絵日記を、かきたい気持ち

毎日、たくさんの思いが浮かんでは消えます。そんな思い、フランスのこと、ヨーロッパのこと、気ままに綴っています。

●アールヌーボーの街、ナンシー

2005年03月04日 | フランスのこと
アールヌーボーって、ご存知でしょうか?

日本の方には、意外になじみがあって、「あ、この建築様式、絵、見たことある」といわれるのではないでしょうか? 

1800年代の後半から、1910年頃までに、ヨーロッパ各地で展開していった国際的な世紀末運動、美術運動、美術様式のことを、「アール・ヌーボー」といいます。日本の伝統芸術からも、影響を受けているのですよね。

この時代は、ヨーロッパが、18世紀末からの、イギリス産業革命、フランス革命に始まり、1914年の第一次世界大戦までの「近代」という時代の波の中で、大きな変革を、なし遂げつつある時でした。こんな時代背景の中で、「アール・ヌーボー」という、新しい芸術様式が、ヨーロッパ各地でうまれたのでした。有名なアーティストでは、画家のミュシャや、建築家のガウディなど、多数います。


フランス東北部の街、ナンシーは、その「アールヌーボー」のなかの「ナンシー派」として有名な町です。

ナンシー派というのは、この町出身のガラス工芸家、エミール・ガレが、交友のあった人たちと作ったグループから、生まれたそうです。(上の写真は、ガレの作品)


ナンシーには、このアールヌーボーを象徴する、美しい建築が街のそこここに建っていて、天気のいい春の日など、散策するにはとても楽しいところです。

アールヌーボーの建築様式の、美しい建物、また徐々に紹介していきますね。

この街は、ガラスで有名なバカラにも、それほど遠くなく(車で45分くらい(?)の小さな町。ガラスより、行ったレストランがおいしかったことしか、覚えていない・・・)、また、ガラス細工で有名なDAUMの工場もあります。ナンシーは、有名な大学もあり、フランスでも、大きな町ではありませんが、ちょっとブルジョアチックな、白いスタニスラス広場の印象的な街。




わたしは、なにを隠そう、この街に何年か住んでいたのですが、ずぅっとこの街があまり好きになれませんでした。だって、寒いんです~~~。ある人は、「ナンシーって、シベリアの気候とおんなじよね!」って言うくらい、フランスの中でも、一番寒い地方なのです。

毎年、冬になると、全国版のニュースで、ナンシーの援助協会が、ホームレスを受け入れる準備をする風景が流されます。ホームレスの人たちが、寒波で凍死してしまうのですね。だから、冬には、施設は、ホームレスを受け入れる体制を整えることで、おおわらわ、そんなニュースなんです。

その以前に、フランス南西部の大きな町に住んでいた私には、ナンシーは小さかったし、とにかく寒く、冬が長く感じたのです。フランス南西部では、真冬でも空が青いのに、ナンシーは、ずっと暗い灰色の冬が続きます。



しかも、わたしは、お恥ずかしいことに、アールヌーボーの建築には、あまり興味がなく、DAUMも知りませんでした。はじめて見たときも、な~んだか、ぼってりしているなぁと・・・思っただけ。きれい、とか、感動というものは、ありませんでした(きっぱり)。でも、値段を見て、ビックリ。


DAUMって、きっと置く場所を選ぶのでしょうね。わたしの家に置いていても、きっと100円ショップで買ったようなガラス細工にしか見えないけれど、おくべきところにおいたら、きっと映えるのだろうなぁ・・・と、いろいろ考えたものです。

エミール・ガレ風の、ランプや花瓶、置物、いろいろあるのですが、どうしても、私には、ぼってりした「きのこ」にしか見えません。

まだまだ、芸術を見る目が、磨けていないようです・・・。

DAUMのデザインが本当に好きな方には、DAUMの値段札の、0の数をもう一度確かめてしまう、最高級品ではなく、もうすこし手ごろなお値段の、日常使い品を売る、大きなお店が、街の中心から、すこし離れた所にあります。こちらでは、置物や、アクセサリーのほかに、食器なども数が多く揃っています。半端もの、キズモノ(素人にはわからない欠陥)も、かなりお安く買えます。・・・が、

我が家には、DAUMは、ありませ~ん。




ナンシーには、いろんな思い出があるので、徐々に書いていけたら、と思っています。


ここまで、気長にお付き合いくださった方(が、いらっしゃったら)、本当にありがとうございます。


では、また! 



