短詩集 「太古という未来」

俳句・短歌・川柳に次ぐ第四の短詩型文学として Maricot Tairaquas

海を眺むる日々

2007-11-25 19:48:53 | 2N世代

ー養護学校で生活を共にしたすべての旧友たちに捧ぐー
 
しののめの弱き光の 映える頃
 かすかなめざめぞ 生まれつる
 ショパンの調べの さざなみが
 心の糸を 爪弾けば
 たったひとりの 仕合せが
 幼き胸に しのび入る

 あかねさす 昼の太陽のぼる頃
 まぶしき波こそ つれなけれ
 モーターボートの 人々と
 楽しく踊れる 海ゆえに
 一人ぽっちの かなしみを
 かばってくれぬ 海ゆえに

 たまかぎる夕日がかなたに 沈む頃
 焦がれし海ぞ 帰りきぬ
 やさしき母の 輝きに
 愛せられたる わが身こそ
 ひと日暮れ行く その刹那
 まことの幸を 給はらめ

 ぬばたまの夜のとばりの おりる頃
 眠れる海ぞ 消え果つる
 潮のにほひと 波音の
 低き寝音は 聞き知れど
 海の青さは いづくにか
 松のみどりも 消え失せぬ

ー 北助松養護学校にて Bruxelles 12歳の作品ー
作品タイトル「海を眺むる日々」
詩集「2N世代」収録
1971年5月発行  編集・装丁 たなかひろこ
凶地街社(志摩欣也代表)発行 凶地街叢書

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ある詩人の会合で、ぼんやりロビーに座っていた。
ふと隣を見ると、和服姿の新川和江氏がいらした。
「2N世代」をお渡ししたら、その場でご覧になって
「なかなか素晴らしい」とお褒めのお言葉をいただいた。
詩学の嵯峨信之氏にも
詩作品にも君自身にも可能性を感じるので
大切に育てるように、と
わざわざお手紙をいただいた。
饒舌体が氾濫していた70年前後の現代詩壇においては
内容の評価はともかくとして
このような古典的な詩作品が
新鮮だったことは間違いないと思う。

・・・・・追記:2012年8月27日・・・・・
同学年はひとクラス、ひとクラスに5人
その5人のうち2人がその後2年以内に亡くなった。
「お薬が欲しい、欲しい」と言いながら...

病弱という井戸の中で: そのほかの日々


途中ながらの「あとがき」

2007-11-03 19:43:36 | あとがき

短詩運動の母体となった「短詩」誌は昭和45年、43号をもって分裂的自爆的廃刊となった。俳句に、短歌に、川柳に、そして現代詩にと、仲間たちは古巣に散っていった。
外来語の流入や日常生活そのものの変化に伴い、日本人の語彙、感性、発想等が明らかに変化してきている。第四の短詩型文学の運動は、いわば時代の要請であった筈なのだが。-
私が短詩から学んだこと。それは文中の各品詞間の力学的関係が、造形的に見えるようになったことである。特にシンボル機能を持つ名詞の存在論的意味の特異性に気づいたことである。方法論としては、動詞の多用、直喩の使用等を特徴とした。作品にエネルギーを吹き込み、有機化するためである。私が個人的に特に、短詩の究極の目標においたのは、言葉の伝達性からの離脱と、イメージの喚起力による言葉の自立である。-
文学が、音楽や絵画とクロスオーヴァーしえる程に、自由で実験的であろうとすれば、イメージの喚起力による言葉の自立に着眼する以外にない、と考えている。
この小冊子発行を機に、第四の短詩型文学を確立させるひとつの方法論として”イメージの自立”を、創造的文学の場で、提唱してみたい。

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タイトル: 「太古という未来」
発行日: 1987年8月7日
発行者: Bruxelles

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20年前に自作をまとめた「太古と言う未来」という短詩集を出版した。このブログはその作品集をWEB上に視覚、聴覚をクロスオーバーさせながら移し換えたものである。まだ途中で、三分の一程しか打ち込みは完了していない。「短詩」とはどんなものか、広く知っていただき、今後は残り三分の二の打ち込みを完了させるだけでなく、旧同人や新しく「短詩」を始めようという方々の作品もこのブログ上でクロスオーヴァーした作品に仕上げて掲載していきたいと考えている。
「短詩」およびこのブログに関するご質問、ご感想、そしてご投稿等をお待ちしています。

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参照 : 短詩講座 
参照 : 言語エネルギー論 (短詩作品の解説例として)
参照 : 1行詩ひと呼吸はどこまで続くか、実験詩