奈良を中心に巡っています

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法華寺の十一面観音(レプリカ)

2020-06-22 11:36:00 | 日記
法華寺は平城京跡の北東にあり、総国分尼寺として有名だ。ここ数ヶ月門を閉ざしていたが、もうそろそろいいのではないかと行ってみることにした。


本堂は入口からすぐ左手にある。靴を脱いで上がると、中央に2つの厨子が配置されていた。左は古色蒼然としており、扉は閉じられている。右の厨子はやや新しく、扉は開かれていた。
その中に美しい十一面観音像が安置されていた。高さ1m、像全体が黄土色であり、説明によるとインドから取り寄せた白檀を彫ったものであるという。右腰がややくびれ、これは仏というより生身の女性を思わせる。右手は膝の部分の衣を軽く摘まみ右脚を踏み出そうとしている。説明で気付いたが、普通は膝まで手は届かない。つまりデフォルメされているのだが、少しも違和感がない。セザンヌか!
光背は板ではなく、蓮の葉や蕾が茎ごと多数背後から伸びている。こんな光背見たことない。
もう一度全身を見る。美しい。さすが国宝、と思ったら、これはレプリカとのこと。本物は左の厨子に安置され、普段は開扉されない、年に2回(6/5-10、10/25-11/10)、期間限定で開帳されるそうだ。

本堂を出て西の庭園を探したが扉は閉まっていた。ここはカキツバタが有名なのだが、既に時期を過ぎている。6月10日まで開いていたが、それ以降は閉めるらしい。
反転して「から風呂」を見る。


ここは光明皇后が開いたという蒸し風呂である。
言い忘れたが、この地は不比等の館跡であり、娘の光明皇后が後を継いで尼寺とした。皇族以外が皇后になった嚆矢となっている。

帰りに平城宮跡の東にある宇奈多理座高御魂神社に寄る。ウナタリにいますタカミムスビ神社と読む。元は法華寺の鎮守だったという。神社は今日も閉まっていた。格子の隙間から中を撮影した。





三室戸寺から源氏物語ミュージアムへ

2020-06-15 17:46:00 | 日記
テレビのニュース番組で三室戸寺の紫陽花のレポートがあったので、次の日の日曜、行って見ることにした。
コロナ騒ぎで、梅、さくら、牡丹、藤の見頃を逃しており、今回が初の旬の植物に出会うことになる。
三室戸寺は、宇治橋を越えてすぐのところにあった。300台収容の駐車場はほぼ満席状態で、辺りは人で溢れていた。やはり皆も引き篭もり疲れなのだろうか。


手水には紫陽花が浮かべられている。



境内に入ると、お詣りのための行列で身動きが取りづらい。


所々変わった石像があり、その触った場所によってご利益があるらしく、参拝客はキャッキャと笑いながら触れていたが、これは大丈夫なのだろうか。


さて寺の横は緩やかな谷になっており、そこに紫陽花が群生していた。テレビによれば約2万株らしい。


ここの紫陽花は、西洋アジサイよりもガクアジサイが目立つ。それも見たことのない品種が多数見られた。中には真っ赤な花もある。


谷の反対側は一面のツツジだった。既に花はないが、先月は恐らく圧巻の景色だったろう。


帰りに、源氏物語ミュージアムを覗くことにした。前回平等院に行った時も立ち寄ったのだが、無期限の休館中だった。
今回は運良く開いていた。最初の部屋には巨大なディスプレイがあり、物語の概要を説明してくれる。出色なのは六条院の模型だった。250m四方の敷地を4分割し、それぞれ春夏秋冬の名を冠した御殿を作り、妻や愛人を住まわせている。


最初に読んだ時はイメージが付きにくかったが、こうすると良く分かる。
次の部屋は宇治十帖の部屋だった。宇治十帖は物語の最終章で、源氏は既になく、主人公は子の薫と孫の匂の君の鞘当ての話になる。その二人の間で翻弄される姫君たち。やがてその一人浮舟は投身自殺を図るも僧都にたすけられて出家することになる。


