明澄五術・南華密教ブログ (めいちょうごじゅつ・なんげみっきょうぶろぐ)

明澄五術・南華密教を根幹に据え、禅や道教など中国思想全般について、日本員林学会《東海金》掛川掌瑛が語ります。

8.呪文 密教と記号類型学 『般若心経は間違い?』の間違い(八)

2024年01月06日 | 仏教
『般若心経は間違い?』の間違い(八)
 
 
『般若心経は間違い?』(宝島社新書) 87頁〜

第二章 呪文と真実語
 故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒。是無常咒。是無等等咒。能除一切苦。真実。不虚故。

 ゆえに知るべし、般若波羅蜜多は、これ大神呪咒なり、これ大明咒なり、これ無上咒なり、これ無等等咒なり、よく一切の苦を除き、真実なり、虚ろならざるがゆえに、と。


 驚きました。なんの脈絡もなく「これがすごい呪文である」と宣言したのです。 
 こうなってくるともう、迷信依存症の人々に語っていることになります。呪文やら方位やら風水やら八卦占いやら、タロット占いやら、そんな程度の非科学的な占いを信じている人に語っていることになってしまうのです。・・・・
 『般若心経』を書いた人がすごい真理を語っていると思うならば、なぜ呪文で終わるのでしょう?呪文で済むなら、ブッダの言葉を持ち出して逐一否定することはなかったでしょうに。それなのに「般若波羅蜜によって悟りますよ」とも言っているのです。(P.88〜89)
 
 

 スマナサーラ氏は、密教関連の知識がよほど不足しているらしく、占術や呪文が、密教ではどのような扱いになっているかも、全く知らないようです。
 風水や八卦占いについても、女性週間誌程度の知識と見られ、「そんな程度の非科学的な占い」などと軽蔑しているのですが、自分の知らないことに対して極め付けるのは、いかがなものでしょうか。
 
 分類学に関して、中国はインド以上に発展しており、「格物致知」つまり分類によって物事の本質を知ることが、中国の伝統的な学問の中心になっています。
 「卦」とは物事を「陰」と「陽」に分け、さらに「陰の陰」と「陰の陽」、「陽の陽」と「陽の陰」という四分類し、これらをさらに「陰陽」に分けて「八分類」としたのが「八卦」です。
 「八卦」と「八卦」を組み合わせたのが「周易」に見られる「六十四卦」であり、さらに「六十四卦」と「六十四卦」を組み合わせたのを「易林」といい、四〇九六の組み合わせができます。これは現代のコンピュータに使われている「二進法」と全く同じ原理であり、「説一切有部」の「五位七十五法」などよりはるかに合理的な分類法と言えます。
 
 「二進法」は、17世紀~18世紀の偉大な哲学・数学者である、ライプニッツが、「易」の「六十四卦」を見て発見した方法です。「六十四卦」は、「六爻」の陰陽から成るもので、コンピューターで言うと、6ビットの数(十進法で、0~63 の数)を表わすものです。
 
 
 分類法には「陰陽」のほかに「五行」や「干支」というものがあり、「十干」や「十二支」という記号の組み合わせにより、非常に精緻な分類が可能であり、「記号類型学」としての「方剤」(漢方)や「風水」「方位」「命理」などに生かされています。
 「非科学的」と言えば批判したつもりかも知れませんが、「時間」や「方位」に記号をつけて統計的に分類し、未来予測に使うという発想は「現代科学」にはないもので、「時間」も「方位」も全く扱ったことのない「科学」には、中国の「記号類型学」を否定も肯定もする資格もなければ、その材料すらありません。
 
 中国では、「受想行識」も、中医学の「五体論」という「記号類型学」として扱われており、それぞれに「丙丁甲乙」という「記号」が振られます。(“『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違い”参照)
 既述のように、法相宗の大家だった玄奘三蔵法師が「受想行識」という用語を使うとき、「五体論」の「受想行識」を念頭においていたことは自明の理とすべきです。
 
 さらに「中国密教」においては、「チベット密教」の体系に加えて「儒教」や「道教」の体系も取り入れ、あらゆる知識を組み合わせた総合的な体系を持っており、「記号類型学」は学問ばかりか、修行の過程にも大いに利用されています。
 「密教」の「密」とは「秘密」の「密」と思われがちですが、むしろ「緊密」の「密」であり、あらゆる知識や技術を総合的に活用することにその本分があるものです。

