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須恵器の里

2007-10-07 | 歴史
 私の住んでいる地域は、古代から焼物製造技術を持った集団が移動しながら、須恵器などを作る窯を築いて沢山の須恵器を製造していました。
特に6世紀後半から8世紀ごろまでこの地域の山麓に窯を築いて住み着き、生活に必要なものや、祭祀に使う道具などを作っていました。その当時は、この地域は瀬戸内海の入り江の奥に位置していましたので、ここで作られた須恵器は、海路(瀬戸内海)で各地方に運ばれて行ったようです。十数年前、韓国慶州を訪れたときに「天馬塚古墳」を見学しました。その中に展示してあった須恵器は、この地域から出土したものとまったく同一のものではないかと思えるくらい良く似ていました。特に轆轤(ろくろ)を使ったものが多いのが特徴です。この地域の須恵器も製造技術の高い優秀なものが多く、平城京跡からも出土しているようです。
朝鮮半島から移住して来た人々が、この地域に焼き物を伝え、周辺地域に広まって、やがて「六古窯」のひとつとして全国に知られる「備前焼」として発展し今日に至っています。
最初の写真「須恵古代館」(瀬戸内市長船町西須恵)には、この地域から出土したものを展示しています。
瀬戸内市は、邑久町、長船町、牛窓町が平成の大合併で新しく誕生した「市」です。それ以前は、「邑久郡」でした。

周辺の案内地図です。



「須恵古代館」の内部展示室  正面



「須恵古代館」の内部展示室  西面



「須恵古代館」の内部展示室  東面
 山崎古墳群(やまさきこふんぐん)【本坊山古墳】
 桂山南東斜面の標高50メートルあたりに1基の円墳と2基の方墳があります。このうちの1基の方墳・本坊山古墳からは、「複弁蓮華紋」を2個押した家形陶棺が出土しており、現在東京国立博物館に収められています。



こしき(蒸し器)、甕、竈(かまど)の3点セットからなる炊飯具出土しています。当時すでに食材を蒸して調理していたことが推測される資料となっています。壁の写真は、大型の壷が出土したときに撮影された時のものですが、この壷も館内正面に展示されています。釉薬をかけたような緑色の自然釉がすばらしい壷です。



この地域独特の「装飾須恵器」も貴重です。



この「須恵古代館」のすぐ南には県下有数の規模の「築山古墳」があります。
全国に同じ名前の古墳が沢山あるようです。

今年の彼岸花は例年より遅く咲きました。たわわに実った稲穂と鮮やかな赤い色が今が見事です。



下の写真は、全長82mの古墳の後円部頂上から出土した家型石棺です。この石棺の蓋の石は、九州「阿蘇地方」の凝灰岩で作られており、熊本県宇土市から海路で運ばれてきたと推測されています。古代から九州と深いつながりがあったようです。



周辺はのどかな田園風景が広がり、野草も小さな花を咲かせていました。







我が家の水田の近くに、白い色の彼岸花も咲いていました。黄色もあるようですが、このあたりでは見かけません。



「須恵古代館」は土曜、日曜、祝日のみの開館ですので平日は休館しています。
見学は無料です。詳しくは瀬戸内市HP「須恵古代館」を見てください。

毎年5月3日には「須恵古代館」を中心に「古代まつり」が開催されますので、出かけてみてはいかがでしょうか。
今年も本日10月7日には「びぜんおさふね名刀まつり」が開催されます。

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