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短詩集 「太古という未来」

俳句・短歌・川柳に次ぐ第四の短詩型文学として Maricot Tairaquas

氷像

2015-04-03 13:44:08 | 2N世代


寒空(さむぞら)に雲とたわむる
あえかなる星影の下もと
うらぶるる幼き誠と
空虚なる中風の知恵は
ひたすらに 慰め求め
むなしきに さめざめ流る

肌を射る氷の風は
ザクザクと少女を刻み
一弓(いっきゅう)にそのデスマスク
冬枯れの梢に倒る
倒るおり にぶき音たて
父なるに帰らんとする

北風に奪わる声は
身をよじり号泣すれど
ああ、虚無の木よ 墓石のごと
応ふるは 映えわたる月

骨を折り 地を掘り 埋めて
土を食(は)む 闇の白歯(しらば)よ
わな震ふ 貧しき胸を
抱きまとふ腕も香もなく
耳穴(じけつ)より引きずり求む
神さびし命の声は
絶え絶えに現はれは消え
氷像(ひょうぞう)のひび割れを増す

夢を追い夢に流さる
感覚器とニューロンの糸
占いの破片にすがり
過ぎにしを敢えて堪ふれど
冬晴れの月の光に
時は止み 流れも絶ゆる

夏の日に人魚のごとく
海に舞ひしあの幸せは
今ここに狂魚となりて
泣き叫び物体と化す

ー  Bruxelles 18歳の作品ー
作品タイトル「氷像(ひょうぞう)」   詩集「2N世代」収録
1971年5月 発行  
凶地街社 (志摩欣也代表) 発行 凶地街叢書

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先輩のY氏がキタの「JOJO」で「2N世代」を読んでいた。ふと隣を見ると、見知らぬ学生風の男性が、驚いたことにやはり「2N世代」を読んでいたと言う。その話を聞いて出版の持つ意味について考えさせられた。
Netに掲載することも、ある種の出版である。ただしcountが100の日は迷惑メイルも100来る世界だ。そこにいるのは「読む」読者ではなく、ほとんどが波そのもののようなSurfer達だ。波に呑まれて筆が荒れることのないよう、書く側は常に自戒しなければならない。

先に掲載した短詩「色彩空間を飛行する」は、詩集「2N世代」の目次の前に置かれた文字通りの巻頭作品であり、目次には入っていない。
他に短詩作品としては、このblogに次回から掲載予定の「傲慢な儀式」が、詩集「2N世代」に収録されている。

追記:2015年1月24日
上部は2007年11月27日の入稿。
それを今日改めて上にあげる。
昨夜、夜中に突然目覚めて
古い古い47年も前の詩作品の語句が
頭に浮かんできた。
「感想?」
ー「やっぱり冷たく寒いのは嫌だな」とー
人老いて詩精を失う、の巻。

死ぬのは嫌だと、そればかり考えていると
不安と緊張でビクビク、オドオドとしてきて息詰まるばかりだ。
それで目標を変えた。
「寒いこの冬を何とか生きて乗り越えること」に。
楽勝とは行かないまでも勝算ありだ。
何年かぶりにこのBlogを更新する余裕も生まれた。
目標のハードルを思いっきり下げたら
顔を引き攣らせずに微笑むことも出来るようになった。
もうすぐ春の足音が聞けるだろう。


水平に動くエレベーター

2008-01-29 11:20:15 | 2N世代

 まっすぐ立ってドアが開くのを待つ。それは決まって午後6時を少し過ぎた時のことだ。あるいは2階まではやや長いめのエスカレーターで、あとの5階をエレベーター(それは2つ並んでいる場合と5つの場合とがある。あるいは場所が異なるために2つのトコロと5つのトコロがあるのかも知れないし、また横に並んだ数によって場所を自ら変えているのかもしれない。それはエレベーターの勝手であって、私の関知するところではないが)で2+5階まで行く。それはおそらく午後6時以前に私がその場にいる時だ。

