中国の明時代の漢方名著といわれる『本草綱目』という本が、日本にも伝わり、徳川家康が愛読したといわれます。
ここに、刀豆(とうず=なたまめ)の記述が見られます。
江戸時代に『本草綱目』の解説本も多く出版され、日本の医食同源の様子が記述されています。
ここにも、刀豆は一般的に栽培されている豆として紹介されています。
たとえば、『本草綱目啓蒙』という本には、西日本を中心に各地で刀豆が栽培され、呼び名も様々であることが記されています。
「未熟の者は莢(さや)を連ねて煮食う」とあります。私が紹介してきた、ゆで若サヤのことでしょう。
主にサヤを食べるという紹介が中心です。
この本では、紫色の花、淡紅色の豆などの記述のほか、「一種白花の者は豆もまた白し。シロナタマメと呼ぶ」という記述もあります。
このことから、江戸時代には現在のように、(赤)なた豆のほかに白なた豆も栽培されていたことが分かります。
また、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』という本には、図入りで刀豆が紹介されています。
ここでは、挟剣豆という呼び名が正式で、「俗に奈太末女(なたまめ)という」と書かれています。
挟剣豆という呼び名は、人が脇に挟(たばさ)んでいる剣に似ているところから来ていると説明されています。
「若いとき煮食する。老(ひ)ねると子(たね)を収集する」とあります。
「子の大きさは親指の頭ぐらい。淡紅色で、豚肉や鶏肉と一緒に煮食すると大変美味である」と紹介されています。
特別、(赤)なた豆の毒性には触れられていません。
漢方の本ですから、「中(脾胃)を温め気を下し、腸胃の働きをよくし、しゃっくりを止め、腎の働きをよくする」と効き目が書かれています。
おもしろいのは、声が隣家まで聞こえるような病後のしゃっくりが止まらないとき、豆を焼いて白湯で整え、7~8グラムを服用するとすぐ止まると書いてあります。
また、伝承として刀豆は出始めの悪性のできものを治すとあります。豆を焼いて粉にして塗りつけるそうです。
服用してもよいともあります。
サヤを付けたまま煮食するが、青臭い気(におい)があるので美味とはいえないとも書かれています。
「ぬかに漬けて香の物にする」ということです。これは民間伝承らしい。
『本朝食鑑』という本には、「各地で盛んに栽培されている」と明記されています。今より江戸時代のなた豆は普及していたらしい。
「若い時は莢つきのままを塩漬けにしたり、粕漬けして香の物とするが、それ以外には用いるに適しない。」と書かれています。
食用としては、豆でなく若いサヤを用いていたということでしょう。
無毒とこの本にも書いてあり、紹介した3冊の本には毒性については触れていません。
さらに主治(効き目)は「未詳」とあり、『本草綱目』の「腹中を温め、気をおだやかにし、はきもどしを止め、腎に効あり、元気を補う」という記述をそのまま引用しています。
私見では、江戸時代にはサヤが巨大なこともあり、サヤの食用として栽培されていたのでしょう。
若サヤでも充分にエンドウ豆などの食用サヤと同じくらいの大きさか、それ以上に成長するので、江戸時代には食用に足るものだったのでしょう。
若いサヤのゆでたもの、漬物にしたものなどの方法が紹介されていますが、毒性を取り除くための記述は私が調べた範囲では見つかりません。
(赤)なた豆の毒性の認識が今ほどなかったということでしょう。
豆を豚肉などと一緒に煮るとおいしいという本もあれば、サヤ以外には食用に適さないと書いた本もあり、やはり一般的な豆の利用法に比べ、限定されていた(苦労していた)様子が間接的にうかがえます。
ここで、薬効については、2つの大きな流れがあることが分かります。
先ず第1が中国の漢方教科書(江戸時代を通じて)に漢方理論の内臓関係の薬効が書かれており、江戸時代には食用として栽培されていたので、今風にいえば漢方薬としての知識は紹介されていたということです。
第2は、民間伝承として、できものやしゃっくり止めなども効き目があるとして利用されていた模様だということです。
今回は、江戸時代の刀豆の解説本を3冊ほどご紹介しました。
これほど普及していたなた豆が、現在はわずかしか栽培されておらず、一般的な豆でなくなった理由は何か?疑問がわいてくる今日この頃です。
▼関連ホームページ▼(2004.11.7増補版)
ちゃんねる2(楽天広場)⇒なた豆を含めたいよ式の何でもblog交流の場(NEW)
『なた豆入門』【ナタマメ豆知識】(なた豆予備知識)【8月23日4訂版】
