明澄五術・南華密教ブログ (めいちょうごじゅつ・なんげみっきょうぶろぐ)

明澄五術・南華密教を根幹に据え、禅や道教など中国思想全般について、日本員林学会《東海金》掛川掌瑛が語ります。

4.無我=空=色=無我『般若心経は間違い?』の間違い(四)

2024年01月06日 | 仏教
『般若心経は間違い?』の間違い(四)
『般若心経は間違い?』(宝島社新書) 62頁より

 舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。
 
諸法空相」はすべての法(もの・こと)は空相である」ということです。これに異論はありません。パーリ経典にsabbe dhammã anattã(諸法無我)とあって「無我
anattãアナッター」は「実体がない」ということで「空」の同義語ですから、「諸法空相」も正しいのです。
 ただし・・・・・すべてのものは実体がないから増えることも減ることもない」と言うことはできるでしょう。
 しかしそれは本当でしょうか?
 人は現れたり消えたりするでしょう?赤ちゃんから大人になると、体積も体重も増えていくのは当たりまえでしょう?色は現れたり消えたりするでしょう? 
 一切の現象に実体はなく、因縁によって現れては消えているのです。現象の世界には、生滅も増減も明らかにあるのです。
 
 
 スマナサーラ氏は、もともと「空」論者ではなく、「有」論者であることがわかります。同氏の属するのは「上座部」という宗派であり、主観的な「我」は「空(無我)」であるが、客体的な事物の類型(法)は三世に渡って実在する、という教義を持っています。「現象の世界には、生滅も増減も明らかにある」というのは、「有」論派の考え方としては当然ですが、『般若心経』を「間違い」と決めつけるのは、単に自派の教義を他派に押し付けているだけであり、なんらの論理性も正当性もありません。
 
 「仏教」ではなく「科学」の世界でも、「現象の世界には、生滅も増減も明らかにある」という主張は、量子力学の「不確定性原理」によって否定されており、ある素粒子が存在するかどうかは不確定であり、観測によって結果が変わることが、多くの実験によって証明されました。
 
 「空」論から見れば、「生滅」や「増減」などは、「そう見えるだけ」、という「関係」に過ぎず、「生」と「滅」、「増」と「減」の区別さえ、とうてい「明らか」などと言えるものではありません。
 
 
(65頁より)
 初期仏教では、あくまでも「一切の現象は生じて滅するものである」「一切は無常である」という立場です。
 お釈迦様は生滅説なのですね。
 これに対して『般若心経』は、「生滅がない」と言っているのです。この一言で『般若心経』は、せっかくお釈迦様が発見された「無常」という真理を否定してしまうのです。
 
 これも「空」論から見れば、話はあべこべで、「実在」するなら「無常」にならないではないか、と考えるところですが、上座部の見方は違うようです。
 繰り返しますが、「生滅」や「増減」などは、「五蘊」によって「そう見えるだけ」という「関係」つまり「空」に過ぎません。
 
 「無我」と「空」は同じ、と言うならば、「色=空」ですから、「色」と「無我」も等しくなければなりません。
 「諸法無我」の「諸法」とはあらゆる「存在」や「現象」のことであり、すると「色」と「諸法」は全く同じことですから、「諸法無我」なら「色=無我」であり、「色=諸法=無我=空」ということになります。
 
 
 
<続きを読む>『般若心経は間違い?』の間違い(五)
 
 

『般若心経は間違い?』の間違い(一)

『般若心経は間違い?』の間違い(二)

『般若心経は間違い?』の間違い(三)

『般若心経は間違い?』の間違い(四)

『般若心経は間違い?』の間違い(五)

『般若心経は間違い?』の間違い(六)

『般若心経は間違い?』の間違い(七)

『般若心経は間違い?』の間違い(八) 密教と記号類型学

『般若心経は間違い?』の間違い(九) 龍樹「一切皆空」のパラドクス

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照見!『般若心経は間違い?』の間違い(十一)

『般若心経は間違い?』の間違い(十二) 悟りのイメージと効用

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『般若心経は間違い?』の間違い(十四) 無我と輪廻

『般若心経は間違い?』の間違い(十五) その1 苦=空=自己疎外

『般若心経は間違い?』の間違い(十五) その2 10年経っても反論できない?

 

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『西遊記』でおなじみの、玄奘三蔵法師は、7世紀、唐からインドに取経して、多くの経典を漢語訳し、なかでも、『般若心経』は、大乗仏典の精華と言うくらい名訳とされています。しかし、よく理解されているか、と言えば、実はあまりよく理解されていません。

なかでも、「色即是空、空即是色」という『般若心経』のなかの最も重要な文章は、最も有名であるにも関わらず、理解される、というには程遠いのが現状です。

 なかには、「色即是空」は正しいが「空即是色」は間違い、などと、頓珍漢なことを言い出す人たちも現れましたが、『般若心経』を信奉してきたはずの、日本の仏教者たちは、満足な批判を加えることさえできません。

十八世紀、ドイツの哲学者ヘーゲルは「理性的なものは現実的なものであり。現実的なものは理性的である」と述べました。この発言は当時から、批判されるばかりで、今でもあまり理解されていません。

ヘーゲルの言う「理性」は、仏教では「分別」と言いますが、ヘーゲルの言うような理想的なものとは捉えておらず、「分別」こそが「苦」の原因であるとします。

 「色即是空、空即是色」をヘーゲル風に言い換えると、「現実と見えるものは分別されたものであり、分別されたものは現実と見えるものである」ということになります。つまり、自分が「分別」して「現実」と見えるものを、そのまま「現実」と思い込むから、「苦」が生ずるのです。

 2世紀、インドの仏教者、竜樹は、「一切は空である」と、述べましたが、本人も論じているように、「すべてが空」では、矛盾が生ずることがあります。 

 その点、「唯識」仏教(法相宗)の大家である玄奘三蔵訳『般若心経』では、「一切が空」とは言わず、「五蘊皆空」と述べており、竜樹のような矛盾が生じません。

 「唯識」レベルで書かれた経典である玄奘訳『般若心経』を「空」論のレベルで理解しようとすることには無理があり、最低でも「唯識」レベル、できれば「密教」のレベルで、つまりは「唯識」論を踏まえた上で、あらゆる知識を総動員して「緊密」に読み解くことが必要です。

「密教」の「密」とは、「緊密」のことであり、「秘密」という意味ではありません。

 『般若心経』の「空」は、ヘーゲルの「疎外」と似ていますが、むしろ、マルクスの「疎外」と等しいものであることを、本書をお読みいただければ、お解りいただけるかと思います。

 

  2021年 辛丑               掛川東海金

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