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如活禅師 = じょかつ-ぜんじ 如活祭 &〔哀愁の奥会津〕の秘湯 2017  

2017-10-26 13:38:54 | 南会津町
如活禅師 = じょかつ-ぜんじ 如活祭 &〔哀愁の奥会津〕の秘湯 2017  
●南会津町荒海各集落のホームページ
南会津町中荒井エリア
http://www.eclat.cc/home/net-works/
今年の如活禅師 = じょかつ-ぜんじ 如活祭は10月29日予定です。...
如活禅師=じょかつ-ぜんじ
会津郷土研究会では
如活禅律師(1718)は南郷村の大橋の清水堂の建立、土地の豪族角田雅乃丞が、
 如活禅律師の進言によって母の菩提のために建立したという言い伝えもある

塩原温泉郷土史研究会引用すると
 
如活禅律師は生涯寺を持たず、粗末な庵を好み誠に質素な御方で転々と
地方をまわり、寺の住職は勿論、関東北部の大寺の僧侶とも交わりを持っ
ていた。その間、庶民の救済念仏を広め仏弟子の数は多く、禅師は解剖医
でもあり妙薬等を残している。
 
享保五年(1719)会津中荒井に草庵を創立、
寛保元年(1741)他界するまで禅師の身分が不明であったが、
死期に及び「われは臨濟三十八世上龍下水如活禅師なり」と明かしている。

生年不詳~寛保元年(1741)
 享保4年(1719)田島に来遊し、以後寛保元年に疫病で没するまでの22年間、田島の中荒井
・黒沢・針生・永田に庵を結んで、北関東・若松・南郷などを遍歴した。
 医術や天文にも通じており、念仏を広め、庶民の救済と求道の生活を続け、田島の中荒井三沢に葬られた。
 墓碑には「臨済三十八世上龍下水如活禅律師」と刻まれている。
 
永田では地名が残っています。
黒沢は細井資料館 では遺品が残っています。
今年、29年度は10月29日に如活祭が南会津町中荒井エリアで開催。
如活禅律師の木像(開当男山所蔵)画像塩原温泉郷土史研究会引用する
 
 
哀愁の奥会津の秘湯のホームページ!
湯っくり 湯ったり 奥会津の湯 ¥500で入れる日帰りの温泉を紹介します
 
 
 
 
 
 


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