『なた豆入門』【ナタマメの毒性と調理加工(8月22日草稿2訂版)】
『なた豆日記』プランター栽培写真500枚の克明記録(毎週日曜更新)
■ナタマメ狂想曲(両国のご隠居さんの体験談)■
◆いよ式◆刀豆(なたまめ)資料館◆ダイエット◆腹式呼吸◆タロット◆
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江戸時代に『本草綱目』の解説本も多く出版され、日本の医食同源の様子が記述されています。
ここにも、刀豆は一般的に栽培されている豆として紹介されています。
たとえば、『本草綱目啓蒙』という本には、西日本を中心に各地で刀豆が栽培され、呼び名も様々であることが記されています。
「未熟の者は莢(さや)を連ねて煮食う」とあります。私が紹介してきた、ゆで若サヤのことでしょう。
主にサヤを食べるという紹介が中心です。
この本では、紫色の花、淡紅色の豆などの記述のほか、「一種白花の者は豆もまた白し。シロナタマメと呼ぶ」という記述もあります。
このことから、江戸時代には現在のように、(赤)なた豆のほかに白なた豆も栽培されていたことが分かります。
また、江戸時代の百科事典『和漢三才図会』という本には、図入りで刀豆が紹介されています。
ここでは、挟剣豆という呼び名が正式で、「俗に奈太末女(なたまめ)という」と書かれています。
挟剣豆という呼び名は、人が脇に挟(たばさ)んでいる剣に似ているところから来ていると説明されています。
「若いとき煮食する。老(ひ)ねると子(たね)を収集する」とあります。
「子の大きさは親指の頭ぐらい。淡紅色で、豚肉や鶏肉と一緒に煮食すると大変美味である」と紹介されています。
特別、(赤)なた豆の毒性には触れられていません。
漢方の本ですから、「中(脾胃)を温め気を下し、腸胃の働きをよくし、しゃっくりを止め、腎の働きをよくする」と効き目が書かれています。
おもしろいのは、声が隣家まで聞こえるような病後のしゃっくりが止まらないとき、豆を焼いて白湯で整え、7~8グラムを服用するとすぐ止まると書いてあります。
また、伝承として刀豆は出始めの悪性のできものを治すとあります。豆を焼いて粉にして塗りつけるそうです。
服用してもよいともあります。
サヤを付けたまま煮食するが、青臭い気(におい)があるので美味とはいえないとも書かれています。
「ぬかに漬けて香の物にする」ということです。これは民間伝承らしい。
『本朝食鑑』という本には、「各地で盛んに栽培されている」と明記されています。今より江戸時代のなた豆は普及していたらしい。
「若い時は莢つきのままを塩漬けにしたり、粕漬けして香の物とするが、それ以外には用いるに適しない。」と書かれています。
食用としては、豆でなく若いサヤを用いていたということでしょう。
無毒とこの本にも書いてあり、紹介した3冊の本には毒性については触れていません。
さらに主治(効き目)は「未詳」とあり、『本草綱目』の「腹中を温め、気をおだやかにし、はきもどしを止め、腎に効あり、元気を補う」という記述をそのまま引用しています。
私見では、江戸時代にはサヤが巨大なこともあり、サヤの食用として栽培されていたのでしょう。
若サヤでも充分にエンドウ豆などの食用サヤと同じくらいの大きさか、それ以上に成長するので、江戸時代には食用に足るものだったのでしょう。
若いサヤのゆでたもの、漬物にしたものなどの方法が紹介されていますが、毒性を取り除くための記述は私が調べた範囲では見つかりません。
(赤)なた豆の毒性の認識が今ほどなかったということでしょう。
豆を豚肉などと一緒に煮るとおいしいという本もあれば、サヤ以外には食用に適さないと書いた本もあり、やはり一般的な豆の利用法に比べ、限定されていた(苦労していた)様子が間接的にうかがえます。
ここで、薬効については、2つの大きな流れがあることが分かります。
先ず第1が中国の漢方教科書(江戸時代を通じて)に漢方理論の内臓関係の薬効が書かれており、江戸時代には食用として栽培されていたので、今風にいえば漢方薬としての知識は紹介されていたということです。
第2は、民間伝承として、できものやしゃっくり止めなども効き目があるとして利用されていた模様だということです。
今回は、江戸時代の刀豆の解説本を3冊ほどご紹介しました。
これほど普及していたなた豆が、現在はわずかしか栽培されておらず、一般的な豆でなくなった理由は何か?疑問がわいてくる今日この頃です。
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