『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

惚けた母がつぶやいた〜 「 生きてるだけが仕合せだ 」♨️

 「〇〇世代」って 呼ばれたくない〜 年上の連中は 全て 「老害」

2024-02-19 01:54:59 | いまの世相

 

__ このCMは、面白いよね。

「呼んで呼ばれて、気がついたけどさ。

自分から名乗り出した奴なんて、いないんだよ!!」

 

…… 「当たり前だろ、そんなこと、アダ名はつけられるものでしょ」と私なら言いたい。

「ゆとり世代」が、一番文句つけたんじゃなかったかな、

「自分たちのことを、ゆとり世代って言わないで」と。

そんなこと言われましてもねえ…… 

ひとり一人の個性に合わせて、対応しろとでも言うの?

そりゃ、酷でしょう。

 

〇〇世代って、全体の傾向をつかんだ方が、やりやすいじゃん。

自分たちとココが違うのね、違うどころか、異次元の生き物なんだねと納得したほうが、絡みやすいと思うな。

「〇〇世代と言わないで」なんて、私は言いませんね。

私は、分類的には「新人類」と呼ばれたが…… 

「そんな風に先入観もたないで」なんて、思ったことはないね。

やっぱり、みずからの本質に自信があったのだと思う。

何とでも呼べばいいさ、と涼しい顔してたもんだ。

 

 

…… いいじゃん、「ゆとり世代」でも「Z世代」でも。やっぱりね、同世代に共通する顔立ちとゆーものはある。

その世代ならではの流行への熱量は、他の世代とは共有できないものだ。そして、それがその世代の「生き方」に大きく影響していることさえある。

例えば、「ガンダム」とか、「ビートルズ」とか、「ピンク・レディー」とか、「美空ひばり」とか…… 

 その話題になると、異様に盛り上がる題材が各世代ごとに必ずある。

それに、物流革命なんかも影響するよ、例えば比較的に「肉🥩」を食わなかった東北地方で、物流の改革によって、豚肉や特に牛肉の流通が飛躍的に伸びた時代があった。

それ以降の世代は、やっぱり体格が違ってくる。

つまり、その時代の「時代精神」を象徴するものが必ずあるんだよ。

 

世間に先行する世代からみて、正直な感想が「〇〇世代」という呼び名にあらわれている、ってことでいいじゃない。

悔しいのなら、個人的にその「〇〇世代」への評価を覆してみたらよい。それだけのことじゃないだろうか。

自分の扱われ方に、敏感すぎるのよ。

扱い方を決めるのは、いつの世も力のある方である。

 

 

__ 世相を眺めると、「ソフト老害」という言葉もひとり歩きしてそうだから、また私の「世代論」として、拙稿をまとめてみようか。

 

🔴 20240214

 

 戦わずして生き残られるのか

団塊の世代あたりの、全共闘世代は「戦争経験がない」から、若き知性でもって国家相手に戦った。

だから全共闘世代は、殴り殴られ、暴力というものに慣れている。ゲバ棒や拳でもって戦った世代である。

全共闘は大学生が中心にあったが、当時東京🗼の高校生だった坂本龍一は、早熟な知性で全共闘に参加している。

 

そんな坂本龍一が、西暦2000年を迎える頃……

病に臥せっていた父を励ますために、「エナジー・フロー」という曲を作った。

CMにも使われ、数多くの疲弊したサラリーマンを励ますことになった。この曲が坂本龍一の最大のヒット曲となる。

 

坂本の父・一亀さんは文壇では名を知られた敏腕編集者である。学徒動員で、戦争の現場を経験なさっている。

この厳しい父親と、坂本龍一は戦っていたのである。

晩年に、和解するような安らぎの曲「エナジー・フロー」を病床の父に贈り、一亀さんも気に入ってらしたようである。

 

つまり、戦前も戦後(全共闘19689年)も、男は恒に戦っていた。

戦いに参加できなかった、「団塊の世代」の下の世代は、「シラケ世代」と呼ばれて、国に楯突くのは止めたが、今度は別のものと戦った。

そして70年代を迎えると、外で戦う者は「不良」に、心の内で戦う者は「オタク」に分断した。(山田玲司説)

 

いまのZ世代の、父も祖父も戦っていたのである。

それを見て育ったZ世代は、もはや戦わなくなった。

拳で殴り合う代わりに、格闘ゲームに興じるようになったわけです。実際のケンカは、したことがないのです。自己防衛もできないでしょう。

 

痴漢をされても、暴行をうけても、エレベーターに閉じ込められても、火事になっても、「助けて!」と大声で🆘を出すことができない。

周りを気にし過ぎて、自分の意見を言うことができない。仲間はずれにされるのが怖くて、言いたいことも言えない。

そんな、保護されることを前提とした、女性目線が「ホワイト社会」を形造る原動力である。

ホワイト社会では、「戦う者」は疎外される。

エジプト🇪🇬人の女性が言っていた、今の日本は「女尊男卑」だと。(サトマイも同意していた)

 

それで、日本は生き延びられるのか、はなはだ疑問である。

_________

 

❎ 20200215

 リーマンさんの懐かしのギャグ

のたびに、読者に分断が起きているような風情がする。

中高年は、得意げに「知ってる〜♪」なんてはしゃいでいるし、

かたや、若者はつまらなそうに「そんなの知りません」と不満を鳴らす。

 

私らの世代(リーマンさんも同じ)は、もし自分が知らなければ、「恥ずかしながら存じあげないのですが、教えていただけますか?」と問うたものです。

いまは、「若者でも分かるように説明しないそっちが悪い」と言わんばかりに、その古臭さを馬鹿にしています。(ボンレスハムのCMは、YouTube で「1975-1987 ハム&ハンバーグ関連CM集」とか「CM 1983 丸大 ボンレスハム」でいまでも視聴できますよ)

 

「自分が知らない」ということに「恥」を感じなくなったのは、いったいどの世代からなのだろうか?

『バカせまい史』によれば、『ヘキサゴン』(2005)で初めておバカタレント枠が出来たということから遡って考えると、「ゆとり世代」の始まり(平成元年・1989年頃)に一致するかな。

「無知は罪」とは、アックンの世界でも金言なんじゃないの。

_________

 

❎ 20240215 

 年上を尊敬したい願望

リーマンさんが記事に懐かしの流行り言葉をのせるたびに、中高年から「知ってます〜♪」と嬉々として共感を寄せるコメが舞い込む。

これをみていて、ああ、相当下の世代から迫害されてんだなと。

世間の波に乗ろうと、時代から取り残されぬように、下の世代に合わせようと相当無理をなさっているのだろうなとひしひし感じられます。

 

西洋でいう「ノブレッス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」と同じように、日本にも『年上の義務』(山・田玲司著)というのはあります。

年下は、はなっから馬鹿にしようと思って年上を見ているわけではなくて、むしろ年上を尊敬したいと思っているという著者の感覚は、自分の若かりし頃を思い出しても共感できるものです。

年下からナメられないために、

年長者が最低限守るべき、三つの戒律をあげています。(山田さんは、時代の潮流を見透す、現代の詩人です)

 

・愚痴らない

・威張らない

・ご機嫌でいる

 

この三つだけです。

詳細は、

ゆうつべで「山・田玲司 【老害】年下から馬鹿にされる理由はあなたにある。」で検索して、1320 から3分間だけでもごらんになってみて下さい。

 

こんなこと言うと、中高年を批判しているように受け取られるかも知れませんが、私自身初老です。

いま、私たちが若者から突き上げを喰らっているように、若者たちもその年下から「NO」を突きつけられています。世代間の断絶は、昔以上に深刻なものです。

 

30代であっても、10代からは相手にされていません。

20代ですら、10代にとっては異世界の住人かも知れません。

誰にでも、「年下」はいるのです。

いつまでも、「年下」で甘えられるわけはないのですから。

だから、全世代に向けた提言となります。

 

 

🔴 20240216

 

 ソフト老害だって

ワイドショーで、スズキオサムが提唱した「ソフト老害」について特集していて、笑った。

最初は、5060代の老害ではなくて、40代でも老害を引き起こしているという趣旨だったのだが……

そのうち、30代にも当てはまるとなって、

更に20代後半ですでに、老害となっているという具合に話がすすんでいった。

 

こちらで、「親ガチャ」の件で老害扱いされた私だったが、

確かに40代くらいで、若者の代弁をして、私はわかるが老人には分からないと間を取り持つようなことを言っていた読者がいた。

若手を理解している気持ちになってずれている「若き老害」であるかも知れない。

20代】「年齢が近いからこそ親身になってる感出して、口出してくるケースは感じます。『お前の気持ちわかるよ』っていう的外れなのはしょっちゅうある気がしますね」

Yahoo!ニュース、高齢者だけじゃない『ソフト老害』が話題に 放送作家・鈴木おさむさん「40代でも行動次第では老害に」の記事より]

 

平成以降は、若者の意見が社会で重視されるようになった。なぜならば、若者の方が ITスキルが段違いに高かったからである。(会社運営上の理由なのだ)

本来なら、この時代だけの逆転現象だったのだが……

現在でも若者の視点に注目が集まるのは、少子化がすすみ子どもの数が少なくて、就職現場でも売り手市場だからに過ぎない。

若者の価値観至上で動く社会なんて、歴史上なかったし、異常であろう。

 

しかし、その若者も中堅になって、すぐに老害問題を引き起こす年齢になる。

いつの時代も人間のサガは変わらず、同じような世代間対立が繰り返されるが……

いまの時代は、世代間ギャップが非常に細かくなってきているそうだ。

20代であっても、10代には相手にされないこともある。昔の80年代でも、10歳差はまるで合わなかったものです。

老害、老害と非難していても、明日はわが身なのですよ。

 

しかし、いくら世代間で常識が違うとはいえ、先祖供養(親孝行)の大切さは変わらないでしょう。

都会で先祖供養している家が少ないのは、親が教えなかったからです、自分もしていないから教えられなかったのです。

だから若者の常識のなかに、「先祖供養する」という項目がないのです。

栄えている家庭は、何代もの家族が同居して、親孝行な家風であります。

新しい橋が竣工されるとき、渡り初めするのはそうした何代も続いている家なのも日本各地で共通のことでしょう。

_________

 

