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音楽の話題を日々徒然に。

オフコースと私 ~ もっと近くに ~

2009-07-22 19:16:07 | オフコースと私

このシリーズの前回の記事、「君住む街へ」と話は前後しますが・・・。
1987年の今日、7月22日。私は大阪城ホールに居ました。

この日は、4人になったオフコースの二度目のツアー、『as close as possible』の大阪公演初日。 前回のツアー『The Best Year of My Life』を終えた後、小田さんはアメリカへ行ってしまい、しばし活動休止状態でしたので、久しぶりのオフコースです。夏休みが始まった解放感とあいまってウキウキだったのを覚えています

今回はそんな高校2年の夏の思い出話を少々。
そうそう、以前の記事に書きましたが、修学旅行の際、メンバーと同じ新幹線に乗り合わせたのはこのツアーの最中でした。(→
コチラ

学校の休み時間に、オフコースファンの友人とチケットの算段をしていたときのこと。軽音楽部で、バリバリのヘヴィメタルのベースを弾いているクラスメイトが寄ってきて、

「オフコース、実は私も好きやねん。一緒に連れてって~。」

えぇ?!手首に鋲のついたリストバンド巻いてる人が、何を言うねん
びっくりしましたが、ま、当時はこういう「隠れ」ファンって多かったようですネ。

で、当日の彼女の服装にまたびっくり!
チューブトップで、肩おもいっきり露出、真っ赤なイヤリングに超ミニスカート!・・・オフコースの雰囲気とちゃうやんか

唖然とする私たちに、

「え~、だって小田さん喜ぶやん

・・・喜ぶ、かな

さて、ライブの方ですが、テンションあがりましたね~。
なんと、人生初の”アリーナ席”だったのです!

文字通り、幕が「切って落とされる」オープニングが、それはそれはカッコよくって、のっけから大興奮

そして、いちばん印象的だったのが『緑の日々』。
ステージ奥のスクリーンに、飛行機から撮影した草原の映像が流れます。
"We are"ツアーの夜景や、”Over”のひまわりを彷彿とさせる演出。

それだけでもうっとりだったのですが、曲の最後に、このスクリーンがはらりと落ちると、その奥にある照明から、客席に向かって一斉に光が放たれたのです。
アリーナ席にいた私は、まぶしくって、一瞬何が起こったのかわからず。
光の中の4人のシルエットと、それに重なる♪Ah~ という美しいアカペラのコーラス。

・・・もう、この人たちは神様じゃなかろうかと思いましたよ
今思い出しても鳥肌モノの素晴らしい体験でした。

これが4人のオフコースの絶頂期、だったと思います。


こちらは、ツアーパンフ。凝った作りでしたね

    ↓↓↓

   

 

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12 コメント

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懐かしぃ~ (みゆ)
2009-07-22 19:28:43
うわぁ懐かしいですね
ツンツンヘアの小田さんですね

この時は武道館8日間の内6日間行き捲くってました
アリーナでも一度だけ見る事が出来まして目の前にメンバーが居る事が信じられませんでした

あの頃は白い幕にスポットライトが当たって、イントロが始まった途端に幕が落ちるんですよね
もうそれだけでコーフンしまくり

今からDVD見ちゃおっかな←明日の仕度がまだだった
みゆさんへ (nanori)
2009-07-22 20:32:53
ええ、ええ、髪ツンツンの小田さんです。
大工の棟梁も悪かないですが、私はこの時代の髪形がいちばん好きなんです
オフコースのステージって、ホント、演出がカッコ良かったですよねぇ。
"OFF COURSE"のロゴに順番に照明があたって、ジローさんのドラムとともに幕が落ちて・・・あっ、イカン、私もDVD観たくなってきちゃった
1987年 (moto)
2009-07-22 21:17:36
1987年7月、nanoriさんは大阪城ホールですか
自分は大阪市内の予備校に通っていました。いわゆる浪人中です。
The best year my life が出た頃に、小田さんが谷村新司のラジオ番組(ABCラジオでやってた青春キャンパスかなにか)に出てました。
その中で、ちんぺい(谷村)さんが
「アルバムを出したらツアーとかやらないの?」と質問したところ
小田さんは「アルバムはある程度詞とか曲とか出来るんだけど、4人でライブをやるイメージがわかないんだよね。全然うかばない。」というようなことをおっしゃってました。AMラジオで悩み事全開です。4人の頃のライブはかなり試行錯誤の時代だったと思います。
また、だからこそ、影響力のある力強いコンサートになったのかもしれませんね。
as close as possibleと言えば (アベちゃん)
2009-07-22 22:39:47
「as close as possible」と言えば、各メンバーがキャリアアップのため、それぞれがソロ活動をした後のツアーですね。
オフコースのアルバムは全部白紙の状態から製作を始めるのはもうご存知かと思いますが、この「as close as possible」は、各メンバーが自由に曲を持ち寄り、そのままオフコース名義として発表したものなんですね。
よって、どちらかというとソロの色合いが強いアルバムだと思います。

