アメリカ!編みんぐ_AMING

アメリカ/ 魅了された編み物生活

サラトガ・モンタブロ芸術劇場

2006-03-29 07:49:26 | Weblog
          
           上の写真はデイブブルーベックと彼の息子達

カリフォルニア/サウスベイ、サラトガにあるモンタブロ芸術劇場はサラトガの瀟洒な住宅街の中にある。観光客にとってはそんなに有名な場所でもないが、地元の名士、3期に渡るサンフランシスコ市長でありカリフォルニア州の上院議員を務めた人ぞ知るジェイムズ フェランの私邸を彼の死後、遺言どうり芸術劇場として開放されたものである。それ以後も多くの人々の毎年の寄付によって支えられている。インドア、アウトドアのステージがあり、少数の客席で一流ミュージシャンのコンサートが開催されている音楽の秘境みたいなところでもあり、また、美しい庭園はたくさんの人達の結婚式にも利用されている。世界的に有名なモントレージャズフェスティバルで見逃したデイブブルーベックのコンサートのチャンスを摑んだのもここであるし、ジョージ ウイストンのピアノのコンサートもここで聴けた。
昨年はカテリーナのハリケーン大災害でデキシーランドジャズのメッカとして知られている、アメリカの貴重なニューオルリンズが消えてしまってとてもショッキングな出来事だったことは今も心痛く思い出されるが、2006年のボストン・タングルウッドのジャズフェスティバルにはディージーガレスピーとデイブブルーベッククアルテットの演奏スケジュールも発表されたところだ。タングルウッド音楽祭<ジャズ、クラシカル>には小沢征爾の帰米演奏も予定されている。ボストンからウイーンフィルに転籍した小沢の久々のニュースを聞くと、タングルウッドにはぜひぜひ!!とまたジーッとできない症候群に陥っていたところに同級生のT氏よりメール。

