奈良を中心に巡っています

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呉に行ってきた

2020-10-27 21:09:00 | 日記
昨日は呉を訪ねた。


真ん中に見えるのが潜水艦。こちらは小さめな艦船。向こうに見えるのが江田島だ。

そこから大和ミュージアムに行った。


陸奥に搭載された41cm主砲だ。
中に入ると大和の1/10模型が目に入る。26.3mの偉容を誇る。


この他三式弾なども見学。艦これでしか知らなかった装備だ。





太安万侶を祭る神社

2020-10-21 18:28:00 | 日記
奈良盆地の中央やや南に多神社、正式には多坐弥志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社という社がある。この神社、4柱の祭神に加え、古事記の編者である太安万侶を祀っている。

この地が「多」という名称であることから、彼の姓もこの地名から取ったものと思われる。稗田阿礼も稗田の地から取られたものであることから、当時はこのように地名を姓とするのが一般的だったのかもしれない。

本殿は四連の春日造だ。ここからも安万侶が後に祀られたことが窺える。
神社の南西には太安万侶を祀ったとされる小杜神社がある。

地元で大事にされているようだ。




蛇穴とかいう凄い地名

2020-10-18 20:10:00 | 日記
御所市の南方部に蛇穴という地名がある。これは酷い地名だと思っていたが、読みは「さらぎ」らしい。

さらぎとは新来という意味と、蛇がトグロを巻いた時に真ん中に出来る穴、それから大仏次郎のように仏の読みにもあることから、複合的に名付けられたのではないかと言われているが、当地の野口神社によれば、大蛇が森の井戸に逃げ込んだので大石で蓋をしたことによるという。

毎年5月5日には汁掛祭が開かれ、参詣者にワカメ汁を振り掛け厄除とする。その後14mに及ぶ藁でできた大蛇を担いで練り歩き病除を祈願する。
その後、この蛇綱は野口神社の蛇塚の上に飾られるという。行ってみると蛇塚の上には石しかなかった。

恐らく今年は中止になったのだろうか。それとも別の場所に移動されたのだろうか。
なお境内は次のとおり。綺麗に掃き清められているが賽銭箱もない。殿はやはり西向きだった。







会う人皆が挨拶してくる等彌神社

2020-10-16 19:52:00 | 日記
桜井駅の南東に等彌(とみ)神社がある。変わった名前だが、鳥見山の西麓にあることから、何かの拍子に現在の表記になったのだろう。今日が宵宮だというので行ってみたところ、住宅地にありながら、深山幽谷の趣のある、結構な神社だった。


まず正面から見る。

提灯が並ぶが、今年は出店はないとのこと。

続いて左手に回ると上津尾社に出る。
上の尾根の社という意味だろうか、境内には雅楽が鳴っていた。
お詣りして左手に回ると下津尾社があり、その前には注連縄が張られた石があった。猿田彦大神だという。

その他にもここ彼処に祠があった。

社務所に戻ると、この神社のシンボル、人型の八咫烏が売られていた。何でも江戸時代、下津尾社の枯れた杉の根本から発掘されたらしい。

頭は何となく鳥で全体に黒いが、その他は人型。足は2足のようで3脚ではない。これをどういう理由で八咫烏と判断したのだろうか。




がれ場に佇む磐船神社

2020-10-15 17:10:00 | 日記
昨日、星野妙見宮から帰って改めてWebで調べたところ、交野市にはもう2社、有名な神社があるらしい。磐船神社と機物神社だ。早速今日、行ってみることにした。
まず磐船神社だが、国道168号線を北上し、生駒から県境を超えたところにあった。

境内とその奥には巨石が多数あり、柳生の一刀石を思い出させる。

ここには岩窟くぐりという名所があるが、残念ながら今日は休みだという。入口にも鍵が掛けられていた。
中を覗くと鉄の梯子が地下に伸びていた。


注意書を見ると、一人で入ってはダメ、76才以上は不可、荷物を持って入ってはいけない。服は汚れてもいいものを、などかなり物々しい。這っていくところもあるそうだ。仕方ない、次の機会にするか。
本道に戻ると、トンネルから川が流れ落ちてくるのが見えた。何だろう、想像もしていなかった景色だ。

そしてこの川、天野川というらしい。この地域、星に因む地名が多いようだ。