__ ひとことでゆーたら、
禁煙者というのは、特別な権利をもっているんですよ。
それは、喫煙者も持っていないし、非喫煙者(タバコを吸わない人)も持っていないものです。
この、禁煙者ならではの微妙な境地を探ってみると、まるで秘密教団の秘儀参入のような「意識変容」が見られるのです。
わたしは、これから紹介する『禁煙の愉しみ』という逆説的なタイトルの本📕を読みながら……
グルジェフの、ストップ・エクササイズを思い出していました。マハリシやニサルガ親爺の、自我と真我の、意識の裂け目を思い出していました。
ソワソワしている統一のとれない今の自分は、本当の自分なのだろーか?
この私が感じている渇きは、本当に自分が欲しているのだろーか?
タバコは深くわたしの心奥に浸み入って、わたしの心を支配する。それに任せていてもよいのだろーか?
__ 結果、わたしはタバコを止めたわけだが、この本📕は「まさにその時」に役立つだろーことが予感できた。
なにげなく、タバコを止めた状態を続けていたら、一日が三日となり、一週間二週間となり、いつの間に一ヶ月が経っていた。
一年とか三年とか、ふと誘われる節目があるそうだ。
また喫煙🚬するタイミングに見舞われる。
わたしは、一・二度その波に乗ってみたこともあった。
しかし、もとの禁煙🚭にもどって、いまもその状態に在る。
タバコを止めたら、酒を呑まなくなった。あまっさえ、音楽に耽溺することが出来なくなった。
わたしにとって、タバコ・アルコール・ミュージックは三位一体の快楽なのに、今更ながら気がついた。
この三角形が満たされたとき、わたしの幸福ホルモンは全開するのである♪
それは、果して厳しい仕事に堪えるためであったのだろーか?
大人びて、通や粋を気取るためだったろーか?
女性(にょしょう)に対する、アプローチだったのであろーか?
ハッキリとは分からないが、わたしの幸福は常にこのトライアングルと供にあったのは事実である。
喫煙のはじまりは、好きだった子が「(煙を)肺🫁まで吸いこむと気持ちいいよ♪」と教えてくれたのがキッカケだった。
仕事がキツかったのか、わたしはその快感を試すことにしたのだった。もちろん、初回はムセたし、頭が痛くなった。
うちの親父も喫煙者だったが、村の青年団で、初心者🔰にタバコを吸わせたときは、気つけの意味なのか、味噌を舐めさせたそうだ。
その一番最初の、身体が正直に抵抗したのを乗りこえて、はじめて喫煙生活が始まるわけである。
あれから、三十年、ほぼ三十万本のタバコを喫んだ計算になる。そろそろ一区切りつけてもいいんじゃないかと。新型コロナに襲われる三年前くらいであろーか?
たいした仕事もこなしていなかった私は、ふとこんなに高級なタバコを服んでいられないな(亡父は、一番安い「エコー」を嗜んでいた、おまけに肺まで吸わないで喉でプカプカするに留めた)と……
何のまえぶれも、準備(覚悟)もなく、それは唐突にはじまった。そして、いまもそうである。
それでは、稀代の名著であろう『禁煙の愉しみ』を紐解くことにするか。
【 私の愛蔵本📕は、この文庫本。
『禁煙の愉しみ』(1998)煙草🚬をやめることは「苦行」ではない
思いがけない快楽の発見者 山村修(1950〜2006)】
著者の山村修は、書評家「狐🦊」としても著名な御方である。特にむずかしい言葉は使わないが、博覧強記な教養人であること、風流な御仁であることが、平易で研ぎ澄まされた文章から窺うことができる。
名文家といっても間違いではない。
読みやすい文体とリズム、字面にも品がある。いたく滋味ふかい、明確な輪郭の文章をものする御方である。
わたしは、そのことにいたく満足した。
そこに、大先達の匂いを嗅ぎ取ったからである。
そんな心地よい文章を引用しよう。
> これまで二十七年間、毎日、煙草🚬を吸いつづけてきた。
