![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/ac/b32f37c27001405fb9f331282c462b27.jpg)
白妙の衣干すてふ天香具山(持統天皇)
この現代語訳は、
《春が過ぎて夏がやって来たようです。真っ白な衣が干してあるようです、天の香久山に。》
とされるが、中々イメージできなかった。
そもそも何故山に衣を干すのか、それが見えるのか、どこから見たのか、当時も夏服は白なのか。
疑問に答えを見つけるため、当地に行ってみることにした。
まず作者の持統天皇である。
天智天皇の娘で幼名は鸕野讃良(うののさらら)。その生涯を年表形式で見てみる。
645年 誕生
672年 天武天皇の皇后に(27才)
690年 天皇に即位(45才)
694年 藤原京に遷都(49才)
697年 文武天皇に譲位(52才)
703年 崩御(58才)
即位したのは690年なので、この歌が詠まれたのは飛鳥時代か藤原京時代か、はっきりしない。しかし若い頃の歌が最も優れているというのもしっくりこない。694年から697年までの間、年齢にして49歳から52歳までの間だったのではと推測する。
では、藤原京はどこにあったか、発掘の結果、大和三山の丁度真ん中にあったことが明らかになっている。藤原京跡に行ってみると、南東方向に香具山が見えた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/81/30ef2cd1ab07e831b8b8fd861cfcdf48.jpg?1582107508)
意外と近い。しかし何処に衣を干すというのだろうか。見えているのは山の北西であり、衣を干すのは不自然だ。干すなら南側ではないだろうか。また山肌は鬱蒼とした雑木林に覆われている。それとも昔は祈祷所などがあり、そこに干したのだろうか。
仕方がないので行ってみることにした。
車で行ったのだが、香具山の西側にトイレ付きの小さな無料駐車場がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/c6/23b104701e608d0431d3fc8604a9071c.jpg?1582107856)
そこから山に入り、北に向かうと天香山神社がある。そこを右に曲がるとほぼ真っ直ぐに頂上に向かう。斜面はかなり急で、息が切れる。とても建物が建てられる場所はない。
頂上につくと狭い平地があり、国常立神社があったが、何か神事が行われたとは思えない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/82/bf77c30d3db2eb2337ea3b71246df825.jpg?1582107936)
やはり、この香具山のこの方向に布を干す場所はなかったし、干したとしても樹木に阻まれて外から見ることなどできはしない。
結論。香具山に衣を干したとするのには無理がある。
では、あの歌はどう解釈すればいいのだろうか。
前段はいいとして、後段は次のように解釈してはどうだろうか。
《(女官から聞いたところによると、今日は)夏用の白服を干すらしい。(香具山の方を見ると確かに緑が濃くなっている。夏が来るんだなぁ》
少し見方を変えてみる。
当時の持統天皇は仕方なく天皇になったが、いつ譲位するかをずっと思っており、周りからもそう見られていた。
そんなとき、「あのお方もこの頃は随分とご立派に...」とお付きの者に言われる。ああやっと機が熟してきたか、もういいですかね、とひとりごちるのは、耳成でも畝傍でもなく、天の香具山に向けてだろう。
それがこの歌の底流にあるのだとしたら、この歌、結構奥深い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます