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天香具山と白い夏服

2020-02-19 19:26:00 | 日記
春過ぎて夏来たるらし

白妙の衣干すてふ天香具山(持統天皇)


この現代語訳は、

《春が過ぎて夏がやって来たようです。真っ白な衣が干してあるようです、天の香久山に。》

とされるが、中々イメージできなかった。

そもそも何故山に衣を干すのか、それが見えるのか、どこから見たのか、当時も夏服は白なのか。

疑問に答えを見つけるため、当地に行ってみることにした。


まず作者の持統天皇である。

天智天皇の娘で幼名は鸕野讃良(うののさらら)。その生涯を年表形式で見てみる。

645年 誕生

672年 天武天皇の皇后に(27才)

690年 天皇に即位(45才)

694年 藤原京に遷都(49才)

697年 文武天皇に譲位(52才)

703年 崩御(58才)

即位したのは690年なので、この歌が詠まれたのは飛鳥時代か藤原京時代か、はっきりしない。しかし若い頃の歌が最も優れているというのもしっくりこない。694年から697年までの間、年齢にして49歳から52歳までの間だったのではと推測する。


では、藤原京はどこにあったか、発掘の結果、大和三山の丁度真ん中にあったことが明らかになっている。藤原京跡に行ってみると、南東方向に香具山が見えた。


意外と近い。しかし何処に衣を干すというのだろうか。見えているのは山の北西であり、衣を干すのは不自然だ。干すなら南側ではないだろうか。また山肌は鬱蒼とした雑木林に覆われている。それとも昔は祈祷所などがあり、そこに干したのだろうか。

仕方がないので行ってみることにした。


車で行ったのだが、香具山の西側にトイレ付きの小さな無料駐車場がある。


そこから山に入り、北に向かうと天香山神社がある。そこを右に曲がるとほぼ真っ直ぐに頂上に向かう。斜面はかなり急で、息が切れる。とても建物が建てられる場所はない。

頂上につくと狭い平地があり、国常立神社があったが、何か神事が行われたとは思えない。


やはり、この香具山のこの方向に布を干す場所はなかったし、干したとしても樹木に阻まれて外から見ることなどできはしない。


結論。香具山に衣を干したとするのには無理がある。


では、あの歌はどう解釈すればいいのだろうか。

前段はいいとして、後段は次のように解釈してはどうだろうか。

《(女官から聞いたところによると、今日は)夏用の白服を干すらしい。(香具山の方を見ると確かに緑が濃くなっている。夏が来るんだなぁ》


少し見方を変えてみる。

当時の持統天皇は仕方なく天皇になったが、いつ譲位するかをずっと思っており、周りからもそう見られていた。

そんなとき、「あのお方もこの頃は随分とご立派に...」とお付きの者に言われる。ああやっと機が熟してきたか、もういいですかね、とひとりごちるのは、耳成でも畝傍でもなく、天の香具山に向けてだろう。

それがこの歌の底流にあるのだとしたら、この歌、結構奥深い。



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