一日に紙巻きを三十本。多過ぎはしないと思うが、計算すればざっと三十万本の煙草に火をつけ、灰にしてきたことになる。そう考えると少ない分量ではない。
思うところがあって一年前に禁煙🚭した。いや、そんな一言で済ませられるほど簡単ではなかったが、ともかく禁煙した。
「健康のため」ではない。
煙草が「不健康」なものだと考えて禁煙できる者は、もともと喫煙者ではない。
いまどき、煙草が身体にまったく無害であると思っている幸福者が、喫煙者の中にいるわけがない。切迫した理由でもないかぎり、害はあると知っていながら吸うのである。
…… 正直な著者の独白から入ろう。山村さんは、「健康のために」禁煙したのではないのである。
そこは、頭に留めておいて頂きたい。
> さんざん喫煙していながら、吸うことが心底楽しいと思ったことはない。本当にうまいと感じたことはない。たしかに煙草に火をつけたとき、快楽に似た感覚が走ることはある。
そうした生理現象があるかぎり、楽しいともいえるし、美味ともいえる。
しかし楽しいと思っているのは果たして私だろうか。
煙草を吸いたいと思う、その欲求は本当に私自身から発しているといえるのだろうか。
煙草を静かに深々と吸った時、ほっと安堵するものがある。
安堵するのは果たして私だろうか。
ある状況によって許されず、長時間、煙草が吸えないと分かったとき、ほとんど恐れに近い感情をもつことがある。
恐怖しているのは私だろうか。
喫煙が許可され、救われたと思う。救われたのは私だろうか。
楽しんだり、安堵したり、恐れたり、救われたりするのは、
私ではなくて、煙草産業である、などという話ではない。
答えは__ あまりにも真っ当すぎて、つまらないにせよ__ 明らかである。
体内に残存しているニコチンである。
ニコチンという依存性の薬物そのものが、体内で効果を失うにつれ、新鮮なニコチンの補給を欲しているのである。
喫煙は、つまるところ薬物依存なのである。
…… これは「私だろうか」というアプローチは、
ヒンドゥー🛕のヴェーダーンタ系統の聖者ラマナ・マハリシの「二十世紀最大の問い」である、
「私は誰か?」
「私は何か?」
「それは本当の私なのか?」
という内的な自問と、奇しくもおんなじである。
「もうひとりの自分」がアタフタする自分を俯瞰している。あるいは、能楽の「離見の見」といってもよいだろう。離れた処から自分を見つめるもう一人の自分となる。
当代の市川右團次は、具体的に次のように云フ。離見の見はいきすぎてはならない。半々のバランスを取ることが肝要と。なるほど、生き霊のような「離見の見」に傾きすぎると、本体に支障をきたすものなのだろう。
> 喫煙は一方で、それが暮らしに沿い、融けこんでいるときは美しくさえある。
他方、喫煙はあくまでも薬物依存である。私たちもまた、レバーを押しつづけているのである。煙草について、この両面をともに見すえたい、その程度には批評的な目をもちたいと私は思う。
では、私は薬物依存であることがいやで、つまり自分がレバーを押すサルと同じであることがいやで、それで禁煙したのか。そうではない。
> 私が禁煙したのは__ どうか笑わないでほしい__ 、禁煙というものが喫煙者である私にとって、まさしく想像を絶する状態であり、私はその想像外の境地に立ってみたくなったのだ。
じっさい、一本も煙草を吸わなくなる、そんな自分をイメージすることは喫煙者には不可能なのである。
朝起きて、煙草を吸わない。
職場で、むずかしい仕事に直面しながら煙草を吸わない。
知人と酒を飲みつつ、話の接ぎ穂を考えながら煙草を吸わない。
夏のさかんな日盛りのなか、涼しい喫茶店に入って息をついたとき、煙草を吸わない。
書かねばならぬ書類や手紙などがあるとき、文章にあれこれ苦しみながら煙草を吸わない。
うれしいことがあって胸が弾んだ時、煙草を吸わない。
悲しみをまぎらせたいとき、煙草を吸わない。
