になられた箇所もおありだったと存ずる。大変、申し訳ないことでございます。つつしんでお詫び申しあげます。

天津神とは無縁の、まつろわぬ民の血筋であった可能性の高い私だが…… なにやら白河院とは一縷のご連枝があるやに耳にしているので、なんとなくご皇室に奉り純粋な思慕を懐いている思いは芯底にあると存ずる。

その、偽らざる畏敬の念い、ただその一点をお汲み取り賜りたく存じあげます。

           _________玉の海草

 


 いやな日本語〜 「感謝です」 に再ダメ出し❌

2022-01-27 12:11:30 | 日本語

__ブログ『伊勢-白山 道』に投稿して、掲載されたものと不掲載だったものをまとめてみる。個人的にはよく出来ていると思ったのだが…… 

 

「感謝です」は、敬語ではない

ーこの間、新庄ビッグボスがこう発言した

「報道関係の皆さんが球場に来てくれることによって選手の気合の入り方が変わることに【感謝です】」

 

個人的には、「感謝のことば」には敬意を込めるものだと思う

そして、「感謝のことば」は、ぞんざいな話しぶりであってはならないと思う

 

それで、私は「感謝しております」を使うのだが……

この場合、「おります」と謙譲(へりくだり)の表現を添えているので……

「感謝しております」は、敬語である

それに対して、「感謝です」は、普通に気持ちを述べているだけで、尊敬あるいは謙譲の意味は含まれていない

つまり、「感謝です」は、敬語ではないのである

「感謝」に「です」を付けただけの丁寧語である

 

同じような言い方に……

・「お世話様です」(目上には使えない、メールの冒頭にも使えない)

・「お疲れ様です」(秘書検定では、目上にも使ってよいとされている)

・「ご苦労様です」(目上から目下にしか使えない)

・「恐縮です」(この言葉自体に身を縮めるような畏れや謙虚さを含んでいるため、正式な場でも使ってよい)等がある

 

わたしが、そのなかで特に「感謝です」という言い方に、異様なほどの違和感を抱くのは何故なのか、いままではっきりと分からなかった

しかし、どうやら「感謝です」という言い方には、当然あってしかるべき「敬意」が込められていないことにようやく気がついた

「感謝」という厳粛な気持ち、真心をこめて発するのが「感謝のことば」なのだと思う、そこには相手に対する敬意が伴うはずである

 

たとえば「生かして頂いてありがとうございます」は、「頂いて」が謙譲表現、「ございます」が丁寧表現で、立派な敬語である

神に対し奉っても、ご先祖に対して発しても、ふさわしい言葉・言い方となっている

それに対して、「ご先祖様に感謝です」と言ったらどうなのか

「ご先祖様に感謝します」でも同様である

要は、この二つは普通の丁寧な言い方なのであって、そこに敬意は込められていない

「感謝しております」「感謝いたします」ならば、謙譲の意味をもった敬意表現である

「感謝する」で、一語の動詞なのである

その「感謝する」を丁寧に言ったものが「感謝します」である

そして、動詞の「感謝する」の頭のみ使って、末尾の「する」を省略して、軽〜く言い回して、丁寧語の「です」を付けたものが「感謝です」である

 

ー「感謝です」って、随分と軽薄な言い方なのだとお分かり頂けるだろうか?

「感謝です」と口から出てくる、その薄っぺらい日本語感覚、中身の無さが問題なのである

わたしは50代の読者だが、「感謝です」なんて言っている人は到底日本人とは認められない

さらに云えば、たとえ「感謝しております」と正しい敬語を口にしたとしても、相手に対する直接的なお礼表現である「ありがとうございます」を必ずそこに添えるべきだと思う

 

 

こういう日本語は語り継ぎたくない

「報道関係の皆さんが球場に来てくれることによって選手の気合の入り方が変わることに❌感謝です」(日ハムの新庄ビッグボス)

  「一度プロ野球選手として死んだ身。

僕をもう一度生き返らせてくれたファイターズに❌感謝です」(トライアウトから日ハムに入団した古川選手)

