アメリカ!編みんぐ_AMING

アメリカ/ 魅了された編み物生活

クリスマス

2009-12-26 07:29:46 | Weblog


長年、小売業界で働いていると普通のカレンダーの日程が頭にプログラムされない。日祭日やホリデイは出勤のスケジュールだから、ああ、クリスマスだ感謝際だといった社会の風習が遠のいて、他人事のような感じである。もちろん、家族が少ないという理由もあるが、ちょっとした室内の飾りはするけれど昔のように祭日の料理だ、家の飾り付けだのという責務に追われることがなくなって気楽と云えば、気楽だがなんだか寂しいものだ。同居の息子も22歳、ガールフレンドや友人の付き合いのほうが一番で、家族でともにするクリスマスというお年頃でもない。それでも、毎年、クリスマスにはちょこちょこっとプレゼントをしてくれるのは本当に嬉しい。
本年も、特別にギフトラップしてあるものでもなく、どこかそこらのスーパーのプラスティックの袋に入ったものを<ハイ、お母さんのプレゼント。>と無造作に手渡してくれた時は、母も去って誰もクリスマスプレゼントをしてくれる家族がいなくなった身分には本当に嬉しい。

クリスマスのイブにアルバイトから帰って来た息子からもらったものは<デジタルフォトフレーム>だった。2週間前<ベストバイ>という電化製品の大型ストアにプリンターのインクジェットを買いに行った折、ちょうどデジタルフォトフレームの商品の前に足が止まった。私の商品を選ぶ条件はもう10年前から決まっていて、フレームは10インチ、メモリーは2ギガ、FMがついているということである。もちろん10年前にはデジタルフォトフレームなんて存在してなかったが、これは私個人の<こんなものがあったら良いなあ!>というドリーム思考の想像力で考えていたモノである。もう一つは前もブログでおしゃべりしたが瞬きのモーションセンサーでシャッターできる眼鏡のカメラ<これは未だに開発されていない!!>
そんなわけで、10年前に自分でこんなモノがあったらと思っていた商品が、今棚にどっさりと現れる時代になって写真好きの私は1時間あまり、値段やいろんな機種を見て回った。いや100ドル以上は高いなあ、いや7インチはだめだとかぶつぶつ云いながらの挙句、結局は決断がつかなかったのだ。3年前にソニーが出した、最初のデジカメの画像を見るサイバーステーションというものを買ったが実用的ではなかったし、リビングに家族の写真を飾って見て楽しむというデザイン性からは離れていてお気に入りになるようなものではなかった。しかし、昨今のフォトフレームはダントツに優れものだ。日本ではアメリカのように部屋のそこらじゅうに家族の写真を飾る習慣がないが、アメリカではこのペーパーレスアルバムのすぐれものは2年前から現れて瞬く間にクールなギフトになりつつある。もうパソコンに釘付けで写真のスライドショーを見なくっても、リラックスして家族の団欒のひとつとして見られるのは、もう今までのように重たいアルバム本を見るという範疇から卒業した、デジタルフォトの文化革命とも言える。

プラスティックの袋からこの箱を取り出すなり、悲鳴をあげると息子はびっくりして戸惑いながら私を見つめた。<お母さん、コンピューターの周辺機器が好きやろうと思って、、、、?>私は息子につい2週間前にストアで買い損ねたことを言った。息子のくれたデジフォトフレームは私のきびしい条件に見合うものでもなかったが、さっそく息子が画像を私のパソコンからインポートしてくれて、リビングのコーヒーテーブルの上に置くととっても可愛い家具のアクセサリーとなった。
電源を入れたままで置いておくと、静かにスライドショーで画像が流れ、テレビのように見なければいけないという<強制力>もない。BGMならずBGPだ。仕事をしながら束の間の変わる画像を見ていると現代版の万華鏡か走馬灯を思わせ、ゆっくりとした楽しみを味わえる。
昨日の夜は、本を読んでいるときも、つめを切っているときも、携帯でしゃべっている時も、部屋の中をうろうろしながら、立ち止まっては一こまの写真を楽しんでいた。FMはついていなかったけどきびしい予算で買ってくれた息子に感謝した。
静かでほのぼのとした、クリスマスイブでした。

Happy Christmas !!!

下はそのデジフォトフレームを飾ったコーヒーテーブルとその写真です。


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Wikipedia ウイキペディア

2009-12-22 04:23:53 | Weblog
昨日、テレビで<Into the wild >という映画を見て、久しぶりに涙を流した。最近ではなかなか涙も枯れ果てたのかと思うときがあるくらい、涙が恋しくなることがあるのだが、この映画でノックダウンという感じで、ソファーの上で毛布で顔をこすりながらすすり泣きしてしまった。これこそ、友人の本<話があるの>で書いてあった<アダルトチルドレンの犠牲者>ともいうべき青年が社会との断絶を決心して全米の大自然を放浪した挙句、最低の量の米を持ってアラスカの荒野へと踏み込んでいく。2年後に、彼はアラスカの原生のなかに廃棄されていたバスの中で死んでいるのをムースハンターに発見されるという大まかな物語だが、これはノンフィクションをもとに映画化されている。最後に主人公アレックスをアラスカまで送った老人のロンが、アレックスと知り合った間なしに、自動車の中で<今時、なぜこんなお金もなく、食べるものもろくにない放浪の生活をするんだい?>という問いに対して、アレックスが自分のおさない子供時代から両親の喧嘩を見て育ってきたこと、両親の欺瞞に満ちた愛のない生活に疲れ果てたことを告白するシーンがある。これに対して老人のロンは大きなため息まじりにたった一言<Shame !!>とつぶやくところは心打つシーンである。愛を求めて与えられなかった青年とその赤の他人の青年に祖父のような愛を抱く老人。彼はアレックスに<何もかも、人を許すと自分の目の前に光が輝き、見えてくるものがあるんだよ>と彼を諭す。<こんな映画を見逃してたのかと思って、お気に入りのウイキペディアの検索に行った。

http://en.wikipedia.org/wiki/Into_the_Wild

そして、これは日本語の<Into the wild> のウエッブサイト
http://intothewild.jp/top.html

日本語のウイキペディアではあまり詳しく紹介されていなかったが、英語版はなかなかのものだった。そうこうしているうちに、一番上に大きな字で<PLEASE READ A PERSONAL APPEAL FROM WIKIPEDIA FOUNDER JIMMY WALES >という見出しが飛び込んできた。初めてウイキペディアの設立者の名前が登場して寄付金のアピールだった。長年ウイキペディアの恩恵を預かった私はすぐにこのオンライン寄付に参加した。まだまだ日本語版の記事を書くボランティアが少ないのか、時々、英語版と比べて内容が浅いと思われることがあるので、私の退職後にはぜひ参加して、書きたいと思っている。
このオンライン寄付のリアルタイムでのページもなかなかおもしろくできていて、世界中の寄付者のコメントや名前が秒刻みで表されて同じ時刻に、世界中の人が草の根運動のように寄付しているのがわかる。こういうアイデアはさすが、アメリカらしい。人様にさらけ出してと思われる方もあるでしょうが、私は世界中の人がこうやって励ましていることを共有し体感することができるのはすばらしいことだと思った。
自己自慢するつもりではないのですが、下のページで見てください。