🔴 20240217

 

  ソフト老害つづき

「老害」と呼ばれるのは主に5060代なのに、

「ソフト老害」とは、3040代、そして20代後半、

つまり【歳上だってだけで、老害認定される】ってことですね。

 

若者の気持ちが分かるよと、ほんとうに老害だよねと、若者に媚びる中間層が今回ターゲットにされたということで、

老害に対して、日頃自分たちが盾になって防いであげてるのに、後ろからグサリと刺された心地でしょうな。

 

でもそんな30代でも安心してください、数(人口)の上では、20代は30代に到底かなわないのです。

ついでに言えば、50代は第二次ベビーブームの生まれ(団塊ジュニア辺り)なので、40代に対しても圧倒的に多数(優勢)なのです。

ハラスメントはいけませんが、「若者に媚びる」必要は毛頭ないそうです。

ただ、感情的な反論ばかりで、「反証(エビデンス)」をあげないならば、若者と同様ですので、慎みましょう。

 

20代以下だけで世の中全部回して行ける」はずもなく、若手はいま自分たちが「異様に大事にされる」のは何故なのかを考えてみるべきです。

後年、あなた方がした様に今度はあなた方がされます。

_________

 

 

…… 世代論というのは、面白いね。

さっきも言ったけど、その世代に特有の顔つきってあると思うのね。

例えば、80年代のアイドル顔には類型がある。

NHK朝のテレビ小説『あまちゃん』で、有村架純が一気に中年から受け入れられたのは、

1993(平成5)年生れの架純ちゃんが、昔のアイドル顔していたからなのである。

ほんとうに驚いたものだ、これ懐かしのフィルム使ってるんじゃないかと疑ったほどだったから。

有村架純は、そのまま80年代のアイドルでも通用しそうな顔立ちだったからである。

だから、世代間格差はもう仕方ないのよ。

これは摂理です。

でも、世代ごとに違う特徴があるからといって、それが何なの?

そんなに重要なことかしら?

〇〇世代は、言ってもいいし、言わなくてもいいし、そんな大した問題ではないのよ、本来は。

問題を大きくしているのは、いまの「打たれ弱い」若者なんじゃないかな。

受け手が「イヤな思い」をすると、それは自動的に「ハラスメント」だという、弱者保護のリベラル思想が根本にある。

いままでの歴史で積み上げられてきた、「女性が蔑視された怨み」は膨大な質量を帯びて、リベラル思想に反映しているのだろうね。

「ホワイト社会」は、コロナきっかけで浸透したのかも知れないけれど‥‥ 

やっぱり、草の根運動が実を結んだとも言えるわけだね。

心して、「ホワイト社会」に生きなければいけません。

まー、そんなに悪いことばかりでもないからね♪

とはいえ、旧態依然とした芸能🎭文化や職人文化は、壊滅的なダメージをうけることは間違いない。

「ホワイト化」は、都会化やハウス栽培化や無菌化の延長線上にある。

人間本来もっている野生化と、どっちに振り子が振れるか、ここ十年は注目するのも面白いかも知れん。

     _________玉の海草

 

 


 「親ガチャなんて言うな」で干された〜 「人生 (≒ゲーム)」 を辞めたい若者たち

2024-02-13 00:14:59 | 小覚

__ 文句をつけながらも、熱心に読んでいるブログ『伊勢-白山 道』のコメント欄📝での出来事でした。

最近、とみに投稿者の世代交代がすすんでいるのを感じる。

つまり、若年化してトント面白くなくなった。すべてが薄っぺらくなってしまった。

 

 

 

…… そんなコメント欄📝の環境のなかで、

ある日私が、「親ガチャ」を言うことが如何にヤマト心に逆らうものであるか、堂々と私見をのべた。

それに対する、コメント欄の反論は(レベルが)ヒドイものだった。

 

🟥 どうして、この手の浅はかなコメントが投稿されるのか?

根源的なことから、押さえておこう。

 

【サイト『遊ぶ数学』より引用】

 

「偏差値50」の人は、「ザ・平均人間」とすると、偏差値の分布は、正しく「ベル🔔・カーブ」を描く。

つまり、1000人の偏差値を調べたら…… 

「偏差値50以上」の人数は、半分の500人である。

「偏差値50以下」の人数も、半分の500人いる。

このうち、

「偏差値40〜60」の間に入る標準枠に入る人数は、683人である。

もう少し広く捉えて、

「偏差値20〜80」の間に、入る人数は、997人であり、ほぼ全ての人がココに入る。

 

大学入試などで使われる「学力偏差値」では、「偏差値60以上」が難関といわれる。

「偏差値60以上」を取る人数は、上位≒150人である。

「偏差値70以上」の人は、わずかに上位≒20人に過ぎない。

ここまでは、優秀な受験生として、よく耳にする偏差値であるが…… 

偏差値分布が、正規分布してベル🔔・カーブを描くということは…… 

低い方の、

「偏差値40以下」の人数も、下位≒150人であり、

「偏差値30以下」の人数も、下位≒20人ほど、間違いなく存在するのである。

 

文章の読解力のない人(「偏差値40以下」)が、全体の15%強で、

ほぼ6人に1人の割合だったが…… 

15%という人数割合は、行政でも無視できない大きな数字だということである。

日本人の文章読解力については、このブログの他の記事

 

日本人の読解力〜 8割の人は、 Twitter の文章を正しく 理解できない - 『 自然は全機する 〜玉の海草〜 』

__どこのコメント欄を読んでもそうだが、なんでこんな甚しい読み間違えをするのかな、ちゃんと学校🏫教育をうけたのかな、あちこち拾い読みして早合点してて、これは付け...

goo blog

 

で、詳しく述べている。

 

つまり、不特定多数の出入りする掲示板なりコメント欄📝では、

確実に、「文字は読めるが、文章(文脈)は読めない」人々が存在する。

誰でも無条件で発信できる、ネット空間であれば、

その規模が大きくなればなるほど、かなりの「読解力不足な人」が参入してくることになる。

 

それが、コメント欄📝の論戦の場に現れることは、覚悟しなければならないだろう。

彼らは、反論はするけども「反証(エビデンス)」は用意していない。

こんな輩には、まともに応えてはならない。

語彙力がないものだから、なにかにつけては「ヤバい、ヤバい」を連発する、陽気な応援団みたいな人たちである。

言を容れざる人と話すな(佐藤一斎『言志後録』より)

 

 

こうして話していると、浅慮な読者ばかりと思われそうだが…… 

たぶん年配の読者で、去年の年の暮れに、「日本人であること」というタイトルで、

「親ガチャ」という言葉に宿る卑しさと、その醜い内心を不敬であり忘恩である「親ガチャ」という言葉に載せて発すること自体が、日本精神の崩壊であると、警鐘を鳴らす御仁もおられた。(流石は、伊勢白山道読者なのである)

寝たきりの老人に向かって「家のお荷物」とか、内心そう感じていたとしても、日本人ならば口に出さない、相手を責めない処に、良心の発露があると喝破なされていました。

「恩を仇で返す」ような所業は、人非人のすることであると、決然と仰っていました。わたしは、いまだ真正の日本人がおわすことに堪らなく嬉しくなったものです。

 

まー、ここは私個人の発信場所だから、ここでも「親ガチャを言うのは人で無しだ」と言っておこう。

時系列で、伊勢白山道に投稿した拙稿を並べてみましょう。

いま思っても、リーマンさんはよく私の主要な投稿を掲載してくれたものだと思う。

同年代として、そのご配慮には感謝申し上げたい。

ありがとう御座います。

 

【以下、掲載🆙されたのが🔴印、不掲載となった拙稿は❎印をつけています】

_________

 

🔴 20240208

 

「親ガチャ」という言葉が、ひとの道にもとる、非道い言葉であることに気付けない人もいる。

 

自分を生んだ親を採点する人は、

自分を造った造物主(神)さえも、上から評価することになろう。

 

こういう姿勢をとれるということは、端的に「距離がある」ということである。親からも神からも離れている人だから出来ることであろう。

縄文以来、離れつづけてここまで離れたんですね、あなたがたは最先端ですよ。アックンとして合格ですね。

 

《私注》アックンとは、悪魔の隠語で伊勢白山道用語。

リーマンさんは、より詳しく悪魔に憑依された「人間」のことだと言っていた。

_________

 

❎ 20240209

 

 親ガチャを口にするアックン

まず基本線をいっておこう。

・親は直近の先祖であり、親孝行とは先祖供養である。

・先祖にもそれぞれ両親がいたわけであるが、最初の先祖は神が造った。

・つまり、先祖供養は直接に神棚(神社⛩️)参拝につながる。先祖も神さまを拝んだからである。

・いま、生かされている自分を感謝するのは、つまり先祖を敬い神を崇める道である。

 

ーガチャという自販機は私もしたことがある。(カプセルトイをゲット)

反論のうち、違和感を覚えた箇所を引用すると、

ゲームでもあるガチャでも結局抽選で何がでるかわからない。

【親は選べない】から、それぞれ違うっていうのを軽くカジュアルに言った言葉。

富裕層の子に生まれたら【あたり】だねとして親ガチャだなとなる。逆もまたしかり。

 

…… 抽選という偶然性の僥倖(ぎょうこう)を提供するものとして、「ガチャ」を言っているのだろうが、

親ガチャの場合は、「あたり」「はずれ」があるということね。(採点と一緒でしょ、裁くことです)

当たった人は運がいいし、外れた人は運がわるいと。

 

「親」にたいして行なう、こういう思考のベクトルそのものが、アックンのものだということです。堕落の一歩目だというのです。

最高峰の天使、光輝くルシファーが堕天使となったのは、「神(親)を選んだ」からです。

おのれを一番にしたかったからです。(高貴なるザ・セカンドだったのに)

子は親から派生したものであり、子あっての親ではないのです。

 

どんな親でも、我が子から「こんな親の下に生まれたくなかった」と言われるのは、堪え難い苦痛でしょう。親は、内心そう言われることを覚悟しているものかも知れません。子どもから言われるまでもなく、親自身は自覚しているものです。

