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ホットとクール

2014年06月04日 | 研究
テレビはクールなメディアで、ラジオはホットなメディアである、という不可解なメディアの定義に惹きつけられてマクルーハンに関心を持った人は多いだろう。クールなメディアとは低精細で、その情報不足を補うために視聴者の参加を促すメディアである、とマクルーハンは説明しているが、早とちりな、マクルーハンの著作を読まないマクルーハン批判者がよく口にする批判は、「テレビが高精細になったらそれでもクールなのか」というものである。マクルーハンはその手の批判が出てくることは端から想定内だったようで、次のように述べている。

もし技術が進んで、テレビ映像の性質を映画データのレベルまで高めることができたら、こうしたことはすべては変わるだろうかと問われたら、こう反問するしかない。「遠近感や光や影を細かく付け加えて、漫画を変えることができるだろうか。」答えは「イエス」である。ただしそのときはもはや漫画ではなくなくだろう。同じように、「改良された」テレビは、もはやテレビではない。テレビの映像は、いまは、明るい点と暗い点のモザイク状の網の目であって、映画のショットは、たとえ映像の質がきわめて低い場合でも、けっしてモザイク状の網の目にはならない。  『メディア論』

マクルーハンのメディア論において、「テレビ」の位置づけは他のメディアと比較にならないほど重要である。しかし、そのテレビは、北米でテレビが普及し始めた1950年代~60年代にかけての「テレビ」であることに注意が必要である。いまのテレビは、「テレビ」ではない。
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