1984年7月18日発売、オフコース通産26枚目のシングル。
もう30年も前のことだと思うと空恐ろしくなるけれど。
当時私が住んでいた家のお隣さんとは、両親もさほど親しくはなかったと思う。
向こうが後から越してきたというのと、直後に不幸な事件で奥さんが亡くなってしまったせいもあったのだろう。いわゆる「男手ひとつ」となったご主人は寡黙で、およそ近所付き合いをするタイプでもなかったから。
その家には私より4つばかり上の息子さんがいた。私が中学2年生だったから、彼は高校2年か3年。父親に似て寡黙だったのと、今は死語になってしまった「ツッパリ」系だったので、お隣さんとは言っても私は話をしたこともなかった。
そんな「隣のお兄ちゃん」の部屋は、私の部屋とほぼ軒続きで、窓から身を乗り出せば部屋のなかを覗くことができそうな距離。深夜に大声でツッパリ仲間と騒いだり、父親と言い争う声がきこえたり。「不良少年」とは無縁の静かな女子校に通っていた私からすれば、彼はまったく異世界の人であり、正直、はた迷惑で怖い人だった。
当時は子供部屋にクーラーなんてものはなかったから、7月ともなると窓は常に開け放っていた。ある日、そんな窓から飛び込んできたのが『夏の日』だった。その音は紛れもなく隣家のお兄ちゃんの部屋から聞こえてくる。
え?オフコース聴くの?あのお兄ちゃんが?
にわかには信じがたかったけれど、その日以降も何度か耳にした。
なので、おそるおそる。
ある日、お兄ちゃんの部屋に灯りがともり、その窓が開いているのを確認した私は自分のステレオで『夏の日』を流し、思い切ってボリュームを上げてみた。隣に聞こえるようにと。
私の『夏の日』が流れ終わったあと。
応じるかのように、すぐに隣から、彼の『夏の日』が流れてきた。
ただそれだけの話。
その後、何が変わったわけでもなく、ほとんど話をしないままお隣さんは引っ越して行き、今どうしているのかは知らない。ほどなく我家も引っ越した。
30年経った今も『夏の日』を聴くと、当時のその家の暑さとか、に西日に焼けた畳の匂いだとかと一緒に、こんな「それだけの話」が思い出される。今年もそんな7月。
今で言うところの”ギャップ萌え”に近いのでしょうか(笑)
この話は、ウチの両親にも話していないと思います。
おおっぴらに言うのが憚られる気がした、というのはやはり少しは恋心のようなものがあったのかも知れません。
あまりに古い出来事ですので、その時の感情は、もはや薄ぼんやりとしておりますが。
まだその戸口にたったばかりの少女の、青春の1ページです。
どんな振り付け?すんごい気になるんですけど~。
「見ないほうがいいような気がして」という気持ちもよくわかります。・・・が、私だったら我慢できずに見にいってしまいそうです。(いや、踊りはしませんが)
私にとって『夏の日』は、小田さんの曲の中でも、色々と思い出もありますし、想像力も掻き立てられるタイプの曲です。
川端康成の小説、探して読んでみます。
持ってますね nanoriさん、
おもしろエピソードの数々!
自分にとっては
小田さんの曲の中ではあまりピンとこない曲
ということもあり
「夏の日」エピソードから
真っ先に思い浮かんだのは 川端康成の掌編
タイトルは「バッタとコオロギ」だったかな
小さな男の子・女の子の淡いお話で
想いが届く、そのハッピー・エンディングでした
さてさて「夏の日」
このところは耳にしなくなりましたが
地区の盆踊りで、
ビューティフル・サンデーの後あたりに、
(初めは耳を疑いました)
「夏の日」ですが何か?
と言わんばかりにスーット流れてくることが
度々あったのです
盆踊り会場となるグランドの
すぐ隣に住んでいるため聞こえてしまうのです
どんな連中がどんな踊りをするのだろうかと
気にはなりましたが
(サビのあたりの踊りがチョット想像されます)
見ないほうがいいような気がして
見ないままで今日に至っています
それでは
夏を元気に乗り越えましょう
本当に、音楽というものは「記憶」との相性が良いというか、どの曲にもそれぞれ「結びついた思い出」がありますね。私にとってオフコースの曲は特に、です。
隣の彼は、あの爽やかな曲をどんな感じで聴いていたのか、ちょっと興味がありますf^_^;
懐かしい曲を聴いて、自分だけしか見られない場所や思いがありますね^_^