 では、密教における「呪文」とはどのような意味を持つのでしょうか。
 密教の「呪文」は「真言」という言い方もできるように、ある内容を暗記しやすく短い短文にまとめ、唱えることによってその内容を徹底的に意識に摺り込むようなものになっています。
 『般若心経』は、中国密教の「真言」とは少し違いますが、「色即是空、空即是色」のようなよくできた「呪文」なら十分に使い道があります。たとえば、恐怖にであったり、欲望に目が眩んだときなどに唱えれば、あらゆる現象は「空」であることを思い出して乗り切ることができるでしょう。

 スマナサーラ長老は、『般若心経』の「呪文」は最後の数行の部分と考えているようですが、「中国密教」の知識からすれば、むしろこの部分はどうでも良いところで、『般若心経』の「呪文」として最も優れたところこそ、「色即是空、空即是色」の八文字と言うべきです。
 
 既述のように「色=空」という表現は、「空」とは何か、「一切が空」とはどういうことであるかを、端的に、かつ余すところなく表現しつくしており、修行者は「色即是空、空即是色」と唱えるだけで「空」を「悟る」ことができるようになっています。

 唱えるだけ、と言っても、もちろんその意味を理解していなければ何の効果もありません。
 ところが、「悟り」とは、単に理解するとか知ることではなく、「知行合一」つまり「知っているとおりに行動できる」ことです。
 すると「空を悟る」とは、単に「空」を理解するだけでなく、人間が何らかの障碍に出遭ったときに、それが「空」なるものであることを念頭におき、恐怖や欲望や執着に囚われることなく、持っている知識のなかで最適な行動が取れる状態になることを言います。
 「空」を理解していれば、恐怖や欲望や執着などまったく無意味で障碍など何もないのですが、実際の場面で知っているとおりに行動できるかどうかは難しいものです。
 そんなときに「色即是空、空即是色」の八文字さえ思い出せれば、“なんだ「空」ではないか”と冷静に対処できるようになり、その場面での最適な行動が取れるようになります。つまり「密教」の考える「呪文」や「真言」とは、「悟り」への近道と言うべきものです。

 『般若心経』全体を「呪文」として見た場合、
まず「観自在菩薩、行深般若波羅密多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄
 つまり観自在菩薩が、衆生に「照見五蘊皆空」し、衆生を「度一切苦厄」して救った、と言いますから、「菩薩行」を行う人は、人々に「人間が認識できる一切のものは関係である」ことを知らせて「悟り」に導き、苦しみから救うことを念頭におかなくてはなりません。

 次に「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識亦復如是」、つまり「色=空=受想行識」であり、あらゆる「現象」は「関係」という「認識」であることを確認しています。

 「是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減」、つまり眼に見える(感知できる)現象に物事の本質はないことを明らかにしました。

 「是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無眼界、乃至無意識界、無無明、亦無明尽、乃至無老死、亦無老死尽、無苦集滅道、無智亦無得
 ここでは、「実有」つまり「実在の法」とされる、「五蘊」「十二処」「十八界」「十二縁起」「四聖諦」などの「仏陀の教え」や「仏教教理」について、「無」であるとして否定し、「空」がすべてであると宣言しています。
 しかし、「無」であると言いながら、実はすべてを暗記させてしまおうとする意図が見て取れます。
 つまり、こういう「ドグマ」を「実在する法」などと有難がっても仕方がない、と言いながら、知らなければ否定もできない、という訳か、非常に覚えやすく少ない文字数に整理して並べています。
 しかし、こうした教理が大切なのは「悟り」を得るまでのことで、「色即是空」を知り「空」を悟れば、もう要らない、つまり、「彼岸に渡ったら筏を捨てろ」ということのようです。

 「以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離顛倒夢想、究境涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提

 (“玄奘訳”漢訳の邦訳ー張明澄・掛川掌瑛)
何かを得るということには絶対性がなく、そのため菩薩は智慧の完成だけをその基盤にしているのであり、だから心に障碍となるものがありません。心に障碍がないから恐れもなく、自分の心からでっちあげるものから離れることができ、究極的な解脱に至ることができます。

 「阿耨多羅三藐三菩提」は音訳で、意訳されていません。
 ここまでは、「仏教認識論」の「おさらい帳」といった趣向ですが、これでは「大乗経典」らしい有難みがないと思ったのか、ここから先は、長老の言うとおり、「法華経」ばりに、自画自賛のような美辞麗句が並んでいます。
 

 「故知般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無常咒、是無等等咒、能除一切苦。真実。不虚故

 ここも「法華経」ばりの自画自賛ですが、長老の見解では、ここから先が「呪文」と言っています。ところが、実は、肝心なところはこの前までで、ここから先はどうでも良い部分なのです。
 

