アメリカ!編みんぐ_AMING

アメリカ/ 魅了された編み物生活

エリックの家を訪問

2006-05-26 04:16:01 | Weblog



両サイドは私の差し入れコロッケ、真ん中はエリックの一口キッシュ

同僚のエリックの家は1905年に建てられたサンフランシスコの古い住宅である。100年来の時代遅れの電気配線や水周りをグレードアップする必要もあって、昨年から約1年かかって改造をしていた。ここ1年間、職場でも毎日、大理石のキッチンカウンターがどうのこうの、オーダーしたシャンデリアのクリスタルがきにいらないとか、壁のペイントの色がどうのと、業者と電話でしゃべる会話が延々と続いていたし、おまけにパートナーとの趣味や意見の不一致でそれはそれはヒステリカルなストレスを貯めていた。パートナーというのはつまり、、、、彼の弁護士をしているご主人である。ここまでいえば周知のとおり、彼らはおかま、ゲイカップルなのである。

サンフランシスコのゲイ社会は想像を絶するほど大きく、3年前、市長がsame-sex-marriage<同性者どうしの結婚>を合法化して以来、ゲルマン民族の大移動みたいに同性婚を成就せんと全世界から、ゲイカップルがサンフランシスコに集結しているといっても過言ではない。国籍だって様々である。サンフランシスコは東のニューヨークに対して、ロスに続く西の文化啓蒙の都市で世界的に人気のある観光都市だから、ブッシュや共和党政権にとっては、市長の造反は目の上のたんこぶである。が故にいまだ、大統領ブッシュはサンフランシスコに一歩たりとも踏み入れたことがないのだ。
皮肉なことにも、この宣言の直後に行われたカリフォルニアの州知事戦で共和党のシュワルツネガーことシュワちゃんが民主党を破って知事に就任した。デンバーで過ごした私には、サンフランシスコはアメリカではない別な国に見える。

7月4日の独立記念日にはアメリカの国旗のバッジを付けて通勤したりしたものだが、ここではそんなことをしようものなら<ななこは共和党なのか!>と反感を買ったりする。たまたま、象<エレファント/elephant>の柄のスカーフを着ようものなら、政治的意図はなくても共和党だと後ろ指を指される羽目になる。象は共和党のシンボルマークでちなみに、民主党のシンボルマークはろば<donkey>である。だから民主党の牙城であるサンフランシスコは圧倒的なゲイ社会に支援されている。これは単にイデオロギー的な部分だけでなく、経済的にも裏打ちされているのだ。

実際、2年前にはIBMはこれから管理職の雇用で同性者を積極的に採用していくと同時にゲイ社会の市場に向けて参入していくと宣言したから、アメリカのゲイ社会がいかに経済的にも大きい影響を与えているか伺える。
小売業はもちろん、芸術系、エンジニア、弁護士と高額所得者層もさることながら、ヨーロッパ系の旧家やユダヤ系の上流階級出身と多種多様でゲイ社会の進出は目様しい。日本では限られた職業しか与えられず、ゲイというと水商売かポルノくらいにしか理解されず、アンダーグラウンドにちかい世界に押しやられているゲイから比べると、サンフランシスコのゲイ達は、自信をもって大闊歩している。以下のウエブサイトはサンフランシスコ最大のゲイ社会のアドレスでゲイ文化を知るのにはなかなか良いサイトだ。http://www.queery.com/home.php
逆にゲイでない男性がゲイの上役に仕事の後、付き合うようせまられ、彼は結婚もしている人だったので拒否したあげく左遷されたのでその奥さんが、会社に対して告訴したが実際にハラスメントを立証するのはむずかしく敗訴して主人は職を失ったという、唖然とするようなばかばかしい逆差別ケースも事実あるのだ。



長々とゲイ社会の講釈が長くなってしまったが、昨日はエリックの家の改造完成披露とも言うべく職場の同僚と訪れた。



上の写真は、マスターベッドルームの隣にあるテレビルーム。ソファの向かい側の壁にプラズマテレビの大画面がはめ込んである。スタンド照明がなかなかモダンであった。



上の写真は彼らのマスターベッドルーム。小柄じゃあないカップルが2人寝るのにゃあクイーンサイズはちょっと小さすぎるのじゃあ??と聞きと、しがみ付いて毎晩寝るのだということ、まあなんとお熱いこと!!