__ そして、

忙し◯こと◯も、感謝が大切です。

そ◯成れる健康にも❌感謝です

__ これは、リーマンさんの記事から引用しました[※  私注;『伊勢-白山 道』から引用するのは禁止されているので、一部伏せ字にしました]

上記のお二人は、大学教育をうけていませんから、リーマンさんと同列に並べるのは不公平かも知れません

でも、お三人とも同じレベルの日本語です

以前、これからリーマンさんのブログを研究する者があらわれるとの予言がありました

わたしは、一日本人として、この手の日本語を後世に伝えたくはありません

そういう思いを懐いている者がいることを、ここに表明しておきたく存じます

「感謝です」なんて、文章に書く時代が来るとは……

本の形で、あるいはデータとして残ることに同じ日本人として恥かしさを覚えます

ただし、こうして文句を云えることにも感謝いたしております

 

[ 悲しい追加:2022-10-14 の拙稿より

ついきのう、テレビ画面をみて、烈しくSHOCKを受けたのだが……
50周年のユーミンのアルバムが、ランキング一位になって、彼女が御礼のコメントを述べる映像を観ていたら…… なんと、あのユーミンがですよ、
「❌感謝です ♪」と言っておった。
あの、言葉の魔術師との形容がサマになる、数少ない作詞者であるユーミンが、近年流行りの短縮化表現「感謝です」を口にするとは、何たる時代なのだろう。そのうち、公の席でも使うようになるだろう。
(私は、厳かな感謝の気持ちを短縮して言うのは大反対である、「感謝です」に感謝の意は乗らない) ]

 

 

__ ことばは丁寧ながら、われながら充分皮肉のきいた辛辣さではあるね、後段の投稿“こういう日本語は語り継ぎたくない”は、不掲載でした

「悪貨は良貨を駆逐する」とゆー諺は、言葉にもあてはまりそーだ

一般大衆から広くつかわれるよーになった言葉は、たとえ伝統的な日本語と比べておかしくても、また文法的に間違っていたとしても、その言葉が定着してしばらくすると辞書にも書き加えられる

だから、日本語とくに口語は、国民の総意で決まるのである………… (以前に、「顔晴れ(=頑張れ)」と書いていたスピ系団体があったが、伊勢白山道でも「ありがとう御座位ます(=ございます)」と書いていたことがあり、いまだに呪文のよーにそのまま書いている読者が存在する……   日常的に本を読まずにネットでも限られたブログしか読まない無学な人は、ほんとうにそー書くものだと思っているから手に負えない、フォロワー数の多いブログ主は自分の記事の文章について、社会的責任を果してもらいたいものだ)

それだけに、後世の日本人に手渡せる言葉をつかいたいとゆーのは、私の偽らざる心情である

 

『うっせいわ』とゆー十代の若者がつくった歌が流行ったが、あれを彼女が生涯歌い続けなければならないことに、私は切に同情する

一時の気の紛らわしのために、こんな幼い歌をリリースして世間でヒットする、これは有名税どころではない負債を背負いつづけねばならない

この歌をピックアップして流布させた大人には、より責任があろー

日本は、なるほど「子どもの国」である

            _________玉の海草

 


《ちょい言》 「女」 だけに、それができる

2021-09-18 02:19:20 | 日本語

__こーも国家的非常時が長くつづくと、現実感覚がマヒしはじめるね

私的なことでは、母の認知症が発覚してからずっとこのかた…… わたし個人の内では 「非常時」 がつづいている

567騒動を先取りする形で、呆けた老人が突っ走るのに付き合ってきたわけだ

惚け老人と一緒に暮らすのが、こんなにも心掻き乱されるものだとは、当事者となって初めて知った

まー、私の内では、567と母の介護が同列であり、まったく異世界に入り込んだ気分とでも云ったらよいか

ひとが苦しんでいるときに、悪さを仕掛ける冷血漢は、567騒動でも出没した、まさに東日本大震災で原発避難留守家庭に空き巣に入る人非人とおなじだ

内閣も国民の不満の矢面に立ち、まったく冴えないのに加えて、皇室でも前例のない振る舞いが取り沙汰されている昨今、日本人の行く末はいままで以上に心配される

 