「私は貧乏な家に生まれた」と「親ガチャでハズレた」とは、根本的に生きる姿勢が違うのですよ。

 

まー、論戦するつもりもないし、ここはそんな場ではないのだが…… (不掲載でもやむなし)

中高年が拘る「譲れない一線」なのだと思った。

 

戦後史でいえば、さんざん親に逆らってないがしろにしてきた「団塊の世代」は、わが子にそれを言ってはいけないと教えられなかった経緯があります。

しかし、その下のわたしの世代(新人類)は、その「親ガチャ」という言葉に「NO」を突きつけます。

それはダメだと教えておきます。

伊勢白山道と、「親ガチャ」を言う気持ちは真逆のものだと感じます。

 

加筆🖌️20240317

オレね、岡田斗司夫と山田玲司との対談を観て、やっと「親ガチャ」を言う若輩者に同情したんだよね。

理解したとは言うまい、あくまで同情だと思うんだけど、大学落ちて浪人していた時の自分が置かれた状況と、瓜二つなのに驚きました。

たしかに、自殺寸前まで追い込まれたなと、苦々しく思い出しているのですよ。

大学に入れない、親が望む「学校🏫の先生」に成れない、「良い子」でいられないというのは、当時の私にはまさしく身の置きどころの無い、悲惨な生存状況だったのは確かだったんですよ、不幸にもそう思い込んでいたのは紛れもない事実です。

ただ、これご先祖(遺伝子🧬)からのメッセージなのか、神の恩寵なのか、その寸前に胸からなのか肚からなのか、物凄い生命のほとばしりが湧き上がったのね。

どれだけ凄いかとゆーたら、いままで打ち沈んで萎れていた私が、にわかにまったく突然に、果てしない「自己肯定感」が湧き上がって、その喜びにのたうち回るような事態に直面したのね。

おおげさだけど、光明体験(スパーク)とでも言おうか(冷静に後から振り返ったときの命名なんだけどね)…… 

こんな生命力が、おのれの身内に潜んでいたんだという純粋な驚き‼️だったわけ。

だから、わたしの場合と同じように「自己肯定感」に襲われない若者たちが可哀想になったわけね。

この「自己肯定感」は、動画で岡田斗司夫大人がいっている「自分が嫌いというメタ認知=自分が大好き」と等しいのではないかと思ったね。

やっぱり、自分を嫌いになれないのね。

だから、「親ガチャ」を言う気持ちが分からないのよね。

【ゲーム🎮に、人生の多くの時間を費やした人間(40歳代以下の日本人のほとんど)は、ゲーム🕹️に対する付き合い方が、おのれの人生に対する接し方とイコールになっているという指摘には、唸ってグウの音も出なくなった。

・自分の人生(=ゲーム)の、初期パラメーター(見た目、遺伝的な特徴、親の年収、住んでいる場所等)は納得のいくものに設定しておきたい。

ゲームはやめられるのにやり直せるのに、人生はやめられないっていうのは理不尽だという風に考えて当たり前じゃないかと。

死にたいと言っている人は、人生を辞めたい(🟰生きていたくない)と思ってるんじゃないですかね。

結果ださなかったら価値がないという刷り込み、つまり初期のOSを変えたい願望。成績が良くなければ、何かを買ってもらえない子どもが抱える「良い子症候群」とは、つまり「毒親問題」である。

・この人生(=ゲーム)やめたい、「これクソゲーだ!」しかし「ゲームチェンジできない」「リセットできない」という浅はかな思考回路。

・ゲーム🎮をしない人にとっては、到底理解できない、ゲーム脳🧠。

つまりゲームをやり込んだ人には本能の如く浸み込んでいる「面白くないゲームはやらない、こんなことやっていられない」という心情を理解できない。

こうした文脈から、「親ガチャ」という「初期OSにたいする不満」が出てくる。しかし、ゲームのようには初期パラメーターは変えることができない事を、理不尽なことと受け取る感受性(≒本能)。

ゲーム🕹️にのめり込まなかった50歳代以上には、到底理解できない心情である。】

 

_________

 

 

 

🔴 20240210

 

 親ガチャのアックンでも大丈夫

 

(上記にあるように、加筆🖌️したので、無意味になった部分を以下適宜省略します)

 

…… コノ世で自分のまわりを客観的によく見廻してみれば、「見えざるお蔭」に気づかないわけにはいかないでしょう。「親ガチャ」なんていう言葉が出てくるはずがないのですよ。

わたしは、「親ガチャなどという言葉を使う輩はけしからん」と思っているような人間だから、伊勢白山道を読んでいるのです。

「親ガチャ」を言う心持ちと、伊勢白山道とは相容れないものでしょう。

いくら若者がつかっていて、人口に膾炙されたものと言われても、わたしは認めません。

これに関しては若者に合わせる必要は感じません。

あなた方がどう生きるかは、ご自身の問題です。

「被害者意識で台無しにせずに」生き抜いてほしいものだと思っています。

ただ、年寄りのあいつはこう言い張っていたなと認識してくれれば、それで十分でしょう。

_________

 

 

❎ 20240212

 

 親ガチャ思想否定者より

 

自分の置かれた環境において、「見えないお蔭」のなかに、赤子の頃から全面的に親が世話してくれた「今は覚えていない恩」があるわけでしょ。

自分の赤子時代を想像できない人のために、古人の言を引用すると……

 

…… 当に幼穉(ようち)の時の事を憶い起すべし。

・父母鞠育乳哺の恩、

・顧復懐抱の労、

・撫摩憫恤(ぶまびんじゅつ)の厚き、

・訓戒督責の切なる、

凡そ其の艱苦して我を長養する所以の者…… 

 

《現代語訳》 人は誰でも、幼少の時の事を思い起してみるべきである。

・父母が自分を養い育てて乳を飲ませてくれた恩、

・反復自分をいたわり、懐に入れたり、抱いてくれた骨折(ほねおり)、

・なでさすったり、あわれんでくれた厚き情、

・訓戒したり、責めなじったりしてくれた親切心、等々、

凡そ父母が艱難辛苦して、自分を成長養育して下さった事など

[※  佐藤一斎『言志後録』川・上正光(訳)ーより]

 

 

 

…… 赤子がもっとも恐怖心を感じるのは「落下の恐怖」だそうです。まわりにいる親や兄弟姉妹は、赤子をあやしながら、落とさないように細心の注意⚠️を払い続けてくれたわけでしょ。

そうしたことを、まったく記憶にないからといって、「この親は外れだ、当たりだ」と、親を評定して、いま恵まれていない責任を親にかぶせる精神姿勢は、到底容認できないものです。

カジュアルに軽いポップ口調で言うことで、救われる子どもがいるというのも分からんではないが……

[※  筑波大学の土井隆義教授(社会学)は「この言葉は親を責める言葉ではなく、子が自分を守る言葉だ」と指摘する。とはいっても、親を責める事になることに何故気づかないのだろう。]

基本的に、親のせい家・先祖のせい神のせい、と進むベクトルは、伊勢白山道の「生かされている」感謝想起とは逆行するものです。

 

 

親ガチャだけじゃない、最近のネットスラングは非道いものばかりです。

片親パン、和室界隈、アフガキ、

負け組ランドセル、チー牛、

子供部屋おじさん、子供部屋未使用おばさん等

…… 格差社会と申しますか、持てる者が持てない者を差別するネットスラングばかりです。

小中学校の不登校生徒が30万人を越え、「引きこもり」は中高年を含めて150万人にもなります。

ひとことで、Z世代のネットスラングと言われますが、抑圧された「こもりびと」が創作したものも多いでしょう。

自分たちが抑圧されているから、より弱者に向かって差別的なのだろうと思います。

かるがるしく、それらのネットスラングをつかうのは控えたいものです。

_________

_________

 

 

やっぱり、いにしえの文人には、滋味掬すべきところが満載である。

先に引用した佐藤一斎は、「陽朱陰王(ようしゅいんおう)」とも呼ばれた陽明学の一大高峰であるが、実に味わい深い箴言を、後世に遺しておられる。

西郷南洲翁も熱中した『言志四録』より

性分の本然を尽くし、

職分の当然を務む

此くの如きのみ。

…… これなんか、職分(=ダルマ)と読めば、ヒンドゥー🛕の聖典『バガヴァット・ギータ』そのものであろう。

擬せんと欲すれば

即ち差う(たがう)。

…… 簡にして要諦をさらりと洩らす。作為でやろうという欲望を持つと、作為を思ったその瞬間に既に差し違えているとは、鍛錬によりわが身についたものしか、的🎯に中らないという入神の業を示唆している。

 

 

__ 今回、「親ガチャを口にする人」を非難したことから、コメントを連発して、結果他の読者から総スカンを喰らった形である。(あくまでも表層での出来事にすぎないが)

まったく頓珍漢な批判をしてくる読者は、拙稿をよく読みもしないで文句をつけてくる。

まったくの濡れ衣であり、そちらの読解力不足なのに、一方的に責められる。

この大理不尽!

