本日、またしても本屋をふらふらしていたところ、ふと目に止まった文庫本がコチラ。
文藝春秋編『教科書でおぼえた名詩』
国語の授業は嫌いではなかったので、「あぁ、こんなのも習ったっけ」と、懐かしく思いながら立ち読み。
パラパラとめくっていて、思わず手が止まったページがありました
立原道造。
昭和初期に活躍するも、わずか24歳で夭折した詩人。
東京帝国大学工学部建築学科を卒業した建築家でもありました。
私がこの詩人を知ったのは高校生の時ですが、残念ながら「教科書でおぼえた」わけではなく、”オフコース繋がり”でした。
当時愛読していた音楽雑誌の投稿欄だったのか、もしくはファンクラブ刊行の書物だったのか、何で読んだのかは忘れましたが、
「小田さんの書く詩と、立原道造の詩は似ている」
という投稿記事がありまして。
最高学府で建築を学びながらも、詩(あるいは音楽)を志したという経歴も同じ。
当時、小田ファンの間ではこの二人の共通点については、有名な話だったかと思います。
いったいどんな詩を書く人なんだろう?と興味を持った私も、高校の図書館で彼の詩集を探して読みました。決して文学少女だったわけではなく、ただただ、小田さんに関するものは何でも知りたいというだけの不純な動機です
それでもポケット版の詩集を本屋で見つけて、自分でも買ったはずですが、今はもうどこへやったやら。
今回、この『教科書でおぼえた名詩』には彼の詩が2編収録されています。
そのうちの1編は、当時の私も「いい詩だな」と思ったもの
夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
(中略)
告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる
夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
立原道造 『夢みたものは・・・』より
懐かしい。
高校を卒業してから約20年、今こうやって読んでも、やはり似ているなと思います。
『この道をゆけば』や『ワインの匂い』の頃の詩、セーター姿の”小田青年”が描く繊細な世界に。
・・・ただし、付け加えておきますと、小田青年の方が数段オトコマエです
私も暗唱できるほど覚えているものがあるわけではありませんが、読むと思い出します。
国語の先生が熱心だったからか、その詩を習った時の教室の光景、席の位置までフラッシュバックしました。
『高瀬舟』は確かにホラーですね(笑)
私的には泉鏡花もホラーでした。鴎外も、中島敦も、今もう一度読み返してみたいなと思っているところです。
でもま、Googleの画像検索をすると一発ですので、比べて(!)みて下さい。
ま、好みの問題かなぁ(^^;
小田さん、歌詞を考えるの嫌いって言ってたけど、影響を受けた詩人とかはいないのかなぁって、ちょっと思いました。
私が高校生の時に使っていた教科書(国語も文学史も)には、彼の名は載ってなかったんですよね~。
当時の雑誌の読者欄か何かで、「似ている!」「私もそう思う!」みたいな記事が続いたことがあって、興味を持ったんです。
最後の一行は・・・余計でした(^^;
立原ファンに怒られそうです。
いやいや、立原さんも、あどけない顔をした儚げな青年ですよ。
ただ小田さんには負けてます。
私は国語&現国が大大好きで、得意でした!
教科書でおぼえた名詩。わたし的にはなーんもない!智恵子抄はなんだか切なかったので、今も覚えてます。『智恵子は東京に空が無いといふ』というやつです。(「いうやつ」て…)そして高瀬舟。これは「ホラーか!」とツッコミながら読んだのを強烈に覚えてます。先生が朗読するのを、クラスメイトと首もとを押さえながら聞いたりしてました。
今度調べてみよう。どっちが男前なのか!ま、小田さんの勝利だと思うけど…
小田さんと共通する経歴があるとは知りませんでした。
彼の詩はわたしも昔読んだと思うのですが、もう記憶はあやふやです。
nanoriさんが紹介してくれた詩を読んで、う~ん、なるほど~とわたしも、「ワインの匂い」のころの小田さんを頭に浮かべおりました。
そして・・・nanoriさんの最後の一行で、が~ん!! その手前まではわたしも詩集をもう一度読もうかと思っていたのですが・・・(^_^;)