うちは、山形県の地方TV局を視聴しているのだが…… 

このあいだ、こんなアナウンスがあった、

「夕暮れ時に、高齢者が犠牲です」

NHKではないが、ちゃんと難関のアナウンサー試験を通り抜けた秀才たちにして、この言葉遣い…… 

電車の中吊りを読み上げているわけじゃないんだよ

なんで、話し言葉(口語)で「高齢者が犠牲になりました」と言えないのか

そー言ったほうが、動的な表現になり、視聴者は即座に理解するであろー

原稿を書く報道局メンバーの見識が、すでにこのレベルに落ちてしまっているのだ

いまや、東京のキー局でも、この新聞見出しを読み上げるよーな、体言(名詞)止めの言い方に「です」を加える短縮文が横行している

いまの40代あたりの中堅アナウンサーが、「では、次です」とか言う表現を常態化してしまったのだ

この世代は、飲食チェーン店での「注文の方、よろしかったでしょうか?」とかの可笑しな日本語を流行らせた世代でもある

「団塊ジュニア世代」あたりか……  ほんとにもう日本を潰す気なのか

マツコは割合キレイな日本語を話すが、キムタクとか中居くんとかはガキっぽいとゆーか、スラング的な日本語を芸能界に持ち込んだ輩である

それを、その下の世代は真似するから、おかしな言葉が蔓延する

音の響きが耳に心地よく、流れるよーに滑らかな日本語が聞きたい、特に女性のコトバは乱れている

 

いま総裁選に出ていらっしゃる高市さんとか、もとアナウンサーの桜井良子さんとかは、語り口に信用がおける

女性は、まわりに合わせる性分だから、朱に交わるのも早い、たやすく汚染されないよーに注意してもらいたい

きのうの長文「しないこと」の見者ドン・ファン・マトゥスが、雄性には決して真似できない雌性のずば抜けた生命力を詩にしているので、紹介します

 

“ 非情に、しかし魅力的にな。

狡猾に、だが気持ちよく。

忍耐強く、だが活発に。

やさしく、だが容赦なくな。

女だけにそれができる。

 

ー非情さが苛酷さに

ー狡猾さが残酷さに

ー忍耐が怠慢に

ーやさしさが愚かさに

なってはならない

 

‥‥ オンナのもつ大地母神の性は、みずからを地縛天使(アース・バウンド・エンジェル)の地位に押し込めがちだが、その潜在力を存分に発揮すれば、

「大自然と同位に立つ」(G. アダムスキー) のは、さして難しいことではない

『日本沈没』を著した理系作家・小松左京も、こー云っている

> 「 自分は ただ土であって要するに人を生み出す役である。なぜ人を生み出すかといったら、生み出した子供が 要するに宇宙を理解したり、宇宙を動かして知るために生み出したんだということがわかっている 『母そのもの』 のような人もいるんです。たいへん大きな女の人がいると思うんですね。」

 

わたしの母もそーだった、昔の女性は単に「男尊女卑」の慣習に仕方なく従って暮らしていたわけではない

女性としての性の強さ(したたかさ)を分かった上で、わが愛息を厳しく育てた女丈夫もいくらでもいた

「泣くんじゃありません、強くなりなさい」とゆー激励は、男の性の意気地のなさ、脆弱さを熟知しているが故の初期教育だったのだから…… 

自分の会社が潰れると自殺するよーな男性社長にならないよーに、何としても生き延びる生命力を母は息子に身をもって教え、生きている限り息子を支え続けた

オトコは、ほぼ例外なく、そんな 大母性 (聖母性)には仕えるものだ

         _________玉の海草

 


 時代劇 「おじゃる言葉」 をあみだした怪優

2021-08-25 03:00:29 | 日本語

__お公家さんの 「 〇〇でおじゃる 」 とゆー話し振りは、映画『柳生一族の陰謀』(1978)において、初めて登場した

 

