9月2日(日) 涼しくなりましたね
今回は夏希誕生後~ママ退院までの道程を書きますね
日記を付けていたわけではないので、当時の記録ではないです。
なので、過去の記憶をたどりながら大まかに書いてみました。
2006年(昨年)に戻りま~す
8月18日(金)
ママは術後、血栓予防の機械を付けたままなので、寝たきり。
なっちゃんは「心臓と肺が悪く、2~3日が山場だ」と医師に言われる。
写真はこの日17時のなっちゃん。パパが携帯で撮ってきてくれました
8月19日(土)
初面会 何とか起き上がれるようになったので、車椅子で上の階にあるNICUへパパと面会に行く。
たまちゃん(私の母)がなっちゃんが良くなる様にと、巣鴨にあるお地蔵様に御祈祷をお願いしに行ってくれる。
8月20日(日)
会社の同期でもあるママの友人が会いに来てくれる
・・・なっちゃんに会わせられなくってごめんね。
カルテや書類などの作成をする都合上、早く赤ちゃんの名前を決めて欲しいとお願いされる。
前から色々考えてはいたけど、しっくりするものがなく入院中にゆっくり決めるか~なんて思っていたので焦った
名前辞典で画数を調べまくり、「夏に生まれ、希望を持って生きて欲しい」と願いを込めて「夏希」と命名(byママ)。早急に決めた割にはいいんじゃない~
8月20日15時面会時のなっちゃん。
水分を抜かれてやせっぽちになってしまいました
最初の写真と全然違うでしょう
夜中病院からパパに連絡が入り、すぐに来てくださいと言われる。
これはパパから聞いた話。。。
病院に着いたら、なっちゃんが出血したので輸血をしましたと言われた。
輸血や薬などの承諾書にサインした。
パパはもうショックで訳も分からぬまま、でも医師の言う事ならそうなんだろうとサインした。
「もう病状は変わらないと思うので、家に戻ってもいい」と医師に言われが、心配でその日は駐車場の車の中で眠れぬ一夜を明かした。
ママには打ち明けられずに。。。
8月21日(月)
そんな夜を過ごしたなんて知らないママは、なっちゃんにおっぱいを飲んでもらおうと搾乳開始。お姉ちゃんの時は全くダメだったけど、頑張れば出てきそうな予感。「ママも頑張るからね」
8月22日(火)
朝、いつもよりパパが早く来た。「こんなに早く来なくても大丈夫なのにな~」なんて不思議に思っていたら、NICUへすぐに来て下さいと連絡が産科病棟に入る。
面会に行くと、また急変したとの事で処置中。
ママ、錯乱状態になる。
「まだ抱っこしてないよ~」
「おっぱいだって上げてないよ~」
「なっちゃんってまだ呼んでないよ~」
大泣きしてそんなような事を何度も何度もなっちゃんに言った。
まだ治療中だったので、主治医に任せて少し離れたソファに座って待つ。
待っている間、私は死んだおじいちゃんに「助けて助けて」と心の中で祈っていた。
なっちゃんが頑張ってくれて、ひとまず落ち着いたところで主治医が来た。
別室で主治医から、なっちゃんについて話があった。
なっちゃんが生まれた時、急変した日、そして今の状態。
先生はゆっくりと順を追って話してくれた。
心臓や肺の状態がとても悪い事、そして染色体異常の可能性がかなり強い事。。。
しかし、まだ染色体の検査結果が出てないのではっきりとはわからない。
その話の後はショックで悲しくて、訳が分かりませんでした。
ショックが強くてその日の事はほとんど覚えてませんが。。。
その夜1人ではとても寝られなくて、お姉ちゃんはじいじばあばに頼んで、パパに付き添って寝てもらいました。
8月22日(水)
せめて、おっぱいを飲んでもらいたいと必死で搾乳を頑張る。
8月23日(水)か24日(木)
産科師長さんに、せめて母乳を上げてもらいたいと話をする。早速、NICUにお願いしに言ってくれるという。
しかし、なっちゃんは腸が腐ってるとの診断により絶食中で、ミルクの注入もいつになるかわからないので無理だと。
一気に気が抜けてしまった私は、いつ飲んでもらえるのかわからない搾乳は辛すぎると産科医から母乳を止める薬を出してもらう。・・・ごめんね、なっちゃん