もちろん三度の食事のあとに煙草を吸わない。
就寝🛌儀式としての一服もやめてしまう。
春夏秋冬いかなる日にも、どんなときにも吸わない。
これから生涯、ただの一本も吸わない。
そのような事態を考えようと試みるだけで、茫然とするのが喫煙者なのだ。
喫煙者にとっては煙草は人生そのものである。それくらいに日常の節目ごとに、いや、一挙手一投足のすみずみにまで、煙草が入り込んでいるのである。
つまり私は茫然としてみたかったのだ。煙草をやめれば、まず間違いなく、思いの外の心的状態に陥る事だろう。それがどんなものか知りたかったのだ。
私は四十歳代の半ばをすぎていた。人生の残り時間をカウントしはじめて遅くない年齢である。
だからこそ現在を一つの画期としてみたいという欲望が高まった。
もちろん恐れもつのった。何しろ煙草のない生活というのが想像できないのだから、まるで未到の界域へ足を踏み出すようなものなのである。不安を感じて当然だろう。
禁煙は事件なのだ。すなわち私は自分自身に事件を起こしてみたかったのだ。
…… 実に正直な、かつ自然な心情の吐露であると思う。この、ちょっと好奇心あふるる天邪鬼のような志向が、著者を独特な風合いに仕上げている。
> 禁煙とは、おそらくそれ以前と以後とで人生を非連続にするものである。
それを境に、これまでと異なる時間⌚️を生きることである。
私など、その先にどんな景色が広がっているのか予想もかなわない暗い穴に転がり込む気分で禁煙した。果たしてそこに、ただごとでない心的状況が待っていた。
……「煙草は暮らしの句読点」
禁煙することで「句読点」は失せる。
しかし、時間の抑揚は身体がおのずと刻みはじめると著者は言う。
>「少年の日の青空をまた見たくなって/
禁煙した男がいる」
…… ある詩人の一節なのだが、妙に心をくすぐる。思えば、喫煙前は写真型の記憶力があったなあと、テストの時などそれをなぞることが出来たものだ。どんな感覚で青空を見上げたことだろう。
> 吉野秀雄『禁煙』(昭和三十ニ年)
禁煙の心得より
◉ けんか腰でとりかかつては、かへつてことを誤まる。
柔軟心といふヤツで、すうつと入つていくに限る。
◉(禁煙は)ヂタバタする自分をみてゐる別個の自分をもつことのできる人なら、むしろおもしろいくらいのものではないか。
…… 「柔軟心(にゅうなんしん)」、道元禅師が帰朝なされたときのコメントに、「空手で還郷したが吾れ柔軟心を得たり」とあった。意識が変容したのである。身構えない、すぅーっと入ってゆく。まるで武道の極意である。柳生新陰の「勇」の一事であり、鹿島の「一つの太刀」における入り身の秘事であろう。
> 禁煙は自己批評である。自己反省である。
>(禁煙に)成功したことを書く人たちもいないではない。
しかし成功した人が、どうしてはじめのニコチン離脱症状に耐えられたのか、それを書いた文章に私は出会ったことがない。
あえていえば、それは耐えなかったからなのだ。逆説でも何でもない、耐えようとすれば失敗する。耐えようとしなかったからこそ、禁煙できたのではないか。
ニコチン欲求の波と闘わず、耐えもせず、その波に乗ってしまうとはどういうことか。
そうした欲求が我が身を突き上げているという常ならざる感じを、全身で味わってみることである。
欲求の強さに身がねじれ、うねるような気がするならば、心持ちもいっしょになってねじれ、うねってみることである。
波になるのだ。自分がニコチン渇望の波そのものになってしまうのだ。
…… 「タバコを吸えない」渇きを恐れるのではなく、その状況に全身を任せてみることである。身体の濃やかな変化やバイオリズムの波をひたすら感じてみるのもよい。
いままでに気づかなかった自分の隠れた一面を垣間見ることができるかも知れない。内的な沈黙(心の内なるお喋りを止める)の下で、ひたすら自分を静観することとなる。内側へ、内側へと意識を向ける。
