本の未来が不透明になってきているということは、図書館の未来も不透明になっているということだろう。物理的な形式をもった本を収蔵し、分類し、閲覧させ、貸し出すという「本の案内人」が20世紀までの図書館の役割であった。図書館が公共サービスが価値をもつのは「膨大な図書の収蔵=知の殿堂」という、個人では不可能なサービスを提供するからであるが、インターネットが図書館の「知の殿堂」の役割を薄れさせている。もともとインターネットの検索エンジンは、図書館内での資料検索などで使われていたシステムから派生してきたという。そのシステムが当の図書館の存在を脅かしているというのはなんとも皮肉である。新聞が登場する前は本は「ニュース」であった。今や情報の新鮮さにおいて本は他の諸メディアに立ち打ちできない。さらに情報量も検索性もネットに劣るとすれば、生き残るために新しい価値をユーザーに提供しなければならない。博物館のように、古いものに新しい解釈を付与する施設になるのであろうか。何もかもが「情報化」していく中で、懐古的に本という「読み物」を再発見・再体験させる機関になるのであろうか。それともあくまで「知の殿堂」の役割を死守するために、デジタル化された情報までも図書館のカバー領域に取り込んでいくのであろうか。図書館はネット情報よりも「権威ある情報」を収蔵してきたが、その情報も外部から検索が可能になれば、ネット情報と図書館情報の境目はなくなる。図書館が物理的に「知識の囲い込み」をすることは不可能になった。まさに「壁のない図書館」である。研究者であれ、ビジネスマンであれ、普通の市民であれ、大半の時間を「情報検索」に費やす時代である。私企業の検索エンジンだけが情報の大海のナビゲーターでいいのだろうか。情報の海の快適な航海をサポートしてくれる公的エージェントとしての「未来の図書館」欲しいところである。そこは(=その機能は)、おそらく新しい「公立学校」になるだろう。
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nakazawayutaka_1958 | |
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著書:『哲学者マクルーハン』(講談社選書メチエ)、『マクルーハン・プレイ』(実業之日本社)
訳書:『メディアの法則』(NTT出版)、『ポストメディア論』(共訳/NTT出版) |