「閉」のボタンを押して私は一人で「移動」する。あるいは沢山の顔と移動するのだろうけれど、・・・とにかく気づくのは西梅田駅気付の売店でした初めての牛乳ビンの立ち飲みと、おつりを待つ手に感じる他人の時間の長さと、その背後を通過する人たちの生活の足音と、犯罪のないうしろめたさと、以前改札口で感じた神戸に到る秘密飛行の二人だけの色彩と、もうすっかりダメになってしまった彼女との関係と、日本で5番目の総合商社入社の彼の話と、日本で3番目のスーパーマーケットのひとつのある場所の「近く」に住む彼の話と、日本でX番目の大学と、東大受験中止の年の京大生薫クンとの出会いと、"Where are you going?"ではじまった「夜」と、中を開けたら空っぽだった彼女のカンズメと、カカオフィズに流れる喘息頓服と大阪駅前第一ビルのケッタイな薬局と、その上のレストラン田舎と点心と、その下のJOJOとその上の、ああその上の・・・。飛行機が飛んでるだけじゃないか! おっこちた。

チラリと流し目を送った。それが合図だったのだけれど、今日のエレベーターにも「窓」がない。物理学実験では足元の感覚と、数式と震える詩人たちの指と、行き先不明の彼の友人と、足元をすくわれ首をくくっている誰かさんのイメージ。夜の京都を歩くグレーのセーター。ラーメン持ち抱えてパリ大に留学した男。サッカーから転身した男。アメリカンフットボールから転身した男。マルクスを捨てた男。私は何も捨てないのだけれど、「窓」のない私を囲むエレベーターだけが、どうしたわけか、水平に動いているのだった。


海を眺むる日々

2007-11-25 19:48:53 | 2N世代

ー養護学校で生活を共にしたすべての旧友たちに捧ぐー
 
しののめの弱き光の 映える頃
 かすかなめざめぞ 生まれつる
 ショパンの調べの さざなみが
 心の糸を 爪弾けば
 たったひとりの 仕合せが
 幼き胸に しのび入る

 あかねさす 昼の太陽のぼる頃
 まぶしき波こそ つれなけれ
 モーターボートの 人々と
 楽しく踊れる 海ゆえに
 一人ぽっちの かなしみを
 かばってくれぬ 海ゆえに

 たまかぎる夕日がかなたに 沈む頃
 焦がれし海ぞ 帰りきぬ
 やさしき母の 輝きに
 愛せられたる わが身こそ
 ひと日暮れ行く その刹那
 まことの幸を 給はらめ

 ぬばたまの夜のとばりの おりる頃
 眠れる海ぞ 消え果つる
 潮のにほひと 波音の
 低き寝音は 聞き知れど
 海の青さは いづくにか
 松のみどりも 消え失せぬ

ー 北助松養護学校にて Bruxelles 12歳の作品ー
作品タイトル「海を眺むる日々」
詩集「2N世代」収録
1971年5月発行  編集・装丁 たなかひろこ
凶地街社(志摩欣也代表)発行 凶地街叢書

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ある詩人の会合で、ぼんやりロビーに座っていた。
ふと隣を見ると、和服姿の新川和江氏がいらした。
「2N世代」をお渡ししたら、その場でご覧になって
「なかなか素晴らしい」とお褒めのお言葉をいただいた。
詩学の嵯峨信之氏にも
詩作品にも君自身にも可能性を感じるので
大切に育てるように、と
わざわざお手紙をいただいた。
饒舌体が氾濫していた70年前後の現代詩壇においては
内容の評価はともかくとして
このような古典的な詩作品が
新鮮だったことは間違いないと思う。

・・・・・追記:2012年8月27日・・・・・
同学年はひとクラス、ひとクラスに5人
その5人のうち2人がその後2年以内に亡くなった。
「お薬が欲しい、欲しい」と言いながら...

病弱という井戸の中で: そのほかの日々