いるま・風の善さん

中高年オジンの趣味と遊びの日記です。

佐渡島を訪ねて(その2)

2022年05月13日 | その他

 前稿(2022.5.12付)の続きです。GW過ぎの平日、新潟十日町博物館を見学し新潟港近くのホテルに前泊してフェリーで佐渡・両津港に渡りました。

(関越道・赤城高原SAから上越国境谷川岳方面の山は雪で真っ白でした)

豪雪地帯の(旧小出市)十日町市博物館、ここにあの燃えるような火焔型土器(国宝)が発掘展示されています。

 

(2020年6月、リニューアルオープンした十日町市博物館)

十日町市博物館には「新潟県笹山遺跡出土深鉢型土器」として平成11年(1999)国宝に指定された土器類数十点が展示されています。

  

(指定番号1の火焔型土器をはじめ、多くの深鉢土器が展示されている)

今から縄文時代中期(3000~5000年前)の地中から掘り出された火焔型土器、雪深い古代信濃川の上流にどんな文化があったのでしょうか。この土器が発掘された博物館近くの笹山遺跡にも訪ねてみました。

 

(笹山遺跡への道からも上越国境の山々が望めます)

 

(笹山遺跡には縄文館という資料館建物がありましたが、今は活動していないようでした)

 

新潟に全泊して新潟港から一路佐渡島へ・・・

思ったより広い佐渡島の景観、有史以前から多くの歴史もありました。この中から佐渡国庁跡(国分寺跡)や鎌倉時代の流人・承久の乱で佐渡に流された上皇の御所、近年の民家等少しだけ散策できました。

 

(下国府遺跡)

(真野地区の県道脇にある国府庁跡)

  

国府庁跡・大膳神社南に佐渡国分寺跡が発掘され史跡として保存されています。

佐渡国分寺跡には、南大門・中門・回廊・金堂跡・塔跡などが残る。残された礎石から南大門・中門は桁行五間梁二間、金堂跡は低い土垣をなし平らな大きい自然石を礎石とするもので、桁行五間梁間4間と想定されている。

(佐渡国分寺跡配置図)

(佐渡国分寺跡)

  

発掘調査により七重の塔があったとされ、塔跡には基壇と礎石が発掘されていました。 

 

(七重の塔跡の礎石)

現国分寺寺伝によると七重塔は正安3年(1301)の雷火で焼失、享禄2年(1529)の火災で、宝物旧紀が失われたという。旧境内は現国分寺境内の西側に東大寺式伽藍配置礎石群が残り国指定重要文化財となっている。(旧本尊の安置されていた茅葺の瑠璃堂は寛文6年・1666の建立)

 

(現代の国分寺山門と国分寺)

  

(国分寺跡の東側にある国分寺瑠璃堂)

国分寺の隣、妙宣寺には立派な五重塔が建っていました。

 

(妙宣寺本堂と中門)

  

(妙宣寺山門と五重塔)

 鎌倉時代北条義時等(承久3年・1221、承久の乱)により、佐渡に流された順徳上皇が住まいした真野御陵と終焉の地、火葬塚が保存されていました。

  

(真野御陵)

真野御陵には順徳上皇の百人一首100番目の句が歌碑として建てられていました。

 

(順徳院:ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり)『百人一首』

真野御陵の先の山中に、順徳上皇火葬塚も保存されていました。

 

(順徳上皇火葬塚)

佐渡南山地・前浜海岸~小木・沢崎灯台までの南岸は江戸時代の昔から、千両船・北前船の寄港地でした。

 

(赤泊湾と臨海運動公園の千両船)

小木港周辺では、名物のたらい船が人気でしたが今日はGW後のため静かな海が眺められました。

 

(小木港を中心とした南仙峡付近の観光図)

 

(小木港の名物・たらい船、船頭役のお姉さんたちも暇そうでした)

  

隆起した宿根木海岸と江戸・明治時代の面影が保存されている宿根木集落の家並

  

 

(宿根木海岸)

  

(保存されている宿根木の集落)

宿根木海岸の先、沢崎灯台海岸周辺も隆起した荒々しい海岸でしたが、この日は風もなく穏やかな海でした。

  

(沢崎灯台と海岸)

 

沢崎灯台の高台には台場跡の(岡の平遺跡)もありました。

  

 初めて訪れた佐渡島は、思ったより広く歴史もありました。3泊4日の旅でしたが新潟と合わせると車でも回り切れませんでした。そう何度も行ける場所ではなかったのであれこれ投稿しました。


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