この手応えの無さは、何かに似ていた。

今回、それが何なのか、ようやく気がついた。

 

ー禁煙🚭における、ニコチンの禁断症状に襲われるときに酷似しているように感じた。

 

不寛容であり理不尽である受け身の環境‥‥ 

これは、煙草🚬を吸えば即座に得られる快楽に、待ったをかけられたような塩梅なのである。

喫煙者からすれば、たしかにこれ以上の大理不尽はなきい、みずから禁断症状を全面的にうけいれて堪えているのだから。

だから、言われっぱなしの暴論を受け止めるだけで、自分の番(ターン)が来ないとき、これ以上の大理不尽はない。

つまり、応えの投稿をしても、ブログ主リーマンさんから不掲載にされる、無力感である。

よく似ているなと感心した。

禁煙🚭したときと、同じように凌げるということを、それは示唆していた。

なるほど、禁煙者は、途中でブツギレにされる投稿も平然と放棄できるはずである。

別の次元に移動するからである。

離見の見に、自分の主体を飛ばす感じだろうか。

仮想現実のマーヤー(幻影)から、一歩しりぞいて全体表裏を観る感じであろうか。

 

それにしても、ネット・コミュニティで所謂(いわゆる)「干される」というのは、禁煙🚭の味わいと相似だとは驚く。

禁煙🚭は、してみれば、ひとつの技術というか、境地である。小覚といいますか、次元移動といいますか。

意外なところにつながって、何やら「セレンディピティ」に見舞われた気分である。

気分がすこぶるよい。

くやしいが、また伊勢白山道に感謝申し上げねばならないようだ。

伊勢白山道のイビツさというものは、完全にクセになるんだよな、中毒なのかそぞろに心配になる。

リーマンさんに頼らず、自ら恃めばよしとしよう。

加筆🖌️20240317

理不尽なネットのコメント攻撃を嘆く前に、何故そんなにも烈しい口調で反論してくるのか、その根源に迫るべきだったのだろう。

いま、いたく反省している。

ただ、それぞれの置かれた環境の違いにはお互い「正しく認識しておく」べきだとは思った。

物心のつく頃から、ネットが当たり前の環境だった若者たちと、途中から IT環境に慣れなければならなかった年配者とは、その生き方(付き合い方)が根源的に異なるのだ。

今現在の思いとしては、「親ガチャ」というのは「生かされていること」への根源的な冒瀆のように思う。

被造物として、造物主へ文句をつけていることになると思う。「生かされていない」のなら文句つけてもいいだろうが、いまそれでも「生かされている」のは厳粛な真実である。

この年まで、生をえらび続けてきたことに満足している。未知とは恐怖でもあり希望(楽しみ)でもある。

       _________玉の海草

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 岡田斗司夫の “ ホワイト社会 ” 〜 どうして 【革命】 なのか

2024-02-04 00:53:31 | いまの世相

__ どこよりも自由な投稿空間である、伊勢白山道のコメント欄📝でも、3年ほど前から「不掲載」になることが多くなった。

ブログ主は、そうする理由を本記事のなかで、丁寧に説明してくれたが、なぜそうなるのか、なぜそうしなければならないのかがよく分からなかった。

「見ざる、聞かざる、言わざる」に徹して、よけいな言及は一切しないでくださいとの事だった。

個人を特定して、その危険思想を察知できるほどに精密になった 「AI による監視の眼👁️‍🗨️」のことなんだろう。

要するに、「ブログ存続のために」やむを得なく、そうせざるを得ないということであった。

 

今回、はからずも 「ダウンタウン事件」の、予想を超えて世間に波及してゆくのを眺めて、その裏表がハッキリと掴めたような気がした。

オタキング・サイコパスおじさん、岡田斗司夫のお蔭である。

 

「団塊の世代」75才位

   ↓

「ポスト団塊ジュニア」50才位

   ↓

「ミレニアム世代」 25才位

 

…… と三世代に渡って、受け継がれ、洗練化されてきた

 「リベラル・デモクラシー」 であって、

現在の主役 「ミレニアム世代」 は、昭和・平成の「生き方」に、あからさまな 「NO」 を突きつけている。

それの本質が、岡田斗司夫が 「ホワイト化」 と称しているものである。

 

かれが、それに加えて 「ホワイト革命」 とまで云っていることは、注目しなければならない。

「革命」 とは、それ以前の体制では想像すらできなかった価値観が、革命以後は 「あたりまえの価値観(生き方)」 になるという意味である。

戦前 「お上」 が絶対だったのが、戦後 「権利」「民主主義」 を覚えて、自由にわがままに、すべてに逆らうようになったのと、

いま始まっている「ホワイト革命」 とは、歴史的な転換点だということ。

これは、グローバルで圧倒的な外圧ということもあるが……

成る程と頷けるのは、それ以前とそれ以後の人口分布であろう。

第二次世界大戦・前後の日本🇯🇵における、価値観の大転換、まさに 「革命的な変化」 に優に匹敵する大変化が令和のいま起ころうとしているのだから…… 

それは、ただしく 「ホワイト革命」 といってよいだろう。

 

【荒川和久氏が作成した「年齢別死亡者数の長期推移」図】

 

スクショしたので、目を👀凝らさないと見えないのだが、

グラフ📈は、

ヨコ軸に1899年〜2067年までの4年毎の数値が記されている。

タテ軸は、30万人ずつ6段階で最高180万人まで表示されている。

グラフ📊の左側は、「太平洋戦争」 の間隙で仕切られていて、右側の 「現在」 の矢印がついた、タテの白線は、

2019年(この動画がアップされた当時)を指している。

 

このグラフ📉で、現在の2024年あたりを見てみると、

死亡者数は、150万人台に到達している。

つまり、

年間死亡者150万人越え(太平洋戦争時なみ)が、あと50年間は続くという 【推計】

となっている。

そして死亡者の70%以上は 「高齢者」 である。

【多死時代】が、既に到来している。

[※ 加筆🖌️ (20240227) 実際の話、

厚労省の『人口動態統計』によると、国内死亡者数は2022年に初めて150万人を超えて、2023年に過去最多を記録している。

2022年死亡者数ー1582033

2023年死亡者数ー159503 (2024年2月27日発表)

葬儀場は、今現在1週間待ちが普通のようです。新たな葬儀場の建設を予定している自治体が多いとの事。]

 

その結果、年齢別人口分布は、徐々に若年層が厚くなってゆくわけだ。

それゃあ、「ホワイト化」 が進むであろう。

なんということだろう。

 

 

__ 岡田斗司夫さんご自身がまとめられた、

「ホワイト革命」 の動画をリンクする。

【概要欄から、詳細を引用しよう。

> 2022/02/07

岡田斗司夫が今後訪れると予言するホワイト化社会。 それがどのようなものなのかを解説した本放送と2ndチャンネル含めた3本をまとめました。 コ○ナ、キャンセルカルチャー、ミュートと縦横無尽に解説しているため やや難解ですが十分お楽しみいただけると思います。

~~~~~~お品書き~~~~~~

0:00 コ○ナ戦争とホワイト革命 イントロ

2:30 日本は本当に清潔になった

5:46 コンビニのおにぎり

7:14 キーワード1  見た目は正しい

13:48 キーワード2  汚いものは正しくない

20:39 コ○ナは第三次世界大戦

29:20 メンタルのホワイト化

33:57 汚いものに本質がある

40:39 キーワード3  不潔なものは体に入れないようにする

43:06 (2ndチャンネル) ホワイト化みんなの証言

43:18 ミュートについて

43:50 ホワイト革命の世代差

44:25 上司のカラオケにモヤッとする

44:49 K-popアイドル

45:52 クジラの郷土料理

46:39 かつての街の中華屋の汚さ

47:03 ホワイト化社会が不安

49:10 コ○ナは第三次世界大戦part2

51:00 (本放送)80年代のCMよりわかること

53:02 進むミュート化

54:07 僕はホワイト化に前向き

56:14 錯綜する情報による死者

1:00:45 中年でさえ許されない

1:02:02 暴言もホワイト化対象 】

 

 

__ もはや、「ホワイト化」 の浸透は、わたしの日常生活にも及んでいるんだな。

今クールのドラマで、大好きで観ているのが

・『不適切にもほどがある!』

・『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』

のふたつは、もろに 「ホワイト化」 推進ドラマじゃありませんか。「❗️」がどちらにも付いているのが可笑しい。

【アップデート】 がテーマなんだよ、「社会のお荷物」 になりたくない主人公のお話みたいだね。

アップデートするのは、若者に合わせるためや追随するためではなかったんですね。

生き残るためにする、アップデートもあるんですね。

そう素直に思えたのは、いまは、現実が見えているのかも知れないなと思いました。

こう生きたいではなくて、生き延びるために、「生きられる」 選択をしようとしているのは、生命体としては正しい生き方ではないでしょうか。

とはいえ、ホワイト化というものは、私には抵抗のあるものではない。

平成の御代となったとき、昭和のおどろおどろしい靄がかかっていた 「霊的なバリアー」 がクリアになったのを肌で感じて、心底驚いた覚えがある。

それまでは、神社⛩️仏閣でも、なにかしら「呪い」とか「闇」 が建物や空間に染み付いていたものだ。漂う空気に澱みというか、奥行きのある落とし穴のような不気味さがあった。

平成を迎えたら(90年代になってから)、その類いの「うら悲しい」 ものや 「うらみの磁気」 が希薄になったような気がした。

それは、一面では情緒が薄まったような寂しさを内包していたのだが、昭和の情熱が薄められたようで少しイヤだったものだ。

しかし、『カラマーゾフの兄弟』 のような毒々しいまでの遺伝🧬的な粘着質の「怨念(生き霊)」 が、伊勢白山道の供養によって、薄められていたのが幸いしたのかも知れない。

お盆の時期に、きまって襲われていた「死にたくなるような意気消沈」 も、二系統のご先祖の墓を合祀してから、あらわれなくなった。

そんな、希薄な軽やかさ、ホワイト化は、昔求めて得られなかったものでもあった。

なんら問題はない。

ただ、本音のドス黒い塊はどうしたものかな?

わたしにも心奥にある「繊細さ」 を見て見ぬふりをして生きてきたツケも払わねばならんだろうな。

 

ホワイト化は、わたしの志向と一致する処もすくなくない、かならずしも逆らうものではないので、けっこう新しい世界🌍が開けるかも知れない。

でも、表面的な付き合いに終始しそうな気もするな。

ホワイト化は、いわば泥のついていない野菜🥦だからなあ。

本質はくらませないものだから、有機物(つまり臭い存在)としてどうなんだか、腐ったような臭さを嗅いで安心するような処もあるからなあ〜

一番キライな 「使い分け」 に追い込まれるかも知れんな。

まー、直面することが大事ですわ。

      _________玉の海草

 

 

 

 

 


 ダウンタウン が 【お笑い】 の主流に〜 戦後日本🇯🇵の抱えた歪み

2024-01-30 01:30:11 | いまの世相

__ 漫才の「ダウンタウン」の松ちゃんが、いま大変なことになっているが、

いま、「ダウンタウン」の笑いを論ずる、実に象徴的なニュースがふたつ並んであらわれた。

● ひとつは、Yahoo!ニュースにも取り上げられた『PRESIDENT』に掲載された

藤井セイラさんの記事で、現在「お笑い」の主流になっている「ダウンタウン」への批判について。

● いまひとつは、女子SPA!に掲載された

石黒隆之さんの記事で、今は亡き坂本龍一が「ダウンタウン」の笑いに投げかけていた批判について。

 

そして、このような感覚(ダウンタウンへの違和感)は私だけの個人的なものではないようだ。

今週の『週刊現代』(2024・2月3・10日号)に8頁にわたる、こんな記事が掲載された。

 

☝️【 大阪ぎらい 

〜ダウンタウン的お笑いも、

万博をごり押しする維新のやり方も、

なんだかちょっと時代とズレてしまった気がする〜

日本🇯🇵を支えた商都と文化都市のなれの果て】

 

>  昨年末、ダウンタウンの松本人志に関する週刊文春の報道が出て以降、少し懐かしい動画や画像が、SNS上でしばしば拡散された。

 '90年代の人気番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系列📺)の一部を切り出した動画や画像である。…… (中略)……  

今回出回った「切り抜き」でとくに注目を集めたのが、当時まだ駆け出しだった女優の篠原涼子が、松本にどつかれたり、股間を触られたりするシーンだ。

いまでは考えにくい演出に、批判的な反応が寄せられたのである。

 ところで、こうした「切り抜き」や松本問題に対するネットユーザーの反応にはこれまでになかった特徴が見られたという。

在京キー局のディレクターが言う。

「それは『大阪の笑いは乱暴なんじゃないか』といった反応です。

ダウンタウンのお二人は兵庫県尼崎市の出身ですし、もちろん大阪の芸人が全員乱暴だなんてこともない。

でも、今回の件で大阪の『イメージ』が悪くなっている感は否めません」

 

…… それでは、ひとつずつ、私の感想をまじえながら、引用してみよう。

(私は三年間大阪に住んでいたし、大お世話になったし、友だちもいっぱいいる。第二の故郷だと思っている。

ダウンタウンの荒っぽい尼崎弁と違って、昔の大阪の中心地・船場の「柔らかい大阪弁」である「船場ことば」も耳にしたことがある、大阪大好き人間である。

そんな大阪びいきの私の正直な感想である)

 

🔴 引用元リンク ▼  文・藤井セイラ

「松本人志がいなくても日本のお笑いは大丈夫」老若男女に支持されるウンナンとダウンタウンの決定的な違い(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

 

> 「ダウンタウンがいなくなってもウッチャンナンチャンいるから日本のお笑いは大丈夫。

ごっつええ感じでYOUと篠原涼子がセクハラされてた頃、

ポケビとブラビは綱渡りとか厳しいチャレンジさせつつも、ちゃんとビビアンと千秋の『自己実現を叶える装置』として機能しつつ、ミリオンヒット飛ばしてたよね」

 

…… 昨年末のNHK『紅白歌合戦』で、視聴者にすこぶる好評だった「ポケット・ビスケッツ」と「ブラック・ビスケッツ」の再結成。

1996年当時、ウッチャンナンチャンは、お笑い番組のなかで、夢実現企画を成し遂げた。

ふざけたような対決企画だったが…… 

台湾🇹🇼から出稼ぎに来ているビビアン・スーが、この勝負に勝たないと生き残られないと必死なのが、リアルで妙に心に突き刺さった。

ふざけた感じとは裏腹に、作曲家の陣容は超一流どころで、林田健司や中西圭三、パッパラー河合やら、ユーミンとデュエットもしていたなあ。

「スタミナ」「タイミング」「ミレニアム」は、CD💿買ったような覚えがあるな、車🚗中でヘビーローテーションしていた。

携帯電話が普及する5年前くらいだから、昭和の意識で生きていた最終ステージといえるんじゃないかな。

小室ファミリーばかりが、ヒットチャートを席巻した九十年代…… 

ポケビ・ブラビの練り込まれたヒット曲は、新鮮だった。

そんな当時を知る者はもちろん、いまの小学生から、高齢者にまで、訴えかけるものが大きかったようだ。

 

その頃、1989年に東京🗼進出を果たした「ダウンタウン」は、徐々に地歩をかため、1995年には浜田が「wow war tonight」でミリオンセラーを出したりしている。

このへんが分岐点であろう。

1989年は、「昭和」の最後の年である。

いろいろなものが、この年を境にクリティカルに変化し始める。(個人的には、プラトン大年の「アクアリアン・エイジ」は1989年から始まったのではないかと推測している)

 

ダウンタウンの「イジる笑い」はハラスメントを内包する

 1991年から97年まで続いた『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)などで、

ダウンタウンは日本中の若者、子どもたちに「イジり」という概念を植えつけた。

「イジってもらっているんだから、おいしい」というような、本来は芸人の楽屋だけで通用していればよい価値観を、テレビ放送という「表舞台」に提供し続けてきたのがダウンタウンだといえる。

天下を取るまではそれでよかったかもしれないが、天下を取ったあとのそれは、弱い者いじめとなる。

 

…… 実は、わたしは「ダウンタウン」のそれらの番組の洗礼はうけていない。まったく興味がなかったからである。

ダウンタウンを知っていたのは、音楽番組の『HEY!HEY!HEY!』ばかりは、好きな歌目当てで観ていたからである。

当時、ダウンタウンって毛色が変わった漫才をする印象だった。陽ではなく陰である、武士の戦い方ではなく、忍者めいた戦い方をしている感じがした。

通好みは、ハマるのかも知れないけど、私は一目みて遠慮したいと思ったものだ。

おそらく、ダウンタウンの漫才は通しで全部みたことはないだろう。

わたしが「お笑い」に求めるものから、かなりかけ離れていた印象があった。

 

> ■「ジャンクSPORTS」での浜田のアスリートイジリも危うい

 現に、同様に「イジる笑い」を貫いていたとんねるずは、2018年の「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)終了をもって冠番組がなくなっている。

 

…… 浜ちゃんの「ジャンクSPORTS」を観ていると、この番組から呼んでもらいたくて、がんばっているアスリートが実際いるのだから、面白いものだ。