深作欣二監督と、千葉真一ががっぷり四つに組んだ本格派時代劇は、いま観ても豪華すぎる布陣で、サニー千葉ちゃんの初めての時代劇挑戦であった

 

【 RIP.  JJ.Sonny Chiba ちゃん、あなたほど天下の剣豪・柳生十兵衛を知り尽くした人はおられますまい、優雅にして力強い剣戟で時代劇の品位を高めた功績は測り知れない、つつしんで哀悼の気持ちを捧げいたします 】

 

「裏柳生」 とタイトルに書かれた原案を千葉ちゃんが持ち込むと、オリジナリティに富む深作監督が間髪入れず「面白い」と応じたそーだ

秘密裡に「倒幕」を悲願とし、天皇親政をもくろむ公家衆と、圧倒的な武力を持つ徳川幕府との暗闘…… 

朝廷側の交渉役は、烏丸少将文麿や三条大納言、主上(天皇)へ奏上できる職権をいいことに、のらりくらりと和歌を吟じるよーに、間のびしたやり取りで、幕府方の使者を苛立たせる

朝廷vs幕府の火花散る、そんな緊迫した場面で……   簡潔果断な武家言葉に対抗して、のんびりとのびやかに柔らかい公家言葉「おじゃる言葉」が、殿上人の法外な誇りと独特な宮廷の雅びを感じさせた

 

 高校の頃、たしか日曜の午後二時ころでしたか…… テレビ版『柳生一族の陰謀』が放映されていました

柳生十兵衛は小さな時分より大好きで、サニー千葉ちゃんの十兵衛は出色の出来です

他には、若林豪 や 近衛十四郎 なんかいいですね

このテレビ版には、いい役者が剣豪として出ておられました

忘れられないのは、「八寸の延金」の真新陰流・小笠原玄信斎には 南原宏治 さん、柳生連也には 石橋蓮司 さんとか……

[※  映画🎞の小笠原玄信斎は、丹羽哲郎がやったおられた

徳川家康の剣術指南をした奥山休賀斎(上泉伊勢守の弟子)の弟子で、中国に渡り「八寸の延金」を会得、帰朝して、真新陰流の道場を開いて、無敵を誇る

神谷伝心斎(直心影流)や針谷夕雲(無住心剣)など、名人と謳われる弟子を輩出した]

そーした大看板を向こうにまわして極めて異彩を放ったのは……

映画版から引き続き同じ役を演じられた烏丸少将文麿の  成田三樹夫 と、映画では三条大納言でTVでは中院通村を演じた 梅津栄 さんでした

当時、進学高に通っていた私は、数学の章末テストとゆーものが二週にいっぺん位あるのですが、合格点とるまで何度でも追試を行うのです

追試受けているうちに、次の章末テストが来たりして 、まさに自転車操業の忙しさでした

心も追い詰められて荒んでいたものです

そんな状況下で、画面いっぱいに繰り広げられた狩衣装束のお公家さん同士の珍妙なおしゃべり……  鮮烈なインパクトがありました

御所の控えの間みたいな処で「おじゃる言葉」を駆使して優雅に武家の悪口を言い合っては「オホホホ」と笑い合う烏丸少将との遣り取りには、腹の筋肉(ブルースリーを信奉してた私は当時シックスパックに割れていました)がよじれるほど笑わせてもらいました ♪

[※ おそらく第六回、池広一夫監督「根来忍者は死なず」でのことでは(?)と思う]

🌿__ 追加(20230103)

時代劇チャンネルでやっていたので、第6回を観てみたら、梅津栄の演っていた役は中院通村卿で、テレビ版『柳生一族の陰謀』には、この一回しか出ておられない。私が感動したのは映画版で、「和歌を詠める」と歌うように朗々と語り出す三条大納言バージョンかも知れない。訂正してお詫び申し上げます。

 

