はまあるきの東屋

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明治維新という過ち:紹介2

2015-06-15 22:20:28 | 読書
「明治維新という過ち」:紹介(2)
原田伊織著
毎日ワンズ発行所
2015年1月発行

 以下、特に私の印象に残った文の抜書きです。


「『勤皇志士』などという。勿論、長州テロリストの“自称”であり、
・・・そのリーダー格が、桂小五郎(木戸孝允)(きどたかよし)、
吉田松陰とその徒党、高杉晋作、久坂玄瑞、・・・」
 「彼らは、具体的にどういうテロ行為を行ったのか。一部を列挙する。

・桜田門外で水戸脱藩のテロリストと薩摩藩士に暗殺された大老井伊直弼の
彦根藩ゆかりの者の暗殺(長野主膳の家族など)
・同じく彦根藩ゆかりの村山寿江の生き晒し
・京都町奉行与力やその配下の暗殺(賀川肇など)
・幕府に協力的とみた商人はの略奪、放火、無差別殺人
・佐幕派とみた公家の家臣たちの暗殺(あまりに多数。これらは公家に対する脅し)
・学者の暗殺(儒学者池内大学など)」

 「ところが、松下村塾とは、陽明学者ともみられる(松陰の叔父の)玉木文之進の私塾である。
松陰が松下村塾を主宰していたという事実は存在しない。」
 「そもそも、松下村塾とは、師が何かを講義して教育するという場ではなくく、
よく言って仲間が集まって論壇風発、『尊王攘夷』論で大いに盛り上がるという場であったようだ。」

 「1858年日米修好通商条約が締結されると、松陰は老中間部詮勝(まなべあきかつ)の暗殺を計画、
(長州)藩は再び松陰を逮捕、投獄した。1859年幕府は松陰の江戸への送致を命令、
松陰は伝馬町の獄舎にて斬首刑。満29歳であった。松陰は大老井伊直弼の暗殺も主張していた。」