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なんでも奥歯でゆっくりむしゃむしゃ

格差社会

2007-05-25 | 世の中 むしゃむしゃ
格差社会という言葉を頻繁に耳にするようになってから
だいぶ時間が経ったように思います。

この問題がしっくりこない原因の一つに
課題の曖昧さが挙げられると思います。

自分がよく理解していないだけかもしれないけど。


というのは
いまだに「格差」という言葉が何を示しているのかがはっきりしません。

・所得の格差
・生活水準の格差
・学力・能力の格差
・教育機会あるいは就業機会の格差

まず「格差」の的確な切り口を見つけることが
問題解決への糸口であるように思います。

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そしてもう一つ。

よくメディアで騒がれている内容に
貧困社会の問題があります。

これは所得及び生活水準の格差が焦点になっていると考えられます。

個人的に思うのは
この問題を議論するときは
「格差」ということ言葉は不適切であるように思います。

なぜなら
貧困で問題になるのは「差」ではなく「最低水準」だからです。

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結論から言えば
所得も生活水準も
最低水準さえ保障されていれば
それ以上の水準で起こる「差」は
問題にならない気がします。

それすらも格差として問題にするのなら
公平性なく平等を主張する社会主義国家にすればいいと思います。

しかし競争無くして発展のないことは歴史が証明しています。


話が反れましたが
要するに問題となっている「格差」は

【最低水準との格差】

の広がりではないかと個人的には思います。

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「就学援助を受けている家庭で、子供を塾通いさせているのはおかしい」
ある評論家がこのように発言しました。

この発言に対して
「就学受給者が塾通いするのは身分不相応だというのかっ!」
と反論している人がいました。

個人的にはこの反論はあまりにも的外れだと思います。
塾に行かせるために就学援助をするわけではないと思うからです。
受けるべき人が他にいるのではないでしょうか。

そこに身分の話は一切含まれていません。


まぁこのやりとりは置いといて
ここでは塾に行く必要性があることが問題とします。

金銭的な援助を受けている家庭であっても
学校だけではなく塾に行かなければいけない現状

これは義務教育が最低基準を満たしていないこと
を意味するのではないでしょうか。

義務教育は本来教育の最低基準を満たしているべきであって

【最低水準と現実の格差】

であると言えます。

///

詳しいことはよくわからないけど
所得・生活水準・教育機会・就労機会のいずれを見ても

【最低水準の設定と現実の格差】

が生じてきているように思います。

この格差に焦点を当てて考えなければ
競争社会の否定や不健全な平等主義が生まれるような気がします。


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