そしてこれが、エリックのお風呂場とそれに続くウオーキングクローゼット。マスターベッドルームには彼のご主人のお風呂場と2箇所がついている。バスルームはそれぞれのプライバシーを尊重するための重要なスポットなのだそうだ。バスタブ周りと床は真っ白な大理石でクローゼットも真っ白なキャビネットで、少女趣味ぽい。<ちなみに英語で Girly Lookという>



そしてご主人のお風呂場はディープグリーンの大理石でシャワールームにはスティームがあり、サウナにもなる。もちろんクラシックの好きな彼のため音楽も聴けるのだ。クローゼットはエリックと反対で男性的な重厚感のある桜のキャビネット。数え切れないほどのスーツとシャツがどっさり収納されている。シャワールームの好みでどちらが奥様でだんな様なのか一目両断だ。

母の日、Mother's Day

2006-05-16 07:28:11 | Weblog


今日5月の第2日曜日は<母の日>である。アメリカでもMother's Dayは祭日ではないがイースターの後の賑わう日曜日である。どこも朝からレストランはブランチ<朝食と昼食を兼ねた食事のこと>をとる家族の行列でいっぱい。中には行列に閉口して、母の日には食事に出かけず翌日のディナーにレストランに行くという例年の協定を家族でしているところもあるくらい、アメリカのレストランではどこももうクレージーな混みようなのだ。交差点には花売りが立ち、赤信号で止まっている車に母の日の花束を忙しくドライバーに売っている光景があちこちで見られるのもアメリカならではだろう。

日頃、母の日になんにもしない日本に居る我が子供達のことを情けないとこぼしていたせいか、夜仕事から帰宅すると息子が<お母さん、コンピューターデスクに行ってみて!>というので一体何のトラブルシューティングが起こったのかと心配してデスクトップを見てみた。<お母さんブラウザーを開けてみた?><うん、開けたけど、なんなん??><まだ、わからへんの!>と息子。業を煮やした息子が<ほら!キーボードもマウスもワイヤレスやろう??><ひえ~~~っつ!どうしたん?><母の日のプレゼントだよ、オフィスディポでお母さんのために買ってきたんだ。50ドルだったよ。>息子の機転の利いたプレゼントに2度びっくり。
いままで、息子はプレゼントを買うお金もなく、毎年5ドルで母の日のカードをスーパーのセイフウエーで買ってきては、そーっとテーブルに置いてくれていたものだが、そんなささやかなプレゼントでも私には涙がでるほどとっても嬉しかった。

小学校、中学校のときも大枚5ドルをはたいてくれた母の日のカードはいまでも大事に引き出しの中にしまってある。それから比べると、今年はワイヤレスのキーボードセットをプレゼントにくれ、息子の成長を頼もしく見た思いがする。もちろん、お金の出どころは私だが、日ごろから私がキーボードのワイヤーを<今度は、絶対ワイヤレスを買わなきゃあ!!>と山盛りどなりちらしながら叩いているのを見ていて考えていてくれていたのだろう。

今年は正式に運転免許もとり、もう私が助手席に同乗しなくても、一人で運転できるようになった。ひとり立ちの第一歩である。アメリカでは運転免許証は日本と違い単なる運転免許証ではなく、社会的にも経済的にも個人信用を代表する身分証明書なので非常に大切なものである。日本の戸籍謄本に近い重要なステータスなのだ。
私の解釈ではアメリカの運転免許証を持てたら、やっと成人し、昔言葉では元服したことと同様だ思っている。

それで、今年の春から息子にはひとり立ちの第2歩として、銀行の口座を開設してこう言った。これから毎月5万円を生活費として入金するから、食費や雑費は自分でそこから買い物をするように。これからは息子が生活費の家計を管理し、息子名義の口座の金銭出入りが発生すると自ずから個人信用を積み上げていくことになるから、大学にいくときにも非常に大事なんだよと教えた。そんなわけで、レイジーな母親は手抜きならず、重たい食料を買いに行くことも必要でなくなってきたというわけである。

4月に息子に分担を譲ってから、意外にも彼は、几帳面に冷蔵庫をチェックして<今日は牛乳、オレンジジュース、ジャガイモ、玉ねぎがいる>とこまめに買い足してくれるようになった。今日などは、<お母さん卵ケースが1ケース買うともうひとつ1ケースタダになったよ!>と興奮している。英語では<Buy one Get one more free>といって、スーパーでは良くあるセールである。こんなことはやはり自分で買い物を経験しないと興奮しないものだ。また、男性に特有の買い物したがらないケチ症候群があるので、私みたいに<あっ、ちょっとこの調味料も買ってみようか?>なんて言う衝動買いがないので結構、良い家計のアシスタントだなあと感心したりしている今日この頃である。



母の日には私たちの住んでいる市ではストリートフェアといって、歩行者天国のようにテントのマーケットが立つ。息子によると前日から始まったようで、もうとっくに友達と露天の食べ歩きをしたそうだ。今日は朝から一人でストリートフェアを見に行った。ハンドクラフトショップやホットドッグ、かきのフライやイカリング、フライドポテトと子供連れの家族が繰り出し盛況だった。下の写真は即席の動物園で急騰した温度に黒豚ちゃんもすっかり蒸し豚になった気分だ。今日は久しぶりの汗ばむカリフォルニア陽気の母の日だった。



英語で編み物、その1

2006-05-12 14:54:33 | Weblog

         
8年前、デンバーでみつけた野呂の毛糸でひざ掛けを編み、8年後残り毛糸でスカーフを編む

私の編み物歴は結構長い。結婚して長男を妊娠したときになぜか、突然としてベビーのものを編みたくなった。祖母や母に小さい時からいろんなものを編んでもらって
育ったので、そのときまで自分で編みたいと思ったことはなく、何でも作ってもらえると思って育ったのである。だから、祖母や、母が一生懸命編んでる側で傍観者として見てはいたものの、自分で編むなどという興味を一度も持ったことがなかった私が、急に執りつかれたように編み物を始めたのだから、遠くに離れていた母や、祖母にするとびっくり仰天ものだったにちがいない。そもそも、結婚さえびっくり仰天ものだったのに、毎日のように、<今日の晩御飯、どうしたらいいの?カレーはどうやってつくるの?>と長距離電話でレスピを聞くくらいだから、あとからの母の話では、祖母があんなに何にもできない子が急に結婚するんだからねえ!せめて結婚の半年前くらい、料理や、編み物、洋裁くらい修行しとけばよかったものにねえ!とこぼしていたそうだ。

なんやかんや、電話で聞いてもらちがあかないので、京都の左京区にある、編み物の先生のところへ通いだした。鈎針は簡単だったけど、棒針は初めてで、<これはコンティネンタルといって、貴女みたいにやったことがない人には覚えるととても速く編めて、効率的な編み方なんだけど、一度アメリカ式を習ったひとにはなかなか、切り替えられないのよ。ちょっと指が動きにくいけど、やってみる?>といって、コンティネンタル式、つまりヨーロピアンスタイルの編み方をならった。それ以来、私はヨーロピアンスタイルなのだが、アメリカでもこの編み方ができる人はすくなく、今まで私以外に会ったことがない。今から思うと、その当時私の先生のデザイン的な面は退屈で、あんまり好きではなかったが、編み物の基本はとてもしっかりと教えてくれたと思っている。特に、ボディサイズを実寸でゲージをとって割り出し、グラフ用紙に書き込み、どこに増やし目、減らし目が必要かそれによって、編み物の大事な、減らし目、増し目のやり方を習った。一時、子育てに忙しくなって遠のいたりしたが、また編み物を始めたりとの繰り返しだった。


アメリカではじめたわけは、10年前、アルコール中毒の主人の家庭内暴力から逃げ、一時デンバー市のシェルターというところに助けてもらっていたのだが、そこである組織のレセプショニスト<つまり受け付け>の仕事を紹介された。<ある組織>なんていうと何か非合法組織みたいなこわ~~い憶測をしそうだが、ちゃんとしたグループでアジア人の移民女性を助ける組織である。違った文化からアメリカに移住してきていろんな問題を抱えている女性に精神的なカウンセリングのサービスや合法的権利の手助けや法律的情報の提供などをする組織でデンバー市からも助成金をもらっていた。市警察や裁判所とも密接で連携して家庭内暴力からアジア人女性を保護しなおかつ自立して生活できるようなサポートもしていて、心理セラピスト、リーガルアシスタント、精神科医、看護婦なども含め総勢30名くらいのスタッフが働いていた。

アメリカで労働許可をとり就職して初めての給料日に<その当時たかだか12万円ぽっちだったが、、、>チェリークリークという高級ショッピング街にある毛糸屋さんを電話帳で見つけた。オフィスから運転して15分ほどのところにあり、昼食休みに急いで走ってアメリカではじめての毛糸を手にした時の興奮をいまだに鮮烈に思い出す。なんとそのときに手にしたのが皮肉にも日本の野呂栄作のクレヨンというシリーズの毛糸だったのだ。私のオフィスはデンバーシティーパークのすぐ側のYORK ST.にある古いビクトリアン調の100年以上もたつ歴史的建築物でオークの床がきしむ建物だったし、当然暖房なども時代遅れで高い吹き抜けの天井へ暖かい空気が逃げていき1階の入り口に座っている私の足元はいつも氷のように寒いので、ひざ掛けを野呂の毛糸で編み始めた。