●ドイツへの旅、南西の町、カールスルーエ

2005年03月03日 | ヨーロッパのこと
写真は、ドイツ南西部の街、カールスルーエのお城。

カールスルーエは、フランスとの国境に程近い、中規模の町です。(地図を持っている方、ストラスブールの北部、フランクフルトからは北西の町です)

わたしは、このカールスルーエに、何度も通いました。わたしのすんでいたフランスの町から、車で高速道路を通って、一時間半。しようと思えば、日帰りでできる、外国旅行です。

ヨーロッパのおもしろさって、わたしには、ここにあるんです。車を走らせれば、外国にたどり着く。いろんな文化やことばが、あの小さな地域にぎっしり詰まって、場所を変えるたびに、ことばも違う、風景も違う、町並みも違う、果ては、メンタリティーまで変わってくる。



わたしは、この街に、一時間半、車を走らせて、ちょこっと旅行するのが大好きで、週末に、時々でかけたり、友達のうちで夏や冬の数日を過ごしたものでした。

カールスルーエは、観光都市ではないので、あまり知られていないのですが、ドイツ的な町並みの美しい、活気のある町です。この街は、1715年に、カール公爵が、巨大な森を切り開いて造ったのが始まりだそうです。ドイツの「黒い森」の、すぐふもと。フランスから走ってきても、森を潜り抜けて、カールスルーエにたどり着きます。

カールスルーエは、上の写真の、カールスルーエ城を中心として放射状に主要道が伸びているので『扇の街』とも呼ばれます。第二次世界大戦で町の多くが破壊され再興する際に、以前の町の美しさを復元するというコンセプトの元で、復興されたのだそうです。

このカールスルーエ、よくメディアに登場してくるのは、憲法裁判所と連邦最高裁判所という、2つの連邦最高司法機関があるため・・・(なのだけど、見学はしたことがないのです~)。

そして、すごく大きな地方図書館があって、もうその蔵書といったら!!! 本好きのわたしには、何日いても飽きないくらい、いろんな本がぎっしり。(これに行かれないのは、淋しい~)


この街の楽しさは、町に活気があって、ドイツの活き活きした生活を楽しめるところです。ローテンブルグのような、中性に迷い込んだ雰囲気はないけれど、トラムがたくさん走る街を、夏にアイスクリームを食べながら歩いたり、ショッピングをしたり(フランスにはない、ドイツの素敵なものがたくさんある!)、お城の大きなお庭でのんびり過ごしたり、一日中いても、たっぷり楽しめる街です。



ドイツは、フランスほど料理が語られないところだけれども、わたしはドイツで食べるソーセージや、街角で食べる「ちょっと一口」が大好きです。洗練されているとは、いえないけれど・・・・ネ。


フランスから、ドイツに来て、すごく感じるのは、ココではヒトが、なんだかおっきい。フランスでも、決して、大きくはないわたしですが、ここに来ると、小人のよう。そんな感覚も楽しい、大好きなドイツの小旅行のお話でした!







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<今日のことば>

光の戦士は、信じる。
奇跡を信じるからこそ、彼に、奇跡が起きる。
人生を変えることができる、と信じるからこそ、人生は変わる。
愛にめぐり合うと確信があるからこそ、愛にめぐり合う。
時には、勇気を失い、時には傷つくこともある。
でも、光の戦士は、知っている。
かならず、報いられるということを。
一度の負け戦は、二度の勝利を導く。
これらを、彼は、信じ、胸に刻んでいる。

パウロ・コヘーリョ  「光の戦士のおぼえ書き」より





●ロレーヌの胡桃とりす

2005年03月01日 | フランスのこと
写真は、W家の裏庭にやってきたりす。下から上るのは、バーベキューの煙だったのかな?

昨日も書いたけれど、ヨーロッパのお家は、表からは、ほんとうの庭が見えない。日本の、家の前に庭を作り、裏庭がひっそりしているのとは、違う。ここの家も、玄関の前は、小さな庭しかないのに、実は裏には、ものすごく大きな庭があって、その中に、ものすごく大きな胡桃の木が、二本も生えている。

こうやって、秋になると、庭の大きな胡桃の木に、たくさんなるクルミを食べている。尻尾がふっさりして、可愛いこと!(小さくて見えにくかったら、日記の日付をクリックしてね)

ブライアン・スミスというイギリスの絵本画家がいるけれど、彼の作品の中に「りす」という一冊がある。色の美しい、宝物にしたいような一冊。そんなりすに似ている。

裏庭は、家族の憩いの場所。夏になれば、デッキチェアを持ち出して、日光浴をしたり、裏庭で、お昼の食事をしたり(もちろん、夏は日が長いから、ディナーだって、外で食べると、とても気持ちよい)、庭や、裏庭に面したテラスで過ごす時間は、とても多くなる。

庭が大きければ、それだけ庭の手入れに費やす時間も多い。花の手入れは、日本ほど手間がかからないけれど、胡桃の木は、ものすごい量の落ち葉。剪定も、しばしばしないと、大木が屋根にかぶさるほどになってしまう。

家で取れた胡桃は、気がむくだけ拾われて、地下にしまわれている。去年から、その胡桃が、島にまで届くようになってきた。粒の大きな、きれいな胡桃。アペリティフのお供に出せば、友達はとても喜んでくれる。

りすは、よくお庭にやってくる。でも、りすはとても、用心深くて、絶対に、人のそばにはやってこないし、慣れてくれない。犬や猫なら、簡単に、なれてしまうのに、とても不思議。犬や猫のように、飼い主の気持ちが分かる、りすのペットっているのかしら・・・? とても可愛い表情なのに、よくみても、なにを考えているのか、わからない。そのあたりが、また、表情の分かりやすい犬や猫とは、違うのだなぁ・・・。

いつか、そんなりすがいるお家に住みたいな。

ロレーヌのりすと分け合っている、胡桃の話でした。


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読みかけの本が、たくさんあるのだけれど、その中の一つ、The Da Vinci Code(ダビンチ・コード)、簡単なのに、もう何週間も手をつけてない。このくらいのペーパーバックなら、3日くらいで読んでしまうのに、今回は、もうイヤになってしまった。

それは、数週間前のこと、ある歴史に詳しい人と話してから。いろんな北アフリカやイスラエル、アラブの歴史の話を聞かせてもらっていたのだけれど、その時、「あ、ダビンチ・コードはどう思われます?」って聞いたら、「あ~、アレね、後からのいくらでも言葉遊びでこじつけられるから・・・、良くできた言葉遊びって思っているよ」って、その方はおっしゃった。それを聞いて以来、まったく読む気がしない。

フィクションだとは、わかっていても、最初に手の内を知ってしまうと、おもしろくない。手の内が分からないからこそ、知りたいって欲求をくすぐられて、推理小説なんかは読んでしまうのだなぁと、あらためて感じたしだいです。ダビンチ・コード、なんだか、もう、作られた話って、思ってしまうと、興味が薄れてしまって、読むのが辛くなってしまった。

終わらせないのも気持ち悪くて、ナイトテーブルに、他の本の下に積み重なったまま。どうしよう・・・。(単に、影響されやすいのか・・・!?)


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<編集後記?>なんだか、いろいろ悩んでしまったけれど、楽天だって、このプログだって、自由に書けばいいだけなんだなぁって、やっと気づいてしまった。

すごく気負ってしまっていたけれど、これこそ自意識過剰、というヤツなのかもしれないなぁ。気をつけなくては・・・・。特にこちらは、気負いなく、のんびりヨーロッパのことや、旅行のこと、日々思ったこと、書いていこうかな。


●アルザス・ロレーヌの夏の花

2005年02月28日 | フランスのこと
写真は、フランス、アルザス・ロレーヌ地方にある、W家の門に絡みつくスイカズラ。なんど、この花の下をくぐったかしら・・・・。立派なスイカズラの木。夏になると、たっぷりと花をつける。

アルザス・ロレーヌ地方は、短い夏だけ、すてきにきれい。なんといっても、花の量。ストラスブール、メッス、ナンシー、コルマール、白ワイン街道の小さな村々、ミュールーズ、どこの町も、街頭は、色とりどりの花で飾られている。まるで御伽噺の世界のよう。

長い冬の後、パステルカラーに染められた町々、そして、なによりもなだらかな丘の続く田舎の風景、濃い緑に染まったヴォージュ山脈。森は、深くて、そして、とても豊か。きのこや野生の鹿をとることができる秋まで、この地方の夏は、きれいな花々で囲まれて、まるで夢の世界のよう。

W家の庭も、花で一杯になる。夏に、この家の門をくぐるのが好きだった。花が、咲き乱れている、小さな前庭。ヨーロッパの町の家は、裏庭が巨大なのに、前の庭は道路から、5メートルもなかったりすることが多い。正面からでは、家の敷地の大きさは、分からない。


日本の実家でも、母が丹精込めて、スイカズラを育て始めたけれど、こんなに大きくない。以前は、こんな種類の、これ見よがしの花は、好きじゃなかった。南国のどぎつい色の花も、好きだったことはなかったのに、最近、どんな花を見ても、いとおしさを感じてしまう。

一生懸命に、命を振り絞って咲いているから?過ぎ去った、華やかな(私自身が派手だったわけじゃありません)20代を懐かしむから?年を取っていく両親を想うから?

「祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。沙羅双樹ノ

花ノ色、盛者必衰ノ理ヲ顕ス。驕レル人モ不久。春ノ夜ノ夢尚

長シ。猛キ者モ終ニ滅ヌ。偏ヘニ風ノ前ノ塵ト不留。(・・・・)(平家物語)」


花を見ていると、こころが和む。花と人生を重ねた唄も多い。きっと、多くの人が、同じように感じているのだろうな。

川は流れて どこどこ行くの
人も流れて どこどこ行くの
そんな流れが つくころには
花として 花として 咲かせてあげたい

泣きなさい 笑いなさい
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ(・・・)
(「花」、沖縄の喜納昌吉氏の、作詞・作曲)

  
植物は、自分の命を燃やして、一生懸命に花をつける。色とりどりに着飾って、蜂を呼び、風にゆれ、子孫を残すために、命を絞って花を咲かせている。だからこそ、美しさを感じるのかもしれない。



日本の我が家も、W家も、庭に、花があふれている。いつか、そんな風に花を育てられる人になれるかしら。

電話があるたびに、かえって来いといわれるけれど、あの夏の花を思えば、懐かしくなってしまうアルザス・ロレーヌ地方。(冬は寒い(「シベリアの始まり」と呼ばれていたりする地方だもの)から、すこし辛いけれど、冬はそれで、別の楽しみがあったりする。)



今日は、疲れている。週末から、調子が悪く、今朝は病院に行ってきた。もうすこし、ゆっくりしてもいいと思うのに、油断すると、体のどこかが、ざわざわする感じ。こりゃ、ちょっとヤバイかも?







●ルクセンブルグのぶどう畑と、多言語教育

2005年02月27日 | ヨーロッパのこと
新しいプログを作りたかったのは、下の画像を載せたかったかもしれません。わたしの中で、いろんな風景と、その風景をとりまく思い出がしまいこまれているのだけれども、それを、ちゃんと言葉で、書いてみたかった、そんな思いも、強くあったのかもしれません。

去年の夏、ルクセンブルグのブドウ畑を車で走ったときの、画像です。

その日、ルクセンブルグで、ゆっくりモーゼル川沿いの道を、車を走らせながら遡り、蝶博物館を訪ねるつもりでいました。でも、実際は、朝、モーゼル川を船で観光した後、あまりの暑さに、博物館見学を切り上げて、早々に、帰ったのでした。この日の、ゆったりした一泊旅行は、「ちょっとしたサプライズ・プレゼント」だったので、とても嬉しくて、それでこの画像に思い入れがあるのかもしれません。

ぶどう畑は、とても広くて、どこもかしこもぶどうの木の列が、きれいに並べられていました。このあたりは、白ワインの産地。ここからドイツに向かって、モーゼル川を登っていくと、美しいワイン街道があります。このモーゼル川をさかのぼるドライブ、何度かしましたが、いつ行っても、清潔で、きちんとした、安心できる美しさがあります。これが、ドイツ的な美なのかもしれません。

このあたりの風景が、わたしは大好きです。

南フランスの野性味を帯びた、赤ワインの畑と違い、洗練された貴婦人のような美しさがあります。色合いの淡い、汚れの一つもない清潔な風景。(わたしにとって、西南仏は、「好き」を超えている地域だけれども)



(画像のサイズを変えているうちに、なぜかちょっとポケちゃった・・・。面倒だから、このまま!)

思えば、大学生のとき、初めて旅行したヨーロッパも、モーゼル川を起点としたのでした。初めてのヨーロッパの旅、おろおろドキドキ、心細さの連続でした。

フランクフルト空港から、初めて乗ったドイツの電車、マインツに下りながら、見下ろしたモーゼル川の美しさ。そのとき、「ヨーロッパは、なんて美しいのだろう」、一人で車窓から緑の木々が流れるのを見ながら、思ったのでした。今でも、その景色が目にはっきりと浮かびます。その頃は、異国的なものに、あこがれていた時期だったのでしょうね。

その後、いつか、自分が、こんなに長居をすることになるとは、まったく思いもしなかったけれど・・・、そのときに、縁を作ってしまったのかな???


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ルクセンブルグには、すんだことがないのに、何度も何度も、行きました。

この国には、フランスのメッスから北部の町に住む、たくさんのフランス人が、毎朝、電車で、通勤してきます。

ルクセンブルグは、物価が高い(サラリーが高い)ので、こちらの国で働き、住居は、比較的安いフランスに構える、そんな人が、毎朝、7時前後の電車にゆられて出勤するのです。

電車の中の、出勤風景のフランス人、寝ている人は、ほとんどいません。一人で通勤の人は、英語か、フランス語の本を読んでいますが、多くの人は、同僚と連れ立っています。出勤=電車の中は、朝から、男女の、小鳥のさえずりのような、ざわめきで一杯です。さすが、自分の意見は、言わないと気がすまない、フランス人・・・。(本を読みながら、耳に入ってくる会話は、男性も、女性も、お話は、たいてい、職場の誰かの噂話、バカンスの過ごし方、休暇のすごし方・・・。)


ルクセンブルクは、小国だからゆえに、いろんな知恵を持った国です。だからこそ、この国を訪れるのが、好き。

まず驚くのは、多言語教育が徹底していること。ポリグロット(多言語を話す人たち)が、とても多いのです。44万人の国民の大半が、2、3カ国語を話します。

ルクセンブルグの言葉は、ルクセンブルグ語があるのですが、小学生から、フランス語、ドイツ語教育が、徹底していて、ある特定の科目は、外国語で教えるのです。英語は、中学生からならうのですが、フランス語、ドイツ語が使える人たちに、英語など、楽に習得できないわけがありません。

しかも、この国には、大学がありません。だから、大学教育を受けるためには、たいてい、お隣の国、フランス、ドイツに「留学」、することになるのです。

さらに、移民の多いこの国、両親、片親が、南欧、旧ユーゴ出身者が、実に多く、家庭では、また別の言語を話す場合も多いのです。ルク語、仏語、独語、英語+もう一言語、は大学を卒業する頃には、自由に操られる人たちの多さ、まさに、生まれながらのポリグロットたち。




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わたしは、冬のルクセンブルグの町が大好きです。

寒い、すこし小雪がちらつく中、広場の屋台で、Wurstbrot(ソーセージサンドウィッチ、丸いパンの半分を切り、中に20センチはありそうな、あつあつのソーセージをはさむ)を買って、赤いソーセージに、黄色のマスタードをたっぷり塗ってもらい、歩きながら食べる、そのおいしさ!(わたしは、ひそかに、ルクセンブルクのソーセージの方が、ドイツのそれより、おいしいと思っているのです、もちろん、大変な種類のソーセージを、すべて試したわけじゃ、ありません!)





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このプログでの、まだ新しいテーマ、自分のtemperamentが、決まらなくて、ちょっと、悩んでしまう。気楽になんでも書いて、いいのだろうけれど、そのヘンが、性格なのかな・・・?

お昼ごはんは、フレッシュなパルミストのサラダと、インドカレー。

片づけが終わった後、お抹茶をたてたくなった。茶筅もあるけど、ガーン、お抹茶がない・・・。







●どうして、新しいプログ?

2005年02月25日 | 思ったこと
このHPでは、わたしの住んでいる島の紹介はありません。日々、思っていることを、書いていこうと思います。

わたしのすんでいる島のHPでは、この島の美しさや、生活の様子、そして、周囲の島々を紹介するつもりで始めたけれど、書いていくうちに、どうしても、ほかのことを書きたくなってしまいます。ふと思ったこと、感じたこと、いろんなこと。

でも、そんなことは、あの島の紹介するHPでは書きたくないのです。こちらは、自分の、島とは関係のない、ふと思いついたことを書きたいだけ。

あの島の名前を、いろんなサーチエンジンで検索すると、あまり知られていない島だからがゆえに、すぐ、わたしのHPが、上に紹介されてしまう。

それは、うれしいことでもあるけれど、すこし重荷でもある。

あの島を離れても、わたしの胸に浮かぶことは、空の星のようにあるのです。あの島は、わたしの世界の、ほんの一部分でしかないのです。

誰でもそうだけれど、いろんな姿を持つわたしがいます。どれも本当のわたし。わたしが変わるのでなく、わたしを見つめる角度によって、光によって、いろんな光が出てくる。


だから、この日記。どんな形になるか分からないけれど、ただ、思いつくままに。最初は、いつも見切り発進、どんな形になるか、わからないのは、わたしのやり方。でも、心浮かぶことを、書きたいって、そんな気持ちだけがある。

HPではなく、自分に手書きの日記に書いてもいいのに、どうしてHPを作るの? わからないけれど、とにかく、書きたい。そんな思いだけがある。たぶん、こうして公の場で自分をこころを表現しないと、自分のこころの許容量を遥かに超えた思いで、パンクしそうになっているのを、最近、感じているのです。(そして、日常では、一切使えない、母国語日本語で、自分を表現したい、そんな気持ちもあるのかも・・・)



<写真> 誰もいない草原。わたしのなかにも、誰も入ってこれない世界が広がっている。

やっぱり、画像は大事。わたしにとっては、日記は絵日記の方がずっとよい。イメージがあるって、とても大切。




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さて、本日、やっとEたち3人のお客さんも、かえってくれました。10日間、なんだかとても、長いように感じました。価値観の違いで、なんだか彼女達の行動には、ビックリすることもあったけれど、それでも、お出かけしたり、楽しいこともたくさんありました。

価値観の全く違う人と、10日でも暮らしていると、「それは、違うんじゃない?」っていいたくなるときが、どうしてもでてきます。でも、そうじゃなく、ただ、それをこころをかき乱されないで、日が昇るのと同じような、一つの現象として、静かなこころで見るというのは、難しい。今回、そんなことの練習になりました。


気分を変えて、たまっていた用事をしたかったのだけれど、朝から、ものすごい腹痛。薬を飲んで、腹痛は止まったけれど、体がとてもだるい。

自分では気づかずに、ストレスをためていたのではないか。だから、今日は、ゆっくりすることにします。たぶん、今夜くらいから、動けるのじゃないかな? (こんな気持ちで、あたらしいHPを作成。書くのは、全く苦じゃないから)

島のHPの更新もなし。ゆったりしたい。




  (mimi_ylangy = nana_ylangylang、紛らわしくてごめんなさい。mimiも nanaも、わたしのニックネームです。HP作成の便宜上、この名で登録をしました。mimiでも、nanaでも、どっちでもいいのです。)

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PS.何度、手直ししても、上に上がっていかない。アクセスしてくださった方も、名前が見えない。なんだか、気楽なプログになりそう。


こうして書いていると、気持ちも整理され、また、書きたい気持ちになったり、HP更新のヒントが出てきたり、いろんな良い面もある。