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宇喜多氏の築いた岡山城

2007-01-20 | 歴史
 カメラの話ばかりで堅苦しくなってしまいました。今回は別の話題にします。

 岡山に宇喜多直家が岡山城の天守閣を最初に築城したのは、この写真の場所でした。
天正元(1573)年、宇喜多直家が居を岡山市沼城から現在の岡山城の西にある石山の地(もと金光宗高の居城)に移し、城を築き、城下町を形成した年です。
ちょうど、旧NHK岡山放送局の東に位置しますが、現在は石垣が残っています。しかし、敷地は現在、隣接する病院の駐車場になっており当時を偲ぶものがありません。私が小学校のころは、よくこの石垣を登って上に上がり、大きな木が生い茂っていたため、昆虫や蝉の宝庫でした。真ん中あたりには、大きな社があり、誰を祭っていたのかはわかりませんが、その床下には蟻地獄など珍しい生き物もいました。この東から内堀にかけては、上級武士の武家屋敷あとに、立派な家が軒を連ねています。
写真手前は、現在放送局の駐車場になっていますが、昭和35年ごろには、広場があり、真ん中に丸い大きな噴水がありました。放送局が移転して来たころだと思いますが、いつの間にかなくなりました。そのころは野良犬が多く、私も野良犬に石を投げてからかっていたら犬が追いかけてきて、命からがら家に逃げ帰ったことを覚えています。母がいたので追い払ってくれましたが、半ズボンの後ろを噛みつかれて、パンツまで破れていました。今でも犬を見ると警戒してしまいますね。



2枚目の写真は、上級武士の屋敷のあった附近から内堀ごしに現在の岡山城を写してみました、手前左には「月見櫓(国重要文化財)」がそびえ、岡山城を引き立てています。現在の岡山城は、昭和41(1966)年鉄筋コンクリートで再建されました。
旧天守閣は昭和20(1945)年の岡山空襲で焼失しましたが、市民の強い要望により、各方面の方々が尽力され21年後に再建され、築城400年(1997)の記念の行事も盛大に行われました。
 岡山城が再建されるまでは「烏城公園」として市民に親しまれていました。ちょうど天守閣の建っているところは、展望台になっており、あたりが見渡せる唯一の場所でした。当然、この公園も蝉、カミキリムシ、蝶の宝庫で、夏には日が暮れるまで、ほとんどこの公園や旭川に入って魚を獲って遊んでいました。このあたりに来ると、その当時時間を気にせず遊びまわり楽しかった記憶が思い出されます。
月見橋を渡って後楽園に向かうと茶店が右手にあります。最近では見かけることもなくなりましたが、そこの手前の木に「玉虫」がよく飛んできていました。子供のころは自分だけの秘密にしていました。実物を捕まえたことがない人が多いと思いますが、オスは本当にきれいです。指でつかむと、首のところで挟まれ痛い思いをします。


 
3枚目の写真は、月見橋から西の方角を写してみました。40年前とはガラリと景色が変わり、近代的な建造物に生まれ変わってしまいました。
左端から「中国銀行本店ビル」、「旧NHK岡山放送局」「榊原病院」、丸い建物が「岡山シンフォニービル」です。手前を流れる川は「旭川」になります。護岸も整備され、散策できるように遊歩道もできています。後楽園を囲み、こんなに雄大な景観が都市の中心にあることに安らぎを覚えます。
私は現在瀬戸内市に住んでいますが、事あるごとに、どうしても昔遊んだ思い出のある、このあたりに足が向いてしまうのは、人間の本能でしょうか。

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