> 耐えたのではない。煙草に手を出さずにいることを愉しんだのである。
> 禁煙は非日常である。思い切っていえば、身体感覚にとってのハレのときがはじまるのである。
私の場合は二十七年の間、煙草を吸いつづけ、身体にはいつもニコチンが充ちているのが当たり前であった。煙草を断ち、ニコチンの補充を止めてしまうと、体内のニコチンが肌からふつふつと滲み出るような気がする。
腕に鼻を当ててみると、煙草の匂いがする。気分はほとんど茫然としている。それはもう異様なことといってよい。
そうした異様な感覚を、抑えようとするのではなく、忘れようとするのでもなく、むしろ自分から進んで味わおうとすること、そのことがなければ、禁煙はできないと私は思う。
…… 禁煙をマイナス要素(欠損)として捉えずに、新たなチャンスとして試してみる挑んでみる。
このまま行くとどうなるのか、ミステリーに足を突っ込んでみる。つまり、本来の自分(人間としての自然)を見つめる機会でもある。とにかく、みずからの内側に目を向けてみることであろう。
> 禁煙とは、最後の一本を灰皿ににじり消した瞬間から、どこかは分からない、こことは別のところへ移ることである。禁煙は越境である。
これまで知らなかった場所で、知らなかった日々をはじめることだ。ある地点にたどりつくまでは耐え抜くといったレースなどではない。
…… すくなくとも、いままで知らなかった生き方をすることになる。それは日常生活からのジャンプ、非日常の旅人となることである。
みずからの意識の裂け目を静観すれば、それは神秘体験ともなろう。禁断症状により引き起こされた意識トリップが、偽自我に気づき、アートマン(真我)にみちびかれるかも知れない。
> もしも陸上競技に例えるならば、禁煙は長距離走(マラソン🏃)ではなく、ハイジャンプである。
走るのではなくて跳ぶのである。跳んで、見知らぬところに落ちるのである。
…… 禁煙とは、マラソンのように42㎞先にゴールが設定されているようなものではない。そう思っていると、必ず躓く。
禁煙という意識変容は、いわばカスタネダの「イクストランへの旅」である。飛翔するわたしが、そこにはいる。落下して粉々に砕かれるか、はたまた次の次元へと跳ぶ自分がいるだろうか。
> よく「もしも生まれ変わったら__ 」という質問がある。
「もしも生まれ変わったら、煙草を吸いますか」。
そう問われたならば、反喫煙をとなえる彼らはきっぱり「吸わない」と答えるだろう。
私はどうか。分からない。迷う。優柔不断なのである。
しかし質問が「もし生まれ変わって、また煙草を吸う暮らしをつづけたら、禁煙しますか」というものであったなら、私は即座に答えるだろう、「禁煙する」と。
なぜなら、禁煙は味わうに足る人生の快楽であるからだ。
…… 禁煙とは、特別な体験である。体験できる資格のある者は、喫煙者だけである。脳🧠を薬物にゆだねた人が、本来の脳に帰ろうとしている。聖書の「放蕩息子」にも似ている。
> 禁煙者は、喫煙者も非喫煙者も知らないことを知っている。
> 禁煙は華やぎである。罰せられざる快楽である。苦行でもなければ克己でもない。
__ ざっと、引用しただけでも、これだけ豊饒な言い回しに目が眩む思いである。
たかがタバコ、されどタバコ…… なのである。
山村さんは「禁煙🚭には三つの手がある」と纏めておられるので紹介しよう。
(1) 禁煙をはじめてからの一日を、三日を、一週間を、一月を、湧きおこるニコチン離脱症状をむしろ利用して、思いがけない感覚を刈り入れる日々とすること。愉しみの日々とすること。
…… 「収穫の一月」とするようにとの事。
(2) 何度も失敗してみること。あっさり禁煙できる人がえらいわけではない。さらにいえば、失敗して恥をかいてみること。それがあとになって効く。
