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政治と「メディアはメッセージ」

2012年11月21日 | 研究
衆院選が近づき、メディアは政治一色になってきているが、政治ほどマクルーハンの「メディアはメッセージである」の意味を考えさせるテーマはない。1960年のアメリカ大統領選で、テレビを見ていた人はケネディの勝ちと思い、ラジオを聞いていた人はニクソンの勝ちと思った、という話は有名である。時代はすでにテレビの時代になっていた。マクルーハンは、この大統領選を「メディアはメッセージ」の説明事例として何度も取り上げている。有名なホットメディア&クールメディアの原理を二人に当てはめ、「いかにも政治家らしい隙のないホットな印象のニクソンに対して、どんな職業であってもおかしくないクールな(=視聴者の想像力が働く余地のある)印象のケネディは、クールなメディアであるテレビ向きだった」と言っている。

メディアは政治家の「メッセージ」を中立的に「媒介」しているのではなく、メディアとメッセージは「一体」なのである。演説会における政治家の「声」(と表情と肉体)は、ニュートナルなメディアというよりはメッセージの一部である。古代ギリシャにおいてプラトンが攻撃したのはメッセージの「内容」ではなく、口承詩人というメディア「形式」であった。声、新聞、チラシ、パンフレット、ラジオ、テレビ、インターネット、ソーシャルメディアなど、メディアの形式は何であれ、メディア抜きの政治メッセージは存在しない。メッセージの「内容=政策」にだけ注意を向けていては、本当の(隠された)メッセージに気付かない。政治家のメッセージの真実性が怪しくなってきている今日、真実の所在探しは簡単ではないが、自分でそれを見つけるしかない。
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