<ヘーイ!マイレッジがたまったって!!?タングルウッドへジャズフェスを聴きにいこうよ!!>

http://www.villamontalvo.org/

ロッキーのさすらい

2006-03-25 15:59:53 | Weblog



1999年8月、コロラドの夏のピークも過ぎ夜にはすっかり秋への様変わりを感じさせる虫の音が聞けるようになってきたところです。
夏休みの思い出にとアイダホスプリングからちょっと北に入ったクリアクリーク山系の渓谷にあるセントマリーズ氷河<英語ではglacier>へ息子とでかけました。
http://hikingincolorado.org/stmary.html
http://colorado.inmotion365.com/
11000フィート<およそ3300メートル>の標高に10エーカーの広がりを持つ万年雪があり、ロッキー国立公園の中でも珍しいスポットとして知られている所です。駐車場からガラ道を歩くこと30分。切り立った崖に囲まれたそれはそれは美しいセントマリーズ湖が松林の中から抜け出るようにして現れていました。なんとその美しい娘を抱くように切り立っている崖の上からセントマリーズ氷河が頭上から覆いかぶさるようにして湖へ落下してきています。湖の周囲は湿地帯で潅木が茂り、マリーズ湖底は氷河から押し流されてくるピートモスを一杯ためて濃いエメラルド色を呈しています。湖畔から氷河の滝を登り、エレベーションは11000フィートから一気に上がります。氷河の上を滑らないように慎重に息子と登って行きました。傍でサマースキーとスノーボードを楽しんでいる若人を横目で見過しました。あんまり見とれているとその氷河の勾配の急さに登る足が立ちすくんできます。ガラ場も過ぎ、全くのアイス一色になると11歳の息子は急激な標高の稼ぎと酸欠で半泣きになってきました。<マーム!マーム!>という息子の叫び声が段々に遠のいて聞こえてきます。私と息子の距離はそんなに開いていないのですが、氷河の谷を吹き降ろす強風に掻き消されてしまうのです。とうとう、足を止め、泣きじゃくりかけている息子を待ちました。息子は私に近ずくやいなや、私が薄情で待ってくれないとかゆっくり一緒に歩かないとかののしり始めたので、山のことについてちょっと説明を始めました。お母さんは決して息子より早く歩こうとしているわけではなく自分のテンポを酸素の希薄な標高で一定に補給できるよう、またエネルギーを均一に燃焼して頂上まで行けるように歩く速さを持続させていることを言いました。息子はちょっと楽な登りになると走ったり、急なのぼりになると立ち止まったりしています。私は只、足元を見つめ、一歩一歩自分のムラのないペースで歩くように言いました。沢山休みをとるのも良くないし、遅いと思える速さでもいいから歩き続けること。休みは呼吸を整えるだけの時間にすること。おかあさんから離れたといって焦らない。姿が見えなくなっても、道はひとすじだから必ず先で待っているということを言って再スタートしました。氷河を下から見た限りは小1時間で往復できるつもりでしたが意外にも、とても奥深い氷河です。先を歩いていた人々がどんどん引き返してくるのにすれ違うのでますます、錯覚してすぐだと思っていたのは間違いで、みんな途中であきらめて頂上までいかず引き返して来ていたのでした。もう誰一人ひとは見られず、氷河の終焉は私と息子の唯2人が登っていました。やっと氷河を抜け高原にたちましたが視界は広がりません。ピークはまだまだのようで、そこから歩くこと40分。やっと大きな岩のピークにたつことができました。意地の悪い風も止まり、前方にMt.Jamesの稜線が見えてきます。南の方角には美しい Mt.Evance。Yankee hillが青空の上に浮かび上がっていました。そのはるか彼方にコロラド州の東部、つまり大草原<prairie>が広がっています。コロラド州はロッキー山脈と大草原とに2分割されているのが良くわかります。コロラドはほぼ本州と同じくらいの大きさなので、本州の西半分がロッキー山脈であり東半分が大草原といった感じになります。そうして眺めていると、稜線が途切れたところから小さなウサギがピョンと飛び出てきたように見えましたが、段々、近ずいてくるに従ってそれがわが息子だと気付きました。おーい!と叫ぶとそれに反応してピッチを上げて歩きだしたのでこれは間違いなくわが息子に違いないと思い頼もしく、ピークの岩の上で待っていました。もう、ダウンして登って来ないだろうから、5分の休憩をとった後、引き返して助けにいこうと思っていた矢先でしたから、息子が頂上の最後の岩にしがみつきながら悲惨な顔を見せたときは、ほら!もう最後の1歩だよ!と言って励ましました。やっとピークに這い上がって来た息子からさんざんなののしり、泣き言を期待していましたが、意外にも<お母さん、僕やったねえ~!><うん、うん、すごいぞ!><すごいなあ!僕登れたなんて!すばらしい景色だねえ!>と忙しく感激している息子の言葉になんともいえない喜びを感じました。
12000フィート<およそ3600メートル>をこしていたでしょうか。登りは2時間弱だったから下りは40分くらいだからね。というと息子は元気を取り戻し、るんるんでした。下りの高原の潅木の間を忙しく飛び回っている目の覚めるようなロイヤルブルーの鳥を見かけました。おそらくマウンテインブルーバードでしょう。

コロラド、デンバーのこと

2006-03-22 17:35:16 | Weblog

コロラド、デンバーはアメリカ生活をスタートした町であり、今でも心のふるさとである。海抜1600メートルの高さに所在するため別名アマイル-ハイシティー<A mile-high city>とよばれている。そもそも緑や木々のない砂漠の都市なのでとても乾燥していて湿度は30%くらい。2-3日テーブルに置き忘れたパンなどにカビが生えるどころかパン粉ができるくらいになってしまうのでカビや、クローゼットの中のウール、カシミアの衣類に虫くいができる心配がないということはカリフォル二アと違って良い点だ。アメリカ大陸の広大さは気候や動植物の多様性でも自覚させられることが多い。現在住んでいるサンフランシスコ湾岸だって、サンフランシスコ、バークレー、オークランド、サンホゼと衛星都市がたくさんあるわけだけど、隣の市はまったく違う天候だから着ていくものも半袖だったりジャケットや傘が入用だったりと全く予測できない。ちなみにこういった細切れに違う気候のことを<micro-climate>という。だから日本でこんなこと当たり前と思うようなことが当たり前でないことがたくさんあるし起こることも事実。
まずは、よくキャンプやスキーで訪れたロッキーの思い出アルバムから。これはロッキー国立公園の中にあるピークトウピークというハイウエーの中にある観光センターでとった写真。右、厳冬の写真を見るといかに積雪が深いか、左のサマーキャンプの写真と比べて頂くとお分かりでしょう。さお竹のようなものがあちこちに見られるのは、積雪を計る棒なのです。これが隠れてしまうほどの年は、豪雪危険予報になってしまうのですが、カリフォルニアに水を供給しているコロラドとしては冬季にこれだけの積雪量がないことにはみんなに水不足だと心配の種になることも事実。ロッキーの力は偉大だと壮観なロッキー山脈の懐に生きる氷河の景色を見ながら感激しました。
http://www.denver.org/default.aspx

モヘア、螺旋編みスカーフ

2006-03-21 17:36:56 | Weblog
今年のスカーフのテーマは
Be cool, Be edgy、Be jazzy

毎日、サンフランシスコへの通勤、バートの電車の中で編んでいると、必ずと言っていいほど<ちょっと注文したいんだけど名刺ある?>とか<彼女にプレゼントするから売ってくれへん?>なんてお声がかかる。お~っとつい関西弁がでたけどもちろん英語での会話。有るときは酒臭い酔っ払いのホームレスから売ってくれとお声がかかり、すっかり閉口。I wish I could ! と言い返した。毎日のバート電車<BART/Bay-Area-Rapid-Transitの略>ではサンフランシスコのホームレス達ががひとときの憩いと言おうか、寒さしのぎといおうか乗車してきて車内で日銭を稼いでいる。ホームレスといってもバートに乗車してくる連中は結構な小銭を持っているのだ。先日なぞ、年のころ38-43歳くらいの若手の白人が列車の中ほどに仁王立ちになりそれも堂々とした大きな声で<Any one have changes 75 cents ? I am Homeless, I am hungry !! ><つまり日本語で、誰か75セントのつり銭を持っているものおらんかや!おいどんは天下のホームレスだ、はらへった~~!という意味。>と叫ぶので私はあきれ果てて眺めていたのだが、そのアナウンスを聞くなり、ご愁傷な中国人の男性と、向かい合わせの女性の2人がこそこそとバッグをかき回しながら、それぞれ1ドル紙幣をみすぼらしげに彼の手に渡した。とってもじゃあないけど、日本人が想像するような惨めなホームレスなんてもんではない。側で見ている方が惨めなホームレスになったみたいな気分になってしまう。私は思わず、<こういう調子でいくと、1回の乗車で1車両につき2ドルをかせぐことができ、移動しながら全9車両を回ると18ドルになります。さて1日中乗車して回るとホームレスはいったいいくらもうけられるのでしょうか??ただし、サンフランシスコ空港~フリーモント駅路線間は片道2時間かかるものとします。>てな算数の問題がアメリカの小学生用にできそうだなんて考えてしまった。とするとお金儲けという点では私はホームレス以下の効率の悪いスカーフ編みなんかをしているとも言える。むむむっ~~つ!思わずアメリカのホームレスに脱帽したのだった。毎日の通勤時間、往復でたったの1時間だけど結構な編み物ができるので、馬鹿にした時間でもない。バートの中では、大概のサラリーマンはラップトップで仕事の下書きをしたり、ブラックベリーでスケジュールをチェックしたり、読書をする人々が多い。ヤングはもっぱらアイポッドのテユーン族と言ったところだ。まっ、良いか私もお金では買えない、Quality of Lifeをバートで追求していますのよ、ホームレスさん。

アメリカでニット生活

2006-03-21 16:56:47 | Weblog

2005年もニットで明け暮れた。コロラド、デンバーからカリフォルニア、イーストベイに引っ越してはや今年で3年目である。目も衰え、もの覚えもシャープでなくなったというのに<時々、認知症が始まったんじゃあないかと心配する昨今だ。え~~つ!おいくつ?なんて考えずに読んでくだされ>、なぜか編み物への情熱だけはエスカレート。次々とアイディアや毛糸の美しい色に魅了されて、<眠れない夜>が続くのだから、ドクターに<いい加減に脳のラーニングをやめてベッドにいくんですよ!>と言われるのもしかたのないことである。自分の作品を写真にとって年賀状が完成、日本の友人達に送る。2005年はモヘアに明け暮れ、2006年もモヘアにとりつかれそうだな~~。