禁煙とは、恥をかくことである。
…… 少し書きにくいがと言いつつ、山村さんは隠れて喫っていた自分が見つけられた屈辱を縷々書いておられる。何よりも恥ずかしかったのは、愛犬に「見られた」ときだったそうだ。
(3) 何しろ不可能だと思っていた禁煙を、驚いたことに、いまつづけているのである。これはたいしたことではないか。誰もほめてくれるわけではないし、〜(略)〜 せめて自分で自分を讃えようではないか。
禁煙をよろこび、祝おうではないか。
…… 「祝祭の月🎉」を設けるのである。一月でなくても、一日でも二日でもよい。カレンダー📅に「禁煙祭」を設けるのである。
ちなみに、山村さんは「吉野に花見」に出かけたそうだ。禁煙を「果たした」そのお祝い旅行である。
その時点で、禁煙を愉しんでいる。喫煙欲求そのものを身体の内的リズムのように感じて一緒に生きることができる。それが「禁煙を果たした」というサインである。
「禁煙にはおそらくずっとゴールはない」と諦観した上で、自分の禁煙を、そして喫煙者であったことを祝福するのである。
__ わたしは、タバコが猛烈に美味いと思ったことが二度ばかりある。最初は、缶ピースを喫んだとき。
そして、これはいまでも憶えているが、爺さまの形見のキセルと煙草入れ(木製、印籠型)が遺品としてあった。
煙草入れには、亡くなった当時じいさんが嗜んでいた、刻み莨「敷島」(いや、「みのり」かも知れないが)が詰められていた。実に艶やかな繊維の束であった。
何の気なしに、キセルに丸めて入れて火🔥をつけ燻らしてみたら……
なんとも芳しい香気に、ガツンとくる味のキツさ、そしてその後にひろがる晴れやかな解放感に、しばし陶然と酔いしれた。
「キセル煙草が、こんなにうまいなんて!!」
その時まで思いも寄らなかった。(じいさんの形見に感謝を捧げた)
わたしは、即座に刻み煙草の入手方法を考えた。
調べると、もはや製造中止となっていたが……
ひとつふたつの銘柄は、いまでも製造しており、それらが東北圏では仙台の「藤崎デパート」🏬でのみ扱っていることを知れた。
さっそく、赴いてみましたよ、はるばる仙台まで。(車で4時間半くらいかかる)
そしたら、残念なことに名品「敷島」は、製造中止となっていた。しかたなく、そこにある刻み煙草「小粋」を仕入れたが、喫んでみたら「敷島」の足元にも及ばない。
まだ、形見の刻み煙草はそのまま煙草入れにはいっているが、最期の「しきしま」である。
うちの爺さまは、腕のいい大工(棟梁)で、無教会派のクリスチャンでもあったので、タバコは吸っていなかったのだが……
なんの因果か、戦時中の配給でもらってから喫煙を始めたらしい。
じいさま、ありがとうよ、「敷島」をおれに遺してくれて、ご馳走になりましたよ♪
【こんな時代もありました♪ 日本専売公社ポスター(昭和32年)】
ニコチンの薬物反応は、「覚醒」に似た症状も引き出してくれる。仕事中には、よくタバコで覚醒していたものだ。
断煙してニコチン離脱すると、覚醒と反対に「眠気」がやってくる。そして渇きが押し寄せてくる。
この渇きは、精神の亢進状態をも引き起こしてくる。
そこに、意識の裂け目に侵入する得難い機会が生まれる。
__ 最後に、この本の中で取り上げられている、禁煙と苦闘した(ジタバタして失敗した)作家たちを紹介しておこう。
・ポール・オースター
・南方熊楠
・西田幾多郎
・吉野秀雄
・小沼丹
・斎藤茂吉の「簡単唯一の方法」というのが「絶対に火のついた烟草は口にしない」というシンプルなものであったが、これが実に含蓄のあるものだった。
・チャールズ・ラム
・別役実
・安田操一
・ズヴェーヴォ
…… 著者の実体験(神秘体験)もてんこ盛りである。
禁煙一日目の能楽堂でのロビーにおける幸せな眠気の描写などは秀逸である。
さすが何回となく禁煙🚭に失敗した山村さんだから、