何故このような終わり方にしたのだろうか。

館内ではこの他、香の匂い体験など、中々ユニークで見所が多かった。
ところで観客の中にはブロンドの少女3人組もいた。英語の説明がほとんどなかったが、楽しめただろうか。
外に出ると入口には人が列を作っていた。入場者が多すぎるため制限をしているとのことだった。






氷室神社

2020-06-12 17:47:00 | 日記
奈良市東の山中に「氷室神社」という社がある。何でも奈良時代から氷を作り、氷室に保管して朝廷に献上していたらしい。
車のナビで向かって見ると、次第に道が細くなっていき、やがて1.6mぐらいの幅の山道になった。道路は舗装されているが、左右の草木が車に当たる。R25の下辺りで、左のミラーが壁を擦ったが、右はガードレールのない崖なのでどうしようもない。反転する場所もないし、対抗車が来たらどうにもならない、それよりこの道、行き止まりではないよね?
時速10kmぐらいで進んでいると、やっと普通の道路に当たり、ホッと一息。氷室神社はすぐ先にあった。


寺を見て、その新しさに驚いた。


正面横の立て札に令和2年5月24日とある。つい数日前だ。切り抜き掲載された記事を見ると、昔から20年に一度改修されているらしい。


また、氷室神社という名前は伊達ではない。出土した木簡によると、既に711年には氷室があり、平城京に献上していたという。氷室跡も多数発掘されている。


帰りは普通に国道を通った。ナビはあまり無条件に信じるものではないようだ。




葛城坐火雷神社

2020-06-08 17:50:00 | 日記
何と読めばいいのか迷うが、葛城にいますほのいかづち神社という。この「坐」が入った神社名は、奈良では珍しくはない。飛鳥寺の近所の飛鳥坐神社、平城宮跡の東の宇奈多理坐高御魂
(うなたりにいますたかみむすび)神社など、総じて村の鎮守のような存在であるらしい。
長くて読みにくいので、ここでは付近の地名をとって「笛吹神社」というのが通称になっている。

さてこの神社、変わったものが境内に展示されている。ロシア製大砲である。


説明文を読むと、1910年6月、日露戦役の記念として政府から送られたものらしい。ということは戦場で鹵獲したのだろうか。そして何故このような目立たない神社に対してなのだろうか。この辺りの事情は不明である。





壺坂寺から高取城跡へ

2020-06-08 12:09:00 | 日記
壺坂寺を出て左手、車で山を登り始める。数百m進むと道路の中央線がなくなり、対面通行が困難な道になった。終点まで後2.8kmの表示がある。左は山肌、右はガードレールのない崖。それほど狭い道ではないが、結構神経を使う。
やがて少し開けた場所に着いた。ここから先は徒歩で登らなければならない。


山道を歩くと、やがて所々に石垣が現れ始め、20分ぐらいあるいたところで山頂に着いた。


左に見えるのが本丸跡。


説明文を読むと、



何でも日本三大山城の一つらしい。隣には「日本最強の城」の幟がある。
確かにこの城、攻め難そうだが、守備も大変そうだ。兵糧や武器は人力で運ばなければならない。よくこんな場所に築城しようと思ったものだ。しかし山頂の城は全国にあり、さほど珍しくはない。どうして最強なのかはよく分からなかった。

少し休憩して下山を開始したが、何だか見慣れない風景に出会う。猿石だとか木橋だとか、こんなのあったかな?1時間ほど歩くと、道路がアスファルトになった。これは間違いなく道に迷ったと分かったが、どこで間違えたのか分からない。こんな時は振り出しに戻るのが鉄則だが、戻ったところで正しい道に戻れるのだろうか。
グーグルマップを見たが調子が悪く現在位置が分からない。ズルズルと下ると交差点があり、山頂まで戻ると2.8km、左は車で5.8kmの表示があった。少し遠回りになるが確実な方がいいかと思い、左の道を選ぶ。やがて壺坂寺に着き、車を止めた地点に辿り着いた。標識から1時間45分。だいぶ回り道をしてしまった。