お姉ちゃんが面会に来る。帰りのエレベーター内で号泣。
ママの悲しい気持ちが伝わったのかな
病室は事情を師長さんに話して、そのままずっと個室にしてもらいました。
古い市立病院と言う事もあって、人気も少なく帝王切開の人が多かったので、あまり赤ちゃんと出くわすことがなく、助かりました。
また看護師さんたちは、私の話を涙ながらに聞いてくれました。
どうもありがとうございました
8月26日(土)
夏希に面会してから、ママ退院。パパの実家に一家でお世話になる。
ばあ~っと書きましたが、これがママが退院するまでにあった出来事です。
早いものでもう1年が経ったんですね。。。
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すごく感じられて、胸が苦しくなる想いです。
でも不思議なことに、文章の合間から、ママさんが
なっちゃんの命を信じていたのがなんとなく
伝わってくるんです。
絶望感が感じられないんです。
なっちゃんママさんは強い方なんだなぁと改めて
思いました。見習わなくては・・・・
また入院していた時は、医師からはっきりと染色体異常と言われず一体それがどんな病気なのか検討も付きませんでした
だから入院中は信じられず、少しずつで良くなってくれるって一番信じていた時かもしれませんね
見習うなんてとんでもないです
でもなっちゃんが強いママにしてくれたのかな
山場が2・3日だって。
同じ事、言われてたんですね。。゜(゜´Д`゜)゜。
入院中にどれほど泣いたか…
この時ばっかしは、周りの人がうらやましくて
璃来ちゃんを見ては、罪悪感でいっぱいになり。
何も出来ない自分が情けなくなくて
今も鮮明に覚えてます。
なっちゃん、なっちゃんママ、パパ、お姉ちゃん、頑張りましたね。
これからはちょくちょく拝見しまぁす
私は新妻だし、子供も当分先の話だろうから、まだまだ未熟で、これから様々な困難にぶち当たっていくんだろうけど、なっちゃんママを始め、私の周りには強い女性陣がいるので、私も頑張っていこう!と思っています。
とりあえず、今月から旦那さんの仕事がピークに入り、家庭がピリピリすることが多くなると思うけど、
妻としてしっかり支えれるよう気合を入れているところです
なっちゃんママも苦労が絶えないけれど、おねえちゃんもパパも、ほんとに素敵な家族だと思います
何も苦労や痛みを知らない人間よりも、よっぽど愛に溢れていると思うし、何より人に優しくできるはずです。
家族の絆を信じて、これからも前向きに進んでいってください
パパがママに話せず不安な夜をすごしたこと、うちも一緒だったなぁ~って思いながら見ました。
我が家ももう少しでひよちゃん生まれた日がきます。
きっといろんなことがばばば~っと流れてくるんだろうな。
なっちゃんのことはママの中にはっきり残っているんだって思いました
私も入院中にどれだけ泣いたかわかりません
これまでにこんな辛い想いはしたことがなかったから。。。
お姉ちゃんを生んだときは1日中ずっと母子同室で夜も寝れずに辛かったのに、同室で過ごせることがこんなに幸せなことだったなんて。
他のママたちがうらやましかったなあ~。
うちのお姉ちゃんは入院中あまり病院に来ませんでした。じいじばあばとの生活が楽しいの(ママに怒られないから)かな~とその時は思っていたのですが、お姉ちゃんなりに我慢してたみたい。
パパもママもお姉ちゃん、じいじばあば、みんなで力を合わせて頑張りました。
1週間に1度くらいのペースで更新してるのでお休みの時は遊びに来て~
素敵なコメントありがとうとっても嬉しかったよ~
せいちんと同じくらいの歳で結婚したけど、こんな試練が待っていようとはもちろん思っても見ませんでした。。。
だからせいちんもこれからの夫婦生活は色んな事ある。でも一緒に乗り越えてくれるダンナちゃんがいるから頑張ってねもちろん気の強い女たちがバックについてますから
出来れば苦労や辛い想いをしたくはないけど、でもそれを乗り越えたときに得られるものはとても大きいと思います
なっちゃんが深めてくれた家族の絆を大事にこれからも頑張ります