それでも、それぞれの曲は相変わらず質が高く、好きなアルバムの一つです♪

1987年の夏ごろと言いますと、nanoriさんが以前に書いた「君住む街へ」のレコーディングを行っている最中と思われます。
解散を象徴した曲ということを考えますと、結果的には解散という方向に向かっていくわけですが・・・・・・・・

話は飛んで、このツアーのオープニングは秀逸ですね!
一気に幕が落ちると同時に、大歓声に包まれるところはいつ観ても興奮します
それから、「緑の日々」のコーラスは非常に美しいですよねぇ~
初めてDVDでライブバージョンを聴いたとき、感動して涙がこぼれそうになりました
Unknown (うるとらK)
2009-07-23 12:57:03
前回のツアーで何気なく買ったDVDがas close as possibleでした。
きっとこのツアーが4人だったのかどうかも知らないまま買ったんだと思います。
それほど無知だったんだよね~。色んな想いの詰まったツアーだったんでしょう。
そんな頃からファンだったあたなは素晴らしい!このパンフ見てみたいわ~。
思ひ出が・・・ (くるみ)
2009-07-23 21:51:44
この記事読んでたら、鮮明にこのライブが思い出されました
オープニングの幕が落ちると、かっこいい4人がドーンと現れて、それはそれはキラキラ眩しかった記憶が・・・
確かこのライブだと思うのだけど、1列目だったのよー!!それも小田さんの真ん前!!
後にも先にもライブで1列目はオフコースだけです。
このパンフも持ってたのに、捨てちゃいました
あー!ライブ映像が観たくなったよ
DVD買わなくちゃ♪
motoさんへ (nanori)
2009-07-23 22:12:53
ええ、受験はまだ先ってことで、勉強そっちのけで、この年の夏は遊びまくってました~
翌年、後悔するんですけどね
「4人でライブをするイメージがわかない」っていう話は私もラジオで聴いたか、雑誌で読んだかした記憶があります。
ヤスさんが抜けた穴がどれほど大きかったのかを象徴する話ですよね。当時、まだまだ子供だった私には全く考えがおよびませんでしたけど
アベちゃんへ (nanori)
2009-07-23 22:18:39
このアルバムはオフコースの中でも異色ですよね。あのジャケットにも驚きましたが、中身もジャケット通りポップで、それまでになく軽い仕上がりで♪だからでしょうか、このツアーも非常にノリがいいライブでした
そうか、ちょうどこの頃に『君住む街へ』を作ってたことになるのか・・・。この時がピークで、後はゆるやかに解散に向かっていったと私が思うのも、あながち間違いじゃないのかもしれません。
うるとらkさんへ (nanori)
2009-07-23 22:24:22
この『as close as possible』、小田さんの中で何かが吹っ切れたツアーだったのかもしれません。わりと明るかったなぁ。
ポータブルのキーボードしょって、ステージ中央に出てきたときには、たまげましたよ。
あの小田さんがっ!てな感じで。
しかし、何気なくこのDVDを買ったってのも、なかなかお目が高いヨ
くるみさんへ (nanori)
2009-07-23 22:29:40
おぉ!1列目!いいなぁ♪
私は、ミュージカルなんかの舞台では経験あってもライブでは無いなぁ。
・・・あ、違う。昨年のsfmで1列目、ヤスさんの真ん前でした
『as close as possible』のオープニングはめちゃめちゃカッコよかったよね。幕が落ちて、松尾さんと清水さんがステージの前へ出てきたときの興奮。『もっと近くに』を聴くたびに甦ります
DVD、いいよぉ~

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