アスリートの素の顔が映し出され、型にハマった祝福ではない、くだけた魅力が窺えるメリットもあったが…… 

もはや、テレビのコンプライアンスは、そうした「イジリ」をも倫理的にゆるさないレベルに入っているようだ。

この社会の雰囲気が、「ダウンタウン」の笑いを拒みはじめたのが、良いことなのかそうでないのか…… 

この現象は、社会の「揺り戻し」なのであろうか?

 

リベラルの在り方が、あまりにも多岐に細分化して、いちいち逐えないところまで来ていて…… 

保守 VS リベラルの「二元構造」で片付ける論理は通らなくなってしまった。

 

> 1980年代終わりから1990年代初頭にかけて、ウッチャンナンチャンは「東のウンナン、西のダウンタウン」といわれ、ダウンタウンと並び称されていた。

 

…… ダウンタウンが落ち目になった今、ウンナンが地道にやり続けてきた「腕みがき」が脚光を浴びようとしている。

ウンナンは、開拓しつづけている。ダウンタウンが、同年代を中心とする中年サラリーマンのカリスマとして君臨していたときも、ウンナンは歩みを止めなかった。

ナンチャンの『ヒルナンデス』出演も長い。ウッチャンはNHKでも新しい笑いに挑戦しているし、現場の漫才師として、ネタも作り続けている。

わたしは、松ちゃんの「笑い」は『すべらない話』を観るまでは分からなかった。あー、なるほど、こんなに作り込まれた「笑い」も違った風味があって面白いものだなと思ったのは、比較的最近のことである。

もはや、審査員であり評論家に成り果せている感じが拭えない。

もはや大御所になっちまったのか、なにか強烈な違和感を覚える。

松ちゃんの流派が面白いのは認めるが……  松ちゃんが「お笑い」の質を決める裁判官では決してない。

 

 

🔴 引用元リンク ▼  文・石黒隆之

松本人志に坂本龍一さんが生前投げかけていた疑問。90年代にはCDプロデュースしたが/2023人気記事top5 | 女子SPA!

 

坂本龍一氏が2001年刊行の対談本で語っていた「ダウンタウン理論」

『永遠の仔』のベストセラーで知られる作家の天童荒太氏との対談本

『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』(文藝春秋刊  2001年  

での、2000年代前半の殺伐としていた日本社会の空気に関するやり取りです。

 

 まず天童氏が、電車内で少し肩がぶつかっただけで暴力沙汰に発展しそうな 秩序の崩壊を指摘。この感覚を共有していた坂本氏が、理由のひとつとして挙げたのがダウンタウンなのです。

 

「僕には、ダウンタウン理論というのがあるんですよ。(中略)ダウンタウン前とダウンタウン後で日本人の心は大きく変わった。」(『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』p.117より。)

 

…… わたしが実感する、1989年の境界線。

ダウンタウンを進んで受け入れた日本🇯🇵が始まった、ダウンタウン後の日本は、それまでの良き日本人と完全に一線を画すものだったことは、間違いないだろう。

 

松本人志がすごい才能で示した日本社会のあり方とは

 では、日本社会を様変(さまが)わりさせてしまったダウンタウンの異質さとは何なのでしょうか?坂本氏はこう続けます。

「挑発すべきものがなにもないところでやってるから、パフォーマンスとしての反抗にならざるを得ない

ここ二、三年のダウンタウンの芸って、年下の芸人をいたぶってるだけで、一言で言うと、『どんくさいやつをいじめてなにが悪いの』ってことでしょ。」(p.118

 

…… お笑いのスタイルとしての「反抗」、文句つけるのがカッコイイ風に受け止められている。

この時代、逆らうべき権威は明確には存在しない。

弱者を守るために、強者に「反抗する」正義が存在しないのに、「反抗するスタイル」をとり続ける。

いわゆる「不良」のもつカッコよさ、ロックで生きる感じであろうか。

ダウンタウンは、決して真面目に学校🏫に通う優等生ではなかった。いつも、主流から外れたアウト・サイダーであることに、彼らのアイデンティティがあるのである。

「不良」の魅力とは、真面目に学校🏫に通って勉強して「学校制度」を守っている「まじめな学級委員長」はじめ大勢の生徒さんがいて、初めて生まれる異端の魅力なのである。

「不良」は、学校🏫の主流にはなれない。

 

> 「結局、子どもたちはみんなダウンタウンをやっている。

だって、いまのいじめとか少年犯罪のパターンって、ほんとダウンタウンそのままじゃない?

松本人志はあのすごい才能で、そういう社会を啓示したんだよ。」(p.119

 

…… 坂本龍一は、こういった客観的な視点が尋常ではない鋭さをもっているんだよね。村上龍との対談も、まったく新しい見方(文脈)を見いだしていて驚かされたものだ。

 

> あざ笑うべき権威があったビートたけしらの時代とは異なり、権威がなくなり、

その結果、乱暴に悪態をつくことが形骸化(けいがいか。中身がなくなったこと)してしまった現代の負の側面としてダウンタウンの笑い。

 こうした価値観が刷り込まれると、

『いじめてなにが悪い』から『人を殺してなにが悪い』に行き着くのは早い。」(p.120)

と考えるから、坂本氏は危惧(きぐ)を抱いていたのです。

 

…… やはり、ダウンタウンは「陰」つまり日陰者の立場なんだよね。それなのに、間つなぎの遣り取りが斬新だからとか、いかにも新しい潮流のように歓迎されるから、若者の文化は幼く怖いところがある。

一部の好事家(物好き、ディレッタント)に愛されたり、一部のローカル文化としてなら許容できるが、

東京🗼のキー局は、視聴率(数字)が獲れるからといって、異端のダウンタウンに冠👑をかぶらせて、ダウンタウンの思い通りに番組を牛耳らせてしまったのである。

 

> 「権威に反発して、ルールがないことはいいことだと戦後最初に言ってたのは、僕らの世代なんだよね。

いわゆる全共闘世代。

いま僕らの世代が親になり、教師になって、そういう子どもを育ててしまってる。」(p.120

 

…… 坂本龍一は、1952年(昭和27年)生まれ、

1947〜49年の「団塊の世代」のすぐ後で、シラケ世代といわれた年代である。坂本龍一は、東京育ちの最先端ボーイだったから、年少にして「全共闘」に参加することができたのだった。

既存のすべてをブチ壊して、親を泣かせた坂本さんたちの世代が、親になり学校🏫の教師になるなんて、おそろしいことです。

好き放題、親や先生に逆らった人びとが、どうやって「人としてあるべき道」を教えられるだろう。

学校の教師は、坂本さんらが親になった70〜80年代には、もはや「聖職」と呼ばれなくなった。

人生の先輩として、学校教師はみずから健全な大人のモデルとして振舞えなくなってしまったのです。

 

>  坂本氏はダウンタウンそのものを批判しているのではなく、彼らが生み出されるに至った歴史の過程に、日本の問題点を見ているのです。

> 「やっぱり、親なんだよ。

教えられるのは親であり、地域のコミュニティーであり、社会だもん、それが機能していないってことだよね。」(p.84

 

…… そうした旧態依然としたコミュニティや集まり、近所付き合いや義理人情を、ぶっ壊してきたのが「団塊の世代」をはじめとする、戦後の「アメリカ🇺🇸かぶれ」世代であった。

昔の江戸っ子は、近所の子どもでも遠慮なく叱って、人としての道を教えてきたが…… 

自由と権利を主張して、わがまま一杯に甘やかされた坂本さん達の世代が、後進に「あるべき見本(モデル)」を示せようはずがなかったのである。

 

 本来ならばアウトサイダーとして輝くはずだったダウンタウン

メインストリームに躍り出てしまった社会の歪(ゆが)み。

 

…… そうした、地縁のコミュニティが希薄化するにつれて、子どもや若者たちは自らの裁量で生きていかなければならなくなった。

地域の守りが、セイフティネットがほつれて来たのをどうすることもできなかった。

もはや、伝統的な「古き良き日本」は、跡形もなく消滅してしまっていたから、

ダウンタウンのようなアウト・サイダーは、昔からのコミュニティの自浄作用をうけずに、世間の大道を闊歩し始めたわけである。

丁度、バブルが崩壊して、いままでの既成の価値観が大きく揺さぶられている時だったから、時宜にかなった東京🗼進出だったのだと思う。

 

 

 

__ 大阪の芸人は、おのれの武器である「大阪弁」を、東京の地でも手放さなかった。

松ちゃん浜ちゃんも、柄のわるい尼崎の流儀を、東京に来てもそのままやり通した。

それができる時代、できるどころか歓迎される時代に、たまたま巡り合ってしまった。

 

社会の景気はとてつもなく悪いし、その最も苛酷なしわ寄せな自分たちの世代に襲いかかった、当時の若者たちは、なにもかもすべてに、半ば絶望しかけていたことだろう。

先の見込みもなく、とりたててなにも良いことのない日本社会で、せめて「お笑い」くらいは、自分たちのわがままを発散させたいと思うのも無理からぬ処なのかも知れない。

 

そして、「イジる」ことで「ウケる」コミュニケーションの中に活路を見いだしたのであろうか。

いまだに、ダウンタウンを目指して漫才師になる若者が後を絶たない。

それほど、強烈なインパクトを残した理由は、不良に通ずる「反社会性」であろう。

 

それが今や、不倫や暴力・暴言が完全に許されない社会に移行している。

誰が首魁なのか、皆目わからぬながらも、世界中がその「外圧」に振り回されている。

庶民は、見えない権力の分析なぞしない。

しかたなく長いものに巻かれるだけ。

たんに、ひとつの時代が終わったのを眺めるだけである。

 

ダウンタウンが「お笑い」の主流である時代、わたしは好きではない。

願わくば、謙虚に傍流の「大物芸人」として、ちょっと社会にスパイスを振り撒く程度に活躍してもらいたい。

「団塊の世代」(75才位)の子ども世代である、「ポスト団塊ジュニア」(50才位)…… 

「団塊の世代」の孫世代である、「ミレニアム世代」(25才位)…… 

 

ダウンタウンの笑いは、ほぼ30年続いた。

もう、次の「ミレニアム世代」にお譲りする時期なんじゃないかな。

ダウンタウンのようにクセのある、偏った志向は、長続きはしないものだと思う。(特化するとは、成長を止めることである、普通さとは万全な生き方なのである)

マイナーなのに、花咲いて天下奪ったのだから良しとしたらいいんじゃない。YouTube には向いているのじゃあるまいか。

       _________玉の海草

 

 


 禁煙🚭がもたらす意識の変容〜 『禁煙の愉しみ』

2024-01-23 16:06:08 | 小覚

__ ひとことでゆーたら、

禁煙者というのは、特別な権利をもっているんですよ。

それは、喫煙者も持っていないし、非喫煙者(タバコを吸わない人)も持っていないものです。

 

この、禁煙者ならではの微妙な境地を探ってみると、まるで秘密教団の秘儀参入のような「意識変容」が見られるのです。

わたしは、これから紹介する『禁煙の愉しみ』という逆説的なタイトルの本📕を読みながら…… 

グルジェフの、ストップ・エクササイズを思い出していました。マハリシやニサルガ親爺の、自我と真我の、意識の裂け目を思い出していました。

ソワソワしている統一のとれない今の自分は、本当の自分なのだろーか?

