短詩集 「太古という未来」

俳句・短歌・川柳に次ぐ第四の短詩型文学として Maricot Tairaquas

未読(2) 昭和天皇と田島道治と吉田茂 等

2015-06-05 11:58:41 | 飛び入り

まず、未読の本でなく、昨日読了した本に関して少し引用しておきたい。
「アメリカに行った僚子」 加藤恭子著 (朝日新聞社刊)P.211より
ー外国人留学生を夕食に招待したいと、キャデラックの新車で迎えに来てくれたある婦人は、ハイウェイを郊外の住宅へ向かってとばしながら「カーで走るのは、アメリカへ来てからでしょう?日本では、何に乗っていらしたの。リキシャですか?」と聞いた。無知からきた質問だけだったら、私も腹は立てなかったかもしれない。 (中略) 怒った私の口をついて出た言葉は、以下のものであった。「第二次世界大戦を、どこの国と戦ったとお思いですか。インディアン相手の討伐ではありません。軍艦も、飛行機も、戦車も無くては戦えないのです」-
時は1953,4年の話のようだ。これが昔のまともな日本人なのだと思う。もはや絶滅種に近いのは残念である。卑屈さが無い、謝罪などの洗脳の片鱗も無い、あるのはプライドだ。「あなたのお国と堂々と戦ったのは、どこの国だとお思いですか」という、アメリカを相手に戦った祖国に対するプライドがあるだけだ。最も痛快な応対である。しかも場所はアメリカ、相手はお食事に招待しようというアメリカ婦人である。今の日本人、日本政府、日本の論壇、すべてがどれだけトチ狂っているか、最も良くわかる個所である。引用してみた。

ただこれだけでは、何の理解もしていただけないかもしれない。「今の日本人、日本政府、日本の論壇、すべてがどれだけトチ狂っているか」に強い反発を感じる方のほうが圧倒的に多いだろう。私が今の日本人、日本政府、日本の論壇、というのは、たとえば一例をあげよう。こちらの、この御3人(宮家 邦彦, 辰巳 由紀, 神保 謙)が書かれた 2015.05.15の論文をご覧あれ。以下に問題の部分を抜粋・引用する。
ーAbe delivered a speech at the US Congress on April 29 and the following is what he said and it is crystal clear: “Post war, we started out on our path bearing in mind feelings of deep remorse over the war. Our actions brought suffering to the peoples in Asian countries. We must not avert our eyes from that. I will uphold the views expressed by the previous prime ministers in this regard.” The day before the speech, Abe stated to President Obama as well as to the world, including his fellow conservatives in Japan, that the Abe Administration would not revise the Kono apology on comfort women.
 The fact that Shinzo Abe himself said that is significant. Now that Abe said before the U.S. Congress that he will uphold the previous prime ministers’ statements that Japanese conservative or right wing politicians may no longer be able to effectively challenge the Murayama statement. This could, hopefully and finally, contribute to the making of a minimum national consensus on history issues which is indispensable for Japan (especially for the parliamentarians in the Japanese Diet), in moving forward to start pursuing a real international reconciliation with our Asian neighbors.ー
村山談話・河野談話を継承しないことには外交など出来ない、するべきではないと堂々と述べているスパイでも工作員でもない政治論客たちの一例。プロパガンダにより、プライド喪失国家に成り果てている。上の逸話と対比して読まれたい。
おかしな虫が国民の頭の中に侵入孵化してしまっている。
何かが(捏造が)いつの間にか滑り込んで
対象が(主語も目的語も)すり替えられているのだ。

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さて未読の本を一冊紹介しておこう。(P.191 & P.193)
「昭和天皇と田島道治と吉田茂」 加藤恭子著 人文書館刊
田島道治略年譜、吉田茂とその時代略年譜、
だけでなく充実した註および参考文献一覧がついている。
書物としての完成度が高いので、虫食い頭で読むと、
理解が出来ず、発狂してわめきだすことだろう。

追記:2015年6月6日(土)
ー子供として戦争を生きた私たちの世代には、
大人たちがいてくれた。

あの頃の大人たちには、他には誰もいなかった。
天皇の名の下で始められた戦争で戦死した兵士たち
そして国内で戦い苦しんだ”当時の大人たち”にとって
天皇のこのお言葉は、大きな大きな
慰めとなったに違いない。ー(P.193)

悪用され主語と目的語が両方とも入れ替わって
とんでもない事態が発生した。文言のすり替えである。
すべては消され「過ちを繰り返さない」
の語句だけが切り抜かれ
「過ち」の意味を取り替えてあの大きな石の上に刻まれた。
してやられたのだ

そしてこんな見るも聞くも無残な歴史が捏造され
がん細胞のように今も増殖され続けている。
日本人は左も右も挙って捏造史をこそ
嬉々として抱きしめている。
何故なのだろう。