禁煙による渇きを埋めるというか、逸らすレパートリーの多彩さには笑いを誘われた。(第Ⅲ章 「禁煙の現場」に詳しい)
逆立ちだの腹式呼吸の横隔膜だのは、わたしも参考になった。
あー、私自身の体験を書き忘れていたね。
> 決めることじゃない。恋愛って決めることじゃない。
いつの間にか始まっているものでしょ。
決めさせたボクが言うことじゃないけど。
[※ ドラマ 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』最終回より]
…… この台詞の、恋愛→禁煙🚭に変換したら、まるでわたしの禁煙体験そのものであろう。
それは、いつの間にか始まっていた。
請負仕事が少なくなってきた頃合いだった。
わたしの場合、仕事を成し遂げた一服のために仕事をしているという実感があった。
ぽつぽつ休業日が増えてきた頃、わたしは家🏠で漫然とタバコをふかして無聊をかこっていたわけである。
仕事の後の、達成感ある一服ではないから、当然不味い。精神も萎えてくる。
そんなとき、せめて仕事していないときくらいは、タバコを服むのはよそうと、思いだした。
知らぬ間に、禁煙がはじまり、その期間は徐々に伸びていった。
その頃、口👄淋しくて、よく「エアー喫煙」というものをしていたなあ。
坐禅のときのような深い長息で、タバコの味を思い出しながらゆっくり肺をふくらませて吸気すると、意外と追体験に似た思いが味わえるのですよ。
深い呼吸は、心を落ち着かせるのに卓効がある。
ある程度は、喫わなくとも平静をたもてることを、このとき初めて知った。新鮮な身体感覚だった。
そして、仕事にいっては、お世話になっている会社の専務さんや、同業の年配者がタバコを手離せない、無様な依存ぶり(カッコ付けもあろう)をつぶさに冷徹に観察して……
「この人らと一緒でいいのか?」と自問したら、即座にこころが定まった。心奥で禁煙を全肯定した。(私から嫌われた方々よ、本当にありがとう、あなた方のお陰でタバコを止めました)
とはゆーものの、三週間目と三ヶ月目くらいだったか、後戻りしてみたこともあったのだ。
もはや、昔ほどおいしくなかった。(頭がクラクラ痛んだ)
なにか、忘れたまま生きているような心地がしたが、禁煙していることを忘れるまでは2年くらいかかったのかな。
心にすっぽり抜けた快楽の穴はおおきかったのだろう。
タバコをやめると、不思議なもので、酒も音楽にも溺れることがなくなった。
わたしのスタイルだったのだ、タバコ・酒・音楽の相互に増幅する快楽。
カッコイイ男はそうだと思い込んでいたのだ。(それが舞台でありシチュエーションだと信じていた)
でも、静かに自分をかえりみると、わたしの真から望むものはそんなものではないようだ。
そんなものは、子どもの頃しきりに思った「コーヒー牛乳を腹一杯飲みたい」というのと、さして変わらぬことに思い至った。
過剰さが豊かさではない。
狂った自分は、無理している。
ごまかさなければならないものなど、何もなかったのだ。
たんたんと見上げれば、そこに太陽がかがやいている。
手元に一杯の水がある。
飲めば満たされるものが、そこにある。
そんな程度で、ひとはしあわせを感じることもある。
「放てば手に満てり」(道元)
禁煙って、けっして失うことばかりではないのですよ。
戒律というか、自分律というのも「喪失」がテーマではない。
「〇〇しない」というのは、士道覚悟に近い。
しないことによって、調えているところがおおきい。
わたしは、寅年生まれなので虚空蔵菩薩の加護をうけているそうだ。
そのご縁で、眷属である「鰻」は食わないことに決めた。
そうすることで、食わないことで、鰻重の有り難みがいや増すのである。
ひとつ、そういうものをおのれに設えているのがよい。
それが自分の全体を引き締める、失って返って活きるものであろう。
_________玉の海草