この私が感じている渇きは、本当に自分が欲しているのだろーか?

タバコは深くわたしの心奥に浸み入って、わたしの心を支配する。それに任せていてもよいのだろーか?

 

 

__ 結果、わたしはタバコを止めたわけだが、この本📕は「まさにその時」に役立つだろーことが予感できた。

 

なにげなく、タバコを止めた状態を続けていたら、一日が三日となり、一週間二週間となり、いつの間に一ヶ月が経っていた。

一年とか三年とか、ふと誘われる節目があるそうだ。

また喫煙🚬するタイミングに見舞われる。

わたしは、一・二度その波に乗ってみたこともあった。

しかし、もとの禁煙🚭にもどって、いまもその状態に在る。

 

タバコを止めたら、酒を呑まなくなった。あまっさえ、音楽に耽溺することが出来なくなった。

わたしにとって、タバコ・アルコール・ミュージックは三位一体の快楽なのに、今更ながら気がついた。

この三角形が満たされたとき、わたしの幸福ホルモンは全開するのである♪

それは、果して厳しい仕事に堪えるためであったのだろーか?

大人びて、通や粋を気取るためだったろーか?

女性(にょしょう)に対する、アプローチだったのであろーか?

ハッキリとは分からないが、わたしの幸福は常にこのトライアングルと供にあったのは事実である。

 

喫煙のはじまりは、好きだった子が「(煙を)肺🫁まで吸いこむと気持ちいいよ♪」と教えてくれたのがキッカケだった。

仕事がキツかったのか、わたしはその快感を試すことにしたのだった。もちろん、初回はムセたし、頭が痛くなった。

うちの親父も喫煙者だったが、村の青年団で、初心者🔰にタバコを吸わせたときは、気つけの意味なのか、味噌を舐めさせたそうだ。

 

その一番最初の、身体が正直に抵抗したのを乗りこえて、はじめて喫煙生活が始まるわけである。

あれから、三十年、ほぼ三十万本のタバコを喫んだ計算になる。そろそろ一区切りつけてもいいんじゃないかと。新型コロナに襲われる三年前くらいであろーか?

たいした仕事もこなしていなかった私は、ふとこんなに高級なタバコを服んでいられないな(亡父は、一番安い「エコー」を嗜んでいた、おまけに肺まで吸わないで喉でプカプカするに留めた)と…… 

何のまえぶれも、準備(覚悟)もなく、それは唐突にはじまった。そして、いまもそうである。

 

 

それでは、稀代の名著であろう『禁煙の愉しみ』を紐解くことにするか。

【 私の愛蔵本📕は、この文庫本。

『禁煙の愉しみ』(1998)煙草🚬をやめることは「苦行」ではない

思いがけない快楽の発見者 山村修(1950〜2006)】

 

 

著者の山村修は、書評家「狐🦊」としても著名な御方である。特にむずかしい言葉は使わないが、博覧強記な教養人であること、風流な御仁であることが、平易で研ぎ澄まされた文章から窺うことができる。

名文家といっても間違いではない。

読みやすい文体とリズム、字面にも品がある。いたく滋味ふかい、明確な輪郭の文章をものする御方である。

わたしは、そのことにいたく満足した。

そこに、大先達の匂いを嗅ぎ取ったからである。

 

そんな心地よい文章を引用しよう。

これまで二十七年間、毎日、煙草🚬を吸いつづけてきた。

一日に紙巻きを三十本。多過ぎはしないと思うが、計算すればざっと三十万本の煙草に火をつけ、灰にしてきたことになる。そう考えると少ない分量ではない。

 思うところがあって一年前に禁煙🚭した。いや、そんな一言で済ませられるほど簡単ではなかったが、ともかく禁煙した。

「健康のため」ではない。

煙草が「不健康」なものだと考えて禁煙できる者は、もともと喫煙者ではない。

いまどき、煙草が身体にまったく無害であると思っている幸福者が、喫煙者の中にいるわけがない。切迫した理由でもないかぎり、害はあると知っていながら吸うのである。

…… 正直な著者の独白から入ろう。山村さんは、「健康のために」禁煙したのではないのである。

そこは、頭に留めておいて頂きたい。

 

さんざん喫煙していながら、吸うことが心底楽しいと思ったことはない。本当にうまいと感じたことはない。たしかに煙草に火をつけたとき、快楽に似た感覚が走ることはある。

そうした生理現象があるかぎり、楽しいともいえるし、美味ともいえる。

しかし楽しいと思っているのは果たして私だろうか

煙草を吸いたいと思う、その欲求は本当に私自身から発しているといえるのだろうか

 煙草を静かに深々と吸った時、ほっと安堵するものがある。

安堵するのは果たして私だろうか

ある状況によって許されず、長時間、煙草が吸えないと分かったとき、ほとんど恐れに近い感情をもつことがある。

恐怖しているのは私だろうか

喫煙が許可され、救われたと思う。救われたのは私だろうか

 楽しんだり、安堵したり、恐れたり、救われたりするのは、

私ではなくて、煙草産業である、などという話ではない。

答えは__ あまりにも真っ当すぎて、つまらないにせよ__ 明らかである。

体内に残存しているニコチンである。

ニコチンという依存性の薬物そのものが、体内で効果を失うにつれ、新鮮なニコチンの補給を欲しているのである。

喫煙は、つまるところ薬物依存なのである。

…… これは「私だろうか」というアプローチは、

ヒンドゥー🛕のヴェーダーンタ系統の聖者ラマナ・マハリシの「二十世紀最大の問い」である、

「私は誰か?」

「私は何か?」

「それは本当の私なのか?」

という内的な自問と、奇しくもおんなじである。

「もうひとりの自分」がアタフタする自分を俯瞰している。あるいは、能楽の「離見の見」といってもよいだろう。離れた処から自分を見つめるもう一人の自分となる。

当代の市川右團次は、具体的に次のように云フ。離見の見はいきすぎてはならない。半々のバランスを取ることが肝要と。なるほど、生き霊のような「離見の見」に傾きすぎると、本体に支障をきたすものなのだろう。

 

喫煙は一方で、それが暮らしに沿い、融けこんでいるときは美しくさえある。

他方、喫煙はあくまでも薬物依存である。私たちもまた、レバーを押しつづけているのである。煙草について、この両面をともに見すえたい、その程度には批評的な目をもちたいと私は思う。

 では、私は薬物依存であることがいやで、つまり自分がレバーを押すサルと同じであることがいやで、それで禁煙したのか。そうではない。

 

 

私が禁煙したのは__ どうか笑わないでほしい__ 、禁煙というものが喫煙者である私にとって、まさしく想像を絶する状態であり、私はその想像外の境地に立ってみたくなったのだ。

じっさい、一本も煙草を吸わなくなる、そんな自分をイメージすることは喫煙者には不可能なのである。

 

 朝起きて、煙草を吸わない

職場で、むずかしい仕事に直面しながら煙草を吸わない

知人と酒を飲みつつ、話の接ぎ穂を考えながら煙草を吸わない

夏のさかんな日盛りのなか、涼しい喫茶店に入って息をついたとき、煙草を吸わない

書かねばならぬ書類や手紙などがあるとき、文章にあれこれ苦しみながら煙草を吸わない

うれしいことがあって胸が弾んだ時、煙草を吸わない

悲しみをまぎらせたいとき、煙草を吸わない

 もちろん三度の食事のあとに煙草を吸わない

就寝🛌儀式としての一服もやめてしまう。

春夏秋冬いかなる日にも、どんなときにも吸わない。

これから生涯、ただの一本も吸わない。

 

 そのような事態を考えようと試みるだけで、茫然とするのが喫煙者なのだ。

喫煙者にとっては煙草は人生そのものである。それくらいに日常の節目ごとに、いや、一挙手一投足のすみずみにまで、煙草が入り込んでいるのである。

 つまり私は茫然としてみたかったのだ。煙草をやめれば、まず間違いなく、思いの外の心的状態に陥る事だろう。それがどんなものか知りたかったのだ。

私は四十歳代の半ばをすぎていた。人生の残り時間をカウントしはじめて遅くない年齢である。

だからこそ現在を一つの画期としてみたいという欲望が高まった。

 もちろん恐れもつのった。何しろ煙草のない生活というのが想像できないのだから、まるで未到の界域へ足を踏み出すようなものなのである。不安を感じて当然だろう。

禁煙は事件なのだ。すなわち私は自分自身に事件を起こしてみたかったのだ。

…… 実に正直な、かつ自然な心情の吐露であると思う。この、ちょっと好奇心あふるる天邪鬼のような志向が、著者を独特な風合いに仕上げている。

 

禁煙とは、おそらくそれ以前と以後とで人生を非連続にするものである。

それを境に、これまでと異なる時間⌚️を生きることである。

私など、その先にどんな景色が広がっているのか予想もかなわない暗い穴に転がり込む気分で禁煙した。果たしてそこに、ただごとでない心的状況が待っていた。

……「煙草は暮らしの句読点」

禁煙することで「句読点」は失せる。

しかし、時間の抑揚は身体がおのずと刻みはじめると著者は言う。

 

少年の日の青空をまた見たくなって

禁煙した男がいる

…… ある詩人の一節なのだが、妙に心をくすぐる。思えば、喫煙前は写真型の記憶力があったなあと、テストの時などそれをなぞることが出来たものだ。どんな感覚で青空を見上げたことだろう。

 

 

 

吉野秀雄『禁煙』(昭和三十ニ年)

禁煙の心得より

◉ けんか腰でとりかかつては、かへつてことを誤まる。

柔軟心といふヤツで、すうつと入つていくに限る。

◉(禁煙は)ヂタバタする自分をみてゐる別個の自分をもつことのできる人なら、むしろおもしろいくらいのものではないか。

…… 「柔軟心(にゅうなんしん)」、道元禅師が帰朝なされたときのコメントに、「空手で還郷したが吾れ柔軟心を得たり」とあった。意識が変容したのである。身構えない、すぅーっと入ってゆく。まるで武道の極意である。柳生新陰の「勇」の一事であり、鹿島の「一つの太刀」における入り身の秘事であろう。

 

禁煙は自己批評である。自己反省である。

 

(禁煙に)成功したことを書く人たちもいないではない。

しかし成功した人が、どうしてはじめのニコチン離脱症状に耐えられたのか、それを書いた文章に私は出会ったことがない。

あえていえば、それは耐えなかったからなのだ。逆説でも何でもない、耐えようとすれば失敗する。耐えようとしなかったからこそ、禁煙できたのではないか。

 ニコチン欲求の波と闘わず、耐えもせず、その波に乗ってしまうとはどういうことか。

そうした欲求が我が身を突き上げているという常ならざる感じを、全身で味わってみることである。

欲求の強さに身がねじれ、うねるような気がするならば、心持ちもいっしょになってねじれ、うねってみることである。

 波になるのだ。自分がニコチン渇望の波そのものになってしまうのだ。

…… 「タバコを吸えない」渇きを恐れるのではなく、その状況に全身を任せてみることである。身体の濃やかな変化やバイオリズムの波をひたすら感じてみるのもよい。

いままでに気づかなかった自分の隠れた一面を垣間見ることができるかも知れない。内的な沈黙(心の内なるお喋りを止める)の下で、ひたすら自分を静観することとなる。内側へ、内側へと意識を向ける。

 

> 耐えたのではない。煙草に手を出さずにいることを愉しんだのである。

 

禁煙は非日常である。思い切っていえば、身体感覚にとってのハレのときがはじまるのである。

私の場合は二十七年の間、煙草を吸いつづけ、身体にはいつもニコチンが充ちているのが当たり前であった。煙草を断ち、ニコチンの補充を止めてしまうと、体内のニコチンが肌からふつふつと滲み出るような気がする。

