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漢方の極意

2007年10月05日 | アート・文化
風の男 白洲次郎 (新潮文庫) 風の男 白洲次郎 (新潮文庫)
価格:¥ 420(税込)
発売日:2000-07

 白洲次郎と言う人を知ってますでしょうか?日本人で初めてジーパンをはいたと言うおしゃれな人です。

 この白洲次郎の奥さんは、白洲正子と言いまして、これまた興味津々の方です。先日、何気なくテレビを見てましたら、細川元総理が子供の頃、かわいがってくれた正子の思い出話をしていました。(NHK教育)。正子は骨董の世界でも有名で、ショーケースに入れて鑑賞したり、投機目的で購入する物でも無い。実際の生活で使わないといけないと。そして骨董を見極める心眼の極意は色々な人生にも応用が利くと言われています。私もそう思います。

(「白洲正子 私の骨董」と言う本があり、そこからの抜粋です)

 バブルがはじけて、今度は文化だということになり、私などのところにまでブンカブンカドンドンとマスコミが押しかけて来る。そんな事に一々驚いていては身が持たない。彼ら---といっても、私の場合はおおむね編集者であるが、まず訊くのは、どうしたら骨董がわかるか、ということである。
 さあね、と私は考える。
 あたしにもわからないよ。自分が好きなものを知っているだけ。
 それをどうやって見つけたんですか?
 好きなものと付き合っている間に、骨董の方から教えてくれたの。五,六十年もやって、やっと骨董にも魂がある事を知ったの。その魂が私の魂と出会って、火花を散らす。といっても、ただ、どきどきするだけよ。人間でいえばひと目惚れっていう奴かな。そして、どきどきさせるものだけが美しい。ずいぶん色々のことを教えて貰った。あたしの欠点も、長所も、いかに生くべきか、ということまで。
 大抵はそこら辺で退散するが、私は笑談をいっているつもりはないのである。
 編集者にしてみれば、私がおかしなことばかりいうので、この頃では「白洲正子の美学」なんて書かれる時もある。何でも不可解なものは「美学」にしちまえということらしいが、私ほど美学から遠いところにいるものはないのである。
 そもそも美学というものが何だかわからないので、字引をひいてみると、「自然や芸術における美について研究する学問。美的事実一般を対象として、それの内的・外的条件と基礎を解明・規定する」とあるり、いよいよわからなくなってしまう。たしかに、あらゆるものは研究の対象になるに違いないが、個人の感覚にだけ訴えるものを分析したり研究したりする事ができるのだろうか。「その内的・外的条件と基礎を解明・規定する」とはいったいどういうことなのか。
 たとえばここに唐津のぐのみがあるとする。その陶土を見てそれが唐津であり、鉄砂で絵を描いたことは判る。物識りはその上に、高台の作り方とか、火加減とか、窯変の面白さなどに薀蓄をかたむけるであろう。だが、それらの綜合の上に成り立っている一個の器について何も説明したことにはなるまい。いかにそれが美しいか、絵が面白いか、千万の形容詞をつらねても美そのものを語る事はできない。そこでは知識も学問も何の役にも立ちはしないのだ。
 もちろん知識や経験はあった方がいいにきまっている。それはただし都合がいいだけの事で、美とは関係のないことである。一般の人々が間違うのはそこの所で、陶器を「勉強」すれば陶器がわかると思っていることだろう。だから展覧会はいつも盛況だが、そこではものを見るより先にまず解説を読む。そして全部理解したつもりになり、うつろになった眼で流れ作業式にちらっと横目で眺めて会場を出る。頭では解説でいっぱいになっているから、ものを見る余裕なんか残っている筈はない。
 美術品ばかりでなく、このことはあらゆるものに共通する現代の風潮といえよう。ひと口にいえば情報過多の時代に生きているためで、私たちは精神的に消化不良を起こしている。消化不良を直すには、充分な手間と時間をかけて治療をする以外にない。骨董だって同じ事である。今まで得た知識や情報を全部忘れて、裸の心でものに接する。そして相手が心を開くまで黙って待つのである。

 

私は、白洲正子さんからの言葉に医療、特に東洋医学の極意を感じます。


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