 


未読(1) 「謝罪詔勅草稿」の発見 等 

2015-06-03 17:02:26 | 飛び入り

昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見 加藤恭子著 文藝春秋社刊
先の加藤康男氏の「昭和天皇七つの謎」は、時間が無いとは言いながら、それでも3回は通して読んでいる。この本は、まだ一度も全編を通して読んでいない。
第九章「発見に至る経緯と田島をめぐる人々」はなかなか読み応えがあり、いい加減に読んではいけないという思いに至った。そういうわけで、これも今のところは時間不足で、安易に手をつけないことに決めた。

このペイジにはこのように時間の不足で、結局は読まないことに決めた、という本のタイトルや著者の名を書き留め、書き加えることにする。さて、どんなタイトルが加わっていくのやら。
すでに読了された方の感想などあれば、コメント欄にその思いを書き込んでいただけたら、とても嬉しい。ベストセラー本は一冊も並ばず、不人気本ばかりが登場する結果になると予測できるので、もし読後感の書き込みなどがあれば、ことのほか喜ぶのだけれども。

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占領期 新聞・雑誌 情報データベース
占領期雑誌記事情報データベース化プロジェクト委員会
(代表:山本武利・早稲田大学政治経済学部教授)

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昭和天皇 七つの謎 加藤康男著

2015-06-03 15:53:51 | 飛び入り

時間の関係で、この本に関しては記事を書けないまま終わるかもしれない。とにかく、書くことを一旦あきらめる。作業がきつくて書けばきっと身体を壊し死んでしまうような結果になりそうな気がするからだ。(参照の日時参照)
せめて他人の書評を紹介しようと思って、さんざん探してみたが、皆さんが遁走された結果だけが見えてきた。いやそもそも理解できなかったのかもしれない。
驚愕の著作!と吃驚されている方も中にはおられたが、それはその人の不勉強に過ぎない。すべてある程度の資料はそろっていて、加藤氏だけがその資料に敢えて手をつけられた、だから7割りがたは内容の事実認定も容易なのである。ただ加藤氏自身自制がきつくて、意外と思われるかもしれないが筆が走っていない。「参考文献」に詳細はお任せ、あとは各自自分で深く追求しろ、自分で考えてみなさい、というメッセージが読み取れないわけでもないが、誰も深い追求も、独自の発見も見出せないし、見出そうともしないだろう。

ー天皇の知らないところで木戸は共産主義者と手を結び近衛を陥れた。
迫り来る共産主義の脅威を述べた近衛上奏文を入手した木戸は、その場で都留に電話をかけて相談し、直ちに梅津参謀総長に連絡したのだ。ー
こういう小説風の描写の個所も所々にみうけられ、その辺りは非常に残念に思う。ある程度の結論を出すには、時には小説家にならざるを得ない気持ちもわからないではないが、それは致命的欠陥となる。描写が小説的、というだけでなく、木戸に関してあまりにも結論ありき、でお話が構成されている点が、
やはりここまでが限界なのかなと思わせる。

木戸と都留とノーマンと近衛のこの辺りのお話は、すでに一部の人には知られたところで、新しい考察でもなんでもない。だからすでに私も「宮中のユダは木戸だ」という何人かと出会っている。木戸と都留の関係から、何でもかんでも木戸をとっちめようとする人は、他にも私の知らないところにも沢山いるだろう。ただこの見解つまり、木戸悪人説には証拠も根拠も希薄で、唯一感情論が先走っているように思える。木戸の置かれた立場を考えると、それはありえない。いずれにせよ、誰か個人が、あるいは少数グループが、天皇陛下やGHQの意に反して、どうこう動けるわけが無い。
もしこの場合、瞬時仮に赤だったとして、木戸には「ご奉公ゆえの赤」という思いがあったのではないか。時代の、場所の空気を読んでもらいたい。
それと、やれ松岡こそが戦争責任者だ、いや近衛が共産主義者だ、木戸がユダだ、田中隆吉が国家最大の裏切り者だ、
いや全責任は東條にある、いや山本五十六だ、瀬島が鍵を握っている、などなどの個人攻撃で歴史を収めようとする考え方には、
それが誰であれ、私は与するつもりはない。
幼稚過ぎる。

ついでに追加すると、(この本はそうではないが)
たとえば軍閥の暴走やユダヤの陰謀で、
歴史を纏めようとするのも、発言者の頭に靄がかかっていて
視界不良、資料未整理の露出でしかない。
聞き手もまた具体的輪郭が一切存在しない
変数のような用語にごまかされて
(仮説のための変数としては使えるが)
ふむふむ、などと「理解したつもり」になってはいけない。

参照:WILL 2014年1月 新年超特大号
参照:WILL 「四方の海」 加藤康男 2月号追記
参照:四方の海 逆ベクトルの意味