はまあるきの東屋

 ブログ、ホームページ、釣、畑、ハイキング、園芸、読書など趣味の多い壮年の精神科医師です。奇麗な写真をおみせします。

大村 智=2億人を病魔から守った化学者=

2016-02-21 21:47:12 | 読書


大村 智=2億人を病魔から守った化学者=

 馬場 錬成(ばばれんせい)著
 中央公論新社
 2100円+税
 2012年
 
 
大村が発見したエバーメクチンをメルク社が改良してイベルメクチンを作ります。 
 イベルメクチンは下記などの多くの病気に効きます。

①オンコセルカ病(河川盲目症)、
②リンパ系フィラリア症(像皮病)
③疥癬(ヒゼンダニ症)
④糞線虫症
⑤犬フィラリア症

 感心、感動した本でした。 
 大村氏(及び、大村氏を中心とする北里研究所)の功績は驚くほど多種多様でした。
 印象的なフレーズを抜書きして紹介にかえます。
(筆者の意図とあまり違わないよう注意しながら・・・)

 「イベルメクチンが投与される前、世界では年間数千万人の人がオンコセルカ病に
感染し、失明者を含めて重篤な眼病に感染している人々は数百万人と推定されていた。」
 「失明の原因となっているミクロフィラリアの感染予防は、
イベルメクチンを体重1キロ当たり150マイクログラム、年一回飲むことで達成される。」
 「アメリカの製薬企業のメルク社は、この薬剤成分の発見者である大村の同意を得て、
1988年から無償で必要なだけイベルメクチンを蔓延国に提供していた。」

 「1954年4月、大村は山梨大学の学芸学部自然科学科へ入学した。
丸太教授の下で大村は脂肪科学を学びクロマトグラフィーなどによる脂肪酸定量法を覚えた。」
 「(22才の)大村は都立墨田工業高校の夜間部の教員だから勤務は夕刻からになる。」 
(生徒の勉強姿を見て学び直しを決意)
  「東京理科大学離隔研究科の修士課程に入学したのは1960年4月からである。
本格的な大村の学び直しは、この時から始まった。」
 「当時はまだ学問としては草創期にあたる核磁気共鳴を利用して
有機化合物の物性を分析したり構造決定に関する研究をした。」
 「(1965年4月)大村(29才)に手渡れた辞令には『北里研究所研究部、
抗生物質研究室技師補』とある。大村は最後にくっついている『補』という字を見ながら、
研究所は、まだこのおれをまだ一人前として見ていないなと思った。」
 「大村(35才)氏はあらためて自分を売り込むタイプを打ち、5つの大学に郵送した。
ウェスレーン大学(コネチカット州)の教授、マックス・ティシュラーから電報で返事が来た。
週給7000ドルで客員教授として迎えてくれるというのである。」
 「まず大村が創業につながる微生物由来の天然化合物を見つけて特許をとる。
特許の専用実施権は企業に与える。また見つけた化学物質を研究成果は提供するので、
製薬会社はそれをもとに薬品を開発してビジネスにする。
ビジネスになった場合は特許ロイヤリティを大村に支払う。」
「この提案はアメリカでも『大村方式』を言われるようになり非常に合理的な方法だった。」
 「1975年4月1日付で大村(39才)は恩師の秦藤樹の後を引き継いで
北里大学薬学部の教授に昇格した。
 「ビニール袋を常備した(北里研究所)研究員の土壌集めも日常的におこなわれていた。
このときも静岡県伊東市の川奈のゴルフ場近くから採集した土壌が研究室に持ち込まれ、
いつものようにスクリーニングが始まった。」
 「いつものように『OS-4879』の整理番号をつけ・・・
抗菌スペクトルなどの1次データをつけてメルク社へ送った。」(OSは大村のイニシャル)
「メルク社では・・・動物寄生虫に関する専門家のウィリアム・キャンベルが、
大村研究室が分離した微生物の培養液をそのまま動物に投与する実験を始めた。
人工的に寄生虫を棲みつかせたマウスに培養液を飲ませてみると寄生虫が減ってくる。」
「大村とメルク社の研究グループは、この微生物から抽出して単離した化学物質を
『エバーメクチン』と名付けた。」
 「1974年に静岡県の川奈ゴルフ場周辺の土中から発見された放線菌が産生する
エバーメクチンの誘導体であるイベルメクチンの抗寄生虫作用の
有効性、毒性、安全性などの確認実験を積み上げ、
学会で発表したのは最初に活性を見出してから5年後の1979年であった。」
 

 学生時代、夏休みに、広島大学で
私も生化学の佐野教授の教室で
薄層クロマトグラフィーの技術を学びました。
 胆汁の分析をやらせてもらいました。
 懐かしい思い出です。