腕に鼻を当ててみると、煙草の匂いがする。気分はほとんど茫然としている。それはもう異様なことといってよい。

 そうした異様な感覚を、抑えようとするのではなく、忘れようとするのでもなく、むしろ自分から進んで味わおうとすること、そのことがなければ、禁煙はできないと私は思う。

…… 禁煙をマイナス要素(欠損)として捉えずに、新たなチャンスとして試してみる挑んでみる。

このまま行くとどうなるのか、ミステリーに足を突っ込んでみる。つまり、本来の自分(人間としての自然)を見つめる機会でもある。とにかく、みずからの内側に目を向けてみることであろう。

 

 

禁煙とは、最後の一本を灰皿ににじり消した瞬間から、どこかは分からない、こことは別のところへ移ることである。禁煙は越境である。

これまで知らなかった場所で、知らなかった日々をはじめることだ。ある地点にたどりつくまでは耐え抜くといったレースなどではない。

…… すくなくとも、いままで知らなかった生き方をすることになる。それは日常生活からのジャンプ、非日常の旅人となることである。

みずからの意識の裂け目を静観すれば、それは神秘体験ともなろう。禁断症状により引き起こされた意識トリップが、偽自我に気づき、アートマン(真我)にみちびかれるかも知れない。

 

もしも陸上競技に例えるならば、禁煙は長距離走(マラソン🏃)ではなく、ハイジャンプである。

走るのではなくて跳ぶのである。跳んで、見知らぬところに落ちるのである。

…… 禁煙とは、マラソンのように42㎞先にゴールが設定されているようなものではない。そう思っていると、必ず躓く。

禁煙という意識変容は、いわばカスタネダの「イクストランへの旅」である。飛翔するわたしが、そこにはいる。落下して粉々に砕かれるか、はたまた次の次元へと跳ぶ自分がいるだろうか。

 

 

よく「もしも生まれ変わったら__ 」という質問がある。

「もしも生まれ変わったら、煙草を吸いますか」。

そう問われたならば、反喫煙をとなえる彼らはきっぱり「吸わない」と答えるだろう。

 私はどうか。分からない。迷う。優柔不断なのである。

しかし質問が「もし生まれ変わって、また煙草を吸う暮らしをつづけたら、禁煙しますか」というものであったなら、私は即座に答えるだろう、「禁煙する」と。

 なぜなら、禁煙は味わうに足る人生の快楽であるからだ。

…… 禁煙とは、特別な体験である。体験できる資格のある者は、喫煙者だけである。脳🧠を薬物にゆだねた人が、本来の脳に帰ろうとしている。聖書の「放蕩息子」にも似ている。

 

 

 

> 禁煙者は、喫煙者も非喫煙者も知らないことを知っている。

 

禁煙は華やぎである。罰せられざる快楽である。苦行でもなければ克己でもない。

 

 

__ ざっと、引用しただけでも、これだけ豊饒な言い回しに目が眩む思いである。

たかがタバコ、されどタバコ…… なのである。

 

山村さんは「禁煙🚭には三つの手がある」と纏めておられるので紹介しよう。

(1) 禁煙をはじめてからの一日を、三日を、一週間を、一月を、湧きおこるニコチン離脱症状をむしろ利用して、思いがけない感覚を刈り入れる日々とすること。愉しみの日々とすること。

…… 「収穫の一月」とするようにとの事。

(2) 何度も失敗してみること。あっさり禁煙できる人がえらいわけではない。さらにいえば、失敗して恥をかいてみること。それがあとになって効く。

 禁煙とは、恥をかくことである。

…… 少し書きにくいがと言いつつ、山村さんは隠れて喫っていた自分が見つけられた屈辱を縷々書いておられる。何よりも恥ずかしかったのは、愛犬に「見られた」ときだったそうだ。

(3) 何しろ不可能だと思っていた禁煙を、驚いたことに、いまつづけているのである。これはたいしたことではないか。誰もほめてくれるわけではないし、〜(略)〜 せめて自分で自分を讃えようではないか。

禁煙をよろこび、祝おうではないか。

…… 「祝祭の月🎉」を設けるのである。一月でなくても、一日でも二日でもよい。カレンダー📅に「禁煙祭」を設けるのである。

 

ちなみに、山村さんは「吉野に花見」に出かけたそうだ。禁煙を「果たした」そのお祝い旅行である。

その時点で、禁煙を愉しんでいる。喫煙欲求そのものを身体の内的リズムのように感じて一緒に生きることができる。それが「禁煙を果たした」というサインである。

「禁煙にはおそらくずっとゴールはない」と諦観した上で、自分の禁煙を、そして喫煙者であったことを祝福するのである。

 

 

__ わたしは、タバコが猛烈に美味いと思ったことが二度ばかりある。最初は、缶ピースを喫んだとき。

そして、これはいまでも憶えているが、爺さまの形見のキセルと煙草入れ(木製、印籠型)が遺品としてあった。

煙草入れには、亡くなった当時じいさんが嗜んでいた、刻み莨「敷島」(いや、「みのり」かも知れないが)が詰められていた。実に艶やかな繊維の束であった。

何の気なしに、キセルに丸めて入れて火🔥をつけ燻らしてみたら…… 

なんとも芳しい香気に、ガツンとくる味のキツさ、そしてその後にひろがる晴れやかな解放感に、しばし陶然と酔いしれた。

「キセル煙草が、こんなにうまいなんて!!」

その時まで思いも寄らなかった。(じいさんの形見に感謝を捧げた)

わたしは、即座に刻み煙草の入手方法を考えた。

調べると、もはや製造中止となっていたが…… 

ひとつふたつの銘柄は、いまでも製造しており、それらが東北圏では仙台の「藤崎デパート」🏬でのみ扱っていることを知れた。

さっそく、赴いてみましたよ、はるばる仙台まで。(車で4時間半くらいかかる)

 

そしたら、残念なことに名品「敷島」は、製造中止となっていた。しかたなく、そこにある刻み煙草「小粋」を仕入れたが、喫んでみたら「敷島」の足元にも及ばない。

まだ、形見の刻み煙草はそのまま煙草入れにはいっているが、最期の「しきしま」である。

うちの爺さまは、腕のいい大工(棟梁)で、無教会派のクリスチャンでもあったので、タバコは吸っていなかったのだが…… 

なんの因果か、戦時中の配給でもらってから喫煙を始めたらしい。

じいさま、ありがとうよ、「敷島」をおれに遺してくれて、ご馳走になりましたよ♪

【こんな時代もありました♪ 日本専売公社ポスター(昭和32年)】

 

ニコチンの薬物反応は、「覚醒」に似た症状も引き出してくれる。仕事中には、よくタバコで覚醒していたものだ。

断煙してニコチン離脱すると、覚醒と反対に「眠気」がやってくる。そして渇きが押し寄せてくる。

この渇きは、精神の亢進状態をも引き起こしてくる。

そこに、意識の裂け目に侵入する得難い機会が生まれる。

 

 

 

__ 最後に、この本の中で取り上げられている、禁煙と苦闘した(ジタバタして失敗した)作家たちを紹介しておこう。

 

・ポール・オースター

・南方熊楠

・西田幾多郎

・吉野秀雄

・小沼丹

・斎藤茂吉の「簡単唯一の方法」というのが「絶対に火のついた烟草は口にしない」というシンプルなものであったが、これが実に含蓄のあるものだった。

・チャールズ・ラム

・別役実

・安田操一

・ズヴェーヴォ

 

 

…… 著者の実体験(神秘体験)もてんこ盛りである。

禁煙一日目の能楽堂でのロビーにおける幸せな眠気の描写などは秀逸である。

さすが何回となく禁煙🚭に失敗した山村さんだから、

禁煙による渇きを埋めるというか、逸らすレパートリーの多彩さには笑いを誘われた。(第Ⅲ章 「禁煙の現場」に詳しい)

逆立ちだの腹式呼吸の横隔膜だのは、わたしも参考になった。

 

あー、私自身の体験を書き忘れていたね。

> 決めることじゃない。恋愛って決めることじゃない。

いつの間にか始まっているものでしょ。

決めさせたボクが言うことじゃないけど。

[※  ドラマ 『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』最終回より]

 

…… この台詞の、恋愛→禁煙🚭に変換したら、まるでわたしの禁煙体験そのものであろう。

それは、いつの間にか始まっていた。

請負仕事が少なくなってきた頃合いだった。

わたしの場合、仕事を成し遂げた一服のために仕事をしているという実感があった。

ぽつぽつ休業日が増えてきた頃、わたしは家🏠で漫然とタバコをふかして無聊をかこっていたわけである。

仕事の後の、達成感ある一服ではないから、当然不味い。精神も萎えてくる。

そんなとき、せめて仕事していないときくらいは、タバコを服むのはよそうと、思いだした。

知らぬ間に、禁煙がはじまり、その期間は徐々に伸びていった。

その頃、口👄淋しくて、よく「エアー喫煙」というものをしていたなあ。

坐禅のときのような深い長息で、タバコの味を思い出しながらゆっくり肺をふくらませて吸気すると、意外と追体験に似た思いが味わえるのですよ。

深い呼吸は、心を落ち着かせるのに卓効がある。

ある程度は、喫わなくとも平静をたもてることを、このとき初めて知った。新鮮な身体感覚だった。

そして、仕事にいっては、お世話になっている会社の専務さんや、同業の年配者がタバコを手離せない、無様な依存ぶり(カッコ付けもあろう)をつぶさに冷徹に観察して…… 

「この人らと一緒でいいのか?」と自問したら、即座にこころが定まった。心奥で禁煙を全肯定した。(私から嫌われた方々よ、本当にありがとう、あなた方のお陰でタバコを止めました)

 

とはゆーものの、三週間目と三ヶ月目くらいだったか、後戻りしてみたこともあったのだ。

もはや、昔ほどおいしくなかった。(頭がクラクラ痛んだ)

なにか、忘れたまま生きているような心地がしたが、禁煙していることを忘れるまでは2年くらいかかったのかな。

心にすっぽり抜けた快楽の穴はおおきかったのだろう。

 

タバコをやめると、不思議なもので、酒も音楽にも溺れることがなくなった。

わたしのスタイルだったのだ、タバコ・酒・音楽の相互に増幅する快楽。

カッコイイ男はそうだと思い込んでいたのだ。(それが舞台でありシチュエーションだと信じていた)

でも、静かに自分をかえりみると、わたしの真から望むものはそんなものではないようだ。

そんなものは、子どもの頃しきりに思った「コーヒー牛乳を腹一杯飲みたい」というのと、さして変わらぬことに思い至った。

過剰さが豊かさではない。

狂った自分は、無理している。

ごまかさなければならないものなど、何もなかったのだ。

たんたんと見上げれば、そこに太陽がかがやいている。

手元に一杯の水がある。

飲めば満たされるものが、そこにある。

そんな程度で、ひとはしあわせを感じることもある。

「放てば手に満てり」(道元)

 

禁煙って、けっして失うことばかりではないのですよ。

戒律というか、自分律というのも「喪失」がテーマではない。

「〇〇しない」というのは、士道覚悟に近い。

しないことによって、調えているところがおおきい。

わたしは、寅年生まれなので虚空蔵菩薩の加護をうけているそうだ。

そのご縁で、眷属である「鰻」は食わないことに決めた。

そうすることで、食わないことで、鰻重の有り難みがいや増すのである。

ひとつ、そういうものをおのれに設えているのがよい。

それが自分の全体を引き締める、失って返って活きるものであろう。

      _________玉の海草