さーて、本題。遺跡めぐりです。
チチェン・イツァーは旧チチェンと新チチェンの2つの時代の遺跡で構成されています。
旧チチェンは6世紀くらい
新チチェンは10世紀末くらい
です。(アバウトでごめんなさい。正確に知りたい方は、詳しくブログを書いていらっしゃる方がいるので、そっちを見てね☆)
入り口を入ってすぐに見たのが、新チチェンの「球技場」です。
▼コレ↓↓↓↓
球技場というからには、球技をするわけですが、この球技すごい

重さ3㌔の生ゴムでできたボールを使うゲームで、壁の側面にある石の穴にボールを入れるらしいです。(ちなみに、ボールと言ってもキレイな球状ではないらしい。)
3㌔ですよ!3㌔!!
しかも、写真だと高さが分からないかも知れませんが、結構上の方にあるんです。
そのゴールとも言える穴が。
ガイドさんの話だと、手は使ったらだめらしいです。ちなみに、足を使うと、足首が3㌔にやられてしまうので、腰骨を使ったんでは?と言われていると言っていました。
でも、腰骨で、そんな上の方にある結構小さな穴にボールを通せるものかしら・・・

ちなみに、そんな難しいスポーツなので、試合終了までに何日もかかっていたそうです。
そりゃー、そーだろーーーー。
でも、これ、スポーツと言っても儀式のようなものなので、勝ったチームのリーダーは名誉として、
生贄になることができたそうです。
え?生贄ですか・・・?
この人たちにとっては、生贄になることは神聖で名誉あることだったようです。死んでも生き返るという思想らしく、名誉ある生贄となった場合は、次の世では良い待遇が約束されているとか。
だから、死ぬことが怖くなかったそうです。
ちなみに、負けたチームは?というと、、、。
やっぱり、死にます。
でも、こっちは、首をはねられるという意味です。

殺されてばっか・・・。
そう、新チチェンの時代は「生贄」とかがバンバン行われ、人が殺されまくっていたそうですよ。

コワイ。
さーて、次は細い山道らしき道をテクテクと歩いて10分くらい。
道の両脇には、例のお土産屋さんがいっぱいの道なんですが、歩いていくと、そこにあるのは、巨大な泉。泉と言っても湧き出ているのではなく、雨水がたまって出来ています。
▼セノーテと言います。↓↓↓↓↓
超デッカイです。
ここには水の神様がいるとかで、やっぱり水の神様への「生贄」が・・・。
水の神様は子供が好きだった!と言われているそうですが、発掘調査をして出てきた遺体(というか骨?)は、子供というか赤ちゃんや、男性や女性もあったとか。
真相は謎。
次に見たのは、生贄台?死体置き場?なんと表現して良いのでしょうか。
▼ツオンパントリ
なんでも、後々(って、マヤの時代よりずっと後ね。)スペイン人がユカタンの地にやってきたときにも、すごい数の頭蓋骨が転がっていて、しかも悪臭を放っていたそうです。

コワイー。
壁の側面よく見てね

ちゃーんと骸骨の絵ですよ。
角なんて、正面見ちゃっているんだから

次に見に行ったのは、これはもうよく見る象徴とも言えるピラミッド
▼カスティージョ
これ、本当に本当におっきいピラミッドでした。
もう上れないんですが、1年くらい前までは上れたようです。怖いけど上ってみたかったなぁー。
ちなみに、このピラミッドの階段の脇には蛇の頭があります。
(ククルカンとうい羽のついた蛇の頭)
で、毎年、秋分と春分の日には、ククルカンが姿を表すという・・・。
写真を見せてもらったのですが、階段脇にできる影がヘビのような形に見えるんです
で、なんで、秋分と春分の日にククルカンが現れるのか?
もちろん、そうやってピラミッドを作ったからなんですが、メキシコの地でよく作られる「とうもろこし」。
この種まきか収穫か(どっちだったっけ?)の一番適した時期が秋分と春分の日なんだそうです。
でも、大昔にカレンダーなんて無いし、365日をきちんとみんなが把握しているわけでもないので、ククルカンが現れることによってこのタイミングを忘れずに見ていたらしいですよ。
すごいね

あ、ちなみに、マヤの人は昔から天文学をすごく勉強していたらしいです。
あとは、このピラミッド、階段の数とか全てに365日とか、18ヶ月(マヤ暦は1年18ヶ月)、20日(マヤ暦は1ヶ月20日)とかを表しているんですよ。
芸が細かいねー。
で、最後に戦士の神殿と千本柱。
▼戦士の神殿
▼千本柱
戦士の神殿は、やっぱり生贄の儀式が・・・

西を向いて座っているチャックモール像に生きた人間の心臓をささげる・・・。
生贄になった人間は階段の上から突き落とされ、下で待ち構えていた神官(?)に皮を剥ぎとられ、神官(?)はその皮をかぶって踊り、儀式は終了するとか。

コワイよぉー。
ちなみに、この儀式は
毎日行われていたそうです。
昔、昔のことなので、マヤの人たちは、地球が丸いことも地球が太陽の周りを回っていることも、自転していることも知りませんでした。
だから、西に沈んだ太陽が、二度と東から昇ってこなくなる日が来るのでは

と恐れていたそうです。
そのため、明日もきちんと太陽が昇りますように・・・・。

という儀式だったそうです。
ま、こんなに人を殺していたから、外部から来た侵入者に滅ぼされたとか、消滅したとか言われているようですが・・・。
その死体が死体置き場に置かれるとなると、、、。
すさまじい光景ですね。
こんな歴史の新チチェンでした。(ガイドさんの話より。)