 呪文の特色は、論理性がないことです。文法も主語も目的語もありません。・・・呪文には、伝える意味がないので、力がないのです。なのに皆、呪文に力があると思って、意味のない単語を羅列する。それは明確に迷信です。・・・日本にも真言というマントラ、呪文がありますが、あれにも意味がないのです。(P.98)
 

 日本の「真言宗」は、「中国密教」から見たら、とうてい「密教」とは言えない迷信集団ですから、どうでも良い話です。

 「中国密教」乃至すくなくとも「南華密教」では、全く意味のわからない「マントラ」など「真言」とは認めません。
 「南華密教」でいう「真言」は、あくまでも人の指針となるような短文であり、「悟り」に近づけるための、ちょうど、禅の「公案」のような内容と位置づけになっているものです。
 長老の言う「意味のある言葉に力がある」というのはその通りで、「南華密教」の「真言」は、正にそれを利用した修行法として確立されています。
 
 
  
<次回に続く>
『般若心経は間違い?』の間違い(九)龍樹「一切皆空」のパラドクス
 
 

2021-07-19

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『西遊記』でおなじみの、玄奘三蔵法師は、7世紀、唐からインドに取経して、多くの経典を漢語訳し、なかでも、『般若心経』は、大乗仏典の精華と言うくらい名訳とされています。しかし、よく理解されているか、と言えば、実はあまりよく理解されていません。

なかでも、「色即是空、空即是色」という『般若心経』のなかの最も重要な文章は、最も有名であるにも関わらず、理解される、というには程遠いのが現状です。

 なかには、「色即是空」は正しいが「空即是色」は間違い、などと、頓珍漢なことを言い出す人たちも現れましたが、『般若心経』を信奉してきたはずの、日本の仏教者たちは、満足な批判を加えることさえできません。

十八世紀、ドイツの哲学者ヘーゲルは「理性的なものは現実的なものであり。現実的なものは理性的である」と述べました。この発言は当時から、批判されるばかりで、今でもあまり理解されていません。

ヘーゲルの言う「理性」は、仏教では「分別」と言いますが、ヘーゲルの言うような理想的なものとは捉えておらず、「分別」こそが「苦」の原因であるとします。

 「色即是空、空即是色」をヘーゲル風に言い換えると、「現実と見えるものは分別されたものであり、分別されたものは現実と見えるものである」ということになります。つまり、自分が「分別」して「現実」と見えるものを、そのまま「現実」と思い込むから、「苦」が生ずるのです。

 2世紀、インドの仏教者、竜樹は、「一切は空である」と、述べましたが、本人も論じているように、「すべてが空」では、矛盾が生ずることがあります。 

 その点、「唯識」仏教(法相宗)の大家である玄奘三蔵訳『般若心経』では、「一切が空」とは言わず、「五蘊皆空」と述べており、竜樹のような矛盾が生じません。

 「唯識」レベルで書かれた経典である玄奘訳『般若心経』を「空」論のレベルで理解しようとすることには無理があり、最低でも「唯識」レベル、できれば「密教」のレベルで、つまりは「唯識」論を踏まえた上で、あらゆる知識を総動員して「緊密」に読み解くことが必要です。

「密教」の「密」とは、「緊密」のことであり、「秘密」という意味ではありません。

 『般若心経』の「空」は、ヘーゲルの「疎外」と似ていますが、むしろ、マルクスの「疎外」と等しいものであることを、本書をお読みいただければ、お解りいただけるかと思います。

 

  2021年 辛丑               掛川東海金

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エッ!「空即是色」は間違い? 2007-02-04

『般若心経』−漢訳とサンスクリットの違い 三蔵法師が漢訳した現存最古の般若心経発見

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『般若心経は間違い?』の間違い(六) 法=規範と記述

『般若心経は間違い?』の間違い(七) 中村元さんの間違い?

『般若心経は間違い?』の間違い(八) 密教と記号類型学

『般若心経は間違い?』の間違い(九)龍樹「一切皆空」のパラドクス

『般若心経は間違い?』の間違い(十) 中観(一切皆空)と般若心経(五蘊皆空) 

『般若心経は間違い?』の間違い(十一)空即是色という呪文

『般若心経は間違い?』の間違い(十二) 悟りのイメージと効用

『般若心経は間違い?』の間違い(十三) 竜樹の「空」と般若心経の違い

『般若心経は間違い?』の間違い(十四) 無我と輪廻

『般若心経は間違い?』の間違い(十五) その1 苦=空=自己疎外 2007-10-31

『般若心経は間違い?』の間違い(十五) その2 10年経っても反論できない? 2007-10-31

 
 

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