http://wikimediafoundation.org/wiki/Special:ContributionHistory/en

話があるの、日本の友人よりの便り

2009-12-16 14:47:35 | Weblog
11月13日の金曜日にうちのストア、ニーマンマーカスで怪我をした。右腕と両膝を思いっきり大理石の床で打撲、1月たつが出勤していない。怪我した日が魔の13日の金曜日だったことに帰属するのか、何一つとっても、労災医、会社の人事との連絡も保険会社の対応もギクシャクとしてスムーズに運ばない。
家に引きこもり症候群になると、なんでもがネガティブになってポジオーラが沸いてこない。やっぱりなあ~~あ、11月の23日の金曜日もケネディーが暗殺されたしなあと想像はたくましく広がっていく、<ほんなら、わては女ケネディーか?そんな良いものでもない!>とひとり笑ってしまう。
ふと、長年メールしていない友人のアドレスにメールを打った。まだこのアドレス存在してるのかなあ?と思いつつ。明けて翌日、彼女からの返信、なんでも<話があるの>という本を出版したので読んでみてとのこと。アマゾンでも買えるということで見つけたけど、最近の日本は外国発行の決済カードを受け付けないし、アメリカまで発送してくれない。
じゃあ、送ってあげるよとのメール。
しばし、このタイトルの前にちょっと<ちょっと>ってつけてくれたら良かったんじゃあなんて思ったけど、日ごろからひやかしや、ジョークがすきな私のような不謹慎さはこの内容にはもってのホカロンかもと思い直した。

その当時、はるかになる学生時代、彼女と2条寺町東入るのうなぎの寝床と言われる穴倉のように1日中真っ暗な下宿生活を共有したことがある。隣は志津家というパン家が在って、寺町通りの駸々堂や百万遍の駸々堂と一緒で私たちのお気に入りのパン家だった。昨年、帰国した折、2条のホテルフジタに宿を取り、晩秋の小雨交じりの中、2条通りを散策した。昔、ラリックと伊万里の皿にあこがれて、よく覗き込んでいたギャラリー田澤も存在。方丈記のうたい文句ならず、<よどみに浮かぶうたかた>とならず昔のままの佇まいに思わず、胸が熱くなった。恥ずかしさを忘れて、裏の中庭のお井戸さんの写真を撮らせてもらった。その前日は、六角堂から拾ったタクシーのおじさんの昨今の京都観光、ギャル嵐の旋風の話を聞いていたものだから、2条通りの閑散とした佇まいは私にとっては昔のままという感じで風情にひたることひとしおだった。なんでも、最近は京都観光の週刊誌が若い人のナビゲーターで、一度紹介されようものなら、そこを目指して怒涛のような観光ギャルがおしかけるそうな。狭い路地裏に入り込めないタクシーはお手上げ、その逆手を行く貸し自転車業が発達し、若いチャリンコギャルの探索が盛んなのだそうだ。
へ~~~っと、意外な文化の到来に改めてびっくり。そういうと、昔の4条烏丸の東側は友禅の染め問屋の陣地でもあったが、すっかり着物産業の衰退でべんがら格子の家々は商いを閉じて、フュージョン風の割烹料理やバー、フランス料理のランチプチレストランなどに様代わりしていた。私の学生バイト時代はお金がなかったということと同時に、にぎやかしい商いの車で一方通行の通りがひどい渋滞になることが理由で自転車を駆使して路上の隙間をぬってこの友禅の問屋街を走り回っていたものだが、なんと今は観光の道具として復活しているのだ。

数日して、ノックノック、ロスモアの我が家に郵便物が届いた。
うちの玄関には、5年前セイフウエーで5ドルで買った小さな鉢のクリスマスカクタスが馬鹿でかく成長して、たれ松のように垂れた枝にしたたかな花芽がどっしりとついている。外の玄関先から中にとりこんだら、硬いつぼみが美しいサーモンピンクに開きだした。去年この大鉢を2つに包丁で切って2つの鉢にわけたら、ぐんぐん成長してもう一人では動かせられないほどの大きな鉢になってしまったのだ。<Just a minutes please !>あわてて、カクタスで立混んでいる玄関のドアを開けると小さなパッケージを手渡せられた。

オンラインで注文した、スパイスかと思ったが友人からの本だった。
先週の今日のことなので、さっそくに投函してくれた手早さがとっても嬉しかった。