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何故ここに物部神社が?行ってみてなるほどと納得

2021-03-31 14:22:00 | 日記
GoogleMapを眺めていたら、大和盆地のほぼ中央、大和川沿いに物部神社の表示を見つけた。
物部氏は、大阪を基盤とし、現在の天理市にある石上神宮辺り軍事拠点としていた古代氏族である。それがどうしてこんなところに神社が?と不思議に思って行ってみた。
同社は、村屋神社の一角にあるらしい。

村屋神社の参道は椿が咲き誇っていた。静けさの中、時々ボトッと椿の花が落ちる音がする。
この神社の主祭神はミフツヒメ。大物主の何人目かの妻である。かなり歴史があるようだ。

境内には幾つかの摂社があるが、変わっているのはどの社の前にもイラスト入りで祭神の説明がある立て看板があることだ。

拝殿はこんな具合。後でググってみたら、この神社の禰宜さんがイラストレーターで、この看板を制作したらしい。

よく見ると、この神社を舞台としたボイスドラマCDが発売されているらしい。奈良FMとかあったら取り上げられたのだろうに。

さて、問題の物部神社であるが、村屋神社の南西角にあった。



物部氏の祖先を祀った神社らしい。祠はかなり小さい。
またこの祠の周りは干上がった池のような窪みに囲まれている。堀にしては石材などもない。これは大和川の河跡湖の名残りではないのだろうか。
現在の大和川はかなり広く流路も直線に近いが、各所に堰がありとても船が通ったとは思えないが、元々は暴れ川。昔は河床が高く曲りくねっていたと思われる。以前に住んでいた宮崎の八重川も蛇行しながら深く緩やかな淵が続いていた。今は広く直線的な流れに改修されているが。

さて全体を見て回っても謎は解けない。帰りに神社の隣の社務所をチラリと見て驚いた。

あっそういう訳か。
もう一度物部神社の立看板を見て、やっと合点が行った。







ファイ奈良ファンタジー

2021-03-27 18:47:00 | 日記
ファイ奈良ファンタジーというPCゲームを発見した。
基本はDQシステムだが、中身は奈良ネタ満載。
主人公はショウトク、ヒミコなどの4名。ステージも奈良盆地内各所で、ボスはご当地御約束。NPCのセリフは殆どが自虐ネタ。奈良は大阪国の属国、学生の遊び場はなんば。世帯当たり貯蓄額はno.1だが単に使う場所がないだけ、大学進学率は高いが誰も戻ってこない。
アイテムも麩や陀羅尼助など、地元民だからこその素材と地味さ。

しかしこれ程までの地元自虐素材を揃えられるのは異常といってもいい。他県ではまず無理だろう。

3-4時間で攻略可能だが、僕はそれが惜しくて10時間弱あそんでいる。

珍しい曲水の宴の雛人形、中央の二人は誰なんだろう?

2021-03-03 17:07:00 | 日記
奈良市の依水園で珍しい雛人形が展示されていると聞き、行ってみた。
奈良県庁に車を止め、東に向かうと右側には立派な塀と建物が続く。知事公舎らしい。途中の路地には小さな灯籠が並んでいた。

寄り道せず真っ直ぐ進むと依水園になる。

突き当たりが母屋であり、雛人形はここに飾られているという。入って左側にそれは鎮座していた。

台は畳2畳分はあろうか、圧巻の大きさである。どの人形も非常に精巧に作られている。箏はちゃんと13本の糸が張ってあるし、緑の服を着た女官は一番年上らしく、皺まで表現されている。お内裏様は中央に座っている二人かと思ったら、その奥に立っている2人とのことだった。それにしてもこれら一式、どうやって仕舞うのだろうか。

因みにお内裏様とは男雛と女雛のペアのことであり、この点「お内裏様とお雛様」は不正確であり、サトウハチロウはこの歌を嫌っていたらしい。

反対側の部屋には「稚児雛」が飾られていた。

最下段の3人は仕丁であり、左をよく見ると箒とチリトリが置かれている。全体にユーモラスで親しみ易い雛人形だ。
ところで何となく違和感を感じる。そう、男雛が向かって右なのだ。これは異質だが、元々日本ではこの並びで、明治維新後に他国に合わせて逆にしたそうだ。今でも男性皇族は必ず向かって左に立つらしい。

折角なので庭園も回ってみた。ここでは東大寺南大門と若草山を借景とした場所が非常に良い。

道の所々に縄で縛った石が置かれている。

この先立入禁止を示しているようで関守石というらしい。

庭園内はよく整備され、取り分けこの季節柄、アシビの花が印象的だった。


この雛人形の展示は今日、3月3日で終わる。雛人形だから当然かな。












本殿も拝殿もない大倭神宮

2021-03-01 17:04:00 | 日記
奈良市学園前の南に、大倭神宮という神社があることに気付き、行ってみることにした。
そもそもこの神社、何と読めばいいのかわからない。車のナビではヒットしない。ネットで調べたら「オオヤマトジングウ」らしい。
さて、富雄南から田園地帯を北上すると、奈良らしい豪壮な民家が立ち並び、その奥の杜が大倭神宮だった。

入口には鳥居はなく、木立からポッカリと穴が空いたような入口から入ると、社務所のような建物があり、その左手に鳥居があった。

が、拝殿も本殿も見えない。鉄柵の扉があり、その先に石碑が立っていた。何か彫ってあるが読めない。

鉄扉には鍵が掛かってなかったので中に入る。石碑の奥には磐座があり、注連縄が巻かれていた。岩石信仰なのだろうか。

境内には由緒書きはなく、何のことかさっぱり分からない。しかし敷地内の砂利は丁寧に手入れされており、打ち捨てられた感じはしない。両脇にも鳥居があったが、これまた何のことか分からない。




これで何故「神宮」なのだろうか。

家に帰って調べたところ、祭神はクシナダヒメとスサノオらしい。境内の何処かにクシナダ姫の墓があるらしいが、その痕跡はない。そもそも彼らは出雲の神ではなかったか?
やはり大和は深い。もう見るべき処は大体見たと思っていたが、まだまだ驚かせてくれる。