はまあるきの東屋

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殿様は「明治」をどう生きたかのか

2014-11-22 20:50:58 | 読書



『殿様は「明治」をどう生きたかのか』
河合 敦著:洋泉社:2014年:930円+税

取り上げているのは16人の藩主です。
「勤王」か「佐幕」かの区別をまずしました。
廃藩置県のあと、主にしたことを取り上げました。

① 「佐幕」:会津藩主:松平容保(かたもり)
 日光東照宮の宮司となり、徳川宗家の菩提を弔った。

② 「佐幕」:桑名藩主:松平定敬(さだあき)
 家臣100名を連れて、蝦夷地に抗戦のためにいくが、途中であきらめる。
 「西南戦争」では旧藩の家来400人とともに、西郷と戦った。

③ 「佐幕」:請西(じょうざい)藩主(千葉県):林忠崇(ただたか)
 林忠崇は脱藩し、70名の家来を連れ、遊撃隊として政府と戦った。
 一時、帰農したが、のちには日光東照宮の神職についた。

④ 「佐幕」:紀伊藩主:徳川茂承(もちつぐ)
 士族の困窮を救うための互助組織「徳義社」を設立した。

⑤ 「佐幕」:水戸藩主:徳川昭武(あきたけ)
 フランスに留学し、牧場経営や植林事業を行い成功した。

⑥ 「勤王」:越前藩主:松平春嶽(しゅんがく) 
  政界を引退し、自伝などの執筆活動に専念した。

⑦ 「勤王」:土佐藩主:内山容堂(ようどう)
 堺事件の責任をとり、内国事務総裁を辞職した。酒におぼれ、中風になり46歳で死去。

⑧ 「勤王」:尾張藩主:徳川慶勝(よしかつ)
  名古屋に織物工場や養蚕場を設置し、北海道開拓事業を行った。

⑨ 静岡藩主:徳川家達(いえさと)
  イギリスに留学し、のち貴族院議長を31年間務めた。

⑩ 徳島藩主;蜂須賀茂韶(もちあき)
  東京府知事や文部大臣の要職を歴任した。

⑪ 「勤王」:広島藩主:浅野長勲(ながこと)
 日本橋に日本初の近代的製紙工場を作り成功する。機会はイギリスから輸入。

⑫ 岸和田藩主:岡部長職(ながとも)
  イギリスに留学し、イギリス公使館参事官となり、のち東京府知事となった。

⑬ 米沢藩主(山形県):上杉茂憲(もちのり)
  イギリスに留学後、沖縄県令となり、のち元老院議官となった。

⑭ 「勤王」;津和野藩主:亀井茲監(これみ)
 藩校「養老館」の運営に力を注ぐ。明治4年、知藩事(この制度にに落胆し)になることを辞退し、東京に住む。

 身の処し方は、十人十色でした。成功した人も、失敗した人も。
特に、「佐幕」の大名は苦労が多かったようです。
 これらの藩主のなか、請西(じょうざい)藩主(千葉県)松平定敬(さだあき)が
私にとっては一番印象的でした。
 松平定敬は、70名の家来を連れて、遊撃隊・伊庭八郎の要請を受けて遊撃隊と行動を共にします。
定敬は領民に迷惑をかけまいと脱藩届をだします。そして、東北地方を転々として戦いつづけ、
あと会津についで仙台に達するが、ここで戦いをやめます。
19名の請西(じょうざい)藩士とともに新政府軍に降伏します。
明治4年廃藩置県後、故郷にもどり糊口をしのぐため帰農したが、
最終には日光東照宮の神職につきました。