受付は寒く入り口のドアが開くたびに震え上がったが毎日編み続けているひざ掛けが段々大きくなり、形を整えるごとに私のひざを暖めてくれていった。カウンセラー達も最初は何を始めたのだという不振な目で見過ごしていったが、だんだん出来上がっていく私のひざ掛けに気がつき、<ななこ、編み物が上手なんだねえ!>とびっくりして声をかけるようになった。あるカウンセラーは編み物は楽しいのか?と聞くので、編み物をしていると自分の良い思い出が玉手箱から限りなく飛び出してきて編み物自身、が私の人生の絵本のように見えるというと、<なーるほど、じゃあとても良い心理療法になっているんだなあ?じゃあうちの患者さんたちにも勧めると良いかもしれないね?>というので<うん、それはとってもいいかもしれませんね?>と答えたものだ。実際、遠く離れた日本での生活、子供時代を過ごした博多のこと、大学時代を過ごした京都、結婚生活、4人の子育て時代、ビジネスを立ち上げて駆け回っていたころ、と怒涛のような人生だったけれどすべてを失ってゼロから出発したアメリカ生活でまた、編み物を再開できたことの奇縁さに驚きながらも、私の変化多い人生はいつも毛糸で繋がれていたような気もした。英語で編み物

3ヶ月ぶりに完成のショールとサンフランシスコオペラ座

2006-05-04 14:34:32 | Weblog
                                   

2月に買ったモヘアの毛糸でショールを編みはじめていたが、あいにくどこの毛糸屋さんもこのフランス製の毛糸が品切れでバックオーダーしていた。待てどもなかなか入荷してこなかった。毎日、電池のきれた役立たずの懐中電灯みたいに、編みかけていたショールは日の光を浴びずに部屋の片隅に置き去りにされていた。やっと4月になって毛糸屋さんから入荷の連絡があったが、なんせ勤務上、日曜日の休みがとれない。仕方なく郵便で送ってもらうようにしてやっと家に届いた。半分編みかけていたのだが、もう気後れしてしまい、編み続ける情熱も消えうせていたがわが老体をむちうち??最後の仕上げ、つまり、ふちのフリル編みをした。結局は思ったより毛糸を使い10個玉もかかったのです。そしてやっと今日の写真撮りとなって日の目を浴びたのである。いや~~~つ!もう5月ではないか?日本はゴールデンウイークの始まりで、春まっただなか。ショールなんて季節じゃあないけど、ここサンフランシスコではまだまだ、ショールの要る季節なのです。今日なんて見た目は青空春爛漫という感じだけど、寒風吹くそぞろ寒い15度というお天気でした。でももともとジャケットやショール、スカーフが大好きだから、年中着られるサンフランシスコの気候なんて私にとってはとても嬉しいかぎりなのである。もちろん、日本のような汗をかく蒸し暑い夏なんかありません。夜はショールを羽織って優雅にオペラ観劇にぜひ行きたいもの!
http://www.sfopera.com/

Monterey ・モントレー水族館で

2006-05-02 13:48:28 | Weblog



2005年4月、息子の長距離運転練習でMONTEREY BAY AQUARIUM.モントレー水族館に行く。水族館でクラゲの写真を撮った!なんて感動していたら多くの日本人には笑われるだろう。たかがくらげぐらいでね?大期待で行ったもののたいしたものではなかった。コロラド州デンバーに在った水族館、オーシャンジャーニーのほうが今から考えると圧倒的にすばらしい収容量と水族館としてのデザインを誇っていたのに、2004年、財政赤字で維持していけなくなり閉鎖されてしまったことは本当に残念なことだった。
がっかりしながら、<実はこんなんで25ドルもとられてもったいない>とぶつぶつ文句を言いながら館内を歩いていて、なぜかクラゲの泳ぎっぷりに魅せられたのだった。大昔まだ博多に住んでいたころ、小学生だった私と兄と私たちの家庭教師と能古の島へ遊びに行ったことを思い出した。泳ぎに行ったのにお盆前ですっかりクラゲだらけでびりびりとさされるので泳げず、ボートで沖に出てやっせやっせとクラゲすくいをし、ボートいっぱいクラゲで埋まったことを思い出した。あのころは博多湾も自然の姿いっぱいだったが、最近では、すっかり、モダンなハーバーと化しノスタルジアもしらけてしまうような様代わりだった。

http://www.mbayaq.org/