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短詩集 「太古という未来」

俳句・短歌・川柳に次ぐ第四の短詩型文学として Maricot Tairaquas

山村祐氏からの返信

2008-03-06 14:21:51 | '69年前後

昭和44年9月12日付けの山村祐氏(豊島区北大塚)からの便りを今日偶然発見して驚いている。

お元気ですか。先日は作品集お送り下さり、有難う。お礼が遅れて失礼しました。あなたの最近の仕事については、短詩No.39「作品特集号」の編集後記でちょっと触れましたが、やりたいと思うことはトコトンまで突き詰めてみることに私も賛成です。「言語本来の存在を主張するこれら放蕩児」の実験についても。ただこの作品集のレイアウトは感心しませんでした。あなたの字はあなたの性格を伝える意味で魅力がありますが、読者の大半は非情なものですから。(あなたの狙っているものが、そこにも(レイアウトに)あることは、おぼろげながら解りますが)
それから短詩型作品に於いて「純粋たる抽象作品」は存在し得るかどうかの実験をもしあなたが、志向しているならば、その経過に私は深い興味を持ちます。それが読者にとって、魅力ある作品として存在し得るならば。それは素晴らしく、しかも困難な仕事になるでしょう。
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私は保存するタイプではないので、こういうものを残していることは、全く忘れていた。これは私がガリ刷りで出した初めての短詩集に対するコメントと思われる。言葉を生命体と考えていた頃で、実験詩に関して、さまざまな意気込みがあったのだろう。
この「作品集A]は「現代詩手帖」で(当時詩集評を担当されていた)安藤元雄氏に、それはそれはボロクソに酷評された。「こんなものを受け入れてなるものか」という強いイラダチと、決して看過できない、伝統破壊のエネルギーを感じられたのかも知れない。

手元にわずかに残った’69年の「現代詩手帖」をペラペラとめくってみると、今月の新人作品欄に、芝山幹朗、帷子耀、等の名前が見える。なんという大昔なんだろう!
数年前四方田犬彦氏が「新潮」にこの帷子耀のことを、書いておられた。今はパチンコ屋チェーンのおやじ(当時15歳)になっているそうだ。それにしても、この時代の「現代詩手帖」はのめり込む程に面白かった!

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山村祐氏と交流があった方のかかれた記事を発見。