暗く苦しい高校生活で、腹の底から笑いが込み上げてきたのは、この「おじゃる言葉」の掛け合いだけだったかも知れません

[ この 公家の口語「〇〇でおじゃる」は、俳優・梅津栄さんの発案創始されたものです。

【画像:東映映画 深作欣二監督『柳生一族の陰謀』より、三条大納言】    

 

室町時代の公家は実際このよーに遣ったよーですが、江戸時代の公家に「おじゃる」と喋らせたのは、梅津さん夫妻の図書館通いの成果と飛び抜けた言語センスであったのです]

成田三樹夫は声が重低音で、すこぶる響くのですが、滑舌のよい甲高い裏声もまたよいのです

真面目半分、冗談半分のよーなお公家さんの、朗々と和歌を吟ずるかの様な言葉の遣り取りには、正味衝撃を賜りました

笑い過ぎて、肉離れ起こすんじゃないかと本気で心配したほどです

『柳生一族の陰謀』は藩のお取り潰しや忍者の使い捨てなど、裏工作のリアルも描かれていたので、成田さんらの「マロ」の滑稽みは一際耀きを放ち、奥行きのある時代物語に成ってゆきました

 

‥‥ 梅津栄と茂子夫人が、幾日も図書館に通いつめて二人三脚で創案された「おじゃる言葉」を、実際に撮影現場で試したところが、

梅津さんの、あの神妙な面持ちと大真面目な口調で「マロは、〇〇でおじゃる」と発するものだから、スタッフ一同堪らずに大爆笑だったと聞きます

撮り直しても、梅津さんの三条大納言のセリフに差し掛かるや、またぞろ皆が笑いを堪え切れず撮影にならなかったほど、ウケたそーです

梅津栄とゆー役者は、狂気を孕みながらも、フツーも出来て、突き抜けたよーな大胆さと人懐っこさのある御仁でした

ドラマ『必殺仕事人Ⅳ』で、ひかる一平演じる順之助を「順ちゃ〜ん」と追いかけ回して、抱きついては接吻を迫るオカマのおじさん「広目屋の玉助」も、ほのぼのと奇天烈な魅力がありました

 【画像:朝日放送 『必殺仕事人Ⅳ』より、広目屋の玉助】

 

あの滑舌と知性あふるる冷徹な眼差し(頭が切れすぎて、いっそ阿呆な印象)は、滑稽みのある温かな風貌とあいまって、主役を喰らう脇役でした

書も能筆なんですね、「海人」のいきいきと躍動する隷書が素晴らしい、境涯の書ですね

   【画像:梅津栄さんの書】

 

むかしは、凝って練れた唯一無二の演技をする面白い役者がよくいらっしゃった

 

『子連れ狼』の「虎落笛(もがりぶえ)の回、黒鍬者の強敵「弁天来」の長兄で冷静沈着な弁馬や、特撮ヒーロー『レインボーマン』の師匠ダイバダッタ、それに江戸川乱歩の『人間椅子』の演技も不気味だが人間味あふるる眼差しに温もりがある名優・井上昭文

 

   【画像:フジテレビ『座頭市物語』より】

 

 

おなじく『子連れ狼』で、原作を上回る出来映えの「阿部頼母(怪異)」を演じて、時代劇ファンを心底唸らせた、高貴な御方から下卑た悪党まで、なんでもござれの名優・金田龍之介

 

【画像:NHK大河ドラマ『葵徳川三代』より、天海大僧正】

【画像:日本テレビ『子連れ狼』より、ご公儀御口唇役(毒見)・阿部頼母】

 

そして、NHK大河『新平家物語』(1972)で、左大臣藤原頼長を演じて、かの白洲正子をして、その品のいい立居振舞と衣冠束帯のいかにも似合う佇まいに瞠目させた名悪役、成田三樹夫 …… 

 

【画像二枚共:NHK大河ドラマ『新平家物語』より、悪左府・藤原頼長卿】

 

実は、私の母校の先輩なのである、成田三樹夫の姪子さんと同級生だったのが私の密かな自慢だ ♪、つつましく穏やかな美人で小さい頃は悪役の親戚だからとよく虐められたそーだ、成田三樹夫は東大中退して山形大に入り直してまた中退……   地のままで「インテリ・893」の出来そーな教養を兼ね備えていらした

烏丸少将文麿は、彼のもっとも高潔な風雅があらわれた役だったと思う(文武両道で、筋骨隆々な京流の剣豪である)

 

  【画像:東映映画『柳生一族の陰謀』より、烏丸少将】

 

千葉ちゃん、『柳生一族の陰謀』を率先して引っ張ってくださり、まことに有り難う御座います

時代劇の世界は、武家の「不自由さ」ゆえに傑出した物語が生まれる土壌があるんですね

ちゃんと、刃筋を立てて打ち込む美しい太刀遣いをみせる 佐藤健 や、本物の武術家の体捌きをみせる 岡田准一 のよーに 「 一行三昧 」 な時代劇役者も育ってきています、どーなることやら、武士道とチャンバラ時代劇とは一蓮托生のよーな気がするなあ

時代劇は案外、日本文化の牙城であるのかも知れん

         _________玉の海草

 

 

 

  

 

 


《ちょい言》 なんでも短くして〜 感謝のコトバまで

2021-08-22 12:52:06 | 日本語

__大恩ある人の訃報を聞いた芸能人の、感謝のコトバは、繰り返しテレビやネットに流れるから影響力が大きい

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(説明)「前向きな心と言葉をありがとう」と聞けば…… 言わんとする意味はまちがいなく通じる

しかし、「心をありがとう」「言葉をありがとう」「感動をありがとう」「励ましをありがとう」「親切をありがとう」などなど…… 

このうち、「言葉をありがとう」は、「言葉」とゆー確かなもの(文字にできる、音として聞こえるもの)を相手にしているので、おかしな感じはあまりないが…… 

しかし、心・感動・励まし・親切などの「無形なもの」への感謝のコトバは何か変な感じがする

「〇〇をありがとう」と言った場合、「〇〇」に対して何か「物」扱いしているよーな感じだ

西洋文化の「give & take」の発想ですネ

本居宣長は、この国本来の「大和心(やまとごころ)」に対して、大陸から伝わった感性を「漢心(からごころ)」として区別して排斥したが…… 

「心をありがとう」とかゆーのは、「欧米心」(広義の「漢心」ではある)とでも名づけましょーか

 

ーでは、巻頭の芸能人の発言(この人は長らくアイドルで「凄え」とテレビで発言した最初の人だ)をどのよーに言えば、「大和心」なのかと言われたら、私ならばこーゆー

(✖️例)> 「どんな時も、前向きな心と言葉をいつもありがとうございました」

↓↓↓

(私の言い方)「どんな時も、前向きな気持ちで、心のこもった言葉をかけて下さり、いつもありがとうございました」

 

‥‥ やっぱりねえ、「言葉をありがとう」より「言葉をかけてくれてありがとう」の方が、相手の気持ちのこもった行為・行動に対して感謝している風情になるのよ

相手のやってくれた行為を、「心」とか抽象的な「名詞表現」にするよりも「動詞をつかった表現」にして動きを描写した方が、臨場感があるのではないかな

なにか、よろず(万事)カンタンに「モノ」扱いして、短く省略して表現するのは、私は好かない

「〇〇に注目です」「それでは、次です」などの、アナウンサーの言っているコトバもこれと同じ消息であろー

いやな言い方を発明したものだ、とりあえず意味は通じるし、テレビマン的表現をすれば「尺が短い」のだから、すこぶる便利な言い方である

 

ーシンプルな言い方だが、「美しい日本語を話しましょー」とゆーことになる

フランス人なんか自らのフランス語に対する誇りが、おそろしく高い、世界で最も美しい発音のコトバだと芯から信じている

日本語脳、虫の鳴き声がコトバとして聴こえる感性や、日本語にあらわれる日本的霊性を、いまいちど見つめ直す時節になったのではないか

喪われてから悔やんでも、「コトバは生き物」、